110. 口八丁 ジョナサン
「ジョナサン、来てくれてありがとう。ウィルが呼んでくれたのね? あなたにもしばらくは会えないんじゃないかなって思ってたからすごく嬉しいわ。クレアは元気?」
「ああ、元気だよ。それに僕なら呼んでくれればいつだって駆け付ける――クレアの次でよければ、だけど」
苦笑を引っ込めてようやくちゃんとした挨拶をすると、ジョナサンは表情を緩め、当然という顔で頷いた。
自分の相手が最優先。
そう明言することでエリザベスが安心するとわかっているのだ。
「あなたがそう言ってくれて嬉しいわ。むこうにいる間に気づけなかったのが残念だったけど。――いつまでいられるの?」
「できればみんなみたいに二週間とかいたかったんだけど、残念ながらだいたいの目途が立つまで――トリスタンの仕事の進み具合にも寄るけど、たぶんみんなと一緒に帰ることになると思うよ。ウィルの婚約式と結婚式関係の調整がけっこう多いんだ」
にこやかに笑うジョナサンは自分の価値をしっかりわかっている。王都での立ち位置もすでにゆるぎないものになっているのだろう。
「ありがとう。私がウィルの相手だって思い込んでいた人たちとの調整があなたに回ってるのね?」
「まあね。僕は最初から知っていた一人だし――サリーもウィルベリー公爵家の娘だから軋轢は少ないけど、オリヴィア夫人の関係者がちょっとうるさいんだ。それにエリーとの差がつくのも――エリーの婚約式が急決まりで簡素だったから助かったよ。エリーの母親はパートリッジ家の末娘だったんだろう? それにしてはずいぶん招待客が少なかったし友人も呼ばれていなかった。それらは全部、裏を知っていたアーノルド公の采配だね?」
「……まあ、そうね。お祖父様はああいう人だし、私がウィルの妻にはならないって知っていたから――それより、みんなにあんな言い方をして――つまりかなり急いでいるのね?」
「あれが地だってこともあるけど、まあね」
そう言いながらポケットから小さな紙を取り出して読む――眉の間にしわが寄った。
「何?」
「酒場で噂を広める赤毛と黒髪の筋肉マッチョの冒険者――ねぇ。国内ではそんなやつらが悪さをしてるって話は聞かないけどな。それから赤毛の魔法使いが診療所に何度か来てる? ――魔女、ね。そっちは心当たりがあるから対処する。後は冒険者の仮居住地区の建物の建て替えについて、反対意見を煽っている人物が――へえ」
「ウィルから? それともリュカ?」
心配性な彼らのことだ。街にいる気になる人間についてをこっそり報告したのだろう。
「ナイジェルだよ――それともリディア、って言った方がいいかな」
少しだけ驚いた顔になったエリザベスにジョナサンが笑いかける。
「あの二人は将来的にここに移住するつもりなんだよ。ただ単に滞在しているやつよりもずっと冷静で厳しい目で周りを見てるんだ」
「ナイジェルたちのこと――そう聞いているけど、本当に移ってくるの? ここにいたら将来王都での出世は望めないのに……」
「君がそれを言う? 王妃なんていう大出世を歯牙にもかけずに一蹴したのは君だろう。まあ、公爵家の令嬢からできる出世なんてそれくらいしかないけど。さあ、その酒場とやらに行こう。まずはそのろくでなしどもの対処だ」
促されて確認する。
「本当に行くの? あの人たち口ばっかりで実害はないわよ?」
「実害が出てからじゃ遅いからね――本人が王太子妃の座ほどに歯牙にもかけていなくても。トリスタンの集中力の妨げにもなるし。
それに目立たないようにとは言われたけれど、僕の出番だってあってもいいだろう? さ、連れてって奥様」
「……」
奥様と言われてエリザベスは眉を寄せた。
「あれ? 気に入らない?」
「なんか……あなたにそう呼ばれると老けたような気分になるわ……」
「ははっ! それはびっくりだな。エリーなら喜ぶのかと思ってた」
「そうね……いつもは嬉しいのに。なんであなただと素直に喜べないのかしら?」
動きの鈍い初老の女性になったような感じにさせられる。
それかオールドミスの厳しい女教師とか、かも。
「奥様が嫌ってことは、夫がいることが不満になってきたとか?」
「まさか! それはない――」
驚いて否定したエリザベスを見て、優しい顔になった。
「否定がその速度ってことはそこに嘘はないんだ。……それならマイ・レディくらいにしておこうか?」
「なんでもいいけど、遜るのはやめてね。せっかく身分から解放されたんだし、今はあなたの方が高位でしょう」
「だけど今の僕は仕事中だ。エリーは査察先の領主の奥方だろう? 敬意は持たないとね」
「あら、そうなの?」
もちろん、といった顔でジョナサンが続ける。
「そうだよ。君はものすご~く多忙の夫の代わりに、人口調査をして税収を決める査察官を案内してる――地元住民のためになる妙案付きでね。エリーのことだし、いろいろ考えはあるんだろう?
僕は同じく多忙の上司の代わりに、今後発展するかもしれないこの領地を見回り中だよ。他にこんなふうに異性に手を取られて歩くようなどんな理由があるのさ。呼び寄せた愛人候補かな――」
「それならもう間に合ってるわ。とっかえひっかえ、ですって」
ジョナサンが呆れたように笑う。
「役立たずめ――確かにそっちの方が楽しそうなんだけど、仕事に関しての僕は効率重視だ。さ、その酒場のことを教えてくれ」
街の大通りに当たる通りに向かいながら話す。
「宿屋兼食堂兼酒場ね。家族経営らしいんだけど、今店主をしている男性は本来の経営者家族の親戚だって。前までは経営者の家族も宿屋の一階部分に住んでいたんだけど、宿泊客が増えたから隣に移ったそうよ。そっちが本来の母屋で、前もそうしていたんですって。今後は食堂の方も宿泊客の利用だけにして、冒険者向けの食事とお酒メインのお店は別に出したほうがいいって話をしているところなの。
商業ギルドに食堂の経営に興味のある人がいないか問い合わせ中よ。
冒険者用の短期宿泊先も別に作って、一般の宿泊客とは別にしたいって話になってる。
長く滞在することに決めた冒険者は冒険者用の区域に移るのが普通なんだけど、来てすぐは一般向けの宿を利用する人たちもいるの。だけど冒険者の中には威圧感のある人もいるし。
そうそう、口の悪い二人組も見た感じはそうよ。すっごい刺青。そのせいで普通の人たちはひるんじゃうんでしょうね。別に怖くないのに――。それからね、冒険者向けの居住地区の建物はちょっと古いのよ。これ以上人が増える前に建て替えるか手を入れるかしたいの――だけど冒険者って結局は流れていく人たちでしょう? 手を入れるなら一般の住民の住まいの方を優先するべきだっていう考えがあるのはわかるの。
実際どのくらい冒険者が増えてるのかなって気になっていたから、数を確認できるようになるならそれはすごく助かるわ。そんなに増えていないならゆっくりでいいんだし。
ダンジョンに変化があったのはたかだか三階分だし、しかも採取できる素材の内容に変化は殆どないって聞いてるの――薬草類は増えたそうだけど、薬草買取キャンペーンはみんながいる間だけだからもうすぐ終わりだし、大きな変化って地元の人の食卓がちょっと豊かになったくらいだと思うのよ。
あ、目的地はあそこ。もう少し先には軽食やお茶を出すお店もあるんだけど、そっちもこのところ混みあっちゃって――地元の人が入りづらいって聞いたわ」
馬車の停留所近くの建物を指さす。
ジョナサンは単騎乗り込んで来たのでそういったことは知らないはずだ。
「宿屋兼食堂で夜は酒場。注文があれば昼でもお酒は出すわ。食堂には私もいくつかレシピを提供していて、好評らしいんだけど、なかなか来られないの。トリスタンが心配するし、下世話な噂に尻尾を蒔いて逃げたようには見られたくないし。領民に迷惑をかけるのもどうかと思って――混んでるってわかっているのに今私が宿屋を壊しちゃうとすごく困るでしょう?」
制裁もなかなか加え難いのよ、と苦笑いをすると、ジョナサンはちょっとだけ目じりを下げた。
「ああそうか――だけど、それで言われっぱなしになってるのかい?」
「お祖父様がダンジョンで会ったら呪いをかけるって狙ってる。だけどあの人たちあんまり出て来ないのよ。ダンジョンにも行かないし」
「ダンジョンに行かない? 冒険者なのに?」
ジョナサンが片眼鏡を取り出した。
「そこは自由だから――その眼鏡、パートリッジのお祖父様のによく似てるわ。視力が落ちたの? ――まさかね」
「そう、魔術具だ。半分借りてきたんだよ。色々見えると楽だからね」
そんな話をしながら食堂に入る。昼時を過ぎているのにテーブル席は冒険者らしい身なりのグループですべて埋まっていた。店内はけっこう賑やかで、カウンター席もほぼ埋まっている。
ジョナサンにエスコートされて店内に入ると、エリザベスに気がついた人たちの何人かが会釈をしたり微笑みかけたりしてくれた。
何人かは表情を変えず、食事や会話に戻り、あとの数人はにやついた笑いを浮かべる。
「では、店主を呼んでくれ――」
仕事モードのジョナサンに言われてエリアベスは給仕の青年に声をかけた。
「ルッツ、ラグドルさんを呼んでちょうだい。忙しい時間にすみませんって」
「食事の客はあらかた終わってますから大丈夫ですよ、奥様」
青年がにこやかに笑って厨房に向かう。
その背中が消えた途端に口笛が響いた。
「今日はまた新しい男か? あの二人には飽きたのか。それもそうだよな、どっちもいい男には違いないが、ヒョロヒョロだ」
「それを言ったら今日のもヒョロヒョロじゃねえかよ。そろそろ本当の男を選びたくならねえか?」
例の二人組。
エリザベスは涼しい顔のままだ。
「まあ、こんな感じで、口ばっかりで怖くないもんだから――無視してるの」そこで声を落とす。「実はちょっと感謝してるの。トリスタンが心配して――おかげで前より仲良くなれたのよ。そんなわけで、どうにもひどい目には遭わせにくくて――」
「なるほどね。賢明だ。痛めつけるには小物過ぎるよ」
ジョナサンの返事の意味を聞く前に、店主の声がした。
「やあ、よく来てくれた――レシピが実に好評で、助かってる――」
「ラグドルさん、こんにちは。今日は今後のことで相談があって――夫の代わりに王都のお役人様を案内しているの。税率が変わるそうなのよ」
店主の顔に少しだけ緊張が走った。店員もそうだ。
「ここは人が増えているようだと聞きましてね――まあ、とにかくそういう『建前で』私は派遣されたんですよ――ダンジョンに変化もあったようですし」
ジョナサンは何でもないことのように涼しい顔で、しかもはっきり周囲に聞こえるように『建前で』と言いきった。




