117. リリアナ
まるで数日前のウィリアムのようにお腹を押さえて笑い続けるリリアナを見て、エリザベスがむっとした顔になる。
「ちょっと、リリー、そんなに笑わなくたっていいでしょう? あなただって立場は一緒でしょ? だって、パートリッジの伯父様には奥さんが四人いたんだし。アントニーが『やっぱり父のように妻は四人にすることにする』なんて言い出したらどうするのよ?」
リリアナは足を川から上げて、また明るい声で笑った。
笑いの合間にどうにか返事をする。
「……その、時は……別れるわ」
返事はしたもののまだ笑っている。
「なんでそんなに簡単なのよ。それでいいの?」
「……しかた、ない、じゃない」
大きく息を吸って呼吸を整えると、不思議そうにエリザベスを見た。
「……エリーは平気なの? 私、アントニーを誰かと共有できる程人間はできてないの。私が本当は怒りっぽいの、知ってるでしょ? 無理よ」
当たり前のように言って肩をすくめた。
「別れて、その後はどうするの?」
「まず第一に別れないけど――そうね、諦めて他の人を探すんじゃない? どこか遠くに行ったりして、新しくやり直すとか」
あっさりと言ったリリアナを見つめる。
自分は別れた後のその選択肢はできそうにない。
「……離れられなかったら?」
「え?」
「別れたとしても、近くにいなくちゃならないなら? 耐えられる?」
眉を寄せて少し俯いたエリザベスに、リリアナは優しい声で言った。
「エリー、追放されたことなら気にしなくていいのよ? ウィルとサリーが結婚したら、ちゃんとあなたの汚名は雪がれる。トリスタンがあなたを手放すことはないと思うけど――行きたいと思えばどこにだって行けるわ」
軽い口調に、同じように返せればよかったのだけれど。
「ううん、行けないの。私はここに――この土地にいないといけない。だからトリスタンには私がいいって――私じゃないとって思って欲しくて」
「……何か理由が、あるのね?」
聞かれた言葉に小さく頷く。
「心配しなくても、トリスタンにはエリー以外に目を向ける要素はないわよ」
「そう、思う?」
不安な気持ちを隠さないまま聞いたエリザベスにアリアンヌが答えた。
「ないわよ。お義兄様、べた惚れでしょ。エリーお姉様の顔を見ただけでスライムになって融けるって言ったのよ?」
「もう、エリーってば、どうしてそんなに自己評価が低いのかしら――リディアよりも先にあなたをどうにかしないと。そうね、自分に自信がないなら、事実を根拠にしたらどう?」
リリアナも困った顔になってエリザベスの顔をのぞき込んだ。
「エリー、パートリッジ家の兄弟に、奥さんを複数持ちたいって思ってる人はいないわ」
きっぱり言い切って今度は視線を外し、水面を見つめる。
「……私、実はアントニーに誘われるのが嫌だった時期があったの。最初はもちろん嬉しかったわ。だってアントニーは素敵だし、優しいから。
でも、それが頻繁になって来た時に気がついたのよ。本心からの言葉や行動じゃないんだ、って。試してるっていうか――リアクションを確認してるっていうか――行動が薄っぺらいの。こうやっておけばいいだろう、みたいな。
でも、それがだんだん変わっていったの。ちゃんと私のことを見てるんだってわかった。そうなると私も本当に惹かれていって――たとえ始まりがなんであっても、彼を突き放すことなんてもうできないって思った。だからその気持ちを受け入れることにしたの。
その時に言われたのよ。
『生涯妻は一人だ。他の誰も見ない。その代わり君も僕一人だと誓え』って――あのときのアントニーは――あんな顔、初めて見たわ。すごく怖かった。だけど、あれは本当のアントニーの気持ちだと思う。
私もよく知っているわけじゃないけど、パートリッジ公爵家の跡目争いは――トリスタンは早くにこの領地を継ぐことが決まって外れたし、小さい頃からお母様と離れで育ったって聞いてる。だから詳しくないのかもしれないけれど――随分厳しいものだったみたい。亡くなった子も複数いるそうよ。
リュカの婚約が早かったのも――ナタリーの方が年上だからっていうのもあったけど、あれで嫡男を定めたっていうのもあったのよ。公爵家からもらったほうが盤石だって話もあったそうだけど、パートリッジのお祖父様が公爵家から嫁をもらうとパートリッジ家の力ばかり強くなるからダメだって。
それでかわりに一つ下の位から侯爵家のナタリーを、って話になったのだそうよ。リュカとナタリーはもともと仲が良かったし。それが、あの王太子に目をつけられて――あの時も誰かの策略かどうか随分疑ったらしいわ。
あの時はリュカも死にかけたでしょう? アントニーはリュカとは母親が同じ弟で四男だし、その頃にはもう私だけって感じで動いていたから策略ってことでは大丈夫だったけど、ステファンもディミトリも相手が決まっていなかったし、兄弟同士は争っていないのに空気がすごくギスギスしてた。
あの後のナタリーの警護もすごかった――ほぼ自宅軟禁で。エリーがお茶会に呼んだ時も魔術具をつけて来ていたでしょう? 軟禁だって表向きは不始末の処罰ってことになってたけど、違うと思う。
――ステファンの相手が公爵家のジュリアになりそうってなった時も周りの大人たちはけっこう――ほら、ステファンは第一夫人の息子だし、ボルドウィン家は下にロクサーヌがいて嫁取りができるから。
だけどパートリッジのお祖父様がリュカと同じ理由で「嫁取りはダメだ。それに嫡男はリュカだ」って断って、ジュリアがボルドウィン家の跡を継いでステファンが婿入りすると決まったことでずいぶん落ちついたの。
ディミトリはその後だったからずいぶん助かったみたい。婿入りでミモレットとの婚約が決まって「やっと跡取りには向かないお騒がせバカのフリともおさらばできる」って言ってたわ。
みんなものすごく苦労したのよ――。
だけどトリスタンだってそうでしょう? リュカと間違えられて殺されかけたことがあるって聞いたわ――しかもお母様はその事件で亡くなった。
結局現パートリッジ公爵には何も残らなかった。たった一人愛した人でさえ。
父親に愛されない自分の母親と、望んでいない跡目争い。そんな毎日を見てきて、まだ複数の妻を持ちたいなんて普通は思わないわ。
エリー、私も自分に自信なんてない。でも、私はどんなに自分に自信がなくても、あの時のアントニーを信じてる。あの人たちには複数なんて選択肢はないのよ」
覚悟の決まった友人の美しい顔と穏やかな声。
……ああ、そうか。
自分はまだどこかこの世界を――そして彼らを、ゲーム内の登場人物と重ね合わせているところがあるんだ。
エリザベスはあらためて自分の周りにいる友人たちを見つめた。
彼女たちも、そしてここにはいない彼らも、表面しか見えない画面の中の単純なキャラクターなんかじゃない。
背景と心を持って行動する人間だ。
乙女ゲーのキャラなら、とか。攻略法を知っているんだから、とか。
そんな簡単な理由で相手の行動を計って理解しようとするなんて――あてはまるわけがない。ものすごく失礼だ。
「……ありがとう、リリー。ごめんなさい。私、勝手に不安になってたみたい」
素直な感謝と謝罪の言葉に、リリアナは笑った。
「不安になるのは恋愛の常だもの。でもね、エリー?」
口調が変わって目つきも鋭くなる。
なんだろう。
「そんなしょうもない不安につきまとわれてるってことは、あなたまだジュリアの結婚祝いを使ってないわね? ここは未来の義姉としてだけじゃなくて友人としてもはっきり言わせてもらうけど、リディアがナイジェルを追い込むよりも先に、あなたがトリスタンを追い込むべきよ。あなたたちはもう結婚してるんだし、何の問題もないでしょう?
いい? あなたたちがちゃんと夫婦をやっていないと、リディアたちが困るのよ。ここで暮らすからには領主夫妻と一番仲のいい冒険者夫婦っていう立場は絶対に外せないんだから!」
ぴし、とリリアナが人差し指をエリザベスの額に突きつけた。
「ジュリアの、って、あれ……?」
「他に何があるの?」
「ないけど……嫌がられたり、引かれたりしないかなって……」
またあれか、どうしてもあれなのか、と涙目になったエリザベスに友人たちは即答した。
「「「あるわけないわ」」」
温泉卵はしっかり固ゆでになっていた。
「半熟がよかったのに~」
笑いながらアリアンヌが卵をふる。
「リディアが妙な相談をするからよ」
「違うわ、エリーよ」
「リリーの重い話のせいでしょう?」
「違うわ。お義兄様がヘタレでナイジェルが格好つけてるからよ」
「いいじゃないの、大事にされてるってことなんだから」
賑やかに喋っているところに五十個もの卵を持ってナイジェルとアントニーとジョナサンが戻って来た。
割らないように網に入れるのも大変そうだ。
それを見てまた笑う。
「さっき行ったばっかりなのに、そんなにあったの?」
呆れるエリザベスをアリアンヌが肘で小突いた。
「お義兄様、必死ね」
「何? なんでそこにトリスタンが出て来るの?」
「え、聞いてないの? マリーが言ってたわよ。ダンジョンは中に入る人の希望を叶えようとする、って」
「それは聞いてるけど?」
「ダンジョンの持ち主――つまりここの領主であるお義兄様とお祖父様が、それだけエリーお姉様を喜ばせて引き止めようとしてる、ってことでしょう?」
簡単に言ってからアリアンヌが自分の固ゆで卵をポケットに入れると、リディアがポンと手を叩いた。
「アリー、頭いい。そっか、そういうことになるのね? よかったじゃない。すごくわかりやすい――。でも……ねえ、それってトリスタンのエリーへの愛情が減ったら卵も減るってこと?」
リディアの言葉にみんなで眉を寄せる。
……そんな愛情メーターは嫌だ。
「それよりも、さっき私たちが行ったときの後で五十個、でしょ? いくら出入りは自由で安全とはいえ、あそこの鶏が気の毒だわ」
アリアンヌの言葉に今度は一同ため息とともに首を振った。




