129. 身分と血縁 2
半分以上本気で言っていると思う――だけど、当然ながら現公爵へ復讐したりしたら次期当主夫妻であるアリーたちに影響が出る。そんな簡単にできるようなことではない。
とても思いつかなくて首を振ったら、トリスタンは半分諦めたようなため息を吐いた。
「リジーは復讐なんて考えてないんだよ……俺もそうするべきだってのはわかるんだ。今の自分たちが幸せに過ごすことの方が大事だって。だけどこんなふうに腹は立つ――リジーがどうして平気でいられるのかわからない。
あのな? リジーに会った時の俺は――公爵家の五男。長男のリュカを羨ましいと思ったことはなかったし、跡目争いから外れていたのはよかったけど、継ぐ家は公爵家には及びもつかない辺境の貧乏男爵領で――それなのに命を狙われて、母親を殺された――酷い話だろ? 父親や自分の立ち位置を呪いたくなったっておかしくない。魔力にものをいわせて復讐を誓うとかさ――だけど俺は、そうならなかった。
そんなことで誰かを呪ったり犯人を捜して復讐しようなんて思っちゃいけない、って思えるくらい、リジーが戦ってたからだ」
膝の上のトリスタンの手が拳になった。
「少なくとも俺は、自分の親からは愛されてた――兄たちだって、大事にしてくれてた。襲われたことだって原因はたぶん人違いだし、誰かに疎まれてるって思ったことは一度もなかったんだ」
またため息だ。
「リジーは――同じ家にいて父親に溺愛されているサリーを憎みたくない、って泣いて、王太子妃になって公爵を見下してやりたい、って気持ちと必死で闘って、『自分はそんなことのために生まれたんじゃないはずだ』って――ウィリアムのことは『見てるだけならかっこいい』って思っていても、それこそゴキブリ並みに避けてた」
少しだけおかしそうに笑う――あの頃のエリーが片時も離さずに連れていた黒豹がこいつだったということは聞いてはいたけれど、本当なんだなって思った。
「ウィリアムが近くにいなくなるまで延々と女子トイレに籠ったりもしてた――週に十回以上だ。それも今は笑えるようになったけど。女子トイレの中から「もういなくなった?」って聞かれるんだぞ。鬼ごっこみたいだった。リジーはいつだって真剣で一生懸命で――俺はリジーを助けることに夢中で、自分の境遇を嘆いたり呪ったりしてる暇なんてなかった。できる限りのことをして精一杯遠ざけた。だけど結局――ああなった」
当時のことを思い出したのか、顔が歪んだ。
「俺は――ナイジェル。あの時リュカとナタリーを助けようとしたリジーを止めようとした。リジーに行って欲しくなかった。リュカは兄なのに――」
ちょっと声が震えた。何かを怖がっているような表情は、どういうことだろう。
そこに後悔があるってことか。
「――だけど、止めなかった。だろ? お前はエリーを助けた」
「止められなかったんだ――それに俺が助けたのは、リュカじゃない。あの時の俺は、リジーが助けようとしてるのが誰かも殆どわかってなかった。あのままじゃリジー自身が危なかったんだ。魔力を抜かれ過ぎてた。俺はこれまで、リジー以外の誰のことも――助けようと思ったことなんか一度もない。ウィリアムとリュカがあのシルヴァヌスの子に襲われた時だって、行くな、って。聖魔法のことがバレたら絶対ウィリアムの婚約者にさせられてしまう、って。それしか考えてなかった。――酷いやつだと思うだろう? 結局リジーとウィリアムとの婚約が決まった時だって、ウィリアムの喉笛を掻き切ってやりたいって思ったんだ――黒豹なんだから、ちょうどいいって。なあ、ナイジェル。俺、思うんだよ――リジーがいなかったら俺は――俺にとってはリジー以外は誰も――」
自分の両手を見ながら話すトリスタンは、なぜかシュヘルの祖父さんに似ているような気がして――夏の終わりの夕方なのに、そくり、と背中が震えた。
だけど。
「それは考えすぎだと思うぞ?」
直感に従って答える。
「そう、思うか?」
不安そうな顔だ。だけど、そんな顔をする必要はないと思う。
「ああ。実際あの二人は元気なんだし、お前はウィルもリュカもエリーが助ける前に――いや、後でもいいけど――殺すことだってできただろ?」
「は?」
驚いた顔をされた。
「いや、だって、まともに死んじまったらさすがにエリーだって生き返らせたりはできないだろ……まさか、できるのか!?」
そうだとしたら、それってもう人間業じゃないんじゃ、って思う。
厳重に国に保護してもらうべきだ。
「いや、さすがにそんなことはない、と思うけど」
トリスタンの否定の声にほっとする。
「だったらエリーが助ける前にあいつらを殺しちまえば――エリーの魔法は発動しなかったってことだろ。特に、シルヴァヌスの子の時なんて、俺たちはまだ小さかったんだし、あの時もお前は黒豹だった――いたよな? それに、それからだってウィルを亡き者にする機会なら山のようにあっただろ? でも今、生きてるし……」
つまりはそういうことだと思う。考えすぎだ。
なのに――トリスタンは心から安堵したように息を吐いた。
「そっか……。ありがと、ちょっとほっとしたよ。で、なんでいきなりジークフリート公爵のことなんか――ああ、リディアか?」
話が戻った。よかった。
「ああ、うん。侯爵家の長女を爵位ナシになった俺が嫁に欲しいってのは――やっぱり親としたら反対だよなって思ったから、参考になるかと思ったんだけど」
「そういうことか……親としては心配にはなるだろうけど、リディアは気にしないと思うぞ? だけど、爵位ナシ、ってのは決定なのか?」
「ああ、そこは――むしろそうでないと困るんだ」
打ち明け話のお返しってわけでもないけれど――自分に起こっているちょっとした変化とアーノルド公に会いたい理由を、今度こそ全部話す。
トリスタンは「すぐ祖父に連絡するよ」と言ってから眉を下げた。
「ダンジョンのせい――ってことは俺たちのせいだ。ジジイに話してもいいか?」と続け、「ごめん」って一言謝った。
謝られるとは思っていなかった。
でも、それよりも『ジジイ』に話すってところで、ギクリと身体が固まった。
「謝ることなんかない。俺はむしろ強くなれて喜んでるし、移住しやすくなったなって……だけど――話すのはいいけど、あの祖父さんの手を煩わせるつもりはないんだ、って――そこは――」
あの祖父さんに睨まれたくはない。絶対。
「ああ、俺たちは男爵家だから――何ができるわけでもない――だけど、ダンジョンに関することは把握しておきたい。責任があるから」
「そういうことならもちろんだ。行こうか。二人が待ってる」
道端の石から立ち上がってシュヘル邸に帰ると、それぞれ大事な人に迎えられた。
「ただいま」
トリスタンが玄関口で言う。
「お帰りなさい、買い物、ありがとう」
出てきたエリーが笑顔で応えて、トリスタンがその額にキスをする――それが当然みたいな流れは、なんだかここ数日ですっかり先を越された感じ――それもそうか。なんだかんだいってもこいつらは夫婦なんだし。
婚約さえ整っていない俺たちとは違う。
やっとお互いの気持ちがはっきりして、これから――って、いうか、そこだけなら俺たちだって同じだよな。
トリスタンに話したことでちょっと気が楽になっていた。
テーブルに鶏の入ったバスケットを置く。
このところちょっと遠慮がちだったリディアに、「あれ、俺もやったら怒る?」って聞いてみた。
ここにいるのはトリスタンとエリーだけとはいえ人前だ。王都まで噂が届くとも思わないけど、それでもそこはやっぱり相手は自分より上の身分の令嬢で、俺たちの間にあるのは気持ちだけだし。
リディアはちょっとだけ困った顔をして目を逸らして――ダメなのかなって思ったら。
「してくれたらいいのにな、って思ってた」
小さな声でそう言った頬が真っ赤で――だから、そういうとこなんだよ。本当に。
クルクルの巻き毛も、真っ赤な頬も、困った顔も。
「ただいま」
「お帰りなさい――」
そう言えること、その幸せを守らないと――俺も負けてられない。
「『二度と戻るな。だが母親あてに時々便りは送れ』ってさ」
スッキリした顔をしたナイジェルが廃嫡の書類の写しとそんな短い言葉と一緒に王都から戻って来て、馬車を降りると同時にリディアにプロポーズをしたのは――それからたいして間もない夏季休暇明けのまだ暑い日のことだった。




