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『如水逆行~壊れた軍師・官兵衛、今度こそ天下を盗る~』  作者: あちゅ和尚


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第24話 清六の荷

 妙徳寺の一件から一夜明けて、姫路の城は静かだった。


 静かすぎるほどだった。


 松寿丸は奥にいる。


 光もいる。


 乳母もいる。


 門番も、女中頭も、昨日より少しだけ声が低い。


 怯えているのではない。


 見たのだ。


 文一枚で子が動かされかけることを。


 そして、文一枚では動かぬ家に変わり始めたことを。


 その静けさの中へ、喜三右衛門が入ってきた。


「殿」


「清六か」


「はい」


 官兵衛は顔を上げた。


 喜三右衛門は、まだ息を整えている。


 走ってきたのではない。


 急いで歩いてきた息である。


 こういう時、この男は走りすぎない。


 商いの道で、慌てた足は値を上げることを知っている。


「長尾屋清六の荷が動きました」


「本人は」


「おります。荷と一緒に」


「どこへ」


「飾磨の浜へ」


 官兵衛は目を細めた。


「御着ではなく?」


「御着ではございませぬ」


 部屋の空気が変わった。


 新介が一歩前へ出る。


「捕らえましょう」


「早い」


 官兵衛は即座に言った。


 新介は言葉を呑んだ。


 このところ、その一言を何度も聞いている。


 だが、今日は少し違った。


 官兵衛の目が、すでに道の先を見ていた。


「清六ではなく、荷を見る」


「荷を?」


「人は嘘をつく。荷も嘘をつく。だが、嘘のつき方が違う」


 久野が腕を組んだ。


「荷の嘘とは、また妙なことを」


「行き先が嘘を嫌う」


 官兵衛は立ち上がった。


「御着へ行く荷なら、御着へ向かう。寺へ納める荷なら、寺へ入る。飾磨の浜へ行くなら、海へ出すつもりだ」


「では、海の先を見ますか」


 喜三右衛門が問う。


「ああ」


 官兵衛は短く答えた。


「松寿は連れて行かぬ」


 誰も何も言っていないのに、官兵衛はそう言った。


 新介が少しだけ目を伏せる。


 昨日、松寿丸を連れて妙徳寺へ行った。


 それは必要だった。


 だが、必要だからといって繰り返すものではない。


 子に見せるべきものと、見せてはならぬものがある。


 今日は、泥の底を見る日である。


 子の目は要らない。


「光には知らせておく」


 官兵衛は続けた。


「奥は閉めすぎるな。だが、松寿の周りには目を置け」


 久野が頷く。


「城は私が見ます」


「いや、久野は来い」


「私も?」


「清六を捕らえるか、逃がすか。その場で家中の古い目が要る」


 久野は少しだけ眉を動かした。


「ならば参ります」


「新介、喜三右衛門。供は少なくする」


「はっ」


「飾磨へ兵を立てれば、荷が潜る」


 官兵衛は障子の向こうを見た。


 朝の光が、白く入っている。


「今日は、荷に道を選ばせる」


     ◇


 飾磨へ向かう道は、姫路の腹へつながる道である。


 城から浜へ。


 田から町へ。


 町から船へ。


 人と荷が行き交う。


 米、塩、炭、魚、薪、布。


 道には、音がある。


 牛の鼻息。


 荷車の軋み。


 女の声。


 商人の笑い。


 下男の悪態。


 その中を、官兵衛たちは目立たぬように進んだ。


 目立たぬといっても、官兵衛である。


 見れば分かる者は分かる。


 だが、槍を並べず、旗も立てず、ただ道を見る者として歩いた。


 清六の荷は、浜に近い荷溜まりにあった。


 炭俵が六つ。


 塩甕が二つ。


 布包みが一つ。


 荷札には、妙徳寺香炭、小寺御用、祈祷塩などと、いくつもの名がぶら下がっていた。


 名が多すぎる。


 名を重ねる者は、たいてい一つの名では通れぬ。


 官兵衛は遠目にそれを見て、そう思った。


 清六は、荷の横にいた。


 四十前後。


 背は高くない。


 だが、肩が落ちていない。


 逃げる者の肩ではない。


 見られることを覚悟している者の肩だった。


「殿」


 新介が低く言う。


「まだだ」


 官兵衛は止めた。


 清六は、浜の船頭と話している。


 船は小さい。


 荷を大きく運ぶ船ではない。


 人と小荷を素早く動かす船だ。


 船頭が、清六へ何かを問う。


 清六は答える。


 喜三右衛門が、そばの魚売りへ何気なく声をかけた。


 魚売りは顔も上げず、指を二本動かす。


 合図である。


 英賀へ。


 官兵衛は小さく息を吐いた。


 御着ではない。


 妙徳寺でもない。


 英賀へ出す荷。


 ならば、荷札の名はほとんど飾りである。


「行く」


 官兵衛は歩き出した。


     ◇


 清六は、官兵衛を見ると驚いた顔をした。


 よくできた驚きだった。


「これは黒田様。浜にまで」


「荷を見に来た」


「粗末な荷にございます」


「粗末な荷ほど、よく逃げる」


 清六は薄く笑った。


「逃げるとは、人聞きの悪い」


「御着へ行く荷が、なぜ飾磨の浜にある」


「回り道にございます」


「海を回って御着へ行くか」


「時には」


 新介が唇を引き結んだ。


 久野も黙っている。


 官兵衛は清六から目を離し、荷札を見た。


「妙徳寺香炭」


「寺へ納める分で」


「寺へは昨日、そなたの名が出た」


 清六のまぶたが、ほんの少し動いた。


「私は寺へ寄進をしただけでございます」


「小寺御用」


「御着へ出入りのある方から、頼まれまして」


「祈祷塩」


「寺社では塩を使います」


「名が多いな」


 清六は頭を下げた。


「商いは、名で通ることもございます」


「そうだ」


 官兵衛は頷いた。


「だから、名を軽くする者は道を汚す」


 清六は黙った。


 官兵衛は、喜三右衛門へ目を向けた。


「量を見ろ」


「はい」


 喜三右衛門が荷へ近づく。


 清六の手代が止めようとした。


 新介が一歩出る。


 それだけで、手代は退いた。


 喜三右衛門は炭俵を一つ持たせ、軽く叩いた。


 音が鈍い。


 炭だけではない。


 次に、塩甕の口を見た。


 封はしてある。


 だが、封の土が新しい。


「殿」


 喜三右衛門が言った。


「炭俵が重うございます」


「炭が詰まっておりますので」


 清六が言う。


「炭は軽い」


 官兵衛は言った。


「湿った炭でも、ここまで重くはならぬ」


 清六の顔から、笑みが消えた。


「開けよ」


 新介が短く命じる。


 清六は手を上げた。


「お待ちを。浜で荷を開けられては、商いが」


「商いなら、開けても戻せる」


 官兵衛は清六を見た。


「戻せぬ荷か」


 清六は答えなかった。


 久野が、荷縄を解いた。


 古参の手つきである。


 荒くない。


 だが、逃がさない。


 炭俵の口が開く。


 上には、たしかに炭がある。


 黒い。


 手が汚れる。


 だが、その下に油紙があった。


 油紙を解くと、小さな塩包みが並んでいた。


 周囲の者がざわめく。


 官兵衛は声を張らなかった。


「塩を炭の中へ隠したか」


 清六は口を開きかけたが、閉じた。


「塩は値が上がる」


 官兵衛は続けた。


「町には細く流し、炭の中へ隠して浜へ出す。すると姫路の塩はさらに高くなる」


「私は、ただ預かっただけで」


「誰から」


「荷は、いくつもの手を渡ります」


「便利な言葉だ」


 官兵衛は、もう一つの炭俵を見た。


「開けよ」


 二つ目の俵にも、塩があった。


 三つ目には、炭だけ。


 四つ目には、細い竹筒が入っていた。


 それを見た瞬間、清六の目が動いた。


 官兵衛は見逃さなかった。


「それを」


 新介が竹筒を取る。


 封は簡単だった。


 中には、細い紙が入っている。


 新介が広げかけると、官兵衛が手を出した。


「私が読む」


 紙には、短い文があった。


 姫路、文にて動かず。


 若君、寺前に出る。


 光同行。


 寺、焼かず。


 官兵衛は、その四行を見た。


 浜の音が遠くなる。


 これは指図ではない。


 報せである。


 清六が、どこかへ送ろうとした報せ。


 黒田がどう動くか。


 松寿丸がどう扱われたか。


 光が出たか。


 寺を焼いたかどうか。


 それを見ている者がいる。


 官兵衛は紙を畳んだ。


 怒りは来なかった。


 代わりに、もっと冷たいものが来た。


 測られている。


 己の怒りも。


 黒田の家も。


 姫路の道も。


     ◇


 新介が清六へ詰め寄った。


「誰へ送るつもりだった」


 清六は黙る。


 新介の手が柄へ行く。


「新介」


 官兵衛が呼んだ。


「はっ」


「抜くな」


 新介は歯を食いしばった。


「ですが」


「今ここで抜けば、清六は商人になる」


「商人?」


「斬られた商人だ」


 官兵衛は浜の周りを見る。


 魚売り。


 船頭。


 荷運び。


 手代。


 皆が見ている。


 ここで斬れば、話は簡単になる。


 黒田が浜で商人を斬った。


 塩を押さえた。


 荷を奪った。


 それだけが走る。


 真は遅い。


 噂は早い。


「清六」


 官兵衛は静かに言った。


「そなたは商人か」


 清六は顔を上げた。


「もちろんにございます」


「ならば、荷で話せ」


 官兵衛は塩包みを指した。


「これは何だ」


「塩にございます」


「なぜ炭に隠した」


「盗まれぬよう」


「なぜ英賀へ」


「売り先が」


「なぜ竹筒を入れた」


 清六は黙った。


「商いの荷に、黒田の家の様子を書くか」


 周囲が静まった。


 官兵衛は声を荒げない。


 荒げずとも、言葉は届いた。


「塩を隠すだけなら、商いの悪さで済む。黒田の名を軽くするなら、名の罪となる。我が子の動きを探り、家の様子を外へ出すなら」


 官兵衛は一拍置いた。


「それは敵の働きだ」


 清六の額に汗が浮いた。


「誰に頼まれた」


「存じませぬ」


「英賀の誰へ渡す」


「荷受けに」


「名は」


「松屋」


「その先は」


「存じませぬ」


「嘘だな」


 清六は黙った。


 官兵衛は、竹筒の紙を新介へ渡した。


「久野」


「はっ」


「塩は押さえる。だが、奪うな。浜の者に見えるように数えよ。隠した分は町へ戻す。正しく買う分は買う」


「承知」


「清六の荷札はすべて外せ。妙徳寺、小寺、黒田の名をつけた札は預かる」


「はっ」


「船は出すな」


 船頭が青くなる。


 官兵衛は船頭を見た。


「そなたを責めておらぬ。だが、この荷は出さぬ。代わりに、空で出るなら出よ」


 船頭は慌てて頭を下げた。


「空で出ます」


「待て」


 清六が声を上げた。


「それでは荷が」


「困るな」


「困ります」


「では、困れ」


 官兵衛は短く言った。


「子を動かす文に関わった者の荷だ。困るだけで済んでいると思え」


 清六の顔が白くなった。


     ◇


 荷を開ける作業は、静かに進められた。


 官兵衛は、わざと浜の者に見せた。


 黒田が荷を奪っているのではない。


 隠した塩を数えている。


 偽りの札を外している。


 船を止めている。


 そして、荷の持ち主をその場で斬っていない。


 それを見せる必要があった。


 喜三右衛門が、浜の商人たちへ声をかける。


「隠した塩は町へ戻す。城が買い叩くのではない。値は昨日の相場で見る」


 ざわめきが少し変わった。


 商人たちは損得で耳を動かす。


 正義だけでは動かない。


 だから、損得にも道を作る。


 久野は、清六の手代たちを並ばせた。


 縄はかけない。


 だが、逃げられない。


 新介は、清六のそばに立っている。


 抜いてはいない。


 だが、いつでも抜ける位置である。


 官兵衛は、清六へ向き直った。


「清六」


「……はい」


「そなたをここで斬れば、楽だ」


 清六は唇を震わせた。


「しかし、斬らぬ」


「なぜでございます」


「そなたの首は、まだ軽い」


 清六の顔が歪んだ。


 侮辱ではない。


 事実である。


「私が欲しいのは、そなたの首ではない。そなたが荷を出そうとした先だ」


「松屋と申し上げました」


「松屋の先だ」


 清六は黙る。


「言えば、助かると思うか」


 官兵衛が問う。


 清六は目を動かした。


「助けていただけるなら」


「言い方を間違えたな」


 官兵衛は静かに言った。


「助かりたいなら、先に役に立て」


 清六は喉を鳴らした。


「……松屋の先は、分かりませぬ。ただ、受け取りの符は、赤い糸を巻いた銭でございました」


「赤い糸」


「はい。松屋へ荷を入れれば、赤糸銭が戻る。私はそれで、次の荷を動かすだけで」


「誰が最初にそなたへ赤糸銭を渡した」


「御着の市で」


「誰が」


「顔は」


「笠か」


 清六は目を伏せた。


「はい」


 官兵衛は少しだけ息を吐いた。


 笠の男。


 墨の手。


 炭の匂い。


 赤糸銭。


 顔のない者ばかりだ。


 だが、ようやく物が出た。


 銭は人より嘘をつきにくい。


「赤糸銭はあるか」


「今は」


 清六の視線が、一瞬だけ布包みへ飛んだ。


 新介が布包みを開ける。


 中には、古い小袖が一枚。


 その下に、小さな袋があった。


 袋の中に、銭が五枚。


 うち一枚に、赤い糸が巻かれていた。


 官兵衛はそれを見た。


 小さな銭である。


 だが、道がついている。


「新介」


「はっ」


「銭を預かれ」


「はい」


「喜三右衛門」


「はい」


「英賀の松屋を調べる。だが、まだ触れるな」


「承知」


「赤い糸を見た者を探せ。港、寺、御着の市、飾磨の荷場」


「はい」


 久野が言った。


「清六はどうします」


 官兵衛は清六を見た。


「姫路へ連れる」


 清六の肩が落ちた。


「縄を」


 新介が言いかける。


「荷縄でよい」


 官兵衛は言った。


「罪人の縄ではなく、荷を逃がさぬ縄だ。浜に見せるには、それで足りる」


 久野が少しだけ笑った。


「殿は、見せ方まで考えすぎる」


「見せ方で、荷の値が変わる」


 喜三右衛門が頷いた。


「それは確かに」


 清六は、荷縄で両手を前に縛られた。


 屈辱はある。


 だが、首はある。


 それが、今の清六には一番怖いはずだった。


     ◇


 姫路へ戻る道で、新介は何度も清六を見た。


 斬りたいのだろう。


 官兵衛には分かった。


 松寿丸を動かそうとした文。


 黒田の家を測る報せ。


 それに関わった男が、まだ息をして歩いている。


 新介には腹立たしいはずだ。


「新介」


「はっ」


「斬りたいか」


 新介は一瞬黙り、正直に答えた。


「はい」


「よい」


「よい、のでございますか」


「斬りたいと思うのはよい。斬るかどうかは別だ」


 新介は唇を噛んだ。


「殿は、腹が立たぬのですか」


「立つ」


 官兵衛は前を見たまま答えた。


「だが、腹が立った時ほど、相手の欲しいものを考える」


「相手の欲しいもの」


「私が清六を浜で斬れば、誰が喜ぶ」


 新介は黙った。


「清六を斬らせたい者がいるかもしれぬ。商人を怯えさせたい者がいるかもしれぬ。黒田が乱暴に荷を奪ったと言わせたい者がいるかもしれぬ」


「では、何もできませぬ」


「できる」


 官兵衛は言った。


「斬る以外は、何もできぬわけではない」


 新介は顔を上げた。


「荷を止めた。塩を町へ戻す。偽札を外した。赤糸銭を得た。清六の口をまだ使える」


 官兵衛は清六を一瞥した。


「斬れば、一つだけだ。生かせば、いくつもある」


 新介は黙って頭を下げた。


 久野が後ろで聞いていた。


 古参の顔に、少しだけ安堵があった。


 怒りで走らぬ。


 それを久野は見ている。


     ◇


 城へ戻ると、光が待っていた。


 松寿丸はいない。


 奥に下がらせているのだろう。


 それでよかった。


 今日は、子に見せるものではない。


 官兵衛は、光へ短く伝えた。


「清六を連れて戻った」


「ご無事で」


「ああ」


「松寿には」


「まだ言わぬ」


 光は頷いた。


「それでよろしいかと」


 官兵衛は少しだけ目を伏せた。


「今日は、見せぬ日だ」


「はい」


 その言葉を、光はすぐに理解した。


 妙徳寺へ連れて行ったことを、責めるでもなく、許すでもなく。


 ただ、今日の判断を受け取った。


 官兵衛は、光に頭を下げるほどではない。


 だが、心の中では深く頭を下げていた。


 家の中に、そういう目がある。


 それが、昨日からの救いだった。


     ◇


 夜、清六は城内の一室に置かれた。


 牢ではない。


 だが、外へは出られない。


 戸の外には久野の者。


 窓の下には新介の者。


 清六の荷は別に置いた。


 塩は数えられ、町へ戻す分が分けられた。


 赤糸銭は、官兵衛の前にある。


 小さな銭だった。


 そこに赤い糸が巻かれている。


 ただそれだけで、人が動く。


 荷が動く。


 文が動く。


 子まで動かそうとする。


 官兵衛は、その銭を見た。


 金の大きさではない。


 符の重さである。


 喜三右衛門が言った。


「赤い糸を巻いた銭。港では、荷印の代わりに使う者もおります」


「珍しいか」


「珍しすぎるものではございませぬ。ですが、探せば目に残ります」


「探せ」


「はい」


 久野が問う。


「御着へ知らせますか」


 官兵衛は少し黙った。


 知らせるべきである。


 小寺政職の名が使われた。


 羽柴の名も使われた。


 妙徳寺の道も汚された。


 だが、文だけで知らせれば、また文が動く。


 顔が要る。


「私が御着へ行く」


 官兵衛は言った。


 新介が顔を上げる。


「姫路は」


「空けぬ」


 官兵衛は短く答えた。


「明朝、御着へ出る。長居はせぬ。政職様の顔を見て伝え、日暮れまでには戻る」


「清六は」


「久野に預ける」


 久野が頷いた。


「承知」


「松寿の周りは」


「光様、乳母、女中頭、門番へ、今夜もう一度触れておきます」


 久野が言った。


 官兵衛は頷く。


 姫路を空けぬ。


 だが、御着も見ねばならぬ。


 片足では歩けない。


 両足で歩くには、片方を信じて地に置く必要がある。


 官兵衛は久野を見た。


「頼む」


 久野は、今度は驚かなかった。


「お任せあれ」


     ◇


 官兵衛は、赤糸銭を文箱の上に置いた。


 火箸、偽札、文。


 それらの横ではない。


 別に置いた。


 これは、同じものではない。


 名を偽る札。


 子を動かす文。


 そして、荷を渡す銭。


 それぞれ道が違う。


 同じ箱へ入れてしまえば、見誤る。


 官兵衛は灯りを落としかけ、もう一度赤糸銭を見た。


 相手は、黒田を測っている。


 怒るか。


 焼くか。


 斬るか。


 子を隠すか。


 寺を潰すか。


 商人を敵にするか。


 その一つひとつを、荷の報せとして外へ出そうとした。


 ならば、こちらも測る。


 荷を見る。


 銭を見る。


 道を見る。


 そして、顔を見に行く。


 御着へ。


 政職の顔を。


 小寺家中の揺れを。


 官兵衛は低く呟いた。


「荷は、黙って逃げる。だが、行き先までは隠せぬ」


 夜が明ければ、官兵衛は少人数を連れて御着へ向かう。


 姫路を空けるのではない。


 姫路を久野に預けて、御着を見る。


 それが、今の黒田官兵衛に必要な歩き方だった。



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