第七話 境界技師と呼ばないで
翌朝、俺はギルド二階の小部屋で目を覚ました。
天井は木目。
窓の外は朝焼け。
体は、鉛を詰められたみたいに重い。
「起きましたか」
声の方へ顔を向けると、椅子に座ったリナさんがこちらを見ていた。
目の下に薄い隈がある。
「リナさん、寝てないんですか」
「少しは寝ました」
「嘘ですね」
「ミナトさんに言われたくありません。昨日、倒れる寸前まで動いていた人に」
正論だった。
俺は体を起こそうとして、すぐに諦めた。腕に力が入らない。
「どのくらい寝てました?」
「昨夜からです。半日近く眠っていました」
「そんなに……」
「その間に、街中で噂になっています」
「噂?」
リナさんは少し困った顔をした。
「境界技師、って」
「誰のことですか」
「ミナトさんです」
「違います」
「私もそう思います。でも、酒場ではもう呼ばれているみたいです」
頭が痛い。
昨日の痛みとは別の種類だ。
「俺は技師じゃありません」
「たぶん、そう言うと思ってました」
リナさんが小さく笑う。
その時、扉が叩かれた。
「入るぞ」
レンさんだった。
昨日折れた短剣の代わりに、腰には予備らしい短剣が差してある。顔はいつも通り怖いが、目の奥に疲れが見えた。
「起きたか、境界技師」
「やめてください」
「なら倒れるまで街を救うな」
「救ったつもりは……」
「その返しが一番腹立つ」
レンさんは椅子を引き、俺の前に座った。
「動けるか」
「歩くくらいなら」
「なら聴取だ。ギルド長と神殿の者が待ってる」
「今からですか」
「お前を寝かせておきたいのは山々だが、北門の結界が割れた。廃坑の異常も続いている。先に聞けることだけ聞く」
リナさんが心配そうに口を開く。
「レンさん、もう少し休ませた方が」
「俺もそう思う。だが、こいつにしか見えないものがある」
その言い方には、昨日までより少しだけ信頼が混じっていた。
俺は布団から足を下ろした。
「行きます」
会議室には、四人が待っていた。
白い法衣のセリアさん。
年配の神殿書記。
灰色の髭を整えた大柄な男。北門守備隊の隊長だと、リナさんが小声で教えてくれた。
そして、机の奥に座る女性。
短い銀髪。鋭い目。冒険者というより、刃物を人の形にしたみたいな雰囲気だ。
「来たか」
女性が口を開いた。
「私は北門支部ギルド長、ガルナだ。まず言っておく。昨日の件、北門はお前に借りがある」
「俺は見えていたものを――」
「見えていたものをどうにかしただけ、だろう?」
先に言われた。
ガルナさんは口の端だけで笑った。
「報告で何度も読んだ。お前の口癖らしいな」
「そんなつもりは」
「つもりがなくても、もう通じてる」
セリアさんが水晶灯を机に置いた。
中には、白い光の網に包まれた灰色の粉が少量入っている。
昨日、異形が崩れたあとに残ったものだ。
「触れないでください。封じていますが、完全に安全ではありません」
「分かりました」
俺は椅子に座り、瓶を見た。
白い光の網は保たれている。
その内側で、灰色の粉から細い線が伸びていた。
北へ。
廃坑の方へ。
だが、昨日ほど強くはない。
「線は見えますか」
セリアさんが問う。
「見えます。廃坑の方へ伸びています」
神殿書記が羽ペンを走らせた。
「色は?」
「灰色です。昨日の異形や薬草畑と同じ。ただ、今は細いです」
「瓶の封印で弱まっている?」
「たぶん」
セリアさんが眉を上げる。
「その『たぶん』は記録しづらいですね」
「俺にも断定できないんです。名前も仕組みも分からないので」
ガルナさんが机に肘をついた。
「そこを確認したい。お前は何を知っていて、何を知らない?」
「この世界のことは、ほとんど知りません。柔葉草も、リナさんに見せてもらった図鑑で知っただけです。呪染も、魔鉱毒も、浄化師も、昨日レンさんたちに聞きました」
「では、判断は知識ではなく、見えている線か」
「はい」
「何でも見えるのか」
「いいえ」
俺は首を振った。
「名前や効果は分かりません。危険の程度までは分かりません。ただ、混ざっているか、分かれているか。どこが境目なのか。それが見えます」
「干渉できる条件は?」
セリアさんが身を乗り出す。
ここは大事だ。
昨日、俺自身も少し分かったことがある。
「近くにあるものか、俺に触れているもの。あとは、相手の線がこちら側へ入り込んできた時だけです」
「昨日の異形は?」
「結界の白い紋に灰色の線が入り込んでいました。俺の目の前まで来ていたから掴めたんだと思います。廃坑の奥にある線を、直接掴めるわけじゃありません」
セリアさんが小さく息を吐いた。
「無制限ではない、ということですね」
「たぶん」
「また」
「すみません」
ガルナさんが低く笑った。
「いい。分からないものを分かると言う奴より信用できる」
北門守備隊長が初めて口を開いた。
「では、廃坑調査では前に出させるべきではないな。観測できる位置まで護衛を固める」
「同感だ」
レンさんが腕を組んだまま言う。
「消耗もある。昨日、こいつは畑の門みたいなものを閉じたあとに倒れかけた」
「代償は不明です」
セリアさんが続けた。
「呪染はありません。ただ、力を使った後に体力と意識が大きく削られています。連続使用は危険です」
「つまり、便利な道具として使い潰すなということだな」
ガルナさんの声が冷えた。
部屋の空気が一瞬で締まる。
神殿書記が羽ペンを止めた。
セリアさんは真っ直ぐ頷く。
「神殿としても同意します。彼は保護対象です。同時に、廃坑調査における最重要観測者でもあります」
「観測者、ですか」
俺が呟くと、セリアさんは少しだけ目を伏せた。
「境界技師という呼び名よりは、まだ正確かと」
「その呼び名、広めないでください」
「もう遅い」
レンさんが短く言った。
やめてほしい。
ガルナさんが机の上に地図を広げた。
北門の外。
薬草畑。
さらに北の山。
赤い印がつけられた場所が、廃坑らしい。
「北の廃坑は十年前に閉鎖された。表向きは落盤事故。実際には、魔鉱毒の噴出と、内部調査隊の全滅だ」
初めて聞く話に、リナさんの顔が青くなった。
「全滅……?」
「当時の記録は神殿とギルドで封じていた。街に混乱を広げないためだ」
ガルナさんの指が、地図の山中を叩く。
「昨日現れた異形が、その廃坑から来た可能性が高い。放置すれば、次は一体では済まない」
「調査隊を出すんですね」
「ああ。ただし、廃坑へ入るかは別だ。まず入口と周辺を確認する」
レンさんが俺を見た。
「ミナト、お前には線を見るだけ頼みたい。戦えとは言わん」
「線を見るだけで済むなら」
「済ませるために俺たちがいる」
その言葉は、妙に重かった。
俺一人で何とかする話ではない。
レンさんが止める。
セリアさんが封じる。
リナさんが状況を繋ぐ。
ギルドと守備隊が動く。
俺は、見えるものを見誤らないようにする。
それだけでいい。
そう思おうとした瞬間、机の上の瓶が小さく震えた。
かたり。
全員の視線が集まる。
セリアさんの顔色が変わった。
「封印が揺れた?」
白い光の網は、まだ保たれている。
けれど、その内側で灰色の粉だけが動いていた。
俺の視界では、瓶の中の灰色の粉から細い線が一本伸びていた。
それは現実の地図に描かれた線ではない。
けれど、机の上に広げられた地図と重なるように、ゆっくりと街の内側へ曲がっていく。
「……違う」
俺は思わず立ち上がった。
膝が震える。
それでも目を離せなかった。
「廃坑じゃないんですか」
リナさんが不安げに聞く。
「廃坑にも繋がっています。でも、今動いた線は別です」
「どこへ向かってる」
レンさんの声が低くなる。
俺は地図上に重なって見える線を追った。
北門。
倉庫街。
古い排水路。
そして、ギルドの地下を通り過ぎる。
線の先は、街の中央にある大きな建物で止まっていた。
神殿。
誰も、すぐには声を出さなかった。
セリアさんの水晶灯が、ひび割れるような音を立てる。
灰色の粉が、瓶の中でゆっくりと形を変えた。
封じられたままなのに、まるでこちらに向けて指を差すように。
「廃坑の奥だけじゃありません」
喉が乾いて、声が掠れた。
「街の中にも、もう繋がっています」
次話、廃坑の異常が街の内側――神殿へも伸びていることが判明します。ミナトの聴取は一転、街内部の汚染調査へ。続きが気になった方は、ブックマークと評価で応援していただけると励みになります。




