表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
境界技師の観測録 〜見えるだけの俺、なぜか世界の呪いまで剥がしてしまう〜  作者: 空乃 カナタ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/13

第二話 北門補給所の黒い指

 北門補給所は、街壁の内側に張り付くように建っていた。


 石造りの低い建物。開け放たれた扉の奥から、薬と汗と血の匂いが流れてくる。


「どけ!」


 レンさんが怒鳴ると、入口に集まっていた兵士たちが慌てて道を開けた。


「レンさん! 神殿は!?」


「リナが走った。浄化師が来るまで持たせろ」


「それが、もう一人、指が黒く……!」


 兵士の声が震えている。


 俺は補給所の中に入った瞬間、足を止めた。


 見える。


 灰色の線が、床を這っている。


 薬棚から、寝台へ。

 寝台から、倒れた兵士の腕へ。

 腕から、胸の奥へ。


 一本一本は細い。けれど数が多い。絡み合った糸みたいに、部屋の中を覆っていた。


「ミナト、何か見えるか」


「……あの棚です」


 俺は奥の薬棚を指さした。


 瓶が並んでいる。傷薬と書かれた小瓶。白い布。包帯。木製のへら。


 その中で、昨日納めたらしい傷薬の瓶だけが、灰色の輪郭をまとっていた。


「傷薬そのものに、混ざっています」


「くそっ」


 レンさんは棚へ走ると、瓶に手を伸ばしかけた。


 だが、直前で舌打ちして手を止める。


「……素手はまずいな」


 近くに置かれていた厚手の布を引っ掴み、瓶を包むように持ち上げる。


 さすがだった。


 前話でリナさんの指が黒く染まったのを見ている。危険だと分かった瞬間、動きに無駄がなくなっていた。


「これか」


「はい。瓶の口にも、同じ灰色の粉が付いてます」


「触るなよ」


「俺は、たぶん大丈夫です」


「たぶんで動くな」


 鋭く言われて、俺は口を閉じた。


 レンさんの言う通りだ。


 俺の指にも灰色の粒は触れている。けれど、やはり皮膚の奥へ沈まない。境目で止まり、弾かれるように浮いている。


 理由は分からない。


 分からないことを、安全だと決めつけるのは危ない。


「倒れた人は?」


「こっちだ!」


 若い兵士に案内され、奥の部屋へ入る。


 三人の兵士が寝台に横たわっていた。


 全員、顔色が悪い。額に汗を浮かべ、荒い息をしている。


 右手の指先が黒い。


 リナさんの時とは比べものにならない。黒い線は手首を越え、腕の内側を通って肩へ伸びていた。


「昨日の夜、魔獣にやられた傷に薬を塗ったんだ。最初は痛みが引いたって言ってた。でも朝になったら指が黒くなって、昼には意識が……」


 説明する兵士の声が詰まる。


 俺は一番近い寝台に膝をついた。


 黒い指。

 裂けた前腕の傷。

 傷口から入り込んだ灰色の線。


 境界が乱れている。


 皮膚と毒。

 血と異物。

 体の中にあるものと、外から入ったもの。


 本来なら分かれているはずの線が、ぐちゃぐちゃに絡まっていた。


「ミナト」


 レンさんが低い声で言う。


「できるか」


「分かりません」


「だろうな」


「でも、混ざっている場所は見えます」


「なら十分だ。神殿の連中が来るまで、一人でも多く持たせろ」


 乱暴な言い方なのに、不思議と落ち着いた。


 俺は兵士の腕に触れる。


 熱い。


 灰色の線が、こちらへ伸びようとする。だが俺の指先に触れた瞬間、線はぴたりと止まった。


 やっぱりだ。


 こいつは俺に入れない。


 なら、引き剥がせる。


「少し痛むかもしれません」


 意識のない兵士にそう言って、俺は境目を探った。


 リナさんの時は、皮膚の表面だけだった。


 今回は違う。


 傷口の奥。血管の周り。筋肉の隙間。


 そこに灰色の糸が、食い込むように絡みついている。


 無理に引けば、たぶん体の方を傷つける。


 なら、ほどく順番を間違えちゃいけない。


 灰色の糸だけを選ぶ。


 体の線を残す。


 毒と血の境目を、一本ずつほどく。


「……っ」


 俺のこめかみに汗が浮かんだ。


 難しい。


 目で見えているのに、手元が追いつかない。


 細い糸を、真っ暗な水の中でほどいているような感覚だった。


「ミナトさん!」


 入口からリナさんの声がした。


 振り返る余裕はない。


「浄化師様を呼びました! でも、到着まで少しかかるって!」


「十分だ!」


 レンさんが答える。


「リナ、他の傷薬を全部下げろ! 布を使え、素手で触るな! 誰にも使わせるな!」


「はい!」


 足音が遠ざかる。


 俺は兵士の腕に集中した。


 黒い線が肩へ向かって伸びている。胸まで入れば、まずい。そんな知識はない。ただ、見えている線の濁り方が危険だと告げていた。


「止まれ」


 俺は小さく呟いた。


 境目を押さえる。


 血の流れと、灰色の流れ。


 その分かれ目に指を立てるように意識する。


 切る。


 ぱちん。


 細い音が鳴った。


 兵士の腕から、黒い筋が一本消える。


 周囲の兵士たちが息を呑んだ。


「今、薄くなったぞ」


「おい、見たか?」


「浄化師でもねえのに……」


「黙ってろ!」


 レンさんの怒声で、ざわめきが止まる。


 助かる。


 余計な声が消えた分、線が見やすくなった。


 二本目。


 三本目。


 四本目。


 灰色の糸をほどくたび、兵士の指先から黒い色が薄れていく。


 けれど同時に、傷口の奥から新しい灰色が湧いてきた。


「薬が残ってるのか……」


 傷口に塗られた傷薬。


 そこに混じった異物。


 表面だけ剥がしても、奥から染み出してくる。


「レンさん、水はありますか。できればきれいな布も」


「ある!」


「傷口を洗います。俺が境目を止めている間に」


「分かった」


 レンさんが兵士に指示を飛ばす。


 水桶と清潔な布が運ばれてきた。


「合図したら流してください」


「ああ」


 俺は傷口の周りに見える境界線を押さえた。


 血を止めるんじゃない。


 傷薬と体の間だけを止める。


「今です」


 レンさんが水を流す。


 黒ずんだ薬が、傷口から溶けるように落ちた。


 同時に、灰色の線が一気に暴れ出す。


「っ!」


「ミナト!」


「続けてください!」


 指先に力を込める。


 線を押さえる。


 押さえきれない分は、切る。


 ぱちん、ぱちん、ぱちん。


 耳の奥で音が連続した。


 床に落ちた水の中で、灰色の粉が砂のように沈んでいく。


 兵士の呼吸が少しだけ落ち着いた。


 黒かった指先に、わずかな血色が戻る。


「……助かったのか?」


 誰かが呟いた。


「まだです。あと二人います」


 俺は立ち上がろうとして、膝が揺れた。


 レンさんが肩を掴んで支える。


「無茶はするな」


「無茶かどうかの基準が、まだ分かりません」


「昨日来た奴の台詞じゃねえな」


 レンさんが苦々しく笑った。


 その時、補給所の外から鐘の音が響いた。


 一回。


 二回。


 三回。


 街壁の上で、見張りが叫ぶ。


「北の薬草畑から煙! 灰色の煙が上がってるぞ!」


 室内の全員が顔を上げた。


 俺だけが、窓の外を見て固まる。


 遠くの空へ伸びる灰色の煙。


 それとは別に、俺の視界には、薬草畑から街へ流れ込む巨大な灰色の線が見えていた。


 線は道をなぞるように北門へ伸びている。


 そして、補給所の薬棚で見た灰色の線と重なっていた。


 薬草の問題じゃない。


 あれは、畑そのものが毒を吐いている。

次話、薬草畑で異常の本体が姿を見せます。続きが気になった方は、ブックマークと評価で応援していただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ