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世界の終りまで君と  作者: 佑
第二部 第三章 誰かのために
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102. 特別な呼び方

 『言葉も嬉しいけど、笑顔一つだって嬉しいし、何気ない会話とか、手をつなぐとか、じっと見るとか、髪に触れるとか、お互いに特別な呼び方をするとか、ただ隣にいるだけだっていい』


 手をつなげるようになった時のことを思い出す。

 あの時はそう、異性と腕を組むのはありなのかって話から手をつなぐのはダメかって聞かれたんだった。


 最初に聞かれた時は他の女性に腕を取られたトリスタンを責めているのかと思った。

 けれどそうではなくて、エリザベスもそういうことをしていいのかという意味だった。

 好かれているのか、それともこれも自分の妻としてここで暮らせるかどうかの確認の一環か――つまり試されているだけなのか――それから一週間ほど、トリスタンはかなり悶々とした。


 そしてようやく――好かれていると思っていいんじゃないか、と結論付けた。

 ヘタレ? うん……そうだと思う。

 くやしいけれどアントニーの言った通りだ。

 認めたくはないけれどそこは認めるしかない。

 祖父のあの発言以来、自分は尻込みしている。それなのに落とされる――何も返せていない。


 寝室のトランクに入れっぱなしの贈り物のことを考える。

 こっちに来たらエリザベスにそれを見せて、笑い話つきであらためて受け取ってもらおうと思っていた。


 ……けっこうな量、だと思う。


 エリザベスが物をもらうことを喜ばないのはわかっていたし、トリスタンだってあれもこれもと集めたわけではない。

 けれどそれでもこれまでの――七歳からの長い年月、トリスタンにだってエリザベスに贈りたいと思う物はあったし、それだけの時間が経つと量も……それなりに増える。


 幼かった頃はレースのリボンやきれいな絵の描いてあるカード、ピカピカの貝殻だったりもした。


 黒豹でいた頃は、そういった物を見つけると祖父に頼んで手に入れてもらった。

 本や食べ物は祖父からだと言って渡してもらったし、装飾品にも流行りがあるし年齢に見合った物があると気づいてからは同じように渡してもらったものもある。


 けれど、いつか渡せるようになった時のためにと残しておいたものも多いのだ。

 

 ――自分に戻ってからはちゃんと自分で買ったり、加工したりもしたし。

 ここに来ると決めてからはもっと増えたし、来てからだって――小さな花以外の渡せていない贈り物は増えるばかりで少しも減っていない。


 その最たるものが婚約の指輪と結婚指輪だ。


 この世界には結婚相手に特別に指輪を贈る風習はない。

 アクセサリーは贈るからもちろん指輪やネックレスをもらう女性は多いけれど、それは結婚していることを表しているわけではないことが多い――特定の相手がいるんだな、という目印にはなるけれど。

 トリスタンがその二つを用意しようと思ったのは、黒豹時代に聞いたエリザベスとアリアンヌの会話からだ。それらはエリザベスの『記憶』の中ではとても大切なものだった。


 結婚の指輪はシンプルな金でずいぶん前に準備済みだ。

 婚約用の指輪は……残念ながらまだできていないけれど。

 

 ウィリアムには渡せない、と心に決めた日の翌日から探して――両方の祖父にも頼んで、エリザベスの瞳と同じ色の石を探してもらった。けれど、なんだかどれも違うような気がして……その結果、実は似たような色の石だけが手元に六個もある。


 加工さえできていない。それも情けない。


 渡したらどんな顔をされるか、怖じ気づいているせいもあると思う。


 前の婚約の時、エリザベスはウィリアムが用意した指輪を――ウィリアムがエリザべスの『記憶』のことを知っていたわけではないはずだから、そこは単なる偶然のはずだ――慌ただしい婚約式の後でウィリベリー公爵経由で贈られたそれを嵌めることはなかった。


 トリスタンが起こした魔王騒ぎのせいだ。

 エリザベスがそれを嵌めずに済んだのはトリスタンにとっては実に喜ばしいことだった。


 けれど。


 ――けれど、あれを見た時のような表情がエリザベスの顔に浮かんだら。

 作り笑顔の後ろにあったのは、自分を繋ぐ鎖を見る諦めの表情だった。

 ウィリアムはそれを遠慮だと思った――だけどウィリアムが気づかなくても、あれに自分が気づかないわけがない。


 また頭を振って後ろ向きな考えを追いやろうと努める。


 だけど今日もエリザベスはその特別な力で次々と回りを驚かせていて。

 温泉に牧場に海……毎日落とされるばかりの自分が不甲斐ない。


 またしてもトリスタンが自己嫌悪に陥りそうになったところに、アントニーの台詞が甦った。


 『お前がやるべきなのは、エリーを手放すときの準備じゃなくて、エリーがお前から絶対離れたくないって思うところまで落とすことだ』


 テーブルをはさんだ斜め前の席で隣のリリアナと楽しそうに話しているアントニーを見る。腹立たしいけれど、リリアナが幸せそうなのは確かだ。


 『エリーは自分は愛されてないんじゃないか、なんて思う暮らしをさせていい女性(ひと)じゃない』

 『言葉じゃなくても、エリーは精一杯伝えてるだろ? どれだけ大事にされてるんだよ――正直腹立つぞ。いいか、次はお前が動く番だ』


 どんなに腹立たしくてもアントニーの言ったことは正論だと思う。


 『試されているんじゃなくて好かれているんだ』そう思ったからには次は自分が――その通りだ。

 いつまでも黒豹以下に甘んじてはいられない。

 エリザベスが自分と一緒にいたいと心から思ってくれたら――そう思わせられればそれでいいんだ。


 添えてある黒コショウをクリームコロッケに振りかけながら一人頷く。


 祖父(じじい)の言葉に動揺して随分方向性を見誤っていた。


 とはいえ何をどうしたら――いやいや、とにかく小さな一歩からだ。

 このクリームコロッケに添えられた黒コショウみたいに小さくていい――小さくてもちゃんとした好意。それを伝えるところから重ねていこう。




 その日も手をつないで一緒に帰った。


 『治療』がいると言ったのだから後ろから祖父がついて来ているのだろうが、姿は見えない。恐らく声も聞こえないだろう。――たぶん。


 トリスタンはそっと深呼吸をした。


「あのさ、エリザベス?」

「なに?」

「あの――」


 信頼の目で見上げられて言葉が止まってしまったのを、咳払いでごまかす。

 視線を進行方向に戻した。


「あのさ、もしよかったら、なんだけど――」

「うん?」

「俺――俺も、みんなみたいに、エリーって、呼んでもいいかな――」


 情けないほど小さな歩み寄りだ。アントニーに知られたら間違いなくまたヘタレって言われる――だけどきっとこれなら断ったりしないだろうし、まずはここから――。


 そう思って言った言葉だったのに、返事がなかった。

 エリザベスの足取りが遅くなって、やがて止まる。

 自分も一緒に止まった。


 まさか、嫌だとか。


「あの、エリザベス? 嫌なら、無理にとは――」


 かなりショックだけど。

 情けない気持ちで、進もう、と促すと、エリザベスはなんだか慌てた感じで喋り出した。


「ううん、そうじゃないのっ。あの、あのね、嫌なんじゃなくて、あの、ええっと、もしよかったら、なんだけど、トリスタンには、『エリー』じゃなくて、その……『リジー』って、呼んで欲しいなって――」

「え?」


 嫌だったわけではない、んだ。


「あの、ほら、『エリー』は、みんなも呼ぶし、学院でもそうだったし。私、実は自分の名前、偉そうで好きじゃなくてっ。だけど、『ベス』だと、前にお義母様やサリーに呼ばれていた時のことを思い出しちゃうし。『リズベス』でも、いいんだけど、でも、どっちかっていったら、小さい頃に本当のお母様が呼んでくれていた『リジー』の方が、嬉しいかなって――でも、もちろんトリスタンが好きなように呼んでくれてかまわないのよ、もしよかったら、ってだけで」


 なんとなく挙動不審になって口数が増えているエリザベスは、とてもかわいい。

 そしてその呼び方は『特別』なんだってことがわかる。


 深呼吸を一回。そして空を見上げる。


 つまり今日も最後まで自分が落とされるんだな――。


「行こう、リジー」


 つないだ手にちょっとだけ力を入れて促すと、ふにゃ、とエリザベスは笑顔になった。

 くそ、またしても――かわいい。

 さっきのが最後じゃなくて、さらに追加で落とされるとか、ホントにかなわない。





 祖父への治癒魔法の後でいつものように眠ったエリザベスをベッドに残して階下に戻ると祖父が――とっくに帰ったと思っていたのに、自分を待っていた。

 この上ない笑顔つきで。


 こうなると正直嫌な予感しかしない。


「なんだよ――いや待て。しょうもないことなら言うな」


 一度は聞いた質問をひっこめる。

 近くにいたわけじゃないだろうが、きっと帰り道での会話を聞かれたんだな――そう思った。


 からかわれるのもたくさんだけど、はっぱをかけられるのもたくさんだ。


「しょうもないことなんぞではないわい――お前、食事の時のエリザベスの言葉をちゃんと聞いとったのか?」


 笑顔のままで祖父が聞く。


「は? 食事? いったい何の――」


 帰り道のことじゃないのか。


 小さな進歩をからかわれるわけじゃないとわかってちょっと興味を引かれた。

 祖父が身振り付きで「まあ、座れ」と言ったので向かいに座る。


「お前、今日ダンジョンに誘われとったじゃないか。『一緒に行こう』と」

「ああ、それがどうか――」

「お前は『楽しみ』じゃ、と返事をしとった」


 笑顔が深まる。


「だから、それがなんだって――」


 わからないままに聞き返したら祖父はなぜか長々と息を吐いた。


「もうええわい。わしは帰る。だがな、トリスタン。お前がダンジョンに入れるようになるのはいつだ?」


 それだけ言うとテーブルに小さな袋を置いて背を向けて出て行った。


「なんだよ、いったい――」


 さっさと帰ってくれたのはよかったけれど、わけがわからない。

 とりあえずテーブルの上の小袋を開けて逆さまに振ってみる、と。


「あ」


 微かな音を立てて小さな澄んだ水色の石が転がり出た。

 エリザベスの瞳の色――。

 直感が、これだ、と思った。


 今くれたってことは、今日ダンジョンで出たってことだろう。


 お礼を言い損ねた。


 今日はシュヘル邸に行く前に鶏の世話を済ませたので家の戸締りだけだ。

 鍵を確認してテーブルに戻り、立ったままで小さな石を見ながら言われた言葉の意味を考えて、ちょっと息を吐いた。


 自分がダンジョンに入れるようになるのがいつかなんて、よくわかってる。

 それは冒険者登録が済んでから――つまり妖怪ジジイの許可が出てからだ。

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