133. 到着
帰り道、また黒っぽい狼の姿になったナイジェルと今度は小走りで進んだ。
やっぱり思った通りで、ナイジェルがこうなったのはトリスタンのような魔法ではなく、王都に帰った前日にジジイにダンジョンに連れて行かれたことが原因だった。
「この状態だと疲れにくいし走るのは早いんだけど、言葉はなかなかうまく話せないから練習してる」
聞き取りにくい言葉で話す。
「あの日祖父さんは俺を二十八階層に連れて行ったんだ――で、でかい『生肉』の塊と一緒にそこに置き去り。
出るのは狼の魔獣ばっかりで――朝から延々と戦って戦って戦って――ポーションで回復させてまた戦って戦ってのくり返し――何匹倒したのか正確にはわからないけど、三百匹とかだったんじゃないかと思う。そいつを倒した時にこうなったんだよ。
ダンジョンに入ると呪われることがあるってのは聞いてただろ?
人の時でもかなり違うんだけど、闇夜の視覚と嗅覚がぐんと伸びた――ま、味覚もちょっと変わったけど。変身できるようになったのにはさらにびっくりだったよ。
それは祖父さんも驚いてた。『呪われて魔獣に変身できるようになるやつは滅多におらん。わしも五人程しか見ておらん。よっぽど体質に合っとったんじゃろうが、迂闊に変身して狩られるなよ』って。
で、無事呪い付きになって――それを理由に廃嫡してもらったんだ――王都にはいろいろ嗅ぎ分けられたくないやつが多いみたいで、あっという間もなくこっちに帰されたわけだ」
「それ――戻せないのか?」
なんでもないことのように言っているけれど、『呪い』だ。
だけどナイジェルは狼スマイルで即答した。
「なんでさ? 便利だぞ。まあ、中にはろくでもない呪いもあるみたいだけどな。それに解呪は――大変みたいだし、何度もやられたくないんだ。リディアに心配をかけたくない」
ちょっと寂しそうな声だった。
「リディアは――まさか知らないのか?」
「知ってるよ。毛皮の方が鱗よりずっといいってさ。それに呪いは一つ持ってるとそれより弱い敵の呪いにはかかりにくくなるそうだから――祖父さんが『二十五階層』までなら一人で潜ってもいいって」
今度はにやり、だ。
「『二十五階』……それに鱗……呪われると鱗付きになったりするのか」
「まあ……モンスターにもいろんなのがいるからな。鱗持ちよりは哺乳類の方がいいだろ、やっぱ」
ふわり、と尻尾を揺らす。
「だけどそれって――本当は俺の仕事だろう? ジジイはだから俺をダンジョンに入れないのか? リジーが嫌がるような呪いをもらうと困るからって――」
「う~ん。俺はそれは違うと思うんだよな……。低層では呪いなんてまずもらわないし――だけど祖父さんはエリーのことも入れたがらないだろ? まあ、あの祖父さんの考えてることだからな……わかんねーよ。お前たちのことを――マリーさんのこともだけど、すごく大事にしてるんだな、ってのは思うけど。
でもお前は呪われたって別に――いや、やっぱりダメなのかな。いいならとっくにいいって言ってるよな……。まあ、あの祖父さんが話さないことを俺から話すわけにもいかないし、知ってることもろくにないし……。
それよりお前、魔法の制御随分うまくなってたな――剣技の時間増やすか?」
『増やすか?』って言いながらもちょっとため息だ。
「今の俺だと何階層まで行ける感じに見える?」
「剣技だけでも十五階は余裕じゃないか? ……公爵家のやつらはマジで規格外だからな。でもお前は魔法の方が得意だろ? 一緒に潜れるようになるのが楽しみだよ。回復魔法のエリー付きでタッグ組んだら最強になれそうだ。早く許可が出るといいな――」
思い出したようにまた笑う。
「跡継ぎ問題だけでもさっさと解決させれば?」
「男三人だぞ? そうそう解決しねーよ。……それに俺、希望を言うならリジー似の娘が欲しい――」
ナイジェルは今度は声を立てて笑った。
「それはわかる。俺もリディア似の娘がいい」
妻によく似た小さい娘――きっとものすごくかわいいはず。
心地いい沈黙に包まれて、後は静かに走り通した。
テオは言葉通り翌日の昼過ぎに到着し、奴隷商人と護衛の三人の罪人たちはシュヘル領よりも大きくて牢屋もある隣領から来ていた護送車に繋がれ、そのまま連れて行かれた。いずれは王都で裁かれ、自らが奴隷に――強制労働者になるだろう。
母国の身元引受人が現れて期限内に罰金を払えば引き取ってもらうことも可能だが、この国では奴隷の売買はほぼ違法だ。たとえ彼らの母国では奴隷制が合法でも、今回捕まった場所はここ(・・)。わざわざ国境を越えて引き取りにくるような人間は――通常はいない。国境を侵しているだけでも罪なのに、無許可で輸送しているところを捕縛されたのだから、罰金もかなり高額だ。
ちなみにこの国で人間を奴隷として扱うことができる条件は一つだけだ。
人種を問わず『重罪人』であること。
ため息が出る。
ジジイが言った通りで、商人がわざわざこの領地を抜けることにしたのは運んでいる人達が直接隣国への国境を抜けさせられないような、つまり『違法』に集められた人たちだからだろう――『密輸』だ。
「こういうのは確かに面倒だな……」
ついそう呟いた。
「だよな。国際関係とかってめんどい。だけどお前がそんなことを言うとは、意外だな」
ナイジェルからの『意外』の言葉に急いで口を閉じた。その通りだ。
シュヘル領は辺境にあるため、二つの外国と接している。どちらの国境もかなりの山奥で(というかシュヘル領自体が山奥なわけだが)、一つがリナリア王国――あのいけ好かない王太子がいる国で、もう一つがハリオネス王国――どちらも亜人を奴隷とする制度がある。
今回の馬車はハリオネスからリナリアに向かう途中で、つまりハリオネス側で不正入手した奴隷である可能性が高い。積み荷の奴隷の価値が高いせいで、国境線が封鎖されていて通れなかったという可能性もある。
まあ、ここは第三国で既に治外法権。国王だけでなく、法務部のトゥルクロウ公爵家と国際政策部のウィルベリー公爵家にも既に連絡が行っており、通常通り罪人は捕縛して護送。積み荷に関しては健康状態が落ち着き次第本人の意向を確認して解放することになる。
その後どの国に向かうかは本人の自由だ。
檻の中にいた七人は、ほぼ人間の形をしている人が多かった。けれど中に二人、どう見ても獣にしか見えない人がいた。
一人は真っ黒な雌の黒豹――性別以外はまるでナイトの時の自分みたいだ。それからもう一人はオレンジの目のミミズク――性別は不明。どちらもどこからどう見ても動物だ。
なのに気配はどちらも――動物な感じの残る(耳とかしっぽとかの形が違う)人間に見える他の亜人よりもずっと、人間だって伝えてくるんだよな。
ジジイは人が『四人』だ、って言ってたし、どっちかは亜人じゃなくて動物に変身した人間かも――自分みたいに。
まあ、犯罪者以外は元気なことを確認して解放するだけだから、実質どっちでもいいんだけど。
住民も集まり出しているし、さっさと手続きを進めよう。
不安そうだし疲れているようだ――けれど、みんな昨日よりはしっかりした顔をしているし、大丈夫だろう。
とりあえずひとつ息を吸って話す。
「ここはナルシカ王国のシュヘル領です。この国には罪人以外を奴隷とする制度がありません。皆さんを連れていた人物は罪人として捕縛され、護送されました。
この領地に侵入した時点で無許可で国境を越えていますし、商用目的であなた方を捕らえた状態にあったこともここでは罪になります。この国は罪人以外の奴隷を連れての入国も禁止されています。人身売買やそれに加担する行為は売買される人種の如何に問わず重罪です」
ほっと息を吐きだす人たち。泣きそうな顔をする人もいる。
ちょっとでも面倒だなんて思って悪かったな――。
「皆さんがまだ檻の中にいるのには理由があって――ひとまず落ちついて話を聞いてもらえるようにという判断によるものです。皆さんにはこれから全員に健康診断を受けてもらいます。身体に問題がないと判断された方は今後どうしたいか希望を聞かせてください――ここでは奴隷として扱われることはありません。本人の希望をできるだけ考慮します。身体に不調のある方はまず治療を受けて、元気になってから今後のことを考えましょう」
また緊張に身体を硬くする人たちがいる――。
「健康診断は男女別で、女性には女性の治療師が、男性には男性の治療師が当たります。手荒に扱われることはありません。身体に不調がある方は治療師に相談してください。知られたくないことがある場合の秘密は厳守しますが、権力で解決できそうな問題なら、王都に連絡も取れますので話していただけると助かります。
健康に問題ないとされた方たちは、この国では基本的に自由に行動していただいて構いません。無償で通貨をお渡しすることはできませんが、ちょっとした仕事の対価として食事や宿泊場所を確保することはできますし、賃金も得られます。
後で案内しますが、元気な方は是非住民ギルドを――腕に自信のある方は冒険者ギルドを――どちらも同じ建物内ですから、活用してください。仕事と対価はギルド内で管理していますので支払いで不当な扱いをされることはありませんが、ギルドを通さない雇用の場合は保証できません。
そうそう、健康に問題があるとわかった方については治療しますが、高額な治療が必要な方は治療師と相談を――治療費については、労働力で返済することも可能です。
行先がリナリア王国とハリオネス王国のどちらかであれば、希望する方は国境まで送ることができます。それ以外の国に向かう場合は自分たちで旅をしていただくことになります。もちろんこの国に残るという選択も可能です――ただしこの国では獣人はとても珍しいので、好奇の目で見られる可能性がかなりあります。
この領地に関して言えば、住んでいただくためには住民登録が必要になりますし、出て行く時にも手続きが必要になります。何か質問がある方はいますか?」
健康診断に異性は関わらないと聞いてほっとした表情を浮かべる女性たち――その横で一人の男性がそーっと手を挙げた。わかりやすいベージュの犬耳付きの亜人だ。
「どうぞ」
厳しい顔つきだがハンサムだ。三十そこそこに見える――少し窺うように話しだした。
「できれば息子は、女性の治療師の方に診ていただくことは可能でしょうか――それに、診察の間は付き添いたい」
小さくて見えなかったけど、背後に小さな子どもを庇っている。
あの子、父親が一緒だったのか。
「もちろん、ご家族は一緒でいいですよ。――そうそう、今みたいに何でも聞いてください。領地内での揉め事は極力避けて、困り事があったら俺か祖父に訴えてください――俺はここの領主の――見習い期間ですが――トリスタンです。普段は住民ギルドにいます。指導役の祖父も後でギルドの方に顔を出すと言っていました。身体についている輪の方はその時に祖父が外すそうです。妖怪みたいなジジイですけど、基本的に害はありませんから――あまり怯えないでくださいね」
皆が驚いた顔になったのは、領主にしては自分の歳が若いせい――だろう。
「これから、このまま馬車で治療院まで行きます――ああ、こっちは友人のナイジェルとリディアです。相談事があるなら彼らに言ってもいいし、住民ギルドの職員に言っても大丈夫です。馬車を御している彼もそう――住民ギルドの職員です。
念のためにもう一度言っておきますが、健康に問題がないことがわかればその輪は外します。そのあとは皆さん自由ですから、健康診断が終わる前に逃げ出さないでくださいね。その輪をつけたままで隣国に出れば奴隷だと一目でわかります。主人のいない奴隷は逃亡奴隷――扱いは酷いと聞いています」
他に質問が出ないようだったので、そのまま馬車を治療院に向かわせた。
中の人たちが自由に出られるように、鎖と檻とが繋いであった部分を火の魔法で焼き切る――動物にしか見えない例の二人も、それぞれ歩きやすいように鎖の端を口で咥えておとなしく治療院の中に入ってくれた。
まずは全員に体力回復用の薬を飲んでもらう。ためらう人もいたけれど、ハンナさんに優しく丁寧に勧められた大柄な男性がまず手を伸ばし、すぐに彼の手足の傷が消えるのがわかると皆安心して口にしてくれた。
擦り傷切り傷の類ならこれで治るし、それが治らずに身体の表面に残っているようなら見えない場所に酷い怪我があるってことだ。
ハンナさんと旦那さんのワルターさんが衝立で間を仕切った治療室でみんなの体調を確認していく。問診と返事の声は治療師たち以外には聞こえないようにしてあるけれど、手順は全員同じだ。最初の薬で治らなかった人にはもう一回薬を出し、それでも治らないようなら触診して怪我の場所を確認し、白魔法を使うのだそう――『薬が増えたおかげで楽になった』というのは本当だ。
一通り診て、追加で体力用の薬を出した相手が約半数――三人いた――あの親子の父親もそうだ。子どもの方は鼻水を垂らしていたので風邪薬を追加した。追加の薬代は実費になるけれど、体力回復用の薬も風邪の初期症状の薬もそんなに高価ではない。
他は特に問題なく傷もすぐに消えた人たちばかりで、白魔法での治療は必要なさそうだということがわかった。
ハンナさんとワルターさんの表情も穏やかになった。問診でも大きな問題を抱えた人はいなかったようだ。
ちなみに、ミミズクは『男性』の方で診察を受けたらしい。
健康診断が本当に診断のみで、無料の薬で怪我も治ったことでさらに安心したのか、人々に少し笑顔が見られるようになった。もちろんミミズクと黒豹は表情がよくわからないし、あの子どもはずっと硬い表情のまま父親の手を握りしめているけれど。
そのまま今度は全員で歩いて住民ギルドに移動する。掲示板の説明を終えた頃には張り紙を見ながら自分のできそうなことを嬉しそうに口にする人も出てきた――その時だった。
やっとほころんできたはずの皆の表情が一瞬で凍った。




