126. 呪い
「なん、だ、こいつ……」
そのモンスターは、妙に手ごたえがなかった。
いや、手ごたえはあった。戦いが始まった当初は。
十八階層で遭ったのは大型のファイヤーリザードの一種。炎を吐くし硬い尻尾を力強く振り回す――なかなか強くて、今の俺だって気を抜けば吹っ飛ばされるくらいはする。壁に当たった衝撃と尻尾の当たった衝撃で相手を骨折させ、動けなくなったところに火炎で止めを刺すタイプ、それが五匹。
五匹っていうのはちょっと多いけど、もう少し上層でも出る、普通のモンスター。
尻尾と頭の向きに気をつけて、まず尻尾を切り落としてしまえば炎を避けるのは難しくない。吐く前のため(・・)を見逃さなければいい。
ダンジョンに潜り始めたばかりの頃は鱗で滑ってなかなか切り落とせなかった尻尾だけれど、今は余裕だ。スピードも筋力も違う。一刀両断。頭も。
その最後の一匹が、死ぬ直前に火炎ではなく何か黒いものを口から吐いた――水に混ざる黒い絵の具の筋のようにゆらりと漂って薄まって消えた――と思ったのに、それは消えたわけではなかった。
魔石を回収しようと剣を振り上げたところで眩暈に襲われた。
「ぐ……?」
吐き気。
悪寒。
なんだ?
膝をついて耐えた――ゆっくり息を吐く。
冷汗が流れるのと一緒に冒険者ギルドで登録をした時に言われたことを思い出した。
「滅多に遭うことはないが魔物の中には死ぬときに呪いをかけてくるやつがいる。下層に行けば行くほど遭遇する可能性が高まる。どんな呪いを受けるかは相手次第で博打のようなものだ。呪いをもらいたくなかったら下層には行かないこと。全ては自己責任――」
呪い。
視界が揺れる。
地面の上の掌を硬い拳にした。
こんなところで気を失うわけにはいかない。今はソロだ。次に遭うのが自分に優しい相手である可能性は低い。
ゆっくりと呼吸するうちにぼやけた視界が次第にクリアになって来た――どんな呪いをもらったにしろ、おそらく大丈夫だ。
大きく息をして気持ちを落ちつかせる。
吐き気も悪寒もじきに消えた。
ゆっくり、動いてみる。うん。大丈夫だ。
自分の両手を見おろす。特に変化はない。
呪いをもらったと思った――気のせい――のはずはない。何かがおかしいのはわかる。
両手で自分の身体を確認する。特におかしなところはない。
首を振って歩きだしてから気がついた。
嗅覚――が鋭くなっている。土の匂い。
視覚も――自分とさっきまで戦っていたリザードの足跡がはっきりわかる。
「とにかく、一度帰ろう――」
声に出して確認し、上層に続く階段に戻った。
帰り道、はっきりと違いを感じたのは二階層だった。敵の出ない二階層。いつもなら小動物たちであふれるその空間に出た途端に、自分の周囲から生き物の気配が消えた。
「……なんだ?」
小鳥も、ウサギもいない。
だけど、草の上に足跡があるのはわかる。
これはおかしい。
動物がいないのもおかしいし、草の上の足跡なんてわかるのもおかしい。
きっとこんな状態で鶏小屋なんて行ったら――。
ドキリ、と心臓が鳴った。
鶏小屋。
すごく心惹かれる――もともと鶏肉は好きだけど、なんだか今日はいつもにも増してものすごく――それにあそこには卵もある。
ドキリ。
ますます心惹かれる――。
首を傾げた。
おかしいな、自分はどっちかというと卵よりは肉好きのはずだ。
まあ、とりあえず卵を二、三個持って帰ろうかな、温泉で茹でてもいいし。
――いやいや、生がいいだろう。
「は!?」
自分の心の声に、おもわず自分で突っ込んだ
「生!? 卵を!? 生でどうするんだよ!?」
――飲めばいい。
「はあ!? 卵だぞ!! 生で飲まないだろ!?」
――飲みたい。
「いや、待て、飲みたくなんかないだろ、普通――なんだこれ!?」
独り言を繰り返しながらとりあえず鶏小屋に行こうとして――足が止まった。
リュカとアントニーの、柵だ。
すごく嫌な物だってわかる。あれに触ったら絶対ものすごく痛い――それに臭い。
「なんだよいったい……つまり、俺が危険人物――魔物ってことか!? そういう呪い? 嘘だろ、俺もう鶏小屋に行けないのか!?」
なんだかものすごく絶望的な気分になって一階層に駆けあがる――足を踏み入れた途端に吐きそうになった。
温泉だ、超臭い。この硫黄の臭いってやつ、鼻が曲がる。
「なんだよもう! 温泉も入れないのか!? 勘弁しろよ――こんなんじゃここにいられなくなる――温泉の管理とか、どうすんだよ」
とりあえずできるだけ早く外に出よう――今日は温泉の受付にはマリーさんがいたはずだけど、挨拶もせずに走り抜けた。
外に出て、まっすぐに治療院へ――駆け込んだ。
「エリー!! エリー!? ちょっといいか、俺さっきダンジョンで呪われたらしいんだ――」
「「「えええっ!!!」」」
驚愕の声が三人分――しまった、リディアもいたんだった――まあ、嘘をつくわけにもいかないし、いいか。
受付にいたハンナさんがどこかへ駆け出していく。
リディアとエリーが弾かれたように奥から飛び出してきた。
「ナイジェル! 呪われたって――」
「ダメ!!」
俺に飛びつこうとしたリディアにエリーがものすごい勢いで体当たりして、二人で壁に突っ込んだ。
「「エリー!?」」
二人で目を白黒させてエリーを見つめる。
「触っちゃ、ダメ! ……リディア、待って。ダメなの。呪われたっていうのが本当なら、危険かも」
……とりあえず、体当たりの理由はわかった。
「「そうなの」か?」
「お祖父様が来てくれるから――とりあえず、ナイジェルは治療室の方に座って――大丈夫なの? 変な感じはしない? 普通に見えるんだけど、本当に呪われたの?」
途切れ途切れに言われるままに隣の部屋に移動してベッドに座った。
「呪われたんだと思う――変な感じっていうか――俺自身はええっと――」
嗅覚と視覚が鋭くなって、味覚が変わって鶏小屋と温泉に近づけなかったことを話す。
そこに『化け物』が入って来た。




