103. 違う
妖怪ジジイの許可が出る――それがいつかなんてわからない。やらなければならないことは山のようにあって、できないことが大半だ。
ダンジョンの外でやる領主の仕事はそれなりに多いし、今の自分の課題――自分の魔力でどれだけの魔法が使えるのか調整する――はけっこう難しい。
魔力が落ち着かないのだ。
ダンジョンがあるせいじゃ。と祖父は言った。
「お前の血がダンジョンに呼応しているせいじゃ。しっかり鍛錬せいよ。慣れれば魔力を自在に引き出せるようになる――それこそ無尽蔵に。だからこそ調整力は重要だ。どうしても必要な訓練じゃ。下手をしたら街ごと崩壊させかねん」
祖父は一センチほどの小さな水球から空を覆うような巨大な水球までを次々と出現させては消しながら、随分と厳しい顔をした。
「わしらはのう、この土地にいる限り誰にも負けるわけにはいかん――」
ダンジョンの調整者が倒れるわけにはいかない。
それは確かにそうだと思う。
「いつまでも手伝ってはやれんぞ」
祖父がいつまでも元気でいるわけではない。
それも確かにそうだと思う。
今日もアントニーとリリアナが仲良く保管庫の付与魔法に取り組んでいる間、トリスタンはずっと外で魔力調整の練習をしていた。
普段もそうだ。
エリザベスが診療所で薬の錬成や怪我人の治療を行っている間、トリスタンは領主としてやるべき仕事を覚えることに加え、殆どの時間を魔術か剣術の練習に使っている。
リュカに言ったような農作業もやるけれど、それはほんの一部だ。
剣術はダンジョンに潜らない時にナイジェルが手伝ってくれている。
ダンジョンに潜るようになってからのナイジェルは随分力を伸ばしていて、正直羨ましい。
素地があるのはもちろんだけれど、魔獣と闘う度に得られる経験値のおかげで成長が早いらしい。「まずは『十五階層』を余裕で動けるようになりたい。将来的には二十五階層」と、目標を立てている。
自分も一緒に潜れたら、あんなふうに実技を伸ばせるんじゃないか――そう思う。
それなのに祖父は頑なにトリスタンをダンジョンに入れようとしない。
「複数が入ると『融合しやすい』でのう」などと訳の分からないことを言って許可しなかった。
ダンジョンに変化が起きやすくなるのは困るということだと思う。
羨ましいし納得はいかないが、「新妻を泣かせたいか」と言われれば首を横に振るしかなかったし、今日エリザベスが入ったことでかなりの変化があったのは聞いた通りだから、トリスタンが入ることで起きる変化もきっとあるのだろう。
それでも時折やって来て手合わせをして行くあのジジイと自分の力量には、未だに天と地ほどの差があるのは事実だし「まだまだじゃな」と言われるたびに腹も立つ。
「まだまだ」ダンジョンには入れられない。「まだまだ」領主として立つことはできない。それはつまり「まだまだ」エリザベスの夫としては認められないということで――そのせいもあってさらに自信を無くしていた。
自分がエリザベスを落とせばいい。アントニーが言っていたような強気の発想になれなかったのはそのせいもあると思う。
誰もいないから今ならいいか、と少し深いため息を吐く。
祖父と一番違うのは威圧感だ。それは実戦経験の差がかなりあるはず――そうではないとしたら自分の不甲斐なさに目も当てられない。
「まだまだ、じゃの」
祖父はそう言って毎度毎度、にやりと笑って帰って行く。
「くそっ。あの妖怪ジジイ……」
もう一つため息を吐いて椅子に座った。水色の石を見つめる。
おそらく、先は長い。
「わかってる。できないことだらけだ……こんなことで、いつになったらちゃんと――ん?」
自分が呟いた言葉に、ひっかかった。
いつになったら。
気がついた内容に、頬に血がのぼる。鼓動が速くなる。
伸び悩みの自分の力量はともかく――トリスタンがダンジョンに行けるようになる条件――エリザベスが知っているそれは、子どもが三人できるまでは。じゃなかったか?
「うそ、だろ?」
ジジイが言いたかったのは、あれは――誘いの言葉だってことか?
「いや、いやいや、違う。絶対違う」
どう考えても、エリザベスはそういうタイプじゃない。
今日だって、呼び方を『エリー』じゃなく『リジー』にして欲しいって口にするだけであんなに躊躇っていた。
手をつなぐとか、腕を組むとか、それだけであんなに慎重になっていたんだ。
そこを勘ぐるのは違う。
だってあんなに簡単に散歩に行く誘いみたいにあっさりと――だからこそ自分もそんな感じで返事をしたわけで。
「違う……だろ? 違うよな?」
テーブルに額をぶつけたくなる――いや、自分のじゃなくてあの妖怪ジジイの頭をぶつけた方がいいのかもしれない。
~~~~~~
「あれは、違うよな?」
その頃、シュヘル邸。
昨晩に引き続き、顔を合わせた二人が少し気まずそうに言葉を交わした。
「あれは違うだろ。絶対違う」
「だよな――トリスタンが気づかなくてよかった」
「いや、むしろ気づけよ、って思うけど」
「いや、気づいたら後が大変だろ――エリーが」
「あの時の祖父さんの顔、見たか?」
「……」
「て、ことは見たんだな……」
「まあ、俺たちは十分がんばったってことで、あいつらのことはもうほっといていいだろ?」
「だな。俺もそう思う」
『ひ孫の顔を見るため、機会があったら焚きつけて欲しい』と、着いて早々老シュヘル卿からこっそり頼まれていた二人だったけれど、今夜は短く切り上げてそれぞれ部屋に帰ったのだった。




