第8話:夜ごとの賛
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収蔵品調査記録票(区分外)/整理番号:KG-0459
・品名:掛軸(山水図、絹本墨画、賛あり)
・寄贈受理日:令和七年六月六日
・寄贈者申告:「旧家より譲り受けた。落款・賛は真筆」
・状態:軸装に虫損。画面右上に賛(七言)。墨、比較的新しい。
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掛軸には、絵のほかに、賛が入ることがある。絵に寄せて書かれた詩や言葉のことだ。賛は、その掛軸が「誰の手を通ってきたか」を語る、いちばん雄弁な来歴でもある。
このKG-0459の賛を、私は初日に書き写した。七言の、山と水を詠んだ詩だった。
翌朝、賛を確かめて、私は手を止めた。
——詩が、違う。
昨日書き写したものと、今朝の掛軸の賛が、一字ならず、変わっていた。山を詠んだ句が、水を詠んだ句に。人を待つ心が、人を送る心に。墨の色は、昨日より少し新しく見えた。まるで、ゆうべ誰かが、書き直したように。
私は毎晩、賛を写した。毎朝、それは変わっていた。夜ごと、賛は書き換わっていた。
宮下さんに写しを見せると、老人は並んだ詩を、順に指でなぞった。
「これはな、"消したい過去"が多い品だ」
「消したい……過去?」
「賛ってのは、記録だ。誰がこれを持ってた、どこから来た、っていうな。この掛軸は、持ち主が替わるたび、前の持ち主が、都合の悪い賛を書き換えて、消してきた。だから夜になると、消された賛が、順ぐりに浮かんでくる。書き換えられた分だけ、下に、本当の賛が重なってる」
書き換えられた分だけ、本当の賛が、下に。私は、掛軸を光に透かした。絹の裏から見ると、うっすら、幾重にも、墨の層が見えた。何度も書き直された跡。いちばん下に、いちばん古い、本当の賛が沈んでいた。
私は、夜ごとに浮かぶ賛を、順に全部、書き写した。上から新しい嘘、その下の嘘、さらに下の嘘。そして、いちばん下の、本物。それは、この山水図を最初に描いた者が、亡き友を送って詠んだ、一句だった。
KG-0459 の賛は、歴代所有者による改竄の累積である。以下、判読できた順に、改竄層をすべて記録する。最下層(真筆・原賛)は、作者が友の死を悼んで記したもの。上層はいずれも、来歴の隠蔽を目的とした後世の書き換えである。
私は、嘘の賛も、一つ残らず台帳に写した。消された過去を、消されたまま埋もれさせず、「これは書き換えられた」と注記して、全部、記録した。
書き終えた翌朝。掛軸の賛は、もう、変わっていなかった。いちばん下にあった、本物の一句だけが、静かに、画面右上にあった。友を送る、たった七文字。
正しく書くと、物は覚えていなくてよくなる。この掛軸は、三百年ぶんの嘘を、ようやく下ろせたのだと思う。
——そして、私は、もう一つ、片付けることにした。
このKG-0459の寄贈者を、私は調べた。申告名「大高」。連絡先、使われていない番号。住所、更地。丁寧すぎる、真筆を保証する経緯書。
四つ目だった。田辺一夫。安田克彦。森田。大高。手鏡、古写真、糸車、掛軸。ぜんぶ、同じ癖の嘘で、同じ人が、名前を替えて持ち込んでいる。
私は、机に、四枚の寄贈者カードを並べた。筆跡を、拡大鏡で見比べた。
——署名の字は、毎回、変えてある。上手いものだ。けれど、経緯書の"本文"、来歴を語る文章の癖は、変えきれていなかった。撮影地を先に書き、続柄を後に添える語順。「〜と伝わる」で締める口調。几帳面な読点の打ち方。四枚とも、同じ手だった。
私は、四枚を一つのファイルに綴じて、表紙にこう書いた。「区分外・常習寄贈者。偽名複数。同一人物と断定。次回来館時、受理担当が対面すべし」。
次に、あの紳士が来たとき。私が、受付にいよう。にこやかな笑みの、その顔を、今度こそ、まっすぐ見よう。
宮下さんが、私の綴じたファイルを見て、鍵束を鳴らした。
「桐谷も、同じものを作ってた」老人は、ぽつりと言った。「あいつを追いかけて――あの子は、区分外の奥へ、入っていった」
私は、顔を上げた。
その男の名前を、宮下さんは、初めて口にした。
「各務、と名乗ってたこともある。……鏡の、各に、務め、と書いてな」
掛軸の一件と、四つの偽名が一本の線に繋がる回でした。名前を替えて品を捨てに来る紳士——各務。そして桐谷さんは、その男を追って区分外の奥へ消えた。次回、ついにナナミが各務と対面します。「これは、由緒正しい品でしてね」。偽の来歴 対 正しい記録、最初の直接対決です。




