113. 有能な上司たち
「ジョナサン……あなた本当に相変わらず――誘導したわね」
エリザベスは諦めのため息とともに宿屋兼食堂を出た――これだから頭のいい人間は。
「いや、久し振りに有能な上司の下につけて楽しかった――それにさすがの僕もあんな台詞が聞けるとは思ってなかったよ? 『恋人っぽくなってきた』だって? 夫婦なのに。そこは予想外」
くくく、と笑って片眼鏡を外し、目じりをこする。
「トリスタンが攫って来たことにしようか、エリーが押しかけて来たことにしようか迷ったんだけど、正解だったね」
「もう……しばらくラグドルさんの顔が見られないわ。ルッツには頭がおかしいと思われた――それにウィルを悪者にしたわ。捨てられて赤っ恥とか、もう信じられない」
「ウィルなら絶対気にしないよ。いいじゃないか、ほぼ本当のことだし、宿屋のみんなも喜んでたし――どうせあの祖父さんもトリスタンもエリーを手放すつもりなんかないんだ。ここで暮らすなら微笑ましい方がいいだろう? それに探りを入れてくるような下っ端は追い返した方がいいし、これであの宿屋の主人は味方になってくれる。彼、なかなか強いよ」
「ラグドルさんはダメよ。せっかく穏やかライフを楽しんでいるんだから、迷惑はかけたくないわ。それにもうちょっと馴染んでから直接いろいろ話を聞きたかったっていうのもあったのに。身分で遠慮したりしない友達も欲しいなって思ってたし――」
新しいメニューの相談がしにくくなった、とエリザベスがぼやく。
「こんなところなんだから、そのうち身分や過去を気にしない友人はできるさ。さて、もう一軒の方にも行こうか」
「さっきみたいな茶番はたくさんよ?」
「もう十分だよ。噂話のネタもないような田舎にこの話題だ――ほっといても広まるだろ。普通に話をしてお茶にしよう」
言葉の通り、ジョナサンは軽食を出すお店でもエリザベスをうまく使って店主に税率が変わる話や地域貢献度の高い人たちへの優待を考えている話をして――そこでも冒険者や店主に囲まれた――その後で冒険者用の宿泊施設を見学し、住民たちの住居エリアや手工業地区を一通り回ってシュヘル邸に帰った。
友人たちはそれぞれ割り当てられた仕事をこなそうと東奔西走していた。
ジョナサンもキッチンでテーブルの一角に紙を広げ、ペンを持って食堂のメニューと価格の一覧表を作りながら、わからないところは夕食の準備にとりかかったエリザベスに聞いて表を埋めていく。
今日はみんな忙しいので、ドーンと大量のパスタを作ることにした。
具入りのソースを五種用意して、ゆで上がったパスタに好きなソースを絡めてもらうつもりで具材を揃えて行く。
アントニーとリリアナがシュヘル邸の畑にも手を入れてくれたおかげで、促進魔法で成長させれば野菜もすぐに調達できるようになったのがありがたかった。
「冒険者の仮居住地区の建物の建て替えに反対する人がいる、ってことは本来の住民たちの住居についても直すべきだってことかい? 何か希望する話は出てる?」
メニューの一覧を作り終えたジョナサンが聞く。
「はっきり意見を出されたことはまだないの。投書箱にも『冒険者ばかり優先するな』って紙が入ってただけ。だけど福利厚生は大事だと思うわ。住民の不満が単に冒険者への優遇に対するものだけなら、住民には無償の教育制度や、診療所の利用設定に便宜を図るとかはどうかなって思ってるの。健康診断代わりに無料であの(・・)薬を出しちゃうとか。きっと病気になる人が減ると思う」
ジョナサンがメモを取りながら眉を寄せた。
「……これだから、エリー。君をこんな田舎に攫って行ったトリスタンが恨めしいよ。君みたいな上司がいれば毎日おもしろかったのに。だけどとりあえず最後のは却下だ。君がいないと成り立たないものを政策に入れたら後に残された子孫が維持できないからね」
「そっか~。だけど健康診断って『記憶』ではけっこう重要だったのよね。あそこは魔法を使えない世界だったし……」
「魔法ナシってのはすごいよな。それなのに文明が発展してるんだから、つくづくおもしろい。上の人間が下の人間の健康にそこまで関わろうとすることも」
「何が? 会社が従業員に頑張ってもらえるようにすることが? 領民は働いてくれるんだから領主は領民が安心して暮らせるように頑張るのが仕事でしょう?」
首を傾げたエリザベスにジョナサンは首を振った。
「規定通りの税を収めさせるのが仕事だと思ってる領主の方が多いよ」
「それは残念なことね――税を納めてくれる人にはきちんと働ける環境を提供する――そこはどうなっているの?」
エリザベスには『記憶』の知識はあってもこの世界の実際の制度に関する知識は不足しがちだ。
その理由は男性の社会的優位性にある。
社会制度や政治に関してはまだまだ男性有利で、学生の立場で学問として討論できる時期はともかく、卒業してしまえば女性が政治に口を挟むことを良しとしない風潮は根強い。ウィリアムたちがエリザベスを対等な相手として扱っていることの方が珍しいのだ。
こんな会話を耳にしたら顔をしかめる男性は多いだろう。
「それは国が国民にやるべきこと、なんだろ? どう思う?」
「つまりそこの基礎を確立させるのはウィルの仕事? 国民健康保険的な……? それはちょっと……簡単には無理よね」
ジョナサンはなぜか大きく息を吐いた。
「エリー、ここにウィルを呼んでいいかな?」
「ええ、もちろん」
ジョナサンはすぐに紙の束を抱えたウィリアムを連れて戻って来た。
何で呼ばれたのかよくわからないという顔をしたウィリアムを座らせて、話を戻す。
「エリー、君はよくわかっていないようだけど、この国では各領地の治め方は領主に任されている。領地によって特産品も違うし気候も違うから税の納め方も違う。国は査察官が決めた税をきちんと納めてさえいれば各領地の内情には基本無関心――戦争や内紛がなければそれでいい。
教育や医療も領主次第だ。それは君が今考えている「住民への便宜を図る」とやらの部分にも該当するからわかるよね。そしてよほどの貢献者でなければ見舞金――君が考えているのはそれだろう? 万が一の時の保証――は出ない。それが普通だよ」
エリザベスが頷く。
「それにだ、『領民の福利厚生』僕はこんな言葉を聞いたのは初めてだが、それってつまり領民に教育や医療での便宜を図ることで、彼らが快く働けるようにしようってことだろう?」
「そうね。領民に学力があれば仕事の幅も広がるでしょう? 使える人材は何物にも代えられないその土地の財産よ。他にも住宅や食堂、商店の利用については増えてきた冒険者より住民の方が有利になるような政策をとりたい――そこはトリスタンだってお祖父様だって同じ考えよ? 冒険者には冒険者の利便性があっていいと思うけど彼らは基本出て行く人たちだし。居着いてくれる領民の方がずっと大切だもの――まあ、そこはダンジョンのことさえなければ、なんだけど」
「ほら、ウィル。君が何を逃したかわかってるか?」
視線を向けられたウィリアムが紙の束に向かって大きくため息を吐いた。
「……わかってるよ。だからこそ、手放したんだ」
「どういう意味だ?」
ジョナサンが顰め面になる。
「ここでならいいか……」
ウィリアムはそう呟くとジョナサンを軽く睨んだ。
「ジョナサン、お前の言いたいことはわかるよ。エリーの考えを国政に取り入れたいんだろう? だが、今の国政には取り込めないんだよ――今の国政には大きな失策もなく、きちんと回ってる。国民からの大きな不満もない。改革には向かないんだ。
それにな、反対する領主は多いだろう――領民に還元するよりも私腹を肥やしたい貴族は多い。それが人の常だし、迂闊に下の者に学力を――知恵を与えれば追い落とされかねないからな」
「それを認めるのか? 君は国王になるんだぞ? そんな貴族の上に立とうっていうのか?」
ジョナサンの声にはかなりの不満の音が含まれていた。
「そうだ」
それでもウィリアムはきっぱりと言い切った。
「いいか、俺は王太子で国王じゃないし、国政に口を出すには経験不足。エリーがどんなに素晴らしい案を思いつこうと活かすことはできない。この王都からものすごく離れた領地だからこそ存分に試せるんだ。うまくいけばやがて近隣の領地が真似をするだろう――もっとうまくいけば王政への非難も出て来るかもしれない。その状態まで進めてからじゃないと取り込めない――改革ってのはそういうものなんだ」
そこでまた大きく息を吐く。いかにも面倒くさそうに。
「大体――お前だってわかってるんだろうが――俺に聞かせたいのがそういう話ならもういいか、ジョナサン。エリーの領地経営策については『お前が』詳しく聞いてまとめろ。将来来るべき時に備えるんだ。俺はその時期にうまく親父を退位させて取って代われるように――もしくは俺の息子にとって代わられて引退できるように、それまでこの国を安泰に存続させるのが仕事だ。
暗殺されたり、国を追われたりしない程度に不満を抑えて、新しい制度を受け入れることができないような頭が固いやつは排除――公爵家は友人揃いだから何とかなっても侯爵家以下は――その時のことを思うと今から頭が痛いね。できることなら息子に代替わりして、俺が隠居してからやって欲しいよ」
紙の束に向き合ってまたしても大きく息を吐いた。
「まったく、この計算とか――こういうのこそお前の得意分野だろう? ものすごく面倒だ。明日も同じようなことをするつもりなら代われよ」
ペンでいくつかの項目に斜線を書き入れ、反対側でポリポリと頭をかいて、「夕ご飯は何? 頭を使ってるからデザートに期待してるんだけど」とエリザベスに笑顔を見せた。
「メインはパスタで、デザートは果物たっぷりのマチェドニアとパンナコッタよ。疲れが取れるはず。パンナコッタはラムの強めと弱めがあるわ――ウィルは強い方が好きだと思う。シロップは別がけだから好きなだけどうぞ」
ウィリアムが「味見はある?」と聞くとジョナサンも笑った。
さっきまでの不満の消えた楽しそうな顔になっている。
「代わるのは無理だな。お前とリュカは未練がましい王太子が差し向けた『エリーの連れ戻し要員』だって宿屋で言ったから。それに僕は明日、診療所を見学してからエリーとダンジョンに行くんだよ。せっかく来たんだから見ておきたい」
恨みがましい目でウィリアムが睨んだけれど、ジョナサンはどこ吹く風で笑った。
「早めに帰って来られたら手伝ってやるよ――無能な上司には苦労させられるものだからな」




