104. 各自の仕事
「おはようございます。お祖父様――あの、私昨日考えたのですけど」
翌日の朝、シュヘル邸で祖父に会うなりエリザベスはそう言って。
「私がいる限りダインジョンの低層階に魔物が出ないなら――トリスタンも一緒に行っても大丈夫、ってことになりませんか?」
と続けた。
「せっかく温泉とか草原とか海とかが出たんだから一緒に行けたらな、って思って――」
それぞれに弁当を渡しながら言うその背後でトリスタンはほっと息を吐いて、同じようにウィリアムとリュカが安堵の顔で息を吐いたことに気がついた。
気づいたのは祖父だけではなかったらしい――そしてやっぱりそういう(・・・・)ことだったか、と納得した。
じろりと祖父を睨んでも祖父はどこ吹く風、視線はあっさりと交わされた。
「そうじゃのう……まあ、そこはしっかり調査してからじゃな」
のんびりとした調子でごまかして弁当を受け取って、祖父が笑う。
「今日の弁当はなんじゃ?」
「特製煮卵入りのおにぎりです。柔らかめの半熟に自信ありですよ! トロっとなるから気をつけて食べてくださいね。南瓜は煮物にしました。小エビと小松菜の炒め物と、茸のミニグラタン――煮物とグラタンは温めた方が美味しいと思います」
エリザベスがにっこり笑う。
祖父が相好を崩した。
醤油ベースの出汁に漬け込んだ煮卵は祖父の好物で――もちろんトリスタンも大好きだ。なんだかんだで食の好みが祖父と重なっている。
エリザベスも『記憶』のせいか東洋の味付けをけっこう好むので、トリスタンと祖父の好みはとても助かるそうだ。
「ウィルとリュカのお弁当には器とスプーンも入れておいたわ。煮卵のおにぎりは慣れないと最初は大変なの。食べ方はナイジェルが知ってるから聞いてね。帰ってきたら感想を聞かせて――。
夕ご飯は豆腐のスープと小籠包と餃子を作るわ――アリーとリディアもいるから、先に皮と具だけ作っておいて夕方に包んで蒸したり焼いたりすればばっちりだと思う。もし早く帰って来られるなら手伝ってね。
ナイジェル――帰りに鶏肉をお願いしてもいい?」
「わかった――鶏は明日の夕食? フライドチキン? それともローストチキン?」
食材を頼まれたナイジェルが嬉しそうに聞く。
「フライドチキン、かな。ローストチキンは王都でも食べられるでしょう? ここにいる間はここだから食べられるってメニューを出したいし――手羽元は大根と煮ようかなって」
「じゃあ、手羽先、アレにしてくれる?」
「いいわよ。分解までやってくれるなら」
「やった! 了解! 多めに獲ってくるよ」
――もうすっかり慣れたものだ。
ナイジェルは手羽先をカラッと揚げたものをニンニクと醤油の甘辛のタレに漬けたやつがものすごく気に入っていて、鶏を手に入れるたびに作って欲しいと頼んでいる。
リディアはもうレシピを見ずに作れるだろう。
祖父の方も楽しそうに、ダンジョン内で鶏も飼えるのではなんていう話をエリザベスとし始めた。
それぞれ弁当を持って別れる。
祖父とトリスタンがギルド回りに。
ウィリアムとリュカとナイジェルがダンジョンに。
エリザベスとアリアンヌとリディアが診療所に。
アントニーとリリアナがトリスタンたちの家に。
今日のマリーはエリザベスたちを診療所に送った後は終日別行動だそうだ。
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診療所組はナタリアたちがいた間にダンジョンや山野で集めておいた薬草類を仕分けして薬を錬成する。ちなみに薬草買取キャンペーンは引き続き展開中――そしてなかなかの集まり具合。
薬局の常備薬として風邪用と怪我用をそれぞれ用途や段階を分けて用意するのが現在の目標だ。
「重症の時は仕方ないけど、軽症の人にはできるだけ自己治癒能力を高めるほうを重視した薬を出したいの――治るまでにかかる時間は増えるかもしれないけれど、その方が本人の身体に合ってるはずだから。それに治してもらえるからいいや、って適当に放置したり簡単に怪我をするようになっても困るし、私の魔法は極力使うなって言われてるし――」
エリザベスは並んだ小さなガラス瓶を見やった。
薬棚には既に何種類かの薬が揃い始めていて、風邪なら熱なのか咳なのか喉の痛みなのか――全てをカバーしようとすると材料も多くなるし錬成も格段に難しくなる。もちろん値段も跳ね上がる。
基本は飲み薬だけれど塗り薬もあって、虫刺され用や打ち身などの怪我に使う湿布薬代わりの物もある。強さも様々だ。
三人が薬を錬成する間受付にいてくれるのはもともとここで働いていた白魔法使いの女性で、ハンナさんだ。
三十代後半といった感じの彼女は、同じく白魔法を使う旦那さんのワルターさんと一緒にここで治療師の仕事をしてくれていて、二人の子持ちだ。白魔法で治さなければならない患者が減ってとても楽になった、と喜んでくれている。
薬が揃い始めたことを冒険者ギルドで話してもらったので、ダンジョンに潜る前に薬を買っていく冒険者が増えたのだ。
そのおかげで死にかけでダンジョンから出てきたり担ぎ込まれたりする人も減ったらしい。
魔法を使う時は魔力頼みなのだから嬉しいのは当然だと思う。ただでさえ白魔法使いは少ない。薬で治せるものなら薬で治し、魔力はいざという時のために残しておきたい。それはいつ急患が運び込まれるかわからない状態で白魔法を使う者の常だ。
今のところエリザベスが人に直接治癒魔法を使ったのは二度だけだ。
一度目は腕を切り落とされたソロの冒険者で、腕も持って出てきたのだが、切り落とされた腕の方の損傷が激しすぎて、通常の手段では繋げなかった。
――治癒の際にその目に何が映ったのかは定かではないが、あきらめることしかできない状態だった腕がきれいにつながったあとは女神でも見たような眼差しでエリザベスを見つめた後で『治療に関しては絶対に口外しない』と約束してくれ、その数日後には「郷里に帰ることにした」と言って去って行った。
二度目は呪いを受けた冒険者だった。
パーティの仲間に連れて来られた彼は、二十三階層で狼の魔物と闘って倒した際に呪いを受けたとのことで、人の言葉が話せなくなっていた。
言葉が出ないだけで精神状態は普通でおとなしかったのが不幸中の幸いで、とりあえず一週間入院してもらうことにして、仲間には帰ってもらい、ホルストを呼んだ。
呪いを受けた者が来た時はそうするように、と言われていたからだ。
ホルストはその時も受付をしてくれていたハンナさんに「トリスタンを呼んで来てくれ。ゆっくりな」とだけ言って使いに出した。
診察室兼処置室に入ってきたホルストを見た彼はものすごく怯えて、突然逃げ出そうとした――それをホルストが魔法で押さえつける。
「怖がらんでも別にとって食いはせん。お前のもらった呪いを見に来たんじゃ――ふん。これは必要ないのう――まあ仕方ない。これはわしが引き受ける――今からやることは他言無用じゃ。口に出したら命はないと思え。それから一週間は具合が悪い振りでここでおとなしくしておるんじゃ。いいな?」
まるで魔王さながらの威圧感でそう言われた男性が、わかっているのかいないのか涙目で何度も頷く。
それからホルストはエリザベスに向き合った。小声で「こいつから呪いを引きはがしてわしに移す――直接完治させるとおそらく惚れられるで、面倒じゃ。とはいえ、たいしておもしろい呪いでもなし、わしも欲しくはない。だが残されるとこいつも困るじゃろうから、呪いをわしに移した後で簡単に治癒をしてやってくれ。その後でわしの方の解呪を頼む。体調がすぐれんかったんで治癒魔法を行ったことにするんじゃ」と簡単に説明した。
で。
その後ホルストは「エリザベス、お前、ちいと出とれ。静かになったら入ってきてええのでな」と診察室からエリザベスを追い出して、呪いを引きはがす作業にかかったのだけれど。
診察室から響く狼の苦痛の声は――聞いているだけでも堪えがたく、やっと静かになった後でエリザベスが中に戻ると、男性は治療用のベッドの上で苦悶の表情のまま失神していた。
小さく頷いたホルストに頷き返して男性の手を取り、額に押し当てる。
幸いたいして魔力を奪われることもなく、男性はすぐに意識を取り戻した。呆然とした顔でエリザベスを見つめ――そのままエリザベスの方にもう一方の手を伸ばして――エリザベスの背後に目をやると、びくりと震えて手を止めた。触れていた方の手を勢いよく離すと、自分が横たわっていたベッドの向こう側に飛び退く。
治癒魔法を使ったばかりなのにまたしても顔から血の気が引いていた。
「入院患者用のお部屋は廊下に出て左です。今は空いていますから、どれでも好きなベッドを使ってくださいね」
ものすごい勢いで出て行く。
空いたベッドに無言のままのホルストが座った。
いつものように差し出された手を取って、これも同じように額に押し当てた。
――元気になりますように。
祈りと共にすっと魔力を抜かれる感覚――でも、そんなに辛くない。気を失うこともない。
「お祖父様、今回のは――?」
不思議に思ってそう聞くと、ベッドに座ったままのホルストが優しく笑った。
「まあ、大した呪いではなかったのでな。所詮二十三階層――」
笑顔が悲しそうに曇った。いつもは一体どこまで潜っているのか。
「ジジイ! 何があった? エリザベスは――!?」
沈黙の空間に駆け込んできたトリスタンに、あからさまに嫌な顔をする。
「うるさい。たいしたことはないわい。ちっと腰が痛んだだけじゃ。わしは入院中の患者の様子を覗いて、無茶はせんようにと釘を刺してから帰るでのう。後は頼むぞ、トリスタン」
「は? え? 後はって――本当に大丈夫なのか?」
まだ心配そうなトリスタンに苦笑する。
「エリザベスに付いておれ。軽く治してもらったので魔力が減っとるはずじゃ。黒豹にはなるなよ。ここにはあれがお前だと知っているものは殆どおらん。見つかったら騒がれて狩られるぞ」
それだけ言って、本当に腰痛持ちなのかと目を疑うような軽い足取りで出て行った。
五分後、エリザベスは診察室の奥にある、薄いカーテン越しにやわらかな日の当たる長椅子に座ったトリスタンの肩に持たれて半分眠っていた。
その髪をそっとトリスタンが撫でる。
そんな二人を戸口から見たホルストは、受付に戻っていたハンナさんが目を疑うような笑みを浮かべて、満足そうに帰って行ったのだった。




