131. バージョンアップ その2
祖父によれば、ダンジョンは浅くなったとはいえまだまだ危険な状態にあるいらしい。
最下層がどこまで深いのか。
祖父がどこまで潜ったことがあるのか。
どちらも聞いても答えてくれない。重い顔つきからは最下層も祖父の最深階も『かなり深い』ってことがわかるだけだ。「もう少し浅くしたいのう……」って言う、その言葉の『もう少し』がどの程度なのか、どの程度の魔物討伐が必要なのか。
ダンジョンに潜って魔物と闘っているナイジェルの負担は、かなり大きいんじゃないかと思う。
だけどナイジェルは――王都から帰って以来、なんだかすごく落ちついた感じがある。
リディアが二つ返事でプロポーズを受けたことも理由の一つではあると思うけど――なんだか違う。
結婚についてはリディアの実家とリディア自身がやり取りをしていて、まだ詳細は決まっていない。
リディア自身はこのまま王都に帰らずここに移住するつもりだ。
ナイジェルは「一度王都に帰って家族と直に話をするべきだ」と勧めているけれど、リディアは「結婚してからなら帰ってもいいけれど、それより前に帰って引き止められたくない」と、言い張っている。
自分たちは――リディアが抜けると温泉施設の負担がマリーさんに行くので帰らずにいてもらった方が助かる。でもそこはナイジェルの言う通りで、今後のことを考えても一度帰って話し合った方がいいと思う。
エリザベスが少しずつ説得していて、「少なくとも結婚の了承が得られるまでは帰らない」になるようにがんばっているようだ。
そうそう、ナイジェルの廃嫡の理由は明かされていないけど、祖父達が暗躍したせいなのは確かだ。
ナイジェルと話した日の夜、一人で祖父のところに行った時のことを思い返す。
祖父はものすごく上機嫌で、「心を決めたか――ま、気に入られたからには逃げられるわけもないが、人質を取ってあちこちを脅さずに済んで助かった。あいつは物事を深く考えないタイプかと思っておったが……本当にわかっとるようだな」となにやら恐ろしい台詞を吐いてからいつもの高笑いをして、「廃嫡でいいなら造作ない。アーノルドにはわしから連絡しておく。ナイジェルには『明日はダンジョンに行く。明後日には一度帰すからそのつもりでいろ』と言っとけ」と続け、エリザベスに持たされた手土産のプリンだけ取ると、俺のことはそのまま追い返した。
翌日、祖父はいつものようにナイジェルとリディアとマリーさんと一緒にダンジョンに行った。帰って来た時、ジジイはいなくて――ナイジェルはものすごくげっそりしていて、リディアが心配そうに寄り沿っていた――エリザベスの顔を見るなり「エリー、今日から俺の肉、できるときはレアにして」って一言。
その日は部屋に籠って夕食まで出てこず、夕食の後もすぐに寝てしまった。
ダンジョンで何があったのかリディアに聞いてみたけれど、「マリーさんと温泉にいたから詳しくはわからないの」って返事だった。
それからリディアは「お祖父様が一緒だったんだから大丈夫よ」ってエリザベスの言葉にとりあえず頷いて、それでもナイジェルがのぼって行った階段を見やった――絶対何かあったんだと思った。
ナイジェルは翌朝ひどく疲れた顔をして出てきて――朝一の馬車で王都に帰った。
それで、あきらかに着くなり即座に帰されたって感じで戻ってきて――到着するなりのプロポーズだった。
あきらかに、祖父達にはいろいろ秘密がある。
自分がそれを教えてもらえるようになるには、もっと成長しないとダメだ、ってことなんだと思う。
魔力制御――剣術――住民ギルド――まだまだ忙しいし、やることだらけだ。
祖父に認められるような領主にふさわしい孫でいたいというよりは、エリザベスに誇ってもらえるようなふさわしい夫でありたいと思う。
一人占めしたい、安全な場所にいて欲しいって思うわがままな気持ちをぐっと抑えて返事をした。
「冒険者向けの食事処と住人向けの温泉――なんにしてもまずはジジイの許可だな。それと、安全面だけは譲らないから、始動は住民ギルドの仕事の引き継ぎを終えてちゃんと俺が参加できるようになってから。それにリディアが一度帰ってきちんと家族と話をしてナイジェルと結婚してから、ってのも必須だな。動き出せそうなのは建物の設計と――メニューは考えがあるんだろ?」
ジジイ呼びでちょっとトリスタンを睨んでからエリザベスが嬉しそうに話し出す。
「うん。基本は大衆食堂で行こうと思ってて――そう考えると思い浮かぶのがハンバーグとカレーなの。お祖父様に香辛料がどれだけ手に入るのかを確認してもらわないと……それに丼物をやりたいような気がするんだけど、お米がなかなか手に入らないから……そうなると、麺類を入れたくなるのよね。パスタとうどんとラーメンだったらどれがいいかなって……でもランチじゃなくて夕食をメインにするなら居酒屋系かな~とも思うの……手が足りないから品数を増やすのは難しいし、そこは考えないと――。
でもね、今日テオさんが薬を買いに寄ってくれたときに『冒険者の人たちって、一般的にどんな食事が好きなんですか?』って聞いてみたら、『試食会をしよう』って言ってくれたのよ。やるなら仲のいい冒険者の人たちを集めてくれるって」
嬉々として提案する同僚の笑顔が浮かぶ。
いつもトリスタンの弁当を見て羨ましそうな顔をしている――それで夕方は嬉しそうな顔をしていたのか。
俺に黙っていたのはまだ本決まりじゃないからかな。それとも嫉妬で反対するとでも思われたのだろうか。
なんにせよ楽しそうな話だ。
「じゃあまずはジジイの説得――俺は住民ギルドの引継ぎを――っていうか、登録カードの書き換え作業以外は誰でもできるし――メンバーは今いるみんながだいたい残るんじゃないかって思ってる。
フランコは「商業ギルドの時より働きやすい」って言ってるよ。小さな子どもがいるから「定時で帰れるのはありがたい」って。給料は商業ギルドの方がよかったらしいんだけど、時間外が多かったんだって。今は出向扱いになってるから、差額は商業ギルドから出てるみたいだし」
「家族手当とか育児手当って形で小さい子どもや働いて収入を得ることが難しい家族がいる人にはお給料の上乗せをするっていうのもありよね」
「金銭よりもダンジョン内食糧の現物支給の方が喜びそうな気がする。フランコの奥さんは手先が器用だって話だったから、羊毛とかでもいいかもな――育児の合間に扱うのは無理かな」
「どうかしら……でも、私はそういうのは苦手だから、今度教えてもらいたいかも」
ちょっとためらう様子で言ったエリザベスは――実は針仕事は苦手だ。
裁縫道具を持ち出す回数はマリーさんの方がずっと多い。
「教えてくれるといいんだけど、本当に下手なのよね……あんまりやったこともなかったし……」
言い淀む様子に思い当たった。
『裁縫』というか、『刺繍』はこの国の貴族の娘のたしなみの一つなのだけれど、それは通常母親や祖母が教えるもので、早くに実母を失くしたエリザベスがあまり教わっていないことだ。キャサリンの母親だって、もちろん教えたことはない――もとが平民の彼女にできるのはおそらく『刺繍』ではなく『裁縫』だろうし。
まあ、機会があったとしても、公爵家の令嬢だったんだから衣類を縫うような『裁縫』なんて必要なかったろう――嫁ぎ先がここでさえなければ。でも今だって領主の妻なんだし、必要なら買えばいいと思う。
「もう十分がんばってるんだし、そこはできなくてもいいと思うよ」
「そう? そう思う? 嫁ポイント、減らない?」
ちょっと不安そうな、それでいて期待するような顔――かわいいな、もう。
「リジーはできることがあり過ぎだから、できないことがあるのもかわいい。適材適所でいいんじゃないかな」
そんなの欠点でも何でもないよ、ってつもりで言ったら、ちゃんと通じたらしいんだけど、また頬が赤くなった。
ホント、かわいい。いい奥さん捕まえた――っていうか、みんながいた頃は近過ぎてすぐ着いちゃうんだよな、って感じていたシュヘル邸までの距離、けっこう遠いな。
さっさと着かないかな。着いたらその頬にキスをして抱きしめて――うん。
俺、しあわせだな。
ダンジョンの入り口になっているホラーハウスの建て替えの許可はすぐに出た。
エリザベスだけでなく、リディアや住民ギルド、冒険者ギルドの面々も一緒になって、地下の温泉に建てた休憩所の設計図を見ながら必要ないものを省き、必要なものを追加する。
ただし祖父によると温泉が汲み上げられるかどうかはやってみないとわからないらしい――工業ギルドに汲み上げ用のポンプと排水用のパイプを依頼中だ。動力部についてはアントニーにも相談している。
言われてみれば当然なのだけれど、ダンジョン内部というものは一階層ごとに完結している。一階層の温泉が二階層に影響を及ぼしたりしない。
ダンジョン外部である一階に温水を汲み上げることができるかどうかは、確かに微妙だ。
「お祖父様、二階層が初夏の草原みたいに温かいのは一階層の温泉の地熱とかではないんですか?」
エリザベスの質問に祖父は首を振った。
「似たような階層が数階分続くことはあるようじゃ――今の四階層以下がそうじゃ。だが、階が変われば基本は別次元。灼熱の砂漠の下が凍てつく雪の大地、その下が溶岩の押し寄せる活火山、なんてこともある――そういった階層が交互になっていたりすると潜る方は辛い」
マリーさんの入れてくれた緑茶とエリザベスの作った羊羹を交互に口に運んで満足そうに教えてくれる。
「ポンプを使って温水を汲み上げてみても、地上に達した段階でどうなるか――そこはわからん。だからこそ排水は地下一階層に戻す形にする。温泉のお湯は二階層の泉とは違って組み出すことを前提にはできとらんようじゃったし――ポンプを動かすときはエリザベス、お前も入っとった方がいいだろう。わしも一緒に行く。一人では行くなよ?」
友人たちが帰ってからは一度もダンジョンに入っていないエリザベスが頷く。
相変わらず祖父は俺だけじゃなくてエリザベスのこともダンジョン内には入れたがらない。入るならついて行くから連絡するように、と何度も言われている。
そう言われるたびにエリザベスはちょっと困った顔になるのだけれど――祖父の手を煩わせたくないと思っているなら気にしなくていいのに、って思う。
今日もやっぱりちょっと困った顔をしたので、「そんなに心配しなくても、三階層までに魔獣が出たって話はこれまで出ていないんだろ? リジーだって魔法が使えるんだし」と言ってみたら、エリザベスがほっとした顔になって――逆に、祖父の方は急に真顔になった。
「男の子が三人できてからなら、かまわんぞ」
久し振りに言われた。この頃では自分の力不足ばかり指摘されていたのに――。
「いや、それは……そんな、すぐには……」
「なら、諦めるんじゃな。大事な嫁じゃ」
『大事な嫁』に異論はない。だけど、エリザベスが入ってからこれまで一度も魔獣の出たことのない空間なのになんでそんなに心配するんだ――。
そんな疑問の回答が思わぬ形でもたらされることになるのはまだまだ先のことだった。




