第十一話 神殿地下の第七観測点
「神殿の下に、まだ何か埋まっています」
俺がそう言った瞬間、封印室の空気がまた重くなった。
レンさんが床を見下ろす。
「灰色か」
「違います。青い線です。さっきの黒い板と同じ」
封印布に包まれた、壊れたスマートフォン。
あれから伸びていた薄い青い線が、封印室の床下へ沈んでいる。
灰色の線とは違う。
触れたものを侵す感じはない。
けれど、ただの安全なものとも思えなかった。
俺の故郷の文字。
観測ログ。
未帰還者、観測者・湊。
その言葉が、頭の奥に刺さったままだ。
「マルド司祭」
セリアさんが問いかける。
「この下に空間はありますか」
「……記録上はない」
「記録上は?」
「神殿は今の建物より古い基礎の上に建っている。地下聖水槽と封印室は、その一部を再利用したものだ。だが、さらに下へ続く通路など、少なくとも現行の図面にはない」
マルド司祭の声は硬い。
否定したいのではなく、知っている記録と現実が食い違っているのを受け止めようとしている声だった。
「ミナト、どこから行ける」
レンさんが聞く。
「床の下です。ただ、ここを壊せばいいという感じじゃありません。線は、あそこに向かっています」
俺は封印室の隅を指さした。
古い棚の裏。
倒れた祭具と埃に隠れた石壁。
その足元に、薄い青い線が集まっていた。
「棚をどけろ」
レンさんが兵士に指示を出す。
古い棚を慎重に動かすと、壁の下に小さな石蓋が現れた。
取っ手も鍵穴もない。
ただ、中央に浅い溝がある。
その溝の形を見た瞬間、息が止まった。
漢字ではない。
けれど、この世界の紋でもない。
俺の知っている機械部品の接合線に似ていた。
「開け方は分かるか」
「見れば、たぶん」
「たぶんで地下の蓋を開けるな」
「でも、力任せに開けると壊れます」
青い線は、溝の端で途切れかけている。
閉じているものと、開こうとしているものの境目。
そこだけが、細く見えた。
「触れます。灰色じゃありません」
「だから安全とは限らない」
レンさんの言葉に、俺は頷いた。
「布越しにやります」
リナさんがすぐに厚手の布を渡してくれた。
「無理だと思ったら、そこで止めてください」
「はい」
「返事だけは素直なんですよね」
「信用がない」
「昨日からの行動を思い出してください」
何も言い返せない。
俺は布越しに石蓋の溝へ指を当てた。
青い線が、指先に触れる。
冷たくない。
熱くもない。
ただ、懐かしい。
大学の研究室で、夜中に測定装置の青いランプを見ていた時の感覚に似ている。
境目をなぞる。
閉じている石と、まだ動く機構。
そこを分ける。
「ここです」
軽く押す。
ご、と低い音がした。
石蓋が横へ滑る。
中から、冷たい風が吹き上がった。
「隠し通路か」
レンさんが短剣を抜く。
マルド司祭が低く呟いた。
「神殿の封印室の下に、こんなものが……」
狭い階段が、闇の中へ続いていた。
壁は白石ではない。
黒っぽい、滑らかな材質。
石に見えるのに、石ではない。
表面にはところどころ青い線が走っている。
「この壁、俺の故郷の技術に似ています」
俺は思わず言った。
「故郷のものか」
「完全には違います。でも、考え方が似ています。建物というより、装置みたいです」
「装置?」
セリアさんが眉を寄せる。
「何かを動かすための場所、という意味です」
レンさんが先頭に立った。
「俺が前。ミナトは真ん中。リナ、支えろ。セリアとマルド司祭は後ろで封印を維持。変な線が見えたら即止まれ」
「分かりました」
階段を降りる。
一段ごとに、空気が変わっていく。
神殿の地下にあるはずなのに、祈りの匂いがしない。
聖水の湿り気もない。
あるのは、冷たい金属と、長く閉じ込められた空気の匂い。
壁の青い線が、俺たちの足音に反応するように淡く光った。
「ミナトさん」
リナさんが小さく言う。
「顔色、悪いです」
「大丈夫とは言いません」
「少し進歩しました」
「かなり怖いです」
「それなら、もっと進歩しました」
冗談みたいな会話なのに、リナさんの手は俺の腕をしっかり支えていた。
階段の先に、小さな広間があった。
天井は低い。
中央に、黒い柱が立っている。
柱というより、地面に突き刺さった杭。
表面には割れた文字が浮かんでいた。
この世界の文字ではない。
日本語でもない。
でも、青い線がそれをなぞった瞬間、意味だけが頭に入ってきた。
――第七観測点。
――境界固定杭。
――オルビス側、稼働中。
「……ここが、第七観測点」
俺が呟くと、セリアさんが息を呑んだ。
「黒い板に出た言葉ですね」
「はい」
杭の根元から、青い線が何本も伸びている。
一本はスマートフォンへ。
一本は封印室へ。
一本は街の地下へ。
そして、一本だけが北へ伸びていた。
廃坑の方角。
ただし、その途中に灰色の線が絡みついている。
青い線を食い破ろうとしているみたいに。
「灰色もあります」
俺は杭の北側を指さした。
「青い線に絡んでいます。廃坑から来てる」
「外せるか」
レンさんが聞く。
「近いです。でも、これは……」
俺は杭を見る。
青い線と灰色の線。
混ざっているが、今までより複雑だ。
青い線は汚染じゃない。
むしろ、灰色を押さえ込んでいる。
下手に外せば、押さえが消える。
「今は触らない方がいいです」
「珍しく賢い判断だ」
「俺もそう思います」
その時、杭の表面が淡く光った。
割れた文字の上に、新しい青い線が走る。
今度は、日本語だった。
――観測者認証。
――該当個体を確認。
――湊。
胸の奥が凍る。
リナさんが俺の腕を掴む力を強めた。
「読めるんですか」
「……俺の名前です」
杭の青い線が、さらに文字を作る。
――帰還処理、未完了。
――境界記憶、封鎖中。
――再接続しますか?
最後の一文を見た瞬間、俺の頭の奥で何かが開きかけた。
記憶ではない。
記憶に似た、別の何かが流れ込もうとしている。
白い研究室。
夜のモニター。
境界観測実験。
青い警告灯。
誰かの声。
――湊、戻れ。
――門を閉じるな。
――一人残ることになる。
「ミナト!」
レンさんの声が飛んだ。
気づくと、俺は杭に手を伸ばしていた。
リナさんが腕を引いている。
セリアさんの水晶灯が白く光っている。
俺の指先は、杭に触れる寸前で止まっていた。
「触るなと言ったはずだ」
「……すみません。今のは、俺が動かしたんじゃない」
「なら余計に危ない」
レンさんが俺と杭の間に立つ。
その瞬間、杭の北側に絡みついていた灰色の線が震えた。
青い文字が、灰色に侵される。
――再接続しますか?
その文字が歪む。
――開け。
俺の頭の奥に、あの声が響いた。
今までより近い。
杭の中からではない。
青い線に食い込んだ灰色の奥から。
廃坑の方から。
「来ます」
俺は息を呑んだ。
「何がだ」
「灰色が、青い線を通ってこっちに来る」
杭の根元に、黒い染みが浮かんだ。
それは床を這い、ゆっくりと円を描く。
境目が開いていく。
小さい。
でも、確かに門だ。
レンさんが短剣を構え、セリアさんが水晶灯を掲げる。
マルド司祭が祈りを唱え始める。
リナさんが俺を支えたまま、震える声で聞いた。
「閉じられますか」
俺は開きかけた灰色の円を見た。
その外側に、青い線が必死に形を保っている。
「閉じるんじゃありません」
「え?」
「青い線を守れば、灰色は開けません」
俺は息を吸った。
今度は触る。
ただし、灰色じゃない。
青い線と灰色の線。
その境目だけを掴む。
「俺がやります」
レンさんが振り返る。
「倒れる前に終わらせろ」
「努力します」
「そこは断言しろ」
俺は布越しに、杭の根元へ手を伸ばした。
青い線が指先に触れる。
同時に、灰色の声が笑った。
――見つけた。
杭の奥で、封じられていた記録が一行だけ浮かび上がる。
――第一未帰還者:境界技師・湊。
境界技師。
酒場で勝手につけられたはずの呼び名と、同じ言葉だった。
偶然のはずがない。
俺が息を止めた瞬間、床の灰色の円が開いた。
次話、神殿地下の第七観測点で開いた小さな門。青い線を守ろうとするミナトに、“境界技師”という呼び名の本当の意味が突きつけられます。続きが気になった方は、ブックマークと評価で応援していただけると励みになります。




