124. 討伐完了スライム その2
「なん、で、黙ってたの?」
これまでに渡す機会がなかったはずがない。
シュヘル領に来てからは特に。それなのにこれまでにもらったのは小さな花たちばかり――もちろんそれだってとても嬉しかったけど。
トリスタンは答える前に人差し指の先で鼻の頭をかいた。
「重いかな、って思って。アリーは『執着が怖い』って言ってたし。それにあのジジイが――」
そこで言い淀む。
「お祖父様が?」
「ここに来るなり、『俺には適当な妻を四、五人』で、リジーのことは『自由にしてやりたい』なんて言ったから――」
ドキリと心臓が跳ねた。
それって。
「それにパートリッジの祖父ちゃんがリジーに「戻って来るときは『俺のことは置いてこい』って言った」って言ってただろ? 俺は「シュヘル領に入ったら『二度と帰れないと覚悟しろ』」って、学院を出ると決めた時に言われてた」
ため息を一つ。
「俺はこの土地から出て行けない。だけど俺さえ諦めれば、リジーは誰でも好きなやつを選べるんだなって思って。――こんなのを見せたら――それに好きだなんて言ったらきっと同情されるし、そんな気持ちでリジーをここに縛り付けるなんて――無理矢理我慢させてこんな辺鄙なところにいてもらうなんて――だけどリジーが側にいなくなるなんて、それも考えられなくて」
軽い自嘲の笑い。
「アントニーに罵られたよ。『手放す時のことを考えるくらいなら二度と離れられないように落とせ、バカ』って、そんなことを言われた」
まったくだよな、って自分でも呆れたように言葉を追加する。
「ジジイたちの言葉に振り回されて、どうしていいかわからなくなってた」
「そう、なの? お祖父様の言葉でトリスタンが気になってたのは、そこ?」
「うん――リジーも気づいたんだろ? あの日は――ジジイのせいでリジーは魔力切れになっちゃったけど、あの後からずっと遠慮がちだったし、俺の様子を窺ってたから――あの宿で俺に頼まれた通り、リジーがここでの暮らしをいろいろ試してみてるのはすごく嬉しかったけど、やっぱりここにはいられないって言われたらと思うと手を出すわけにはいかなかったし――」
そこで隣から反応が返って来ないことに気づいたらしく、言葉を切った。
「リジー? 何か他に気にするようなこと、あった?」
ちょっと心配そうに眉が寄った。
「私――私、あれでトリスタンは奥さんは私一人じゃなくて、五人いた方がいいって思ったのかなって――」
「え!?」
「お祖父様もひ孫がいっぱい欲しいって――ほら、私、結婚相手は一人――一対一がいいってはっきり言ってたでしょう? トリスタンがナイトだった頃に。だから、トリスタンが私にキスもしてくれないのは、きっとウィルたちが結婚した後で私とは離婚するつもりなんだ、だから別れやすいように手を出さないんだ、って」
「……」
驚きの顔は、そんなことは欠片も考えなかったって顔。
「だから奥さんが私一人でもいいって思ってもらえるように一生懸命がんばらなきゃって思ったはずなのに、お祖父様はいっぱい褒めてくれるし、ここの人たちはみんな優しいし、田舎暮らしは楽しいし、なによりナイトは魔王にいじめられていなくてトリスタンで――やっぱりずっと一緒にいてくれてたんだってわかって、嬉しかったし幸せで、がんばるはずなのに嬉しいなんてもしかしたら方向性を見誤ってるのかなって――で、そんなところにみんながきたのよ」
思い返して肩を落とす。
「ナタリーには呆れられて、ウィルには笑われるし、リリーにはお説教――」
「そうだ、あれ――何の話をしてたのか聞いてもいい? 気になってたんだ。あいつがあんなふうに笑うとか、初めて見たからびっくりした」
ストレートに聞かれて、ちょっと言葉に詰まった。
でも、もう解決したんだし、話してもいいと思う。
「『悩み事はなんだ?』って聞かれたから、『トリスタンにキスしてもらうにはどうしたらいい?』って、聞いたの」
「え!?」
驚きの声に、また自分の顔が真っ赤になったのがわかったけれど、話す。
「……ナタリーたちがいた時にはここの人たちの前で『妻』だって言ってくれたでしょう? 将来離婚する予定でいるようには見えなかった。料理も喜んでくれてるって思ってたし。だけど――トリスタンに嫌われてないのはわかってたけど、すぐに目を逸らしちゃうし、せっかく近くにいられるって時もいなくなっちゃったりナイトになっちゃったりするし――『時々はナイトになって』って言ったのは私だし、ちゃんとナイトがトリスタンで、元気だってわかるのは嬉しかったの。ナイトはすごく触り心地がいいし、かわいいし、ナイトになってもらうのが嫌なんじゃないのよ? だけど、さすがにもうナイトが大丈夫だっていうのはわかったし、トリスタンと一緒にいる時間もすごく大事で、大事にしたくて――それに、その、嫌われてないなら、先に進んでもらうにはどうしたらいいのかなって――ウィルったら絶対笑わないから話せって言ったのに、あれよ? リュカなんて『自分からしたらいい』なんて言ったのよ――他人事だと思って」
思い出して不満顔になると、トリスタンは身体を起こして、しばらくエリザベスを見つめてからもう一度キスをしてくれた。
「リリアナの、お説教、っていうのは?」
「……『しょうもないことで悩んでいないでジュリアの結婚祝いを使ってさっさとトリスタンを追い込め。じゃないとみんな困る』って。
だけど『積極的なのは好きじゃない』って言われたのにあれって――でもみんなは、あれがダメだとかありえないから、って」
勇気を振り絞って着て、いざ見せてはみたものの、トリスタンの反応が止まったのでダメだったのかと思ったのだ。
「『嫌ならもう着ない』ってのは、そこから来たのか……逃げられなくてよかった」
ほっと息を吐いて「積極的なのが嫌だったのは、興味のない相手だったからだよ」と、そう教えてくれた。「……あれがダメとか、ほんと、ない」そう呟く。
ということは、本当にないんだな、とわかった。
よかった。あれを見せて拒絶とか、ほんと死にたくなりそう。
「……誰に聞いたの?」
「え?」
「ジュリアの結婚祝いが服だ、って」
「あ~、あれは、リュカに……だけどあんなのだとは思ってなくて」
「ということはきっとナタリーから聞いたのね」
アリーが告げ口したのかと思った。
「……手のかかる弟妹ばっかりだから、なんだかんだで面倒見のいい長男は大変なんだ」
ふ、と笑ってからエリザベスの方を向いて手を伸ばす。
「リジー。あのさ、俺が複数の妻が欲しいとか、離婚するつもりだとか、そんなふうに思ってないのはもうわかったよね? で、一つ言い訳をさせてもらってもいいかな――」
『言い訳』――この前はスライムになって地面に染みこむしかない、って言ってた。
その気持ち、今はすごくよくわかる。
優しく頬を撫でる手がすごく心地よくて、目をつむったままで頷いた。
「――ナイトになっていれば、眠りが浅くなったリジーに所かまわず撫でられてキスされて抱きつかれても、どうにか抱き枕に徹していられるんだよ。そうしてくれるのは嬉しかったし。それに、さすがに魔力切れで意識のないリジーに手を出すのはダメだと思って」
言われてまた泣きそうになったけど、滲んだそれはさっきまでの涙じゃない。耳が熱い。
目が覚めた時にナイトでいることが多いのは、ダッシュで出て行ってしまうのは、そういう、理由――。
「ちゃんと本当に成人するまでは――今だって平民じゃないんだし、将来のこともあるからそれはけじめだ、って思ってるけど。リジーは俺ので、予約済みだからね」
左手のリングとおでこに軽くキスをくれて「おやすみ」って。
そう言うなりトリスタンは黒豹に変わってしまったわけで。
で、つまりそれって。
本当にスライムになって溶けるかも。




