128. 身分と血縁
「そんなわけでアーノルド公に相談があるんだ。休み明けに一度向こうに戻るつもりでいるからその時に会ってもらえるように――なんとか話してもらえないか?」
トリスタンと一緒に肉屋までの買い出し――さほどの距離はないのでリディアから許可が出た――の道中で、『将来こっちに移る時の親の説得に不安があるから大きな目で見られる人に相談したい、シュヘル卿にとも思うが、家にも関することなので煩わせたくない。ここに来るのはダンジョンにも関わることなので、自分の親ではなく公爵家以上の人に――だけど現公爵に時間を取らせるのは敷居が高いから、アーノルド公に相談したいが渡りをつけてもらえないか』そう説明して頼んでみたら、トリスタンはあっさりと「いいよ、言っとく――九月に入ってすぐだな」と言ってくれて「前もってジジイに言っとかなくていいのか?」と確認した。
「それは自分で――言うよ」
トリスタンが『ジジイ』呼びするのはシュヘル卿――トリスタンの実の祖父さんで、俺も今朝まで『祖父さん』って呼んでた人だけど――今後あの人に相談することはよっぽど切羽詰まらない限り、ない。
初めてシュヘル卿を見た日のアリーの怯えようとジョナサンの様子。
ジョナサンは上手く取り繕って平然として見せていたけど、あの二人は絶対に気づいていたんだと思う。
ウィルとリュカもおそらくは。
平然とした顔をしてずっと黙っていたとは、なんてやつらだ。親友だと思っていたのに、一言警告してくれたって――いや、口にしたら消されるとか、そういうことで黙っていたのかもしれない。
それにしても――今までもダンジョンの中ではちょっと迫力が増して怖いな、って思ったことはあるけど、今日のはすごかった。呪いのせいで自分が敏感になっていたのはわかるけど、それにしたって、あの気配、威圧感。
本当に人間かと疑うような。
エリーもリディアもよく平気で――って、今までも祖父さんはあれが通常だったのだろう――つまり、呪われなかったら俺はあれに気づかないままだったってことだ。
恐ろしい。
もちろん報告はするけど、あの人の手を煩わせるとか――絶対したくない。
思い返しただけで手に下げたバスケットの中の鶏みたいに肌がブツブツになった。
一羽は丸鶏のチキンスープにするって言ってた。もう一羽は明日のためで、香辛料を摺り込んで寝かせ、その後はロースト。リディアも料理上手への道をまっしぐらだ。
……俺もトリスタンみたいに落とされんのかな、いや、もう落とし済み――一緒にここで生きたい、お互いがそう思っているのは確かだ。
俺たちの問題は、そう。家のこと、だ。それを何とかしないと。
アーノルド公に相談したいのは家のことというよりは自分の状態のことだし、せめて自分とリディアの親の説得くらいはがんばらないと。
「なあ、トリスタン――」
そんな切り出し。
「エリーは公爵家の令嬢なのに、最初から男爵家に嫁ぐことに全く抵抗がなかったよな」
「ああ、そうだな――」
「王妃になれるのに、すごい勢いで嫌がってたよな」
「ああ、そうだな――」
「つまりエリー自身は、望んでた。だろう?」
「ああ、そうだ――本題はなんだよ?」
「その、エリーじゃなくて、エリーの親御さんは、それについてなんて言ってた?」
そう聞いたら珍しくトリスタンの表情が硬くなった。
猛反対されたか、散々嫌味でも言われたか――つまり、自分の行く道は厳しいってことだ。ましてやリディアにはなんの醜聞もない。それなのに自分は爵位ナシの冒険者になるつもりでいて、そんなやつが娘を嫁に欲しいなんて言ったら。
今なら訪ねれば会ってもらえるだろうが、次からはおそらく門前払いだろう。
そう思ったナイジェルの表情に何を見たのか。
「お前には話しても――いいかな」
そう呟いてトリスタンがゆっくりと話し出した。
「ジークフリート公爵は、おそらくリジーのことを自分の娘だとは思っていないんだと思う――少なくとも、家の中ではそうだった」
「は?」
あきらかに聞き間違いだろうと思った。
公爵令嬢としてどこに出しても恥ずかしくない美貌と教養を兼ね備えた長女――しかもただでさえ珍しい白魔法と黒魔法の常駐――それどころか実はこの世界に数人いるのかどうかもわからないような稀少な聖魔法だ。間違いなく自慢の――。
だけどトリスタンはこの手のことに冗談を言うようなタイプじゃないし、その表情は真剣だった。
「リジーの魔法のことは本当にみんな知らないんだ――知ってるのは祖父ちゃんと父と――たぶん国王と――他の公爵家はわからない。他に俺がわかってるのはウィルと生徒会のメンバーの一部――あの時林にいたメンバーに対してだって、最初は特異な白魔法ってことにしてあっただろ? 後はアリーだけだ」
「確かに誰にも言わないって約束したけど、そこまで徹底してたのか? ――公爵は仮にも親だろう? 守るべき立場なのに……」
「リジーは残りの二人……アリーとサリーとは違うんだ。小さい頃からそうだった。リジーがどんなに努力しても、どんなに完璧にふるまっても、それはあの人にとっては当然のことみたいだった。リジーが妹たちののように頭を撫でられているところを見たことは一度もないし、誉める言葉さえいつも義務的で冷たかった。
出かける時は常にオリヴィア――サリーの母親と、アリーとサリーが一緒で、リジーは留守番も多かった。それにリジーが一緒の時もあの二人だけがお揃いの服だった――周りからあの二人が姉妹だとよくわかるように。アリーの話だと、以前はリジーとアリーがお揃いだったらしい。
……公爵が再婚した途端にそれが変わったのは、サリーが間違いなく自分の娘だと示すためだ。それにあの二人は現公爵によく似てる――アリーはできるだけ人前ではサリーと並ばないようにしてるけど、顔の作りがそっくりだから並ぶとよくわかるんだよ。髪の色と目の色は違うけど。アリーは父親そのままの色で、サリーのそれは色だけが母親似。……リジーは全体的に自分の母親似なんだって言ってた」
遠い目になったトリスタンは悲しそうだった。
「リジーはもしかしたら公爵の子どもじゃないんじゃないかって――そう思ったことは何度もある。そして、恐らくそうなんだと思う。あの公爵がリジーを見る目は――たぶん苦悩と嫌悪だ。すごく冷たい。パートリッジの祖父に聞こうとしたことはあったけど、聞いてない。祖父はリジーの父親を嫌ってるんだ。それもものすごく。それに俺にとって大切なのはそこじゃなかったから」
そこまで言うと、目もとがまたきつくなった。
「あの家で、リジーの味方はアリーだけだった。俺はナイトでずっと見てたから――前向きでいることが多かったけど、それでも小さかった頃のリジーがどれだけ泣いたか――『絶対連れ出してやる』って思ったよ。それが辺境の貧乏男爵領でも、あそこよりはずっとマシだ。まあ、そんなことを考えていたのは本当に小さくて身分とか釣り合いとかをちゃんと考えずにいられた頃だけだったけど」
吐き捨てるように言う。
「あいつがリジーの喜ぶことをしてやったことはほとんどない。俺のこともそうだ。最初の頃は俺のことなんて気にも留めていなかったけど、リジーが俺をかわいがるようになるにつれてどんどん――何かされたわけじゃなかったけど、目が冷たくなって――嫌われていたと思う。リジーがあいつの娘じゃないから――それ以外の理由が思いつかない。何でそんなにリジーを傷つけようとするのかわからない」
硬く握られた拳が、それが本当の話だと伝えてくる。
「喜んだのはウィリアムとの婚約が決まった時だけだったと思う。めったに笑わない人だけど、あの時は――だけどそれだって絶対家のために喜んだだけだ。婚約式に妹を呼ぶことさえ許さなかった――『そんなに平民出の母親を持つ妹に自慢したいのか』って呆れたように……。
家を出た時もそうだ――あの断罪パーティーの後だ。別れの挨拶なのに、公爵からは案じる言葉の一つもなかった――人の姿だった俺にもだ」
「……一言も? 本当か? 世間の話ではかなりの愛妻家、娘たちも溺愛してるって聞いてるぞ――?」
「あの人は取り敢えずの外見だけは作ってたから。だけど辺境の男爵領の跡継ぎなんて、あの人にとっては外見を取り繕うだけの価値もなかったんだろうな――たとえ俺がパートリッジ家の縁続きでも」
ため息を一つ。
「そんなわけで、リジーとウィルベリー公爵は通常の親子関係じゃないんだよ――もうちょっと話してもいいか?」
頷くと、トリスタンがちょっと辺りを見回して、道端の石を顎で示した。
並んで座る。
「リジーにとっての『王妃』は公爵であるあの親を見下してやるためには最適で唯一のポジションだった。それがあいつに疎まれていたリジーにとってどれだけ魅力的か。だけどリジーは抗ってただろう? それは『記憶』があったからだ――自分がウィリアムの婚約者になる結末は悲劇だっていう記憶が」
さっきよりも大きなため息――。
「あの記憶は――リジーが必死で婚約者の座に縋りつき、ウィリアムの愛を得ようとして叶わず、邪魔になる義妹のサリーをいじめ抜いて、結局は悪事がバレて追放されるってやつだったんだ」
驚愕に顎が落ちた。
エリーの『記憶』については、本人から困った顔で軽く説明されただけだった。そんなひどい話だったとは――。
驚きの表情に、トリスタンが苦笑する。
エリーにはエリーなりの理由があるのだろうとは思っていたし、『記憶』が絡んでいることも知っていた。だけど本心では『エリーが王妃になればいいのに』――そう思っていた。面と向かって口には出さなかったけど。『サリーなんて目じゃないし、ウィル以上のやつなんていない、なんでそんなに頑なに嫌がるんだ、あんなに望まれているのに「魔王の方がいい」って言い切るなんて正気じゃない』って。
トリスタンが少し思案する表情になって、またゆっくり話し出す。
考えながらの言葉は、時々止まった。
「この前来た時ウィリアムは言ってた。『エリーへの気持ちは――確かに好きだったけど、感謝と友情と責任感からのものだった。遅かれ早かれ、サリーに惹かれるようになったと思う』って。リジーの記憶の通りだ。だけどそれだけじゃないんだ――『あのでっちあげの醜聞がなかったら、エリーとの婚約を破棄してまでサリーを王妃として迎えたとは思わない』ってそうも言っていた。リジーは、王太子妃になれたんだ。悪役令嬢の振りなんかせずに、ただウィリアムの手を取れば、公爵の鼻をあかすことができた――でも、リジーはそれをしなかった。なんでだと思う?」
聞かれて首を横に振った――あの頃のエリーには、好きなやつはいなかった、と思う。だから誰か他のやつを想って、ってことはない。
今トリスタンのことを大切にしているようには、誰のことも――いや、ありえないくらい気にかけていたやつが一人――いや、一匹、いたけど……。
「ウィリアムのことが好きだったからだよ。『ウィルは誰よりも幸せになって欲しい人なの。その相手はサリーなのよ』って言って――リジーはウィリアムのことを考えたからこそ、悪役令嬢をやって汚名を被ってでも結婚を回避しようとしたんだ。自分の私怨を晴らすために利用しようとはしなかった。
ナイジェル、あれはもちろんリジーが望んだことでもあるんだけど――ジークフリート公爵はおそらくリジーが追放されてサリーが王妃になることを内心ではものすごく喜んでいるはずだ。――俺はそれを思うとものすごく腹立たしい」
苦虫をかみつぶしたような顔。
「それでも親だし――サリーの母親は悪い人ではないらしいし、サリーだって――ちょっと天真爛漫すぎるところはあるけど、いい子だ。あの家にはアリーもいるし、リジーは復讐を望んでいない。――だから俺も、リジーだけじゃなくて彼らの立場が少しでも悪くなるようなことがないように、リジーとのことはちゃんと自分が成人するまで待って、型通りに結婚の許しもちゃんと得て、って思ってたんだけど――なんかこれ、話してたらますます腹立ってきたな……そこまであの一家の社会的地位を思いやる必要ってあると思うか? アリーとユージーンに迷惑にならないようにあいつに復讐する方法、なんかないか?」




