第7話:明るい博物館
区分外の仕事をしていると、昼間の博物館が、まぶしく見える。
私が普段いるのは、窓のない奥の部屋だ。けれど契約上、私は表の業務も手伝う。今日は、来月の企画展「くらしの道具・むかしの手仕事」の準備で、展示ケースに並べる品の整理を任されていた。
「須藤さーん、これ、キャプションの綴り合ってます?」
和泉さんだった。正規の学芸員で、私より九つ上。いつも企画展の図録を小脇に抱えていて、館内の噂という噂に詳しい。人当たりがよくて、私みたいな契約職員にも、分け隔てなく話しかけてくれる。
「合ってます。……和泉さん、この糸車、寄贈品ですか」
「そうそう。先週入ったの。感じのいい寄贈者さんでね、コート着た紳士の。来歴もばっちり添えてくれて、助かっちゃった」
コート。紳士。来歴もばっちり。私の手が、止まった。
「その方の、お名前……」
「えーと、寄贈者カードだと……森田さん、だったかな」和泉さんは首をかしげた。「どうかした?」
森田。田辺。安田。また、違う名前。私は、その糸車を見た。木製の、ありふれた古い糸車。表の企画展に並ぶ、なんでもない民具。けれど、添えられた来歴が、あの丁寧すぎる筆致だったら。
「和泉さん。この糸車、来歴の資料、見せてもらえますか」
「いいけど……須藤さん、区分外の係でしょ? 表の品なんて、興味あるんだ」
区分外。和泉さんは、その言葉を、なんの含みもなく口にした。表の学芸員も、区分外収蔵庫の"名前"だけは知っている。けれど、そこが何をする部屋かは、知らない。曰く付きの品を隔離して、正しく記録して封じる場所だなんて、思ってもいない。ただの、雑品置き場だと思っている。
その無邪気さが、少し、怖かった。
私が糸車の来歴書を調べていると、館長の三上さんが通りかかった。穏やかな笑顔の、事務的な人。
「須藤さん。展示準備、区分外の品を持ち出したりしていないね?」
「していません」
「ならいい」三上さんは笑顔のまま言った。「あの部屋のことは、企画展でも図録でも、いっさい触れないように。来館者が興味を持つと、面倒だ。……あそこは、"無い"ことになっている」
無いことになっている。区分外収蔵庫は、この博物館では、存在しないことになっている。存在しないから、記録もされない。表沙汰にもならない。三上さんにとって、それは怪異よりずっと大事な、"評判を守る"という一線だった。
その夜、私は区分外で、糸車の来歴書を照合した。
嫌な予感は、当たっていた。丁寧すぎる筆致。撮影地、伝来、続柄。そして寄贈者「森田」——連絡先は、使われていない番号だった。あの人だ。名前を替えて、また来ている。今度は、区分外ではなく、表の企画展に、堂々と品を紛れ込ませて。
私は、和泉さんの明るい顔を思い出した。「感じのいい寄贈者さんでね」。
表の学芸員は、区分外を知らない。だから、曰く付きの品を、なんの疑いもなく、来館者の目の前のケースに並べてしまう。そして館長は、区分外を"無い"ことにしているから、誰もそれを止めない。
——この博物館の一番の穴は、怪異じゃない。
怪異を"無い"ことにする、明るさのほうだ。
私は、その糸車を、翌朝そっと表の準備室から下げて、区分外へ移す手続きを取った。和泉さんには、「状態に問題があったので調査に回す」とだけ伝えた。嘘ではない。区分外は、いつだって、状態に問題のある品ばかりだ。
和泉さんは、「そっかー、残念」と笑って、あっさり別の品に差し替えた。何も、気づいていない。
けれど別れ際、和泉さんは、ふと足を止めて、私を見た。
「須藤さんってさ、時々、桐谷さんに似てるね」
心臓が、鳴った。
「前にあの部屋の係だった人。あの人も、時々、表の品を"調査に回す"って言って、下げてたなあ。……あれ、なんでだったんだろ」
和泉さんは、答えを待たずに、図録を抱えて廊下を歩いていった。明るい博物館の、明るい廊下を。
私は、その背中を見送った。表の住人が、ふとした拍子に、裏の綻びに、手を触れかける。まだ、気づいていない。けれど、いつか。
区分外収蔵庫の鍵を握る手に、少し、汗をかいていた。
今回はナナミの"表側"、明るい博物館の回でした。怪異を"無い"ことにする組織の壁(館長・三上)と、区分外に近づきかける和泉さん。次回は掛軸です。「賛(書き込み)の筆跡が、夜ごと書き換わる」。そして、名前を替えて品を捨てに来るあの紳士に、ナナミがついに"顔"を合わせます。




