38話~失せろ、ゴミ~
マークシートテストの結果は最悪だったが、その代わりに体力テストの方は順調だった。50m走はチームで一番の成績だったし、続いて行われた反復横跳びも、天馬君達と同じくらいは飛ぶことが出来た。握力はちょっとだけズルをさせてもらって、手ではなく口の力を計って貰った。
何せ、俺の手はこんなだからね。鉛筆すら持てないのに、どうしてハンドルなんて持てるだろうか。
その為、握力計の針が振り切れることとなり、みんなの注目を集めてしまった。
脚力と同じくらい、顎も異世界で酷使したから。自然と筋力が付いていたみたい。
そんなことが続いたからか、周囲からの評価は大きく変わっていた。筆記試験後は大人しい残念ワンちゃんとして親しまれていたけど、今では「案外、一次選考受かるんじゃ?」なんて楽観的な意見も出始めていた。
必要以上に注目されている。特に、プライドの高い馬場山君から。
「おい、犬。次は持久走だ。今度こそ、俺と勝負しろ」
折角、女性陣に囲まれてチヤホヤされていたのに、馬場山君が突っ込んできて、蹴散らしてしまう。彼は構わず、俺の首後ろをビローンと持ち上げる。
そんな睨まなくても分かっているよ。2㎞の持久走は全員一斉にスタートだ。どうしたって、君とも争う事になる。
そして…。
「僕とも是非、手合わせ願いたいね」
朗らかに微笑む、委員長の天馬君。だけど、その瞳は穏やかじゃない。俺の内を覗き込もうと、ギラギラと輝いていた。
彼とも戦わないといけないのか。
俺は【前途多難だ…】と諦めて、スタート地点まで大人しく搬送してもらう。そして、先頭集団に並ばされる。案の定、俺の左隣に馬場山君が並び、右隣りに天馬君が並んだ。
君達。熱くなり過ぎて俺のこと蹴とばさないでよ?俺って小さいから、君達の足元にしか及ばないんだ。
「では始めます!」
試験官が旗を振り上げる。周りの緊張感が増し、俺の中でも緊張と不安が浮かび上がる。
スタートダッシュに出遅れると、マジで蹴り飛ばされるから。
そして、
「スタート!」
旗が振り下ろされた。
同時に、俺は駆け出す。今回は出遅れず、寧ろみんなより1歩リードした。俺の両脇に、馬場山君と天馬君も付いてくる。
おお、良いね。何だか、ハウンズのみんなを思い出す。大勢で走るのは、やっぱり格別だ。
さぁ、みんな!行こうじゃないか!
俺は跳ねる心のままに駆け出す。四肢を掻く事に体が前へ前へと飛び出し、風が全身を駆け抜ける。
ああ、気持ちいい!
〈◆〉
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
くそっ。何なんだ、この犬コロ。
全く息も上がんねぇで、半分の1kmを走り終えやがった。
持久走苦手な筈だろ、犬ってのは。なのに何なんだ、こいつ。
【ワゥウー】
一声鳴くと、犬の速度がグンと上がる。辛うじて背中に付いていた俺達を置いてけぼりに、グングンと離れていった。
まだ本気じゃなかったのかよ、こいつ。
ビッ!
息も絶え絶えでゴールラインを超えると、計測機が反応する。俺の記録が5分41秒で、委員長のタイムが5分40秒と記録されている。
だが不思議と悔しくない。それよりあいつの記録はどうだったんだ。
俺は試験官に駆け寄り、記録を見る。
1111番の記録は…〈4分9秒〉
「はぁ?」
4分?いやもう、殆ど3分台に近い。
なんだこれ?こんなに犬って速いものなのか?そもそもこいつ、どうやって独りで走ってたんだ?指示も誘導も無しに、長距離を走るなんて出来ないだろ。
【ハッ、ハッ、ハッ!】
驚愕の数値に固まっていると、俺の足元で短い息が掛かる。
犬だ。円な瞳をこちらに向け、嬉しそうにこちらを見上げていた。
いや、俺を見てる訳じゃねぇな。こいつ、試験官を見てんだ。次を寄越せって、まるで餌をねだるみたいにしていやがる。
まだ走り足りねぇってのか?こいつ。
「試験官。次は、障害物走だったよな?何処の会場だ?」
去年もそうだったから聞いてみると、第1競技場であると教えられる。
第1か。ちと距離もあるから、クールダウンがてらボチボチ歩くか。
「おい、犬。付いて来い」
【ワンッ】
呼ぶと、嬉しそうに隣へ並ぶ犬。
…マジでこいつ、何なんだろうな。普通の犬じゃねぇ。どっかの組織が作り出した、生物兵器か?
異世界でも日本は、重火器の使用に制限がかかっていて、色々と苦労している。でもだからって、まさかそっちに手を出そうってのか?
「優秀だね。犬くんは」
有り得ない想像をしていると、犬の横にムカつく顔が並んだ。
委員長。てめぇはお呼びじゃねぇんだよ。
「ちっ。なんでてめぇまで付いてきてんだ」
「当たり前じゃないか。僕らも同じ順番で試験を受けているんだから」
ちっ。また正論か。そう言うのが気に食わねぇんだよ。
「おや?あれは…」
俺が睨みを効かせても、意に介さない委員長。奴は何かと見つけて「おーい」と手を振った。
そちらを見ると…もっといけ好かない野郎が歩いていた。
奴の切れ目が、こちらを向く。まるで人をゴミの様に見て「ふんっ」と鼻を鳴らした。
式守蓮。天才だ何だと持て囃されて、調子に乗ってるクソ野郎だ。
「失せろ、ゴミ。目障りだ」
「あぁ?」
本当にゴミ扱いしやがったな、てめぇ。今日こそぶっ殺してやる。
俺は心に決めて、前に出る。拳を固め、涼しく見下す奴の顔面に叩き込もうとした。
でもその前に、犬が飛び出す。式守に向かって【ワンッ】と挨拶する。
「…何だ?この汚い毛玉は」
犬に対しても、式守は見下してくる。今にも蹴飛ばしそうだったので、俺は犬の横に並ぶ。
奴に嘲笑を向けた。
「犬だ。そんなのも知らねぇのか?」
「ふんっ。貴様には似合いのペットだな。雑種」
いつも通りの煽り言葉。
でも何故か、俺の心はそこまで荒れなかった。お得意の血縁ネタも、今日は笑えるくらいに的外れに感じた。
そうだよな。てめぇらにはまだ、この犬がただの雑種に見えるんだよな。
「なんだ?気持ち悪い顔をしやがって」
「なんでもねぇよ。それより、てめぇのタイムは幾つだ?そっちはもう、障害物走を終えたんだろ?」
「ゴミに教える理由が無い」
ちっ。本当にムカつく野郎だ。
怒りそうになり、拳を握る。代わりに、嘲笑を浮かべ直す。
「はっ!そうかよ。言えねぇくらい悪かったんだな。ご愁傷さま。俺は50m走5.9だ」
「舐めるな、ゴミ。俺のベストは5.0だ。お前じゃ足元にも及ばない」
ああ、そうだろうよ。この天才野郎。記述試験も1位で通過しやがって。
「良いだろう、ゴミ。分からせてやる。俺のタイムは1分12秒だ。お前らじゃ近付く事も出来ない」
「あぁ?」
俺は睨むが、内心はため息を吐きたかった。
2分を切りゃ上等って競技で、1分12…。相変わらずのバケモンが。
「分かったら退け、ゴミクズ共」
俺達を押しのけ、強引に通る式守。その背中に、俺は何も返せなかった。
くそっ…。
「さぁ、行こうか。2人とも」
委員長が仕切る。
ちっ。言われなくても分かってんだよ。
俺達が第1競技場へ着くと、そこは第3とはかなり違っていた。トラックの周りは一緒でも、そのトラックには様々な物が置かれていた。
ハードルに、ネットに、平均台に、高い壁。数々の障害物が、400mトラックに所狭しと設置されている。
去年よりレベル上がってないか?
「次のチームの子達か?列に並んで待っていてくれ」
試験官が声を上げ、数人が並ぶ列を手で示す。
俺達が列に並ぶ先で、受験者が次々と障害物走に挑んでいる。
2分11秒。1分58秒。2分2秒。
やっぱこんなもんだよな。今年の受験者が優秀って訳じゃなさそうだ。
あいつがおかしいんだよ。式守蓮。兄の七光り野郎。
「次は君か?」
「はいっ!僕が行きます!」
下を向いていたら、委員長に先を越された。
…まぁ、良い。お前で、今年の傾向を掴んでやる。
「スタート!」
委員長がスタートする。バーを一つも倒さず、するするとネットを潜る。
…はぇえな。前の奴らを見ていたから、余計に分かる。これは、確実に2分を切る。
ビッ!
「999番、1分38秒!」
「「「おぉお…」」」
周りから驚きの声が漏れる。
俺も、歯を食いしばっていた。
38…お前のベストじゃねぇか。2km走った後でそれって…。
お前もバケモン側だ。
「次、行くぞ」
「くっ」
俺は首を振り、考えるのを止める。スタートと同時に走り出し、障害物を超える。
でも、体が重い。バーを1つ倒したし、壁で手間取った。1発で登れなかったのは痛い。
そして、
「1101番、1分47秒!」
「「おぉ…」」
「ちっ」
やっちまった。ベストより4秒も遅い。
「やるじゃん、ババちゃん」
いつの間にか集まっていたクラスメイト達が、俺に笑顔を向ける。それに、俺は答えられない。とても喜ぶ気になれなかった。
くそっ。イライラする。
「ほら、ワンちゃんのスタートだよ」
蜂須賀の声で、俺は顔を上げる。丁度、犬が走り始めた所だった。
出だしは良かったが、自分の目線よりも高いハードルに差し掛かり…。
難なく飛び越えやがった。次のネット潜りも、殆ど速度を落とすことなく通過した。
なんて奴だと驚く暇もなく、あいつは平均台に飛び乗る。狭い通路もなんのその。飛び越える勢いで橋の上を滑走する。
だが、この先に待つのは2mを超える木の壁。俺達だって苦労するこいつを、どうよじ登る気なのか。
そう思って見ていたが、犬は躊躇せずに壁へ突っ込む。勢いよく飛び上がり、前足を壁に伸ばす。
だが、半分もいかない所で止まる。
ここまでか。
そう思った次の瞬間、犬は止まった所から更にもう一段ジャンプした。彼の手足に伸びる爪が、壁の隙間を捉えていた。犬は自分の何倍もある壁を駆け上り、難なく飛び越えてしまった。
そして、
ビッ!
ゴールラインを超える。そこに表示された記録は…〈0分55秒66〉
「「「わぁあああ!」」」
「すげぇ!1分切りだぁ!」
「まるで飛んでいるみたいだったわね」
「壁登りは忍者みたいだったよ!ニンニン!」
俺の周りも大興奮だ。ルンルン気分で帰ってくる犬に向かって、手を振り拍手を打ち鳴らし、最大限の賞賛を送っていた。
俺も声を上げたかった。俺の中の何かが壊れ、暴れ出したい衝動に駆られていた。
ああ、そうか。今、分かったぞ。俺のこの苛立ち。この葛藤の意味が。
やっと分かった。俺に足りなかった物が何なのか。
それは…欲望の解放だ。




