105. 噂を聞いて
ハンナさんに受付を任せ、三人でまずは薬の錬成に取り組む。
「お姉様、今日は新しいポーションに挑戦しましょう!」
嬉しそうな顔でそう言って、アリアンヌが見覚えのある水筒を二本取り出した。
「新しい? いいけど、それは何?」
「昨日ダンジョンの中で汲んできたんですって――こっちが泉の水。で、こっちが温泉のお湯だった水。ちなみに彼ら、今日は生卵を持って行ったわよ? 『温泉卵』を作るんですって。お土産に持ってきてくれるって言われたんだけど、それって何?」
ウィリアムとリュカ。なんて抜け目ない。
温泉で茹でて食べる卵のことで、茹で時間と温度によって硬さが変えられて楽しいのだと説明すると、アリアンヌとリディアが「おもしろそう。やってみたい」と笑った。
「とりあえずいつもみたいに一番簡単な怪我用のポーションで試しましょうか。薬草を持ってくるわ。リディア、薬ビンと火の準備をお願いしていい? アリーはポットを」
「「は~い」」
材料は乾燥させた薬草か生の薬草かという違いだけでも効き具合がずいぶん変わってくる。もちろん分量も変わるので、白魔法使いは材料の仕分けにはものすごく慎重だ――ただしエリザベス以外は。
「相変わらず、お姉様の仕分けは凄いわ――」
「乾燥度合いが絶妙よね」
エリザベスの錬成は、通常の白魔法を使うアリアンヌとはかなり違う。
まず倉庫にある素材から必要な物を運ぶ。
見た感じの色艶や香り、触れた時の質感を見ながら選ぶようにはしているけれど、そこはあまり重視しない。そんなことをしなくても触れた素材自体がエリザベスの魔力を吸収してそれぞれの状態をベストに持って行こうとするからだ。多少の劣化は気にしなくていい。
便利だし仕上がりに差は出ないけれど、適度な素材がなかったりすると錬成前の時点でごっそり魔力を持って行かれることがある。
アリアンヌは倉庫に入れる前の準備段階からこだわる。乾燥のさせ方、収穫の時期、産地などでも仕上がりが変わってくるという。綿密な計算と軽量、呪文によって一定の錬成が行えるところも違う。使う魔力も一定だし、仕上がり量も効き方も一定の、正統派の錬成だ。
「お姉様がいると、素材の質を気にしなくていいからすごく楽」
エリザベスが持ってきた材料の中から自分が必要な物を必要な分だけ計り取って、アリアンヌがナイフを動かす。
刻む、すり潰す、揉み合わせる。アリアンヌは呪文を呟きながら作業する。すでにずいぶん慣れた手つきだ。
エリザベスはその過程を祈りながら行う。そんな所も違う。
この薬を必要とする誰かのために。役に立ちますように。痛みが減るように。苦しみが減るように。
「錬成をしているときのエリーは指先が光っているみたいに見える」
ナタリアがそう言っていたことがある。
「よし、と。煮出してみましょうか」
リディアが用意してくれていた錬成用の小さなポットに泉の水を入れて加熱する。隣で温泉水の方も過熱する。
縁に水蒸気の泡が付き始めたタイミングで準備した素材を入れ、沸騰させないように一定の炎を当て続ける。そこはリディアが代わってくれた。
炎の魔法に適性があるリディアはその程度の調節は余裕でこなす。アリアンヌも得意だ。
けれど実はこれを黒魔法でやろうとするとエリザベスにはけっこう難しい。火加減を調節するのが苦手なのだ。
だからエリザベスが一人で錬成するときはそこも白魔法――というか、聖魔法なのだと思う。煮だしながら祈る内容は材料を準備しているときと同じだし、それで特に問題はない。……そう考えると料理の火加減もエリザベスの場合は聖魔法なのかもしれない。
そんなことを考えながら使い終わったぶんの器具を片付ける。
くつくつと煮込んで出来上がった緑の液体は……正直マズそうなのだけれど、しっかり濾せばいつもと同じ薄い黄緑色になった。
ちなみに怪我用のポーションは緑系で、病気用は青系である。
「どうかしら。何か違うかな」
薬液が冷めるのを待ちながら、自分の分の錬成を終えて同じように薬液を濾しているアリアンヌとお互いの薬液を比べてみる。
急速に冷やすよりもゆっくり冷ます方が効果の高い薬になるので、エリザベスもアリアンヌもこの過程は急がない。
リディアがお茶を淹れてくれ、のんびり待ちながら温泉の使用について相談した。
「お風呂だもの、基本は男女別よね」
「『基本は』って?」
リディアが不思議そうな顔になった。
「『記憶』の温泉には水着を着ていれば男女一緒に遊べるやつとかがあったのよ――でも、泳いでいる人を見たことがないし、水着も見たことがないし――きっとここではそういうのはないのよね」
二人とも驚きの顔だし、ないのだろう。
「温泉が川になってたから、浮き輪に乗って流れを下ったりしたら楽しいだろうなって思ったんだけど――」
リディアはもっと驚いた顔になった。アリアンヌもだ。
「まあ、ここだとできるとしても家族風呂よね。でもダンジョンに家族で潜る人なんていないか……カップルならいるかしら?」
ぐっとハードルを引き下げたのに、二人はさらに驚いた顔になった。
「何? 何が問題なの?」
「それって……家族とか、夫婦で一緒にお風呂に入るの?」
「ええ。家族風呂だものもちろんそうよ? 男女別のところよりは小さい浴槽があって――子ども連れだと、小さい子が走り回ったら危険でしょう? 騒ぐと周りの目も気になるし、そういう配慮からなのよね」
エリザベスが『記憶』へと思考を飛ばしているのを、二人が疑いの顔で見つめた。
「エリーの『記憶』って無茶苦茶なのね……」
小声でささやき合う。
「夫婦でお風呂って、すごく退廃的な響きだと思うわ……バスタブの大きさ的に大変そう……いや、そうでもないのかしら?」
アリアンヌが首を傾げ、リディアの目が大きくなった。
「え? そうでもないの?」
「だって、膝に乗せてもらえばいいんでしょう?」
聞かれてリディアの頬が染まる。
「向き合うのかしら?」
返答のないままアリアンヌが首を傾げた。
「え、えええ? アリー、うそ、そういうの、考えるの?」
「考えないの? 私の結婚よりリディアの方が先でょう? 来年?」
ひそひそ声で話は続く。
「私、お風呂のことのなんて考えたこともなかったわ――それに私、婚約もまだよ。アリーの方が早いんじゃないの? 婚約も済んでるんだし、来年早々十六歳になるんでしょう? ユージーン様、待ちたくないんじゃないの? 二十代が残っているうちに結婚したいんじゃないかって、うちのお父様が言ってたわよ」
小声でのやり取りはまだまだ続く。
会話には加わらず、バスタブなんて比べ物にならない大きさの浴槽を思い浮かべて、温泉の建物について考察しているエリザベスの思考の方がはるかに健全であることを二人は知らない。
「まあ……花嫁修業は始まってるけど……実は今回お姉様にいろいろ聞けるかと思ってたのよ。お義母様じゃ頼りないから」
「……それナタリーに聞いた方がいいわよ、たぶん」
「とにかく、建物は必要! 男女別で、排水をどうするかも――私じゃ無理ね。ちゃんとした職人が必要だと思う」
うんうん、と頷きながら結論に達したエリザベスに、「そうね」「私もそう思うわ」と、同じように頷いて同意した二人だった。
「二階層の動物はね、羊と肉牛がいたわ。羊って、毛糸を取る以外はどう活用するのかしら……ジンギスカンって羊だったと思うんだけどな……」
話題が温泉から牧場に移った時だった。
「あの、すみません。奥様……」
ノックの後でドアが少しだけ開いて、ハンナさんの控え目な声がした。
「なあに?」
話を中断して受付に通じる扉の方を見る。
「二人組の冒険者の方たちが、『奥様に会いたい』っておっしゃってるんです。身体に不調があるわけではなさそうで、何の用があるのかと聞いたら、『顔が見たいだけだ』って……どうしましょう」
「知ってる人たち?」
「いえ、来たばかりのようです」
三人で顔を見合わせる。白魔法使いの顔が見たいだけの冷やかしだろうか。
そんなことを思いながら椅子から立ちあがって、作業場から受付側に向かう。その後ろからアリアンヌとリディアも続いた。
「何の御用ですか?」
かけた声に反応してこちらを見たのは、見覚えのない男性二人。
二人とも筋肉質で背が高い。片方は赤毛でもう一人は黒髪だ。いかにも冒険者といった体つきで、腕も脚も太い肉体派。
腕にはびっしりと刺青が彫ってあった。
堅気に戻りたいからこの刺青を消して欲しいとか――そんな依頼だったら消せるだろうか? そんな疑問が頭をよぎる。
二人ともエリザベスよりは頭一つ半くらい大きそうで、小柄なアリアンヌよりは更に頭半分ほど大きい。
こちらを見た驚きの顔がにやりと笑った。
「へえ、あんたが追放されたっていうお嬢サマか」




