107. 多忙
気にしてないって本人は言ったけれど、周りの視線に毒念の混ざっている物がちらほらするようになったし、エリザベスのため息が増えたのは確かだ。
寂しそうな顔をしているように見えることもある。
その憂いを取り除きたい。
トリスタンはそう思いながら隣を歩くエリザベスの肩を引き寄せた。
自分に纏わりつこうとする女性も、一時は減ったのにまた少し増えているような気がする。
早く出て行けばいいのに、あの二人組はもう一週間もここにいてエリザベスについての悪意ある噂を言いふらし続けている。
領主権限で追い出してしまいたいが、大きなトラブルを引き起こしたわけではない以上噂程度で出入り禁止にするわけにはいかない。
ただでさえエリザベスについては慎重に進めたいのに、領主を骨抜きにして気に入らない冒険者を追い出させたなどとさらなる悪意ある噂を立てられたくはない。
ちなみに祖父ホルストはダンジョン内か暗い夜道であの二人に会うことがあったらそれぞれに呪いを一つか二つずつ貼り付けてやろうと思っているそうだ――が、なぜかあの二人はダンジョンには潜らず、ただ噂話をまき散らしながら酒場にいるだけだ。
一体どういうつもりなのか、何のためにこの領地にいるのか――それが気になる。
ウィリアムとリュカもそれぞれ憤りつつ警戒していて、トリスタンがエリザベスの近くにいられない間は必ずどちらかがエリザベスの近くにいてくれている。
『あくまでも友人だし、そういう意味で連れ歩いてはいない』
『あの筋力バカの二人はエリザベスに声をかけたのに一顧だにされなかったことをひがんでいて、だから悪意ある噂を流している』
そう笑い飛ばしてくれていて――そういう時のエリザベスは笑って付き合っているのだけれど、悪役令嬢を演じていた時ほどではないにしろ、ちょっと無理をしているのがわかる。
トリスタンもできるだけ一緒にいられるようにしているしそんな時のエリザベスは嬉しそうだけれど、それがなかなか難しい。
シュヘル領の冒険者の数が少しずつ増えているせいだ。
冒険者ギルドや商業ギルド同士の横のつながりから、シュヘル領のダンジョンに変化があったことが伝わった結果のようだった。
話が広まるのが随分と速い。
一階層の温泉に建物を建てる計画は進んでいるけれど、段取りが悪い――冒険者たちが風呂がわりに好き勝手に入るし、中には周りの視線など気にせずにダンジョンの河原で素っ裸になるような人間もいる。
冒険者ギルドで温泉と建設中の施設の管理を仕事にする人間を求めているが、なかなかこれといった人物がいない。
二階層の牧場では許可を得た人間のみが狩りを行えることになったため素通りする冒険者が殆どだが、食材が増えたことで食事処のメニューが豊富になった。その中のいくつかはエリザベスが店主に教えたレシピなのだから美味しいのは当然で、収納魔法を使える冒険者が味をしめて密猟するのを避けるため、こちらにも通路以外には侵入制限付きの柵を建設中だ。
けれど工事をする人間が全然足りない。ダンジョンに潜るのは基本冒険者だけだし、彼らの目的は魔獣や素材だからだ。
エリザベスは二階層について誰でも気軽に入れてピクニックができるような場所にしたかったらしいけれど、仕方ない。
なにしろ二階層にはあの泉があるんだし。
リュカとウィリアムがエリザベスと潜った初日に汲んできたという水。温泉水の方はそうでもなかったけれど、泉の水で作った回復薬は、アリーが錬成したものでさえなんと通常の倍の回復効果を示した――しかもエリザベスが錬成したものはさらに効果が高く、簡単な呪いやステータス異常まで無効化したのだ。
泉の存在に気がついた冒険者は今のところいないけれど、小川の源泉をたどろうとする冒険者が出て、万一その効果に気づかれでもしたらきっと大騒ぎになる。
三階層の海には『クジラ』という魔獣が出た。やたら大きい上に基本的に深いところにいるため特性は不明だが、時々威嚇するように海水を噴き上げて尾びれで水面を叩く。
その話をした時、エリザベスは「絶対手を出さないで」と心配そうに眉を寄せた。
かなりの強者なのだろう――挑戦した冒険者は今のところいない。
すぐに冒険者ギルドに『クジラには挑むな』と通達が出されたけれど、幸い『クジラ』は浅瀬にはやって来ないので助かっている。
殆どの冒険者が素通りして次の階層に向かうが、この階でも許可を受けた人間は海産物を捕獲、収集して街の料理屋や商店に素材として持ち込める手はずを整えることになり、こちらも目下人員を募集中――。
ダンジョンだけでなく旨い食事と(現在は)無料の風呂とくれば、それだけでも冒険者を十分に惹きつける理由になるようだ。
そして人が増えればいざこざも増える。胡散くさい人間も増える。事故も起こる――冒険者同士のケンカに調停役として引っ張り出されるのはギルド職員かトリスタンか、それでもダメなら祖父だ。
夜間の酒場でのもめごとまでは対処しきれず、一晩に三回の呼び出しを受けた祖父が『酒の喧嘩で呼ばれた場合の処罰は自分に一任させてもらう。もちろんどちらの言い分も聞くつもりなはい。その場の好き嫌いで即決する。命のやり取りを覚悟しろ』と、翌日冒険者全員に通達を出した。
それで酒場での揉め事は減ったけれど、酒の席以外でだって普通に諍いは起こる。
冒険者ギルドでダンジョンに入れる時間は朝の九時から夕方五時までと決められ、診療所や薬局もその時間以外は閉店すると決めたけれど、ダンジョンはそれ以外の時間も閉まっているわけではないし、冒険者というのは基本全てが自己責任なのだから、潜るのを止めることはできない。
そしてそれがどんなやつらでもこのまま増えれば近いうちに宿泊施設が足りなくなるし、魔獣の出ないダンジョン低層での仕事がメインの就職が可能となれば、定住希望者も出て来る。
そこは当然誰でもいいというわけにはいかない。
王都から信頼できる人間を派遣して欲しいくらいだが、シュヘル領はその特異性からあまり人目を引きたくない土地だ。
ダンジョンに関係することは全て自分たちで采配する。それが基本。
つまり、今のトリスタンは(祖父もだけれど)ものすごく忙しいのだ。
当然だけれど、ダンジョンを埋める速さは鈍くなった。
ウィリアムとリュカとナイジェルとリディアが(ウィリアムとリュカは交代で)エリザベス特製の泉ポーションを持ってできるだけ深いところへ潜ってはいるのだけれど、祖父が潜れない日が増えたことがやはり大きいのだろう。
エリザベスはほぼ毎日アリアンヌとアントニーとリリアナの四人で診療所にいて、エリザベスとアリアンヌは薬の錬成や治療を行い、アントニーとリリアナは自分たちが帰った後のことまで見越して、大量の薬ビンの作成に勤しんでいるし、ビンに長期保存魔法を付与したりもしている。
彼らはときにはダンジョンに潜って束の間のピクニックを楽しみながら泉の水を汲んでくることもあるようだ。
四階層以深は薬草素材が増えた以外の変化はあまりないという話だったけれど、エリザベスが潜ったのが三階層までで本当によかったと思う。
もう二階層下まで降りていてそこまで不思議空間が広がっていたりしたら、毎日の診療所までの送り迎えの時間さえ取れなかったと思う。一緒に食事もできなかったかも――最悪、顔を見られない日ができたかもしれない。
そんなことになったらきっとあの二人に「領主夫妻は不仲だ」とか「妻をほったらかしにしているのは浮気性だからだ」とか、そんな噂をばらまかれていたに違いない。
そんなことは誰にも言わせたくない――。
あの二人が悪意ある噂を流したことでよかったことが一つだけあるとすれば、エリザベスとの距離が確実に狭くなったことだ。
沈んだ顔と小さなため息をどうにかしてやりたい――そんな気持ちでそっと肩に腕を回してみたのが最初で、それからは家との行き帰りを一緒に歩く時は肩を抱くことが増え、その日の友人たちのことやギルドでの出来事について、仲良く耳打ちをしながら歩くこともある。
そんな時の友人たちは必ず遠慮してくれるし、割り込もうとする人物がいる時は遠ざけてくれる――そんな大切な友人たちが帰ってしまうまであと一週間と少し。
その前にこの慌ただしさをもう少し落ち着かせることができるだろうか。
なかなか頭が痛い問題だ。
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毎日すごく大変なんだと思う。トリスタンは難しい顔をしていることが増えたし、食事の時に何か考えていることもある。
ウィリアムやリュカに話す内容も仕事の相談が増えた。
そんな状態なのに、ちょっと嬉しいとか――真面目な顔もカッコいいなとか――それなのに好物を口に運んだ時にふっと力が抜けて笑う顔は反則だよ~とか――思ったらいけないと思う。
確かに、しつこい冒険者二人のことは腹立たしい。
それにウィルとリュカにはもの凄く迷惑をかけていると思う。
キャサリンとナタリアにはしっかりお土産を持って帰ってもらわなくてはと思っているし、お祖父様に許可をもらってお祖母様のレシピブックからむこうでもできそうな料理をいくつか写本させてもらったし、ダンジョン産の魔石もお願いしてある。
――まったく、ろくでもない冒険者たちだ。
だけど、それ以上に――嬉しい。そんな自分を申し訳なく思う。
あの二人が現れた数日後の帰り道、トリスタンはあたりを警戒しながらエリザベスのことをいつもより近くに引き寄せた。『自分の』だっていうみたいに。それから毎日そうなのだ。
最初の日はステファンたちがいた時にカフェで男の人たちが声をかけてきたあの時のことを思い出した。
あの時もそうだったから。
「妻」だって言ってくれて、こめかみに軽く唇が触れた。だけどあの後はそんなことはなくて――あれはつまり、追い払うためだけの『振り』だったんだ。と、ちょっと気落ちした。
今回もそうなるのかもしれないんだから期待しちゃダメ。そう思いながら帰った。
だけど今回は、そうじゃなかった。
誰がいてもいなくても、今の二人の距離は変わらないし、ずっと近くなった。
誰かに見せるためだけじゃなくて、ちゃんと。
それがものすごく嬉しいなんて、本当に申し訳ない――。




