112. 口八兆 再びジョナサン
「そのアーノルド公の孫でもありウィルベリー公爵家の娘でもあるお嬢様が駆け落ち同然でこんな辺鄙な田舎に嫁いだ時は――王都でもずいぶんな騒ぎでした。様々な噂も飛び交いましたし」
周囲の驚きの顔や後ろめたい表情、そしてエリザベスの非難の目。そんなものは一切気にせず、ジョナサンは続けた。
「なにせ王妃にと望まれたお嬢様が出奔――捨てられた王太子は赤っ恥――仕方なく不始末による『追放』だということにして籍を抜き、騒動をもみ消した。
まあ、真相を知っているのはごく限られた上層部のみです。私も王太子の側近でなければ知らないままだったでしょう――ただの(・・・)侯爵家の嫡男ですし」
さらりと、自分が公爵五家に続く身分である侯爵家の嫡男で王太子の側近であることを織り込む。
「奥様の出自が出自です。これからこの領地が国の目を避けることはできないでしょう。今も王都に戻って来て欲しいと嘆願している者たちがいるようでした。――あの二人には見覚えがあります。寄越したのは王太子でしょう。まあ、あれらは私が戻る時に連れて帰りますが、知性溢れる奥様なら国政にも豊かな助言ができる。こんなところに埋もれさせておくには実に惜しい。
惚れられた若当主は幸運――いや、逃げられたらこれ以上はないほどの不運になりますが。通常ならこんなところに嫁いでくれる白魔法の使い手なら、それだけでかなりの幸運と思うべきでしょう。しかも公爵家の縁だ――そうそう、若領主の方も力量はなかなかですよ? パートリッジ公爵家の縁で、トゥルクロウ公爵家、ボルドウィン公爵家、サマセット公爵家、ウィルベリー公爵家――この国の公爵家五家の次期当主すべてに密接な繋がりを持ち、魔力量は王太子にも負けない。学院を飛び級で卒業するほど優秀。まあそうでもなければ奥様をこんな辺鄙な土地に連れ帰ることなどできませんが。
そうそう、逃げられたら不運というのは――小耳に挟んだのですが、奥様がここの若当主を見限って王都に帰るとここのダンジョンは元通りになるそうです。そうなれば穏やかな日々が戻るでしょう――ただし税率がもとに戻るかどうかは――次の査察官がいつ来るかによります。それを派遣するかどうかは王家次第。王太子が捨てられてなお一目置いている奥様を邪険にして追い出したとなれば――奥様に王都に戻ってもらえれば助かる人物もいるでしょうが、既に駆け落ち騒動は無理やりもみ消した後だ。むしろ査察ナシで税率が上がるんじゃないかな。偉い人ってわがままだし。かなりの不運でしょう?」
にっこり笑ってジョナサンがようやく口を閉じた時には、既に顔から血の気が引いているあの二人は言葉もなく、周囲も呆然とした表情でエリザベスを見つめていた。
「ジョナサン……あなた、喋り過ぎ」
「知らないで後悔するよりいいでしょう。あなたがアーノルド公の孫なのは事実だし、度重なる王太子の求婚を断り続け、ついには他国の王太子にまで求婚されて、避けきれなくなって婚約を受けたものの最終的に逃げたのは事実だ。
ただし真実が公表されるのはこの国の王太子が結婚して世間が落ち着いてからとなれば、ここの住人たちくらい『本当のところ』を知っておいた方がいい。
奥様が波風を立てたくないのはわかっていますが、ああやって部下を送り込むくらいなのだから王太子は逃げたあなたを恨んではいない。良好な関係でいたいとお考えです。なのにここには既にいい加減な噂を信じて余計なことを言った人たちがいるようです。
過去のある人間もこの土地なら受け入れられるとラグドルさんはおっしゃったのですしまさか奥様を追い出したりはしないでしょうが――これ以上不確かな噂を広められたりすればいずれ逃げられるかも――ねえ?」
あたりをぐるりと見回しながらそう言って、最終的に視線を向けられた店主はぶんぶんと大きく首を振った。
エリザベスを見る間がこれまでの気安いものとは異なっている。田舎の貧乏男爵家に嫁いでくるくらいだから、似たような身分の娘だと思ってくれていたのだろうに。
エリザベスは小さく息を吐いた。
「せっかく身分の関係なく過ごせる土地に来られたと思ったのに――」
「おや、ここの人たちは訪れる人間の過去は問わずに皆を受け入れてきた――私はそう聞きましたよ。今さら出奔した公爵家の令嬢だったとわかったからって、追い出したりはしないでしょう――税収に関してだけでも、これだけ住民のためを考えてくれる領主夫人がこの国にどれだけいるか。本来あなたは明らかに王妃の器なんですよ、もったいない――ねえ?」
今度は大きく頷く店主。給仕のルッツもだ。
「私は自分がここに派遣されたのは『建前』だと最初に言いましたよね? もちろん仕事はしますが――ビジョット侯爵家の嫡男をこうして使いに出すくらいなのですから、パートリッジのお祖父様がどれだけ心配しているか、わかるでしょう? 『辛い思いをしているようなら連れて帰って来い』と。そっちが本来の用事です。奥様も御自分の立場は重々承知しておいてください」
「ジョナサン――もう沢山よ。あっちこっちと家の名前を出すのはやめて――」
あきらかにわざとだとわかる言い回しにじろりと睨む。
「おや、あなたは貧乏男爵家嫡男の妻となったのですから、私に命令はできませんよ? いまや地位は私の方が上だ。はるかにね」
軽く顎を上げたその顔がわざとなのはわかるけれど、言われた言葉は大事な二人――トリスタンとその祖父を侮辱する発言と取れる。
エリザベスがむっとしたのは仕方ないことで。
「そうよ。私は自分で望んでここに来たの。だけどそれは穏やかに暮らすためで、こんなふうに家名を後ろ盾に権力を振りかざすためじゃない。さり気なくみんなを威圧するのはやめて!」
「だが、あなたはろくでなしに中傷されている――ろくに守られてもいないようだ。シュヘル家の人たちはあなたを大事にしてくれているのですか?」
挑発の言葉と視線に、二人を庇う言葉が飛び出す。
「当然よ! すごく大切にしてもらってるわ――それに中傷のことなら、わざと目をつむってるんだって知ってるでしょう!? 仕方ないでしょ、私があの人たちをやっつけようとしたりしたら、この宿なんてたぶん全壊させちゃう――被害が大きすぎるもの!」
「修復費用は出しますよ? 帰宅するつもりがあるなら領地に住まいも用意できる――公爵家は裕福だし、もちろん王家だって出すでしょうね」
「私はここにいたいの! それにいくら費用は出るって言ったって壊しちゃったら修復期間中の宿泊客はどうなるのよ!? それだけじゃないわ。あの二人に怪我をさせたときにアリーがいなかったら、結局自分の治癒魔法で治す羽目になるのよ? バカみたいじゃない!」
「放置すればいいじゃないですか」
「それができたら苦労しないわ。絶対治っちゃう――彼らには感謝してる、って言ったでしょう?」
「「え?」」
聞き間違いかと顔を見合わせた二人組のことなどお構いなしでジョナサンは続けた。
「あなたはもっと自分の力を示した方がいいんですよ。彼らには感謝するべきではなく、恐怖を見せるできです。竜巻でも出して巻き上げてしまえばいい。二度と戻ってこられないように」
「嫌よ! そんなことしたらここのみんなに怖がられる――畑だって家畜だってどれだけ被害を受けるか。それにトリスタンに迷惑をかけちゃう――この人たちのおかげでやっとちょっと恋人っぽくなってきたところなのに!」
「……え?」
誰かの声にはっとしてエリザベスは両手で口を塞いだ――が、もう遅い。
「……やっぱり、最終的には『そこ』ですか。……しかたないですね。アーノルド公には『お嬢様は帰るつもりはないようだ』とお伝えします」
エリザベスにだけわかるように口の端を上げてから、みんなに見せたジョナサンの呆れたような顔は――もちろん作ったものだ。半分は。
店主の驚愕の顔が五秒経ってから笑いを押し殺した顔に変わり、我慢で真っ赤になった。
例の二人組は呆気にとられた顔のまま。
「公爵家の令嬢が王太子の求婚断って田舎の男爵家にって……奥様、あんた、頭大丈夫か?」
給仕の青年だけは疑いの顔をしてエリザベスを見つめた。




