表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『如水逆行~壊れた軍師・官兵衛、今度こそ天下を盗る~』  作者: あちゅ和尚


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/26

第12話 塩俵は、馬の前に置く

 翌朝、御着の城はまだ薄暗かった。


 夜の湿りが土に残り、厩のあたりから馬の息が白く上がっている。


 その厩の裏で、喜三右衛門が塩俵を一つ見つけた。


 俵は粗末な筵にくるまれていた。


 表には何の印もない。


 だが、縄の内側。


 普通なら見落とすところに、小さな黒い札が挟まれていた。


 黒田が室津で押さえた塩荷につけた札である。


「戻ってきたか」


 報告を聞いた官兵衛は、そう言った。


 驚きはなかった。


 喜三右衛門は少しだけ眉を上げた。


「驚かれませぬか」


「止まった荷はいずれ動く。動けば、どこかに顔を出す」


「ですが、まさか御着の厩裏とは」


「米なら蔵へ行く。紙なら文箱へ行く。塩は、人と馬の近くへ行く」


 官兵衛は立ち上がった。


 御着を出るわけではない。


 厩は城の内である。


 それでも、部屋を出る時、開け放った障子の方を一度見た。


 風が入っている。


 戻る場所に風がある。


 それだけで、足は動いた。


     ◇


 厩裏には、喜三右衛門のほか、新介と四兵衛が待っていた。


 馬の匂い。


 藁の匂い。


 湿った土。


 朝の冷気。


 紙と墨の匂いばかり続いていた数日とは違う。


 官兵衛は、少しだけ息を吸いやすく感じた。


 ここは閉じていない。


 空がある。


 馬がいる。


 人が動いている。


 だが、だから安全というわけではない。


 兵は、文より早く人を殺す。


「俵は」


 官兵衛が問う。


 喜三右衛門が筵をめくった。


 中には塩が詰められていた。


 粗い塩である。


 軍の保存食にも、馬にも、人にも使える。


 官兵衛は札を見た。


 黒田の印ではない。


 あえて商人の目印に似せた、小さな焼き印である。


 室津で一部だけ押さえた塩荷に、喜三右衛門がつけたものだ。


「誰が運び込んだ」


「夜明け前、馬草と一緒に運ばれております。厩番は、飾磨から来た荷だと思ったと」


「飾磨から?」


「そう聞かされていたそうです」


 新介が口を挟んだ。


「しかし、この札があるなら、室津の塩でございます」


「そうだ」


 官兵衛は俵の周りを見た。


 土に轍がある。


 荷車の跡。


 そして、馬の蹄跡がいくつか。


 新しい。


 夜明け前に馬を出す支度をしたか。


「馬は何頭動いた」


 厩番が呼ばれた。


 眠そうな顔をしていたが、官兵衛を見て一気に目を覚ました。


「申し上げます。昨夜は、外へ出た馬はございませぬ」


「外へ出た馬は、だな」


 厩番の顔が強張った。


 外へ出た。


 その言葉を、厩番は門を越えて遠くへ遣られた馬という意味で使ったのだろう。


 だが、官兵衛が見ているのはそこではない。


 門外へ出たかどうかではない。


 誰の許しで、誰が、何の名目で、馬を動かしたかである。


「鞍を置いた馬は何頭だ」


「……三頭にございます」


「誰の命だ」


「三宅様の下人が、朝の使いに備えると言いまして」


 新介が顔を上げた。


 三宅甚太夫。


 昨日、円明寺で紙を焼いた男。


 また三宅か。


 そう思った顔である。


 官兵衛はすぐに言った。


「決めるな」


 新介ははっとした。


「三宅の名が出るように、置かれた荷かもしれぬ」


「では、真鍋殿が」


「それも決めるな」


 官兵衛は俵に手を置いた。


 塩は冷たい。


 だが、重い。


 紙と違って、燃やせば消えるものではない。


 動かせば跡が残る。


 だからこそ、人は荷に嘘をつかせる。


「喜三右衛門」


「はっ」


「この塩俵の残りを見ろ。どこで荷が割れたか。室津からここまで、一俵だけで来るはずがない」


「承知いたしました」


「四兵衛」


「はっ」


「鞍を置いた三頭を見る。蹄、腹、汗の跡。昨夜、ただ支度しただけか、本当に歩かせたか」


「承りました」


「新介」


「はっ」


「厩番を責めるな。誰がいつ何を言ったか、順に聞け。嘘をつかせるな」


「はい」


 官兵衛はそこで少し考えた。


 そして厩番へ向いた。


「そなた」


「は、はい」


「名は」


「源八にございます」


「源八。今のうちに申せ。昨夜、鞍を置いた三頭のほかに、綱を替えた馬はあるか」


 源八は唇を噛んだ。


 しばらく迷う。


 官兵衛は待った。


 待つことも、時には刃になる。


「一頭、ございます」


「誰の」


「真鍋様の若い衆が使う馬に」


 新介が息を呑む。


 三宅。


 真鍋。


 二つの名が重なった。


 分かりやすすぎる。


 だからこそ、まだ信じない。


「その馬は」


「まだ厩におります」


「見せよ」


     ◇


 馬は栗毛だった。


 足は強そうだが、昨夜遠くへ出た様子はない。


 腹に汗の跡はない。


 だが、蹄の泥が新しい。


 城内だけではつかぬ赤土が、少しだけ縁に残っていた。


 源八は、外へ出たとは数えていなかった。


 門を越え、遠くへ遣られたわけではない。


 だが、城下の外れまで引き出されたことは、明らかだった。


 四兵衛がしゃがみ、泥を見た。


「外へは出ておりますな」


「遠くか」


「いいえ。城下の外れ程度かと」


「何のために」


 新介が問う。


 四兵衛は蹄から目を離さずに言った。


「外で誰かと会うには、十分でございます」


 官兵衛は頷いた。


 塩俵。


 三宅の下人。


 真鍋の若い衆。


 城下の外れ。


 室津から戻った荷。


 つながっている。


 だが、一本ではない。


 何人もが同じ荷を、それぞれ別の目的で使っている可能性がある。


「殿」


 喜三右衛門が戻ってきた。


「この塩、室津から直接ではございませぬ。一度、飾磨で荷札を替えております」


「飾磨で」


「はい。塩俵は三つございました。一つが御着へ。残り二つは、城下の外れの商人蔵へ入ったと」


「誰の蔵だ」


「播磨屋弥平」


 官兵衛は目を細めた。


 以前、港の口上に来た商人である。


 米と塩の値を探っていた男。


「弥平を呼べ」


「捕らえますか」


「呼べ。捕らえるな」


 喜三右衛門は頷いた。


「承知いたしました」


     ◇


 播磨屋弥平は、昼前に御着へ来た。


 早かった。


 早すぎる。


 呼ばれることを予期していたか、あるいは呼ばれる前から城の近くにいたか。


 弥平はいつものように腰を低くした。


「官兵衛様。何か不手際がございましたでしょうか」


「まだ分からぬ」


 官兵衛は言った。


「分からぬうちに聞く」


「ありがたきことで」


「室津の塩が、なぜ飾磨を経て御着の厩裏へ来た」


 弥平の顔から、商人の笑みが少し消えた。


「塩でございますか」


「とぼけるには早い」


「……荷は扱いました」


「誰に頼まれた」


「城中の方にございます」


「名は」


「名を出せば、商人は明日から荷を扱えなくなります」


 新介が身を乗り出しかけた。


 官兵衛は手で制した。


「名を出さぬなら、明日から小寺の荷を扱えなくなる」


 弥平の顔が硬くなった。


 脅しではない。


 事実である。


 文と蔵と港津の控えを官兵衛が見ている以上、弥平の名を外すことはできる。


 商人は、武士に斬られるより、荷の道を失うことを恐れる。


「……三宅様の下人が一度」


 弥平は低く言った。


「その後、真鍋様の若い衆が一度」


「どちらが先だ」


「三宅様の下人にございます」


「何を頼んだ」


「御着へ少し塩を入れたい。表の荷ではなく、厩の荷に混ぜたいと」


「真鍋の若い衆は」


「同じ荷の残りを、城下の外れへ置けと」


「なぜ」


「そこまでは」


 弥平は首を振った。


「商人は、頼まれた荷を動かすだけにございます」


「嘘だな」


 官兵衛は言った。


 弥平の喉が鳴った。


「商人は、荷の行き先を見て値をつける。理由を知らぬふりはしても、理由を考えぬ商人はおらぬ」


 弥平は黙った。


 官兵衛は声を落とした。


「何だと思った」


「……どなたかが、夜に人を出す支度かと」


「人とは」


「使いか、若い衆か。あるいは、どこかへ逃がす者か」


 部屋の空気が変わった。


 逃がす者。


 官兵衛は、その言葉に反応した。


 慈徳。


 円明寺にいた僧形の男。


 まだ捕らえていない。


 使うために泳がせた男。


 その男を、誰かが逃がそうとしているのか。


「慈徳を見たか」


 官兵衛が問う。


 弥平は目を伏せた。


「名は存じませぬ。僧形の男なら、城下外れの蔵近くで一度」


「いつ」


「昨夜にございます」


 新介が拳を握った。


 官兵衛は静かに息を吐いた。


 点が線になりかけている。


 だが、まだ結ぶには早い。


「弥平」


「はい」


「今から、そなたの蔵を改める」


 弥平が顔を上げた。


「それは」


「拒むか」


「いえ」


「よい。拒まぬなら、そなたは荷を乱した者ではなく、荷を見せた者になる」


 弥平の目が動いた。


 商人は罰より利で動く。


 逃げ道を見せれば、そちらへ来る。


「ご案内いたします」


     ◇


 城下外れの商人蔵は、古い道沿いにあった。


 官兵衛自身は、御着の城を出ない。


 行かせたのは、喜三右衛門と四兵衛である。


 新介は城に残した。


 弥平の話を政職の前で整えるためだ。


 官兵衛は、控え部屋で待った。


 待つだけの時間は、嫌いではない。


 だが、今日の待ちは重かった。


 塩。


 馬。


 僧。


 子。


 そのどれもが、人質という言葉へ少しずつ近づいている気がした。


 松寿丸ではない。


 まだ違う。


 だが、人の命を荷のように動かす気配がある。


 官兵衛は筆を握った。


 強く握りすぎて、指先が白くなる。


 やがて、喜三右衛門が戻った。


 顔が硬い。


「殿」


「申せ」


「商人蔵に、塩俵二つ。黒田の札つきにございます」


「ほかは」


「古い旅装束。草鞋。乾飯。小さな薬包」


「人を逃がす支度だな」


「はい」


「慈徳は」


「おりませぬでした。ですが」


 喜三右衛門は、懐から小さな布を出した。


「蔵の隅に落ちておりました」


 布には、焦げた紙片が包まれている。


 官兵衛は広げた。


 文字は少ない。


 ただ一つ、読める名があった。


 備前。


 新介が小さく息を呑んだ。


 備前。


 浦上の影が、また出た。


 毛利ではない。


 少なくとも、表の名は浦上に近い。


 官兵衛は、紙片を見つめた。


 慈徳を逃がす。


 備前へ。


 塩と乾飯を持たせて。


 三宅の下人が荷を入れ、真鍋の若い衆が残りを動かす。


 別々に見えた手が、一つの逃げ道を作っている。


 だが、三宅と真鍋が仲良く手を組んだとは限らない。


 同じ道を、別々の思惑で使っているだけかもしれない。


「殿」


 新介が言った。


「慈徳を捕らえますか」


「まだだ」


「まだ、でございますか」


「慈徳は逃げる。ならば、逃げる先を見る」


「備前へ」


「そう見せているだけかもしれぬ」


 官兵衛は紙片を畳んだ。


「だが、備前の名を残した者は、こちらにそう見せたかった」


 四兵衛が静かに言った。


「わざと落としたと」


「分からぬ」


 官兵衛は首を振った。


「だから、今度はこちらも落とす」


「何を」


「偽の手綱だ」


     ◇


 夕刻、政職の前で報告が行われた。


 厩裏の塩俵。


 黒田の札。


 三宅の下人。


 真鍋の若い衆。


 飾磨の荷替え。


 弥平の証言。


 城下外れの商人蔵。


 旅装束、乾飯、薬包。


 そして、備前と読める焦げた紙片。


 政職は、何度も目を閉じた。


「また三宅か。真鍋もか」


「名は出ました」


 官兵衛は言った。


「されど、二人が同じ考えで動いたとは限りませぬ」


「どういう意味だ」


「三宅殿は、文の行方を消そうとした。真鍋殿の若い衆は、別の者の逃げ道を用意した。あるいは、その逆。今ここで一つに決めれば、残りが逃げます」


 政職は疲れたように息を吐いた。


「では、また泳がせるのか」


 その声には、苛立ちがあった。


 官兵衛は、それを受け止めた。


 政職もまた、変わり始めている。


 ただ迷うだけではなく、決着を欲し始めている。


 それは良い。


 だが、急がせれば間違う。


「今度は、泳がせるだけではございませぬ」


「何をする」


「厩を改めます」


 政職が顔を上げた。


「厩を?」


「はい。小寺家中の馬の出入り、鞍、馬草、塩、乾飯の出し入れを控えに残す。無断で夜に馬を出すことを禁じます」


 老臣の一人が声を上げた。


「そこまで縛れば、急な使いも出せぬ」


「急な使いは、殿の許しを得れば出せます」


 官兵衛は即座に返した。


「許しを得られぬ使いが、問題なのです」


 政職は黙った。


 官兵衛は続けた。


「文は、人の口を動かします。塩は、人と馬を動かします。どちらも殿の知らぬところで動けば、小寺の名が外で売られます」


 政職の顔が硬くなった。


 小寺の名が売られる。


 その言葉は効く。


 政職は家を残したい男だ。


 家の名を売られることを、何より恐れる。


「よかろう」


 政職は言った。


「厩も改めよ。ただし、家中を騒がせすぎるな」


「承りました」


「三宅と真鍋は」


「今は名を伏せます」


「またか」


「はい」


 官兵衛は頭を下げた。


「名を伏せれば、彼らはまだ動けます。動けば、誰と繋がるか見えます」


 政職は官兵衛を見た。


 長い沈黙があった。


「官兵衛」


「はっ」


「そなたは、皆を罠にかけているのか」


 部屋が静まった。


 官兵衛はすぐには答えなかった。


 その問いは、今までで一番まっすぐだった。


 政職が、官兵衛の策そのものを見始めている。


 ごまかせば、失う。


 正直に言いすぎれば、恐れられる。


 官兵衛は頭を下げたまま言った。


「罠を置いております」


 政職の息が止まった。


「ただし、殿の家を裂くためではございませぬ。殿の知らぬところで小寺の名を売る者を、表へ出すためにございます」


 政職は黙っていた。


「乱世では、何も置かぬ道にも罠がございます。ならば、こちらで置いた罠の方が、まだ外せます」


 それは本心だった。


 半分は。


 政職は、やがて低く言った。


「わしにも、外せる罠にせよ」


 官兵衛は顔を上げた。


 政職の目には、疲れと恐れがあった。


 だが、そこに小さな意地もあった。


「承りました」


 官兵衛は深く頭を下げた。


 予想より、政職は踏み込んできた。


 器にあらず。


 それは今も変わらない。


 だが、器でないからといって、完全な空ではない。


 中に残ったものが、時に官兵衛の策を重くする。


     ◇


 夜、御着の厩には新しい札が下がった。


 馬の出入り。


 鞍の出入り。


 塩と馬草の出入り。


 夜の使いは、政職の許しと控えなきものを認めぬこと。


 家中はざわめいた。


 不満も出た。


 だが、誰も表では反対しにくかった。


 厩裏で塩俵が見つかったばかりだからである。


 新介は、札を見上げて言った。


「文、蔵、寺、そして厩」


「次は人だ」


 官兵衛は言った。


 新介が振り向く。


「人、でございますか」


「文を運ぶのも、荷を動かすのも、馬に乗るのも、人だ。物を見れば、最後は人に行き着く」


 新介は黙った。


 官兵衛は厩の奥を見た。


 馬が一頭、鼻を鳴らす。


 塩俵の匂いは、もう薄れている。


 だが、その重さは残っていた。


 慈徳はまだ見えない。


 備前の名も、真か偽か分からない。


 羽柴の返事も、まだ来ない。


 だが、御着の中で無断に馬を動かす道は、今日ひとつ塞いだ。


 官兵衛は低く呟いた。


「父の手に戻すものは、子だけではない」


 新介には聞こえなかった。


 小寺の文。


 小寺の蔵。


 小寺の寺社筋。


 小寺の馬。


 それらは少しずつ、政職の手に戻る形を取りながら、官兵衛の目の前を通るようになっている。


 返すふりをして、通り道を握る。


 それが、今の一手だった。


 夜風が厩を抜けた。


 閉じていない。


 だが、どこにも逃げ場があるわけではない。


 官兵衛は、馬の蹄跡を見た。


 次に追うべきは、慈徳ではない。


 慈徳を逃がそうとした者たちが、誰を恐れているか。


 その名である。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ