第5話:二つの家の人形
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収蔵品調査記録票(区分外)/整理番号:KG-0431
・品名:市松人形(黒髪おかっぱ、緋色の着物)
・寄贈受理日:令和七年五月九日
・受理担当:須藤ナナミ
・寄贈者申告:「祖母の家に代々あった。処分に困り寄贈」
・状態:桐塑、頭部に補修跡。左目の位置がわずかに下がる。
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人形は、来歴を偽られやすい品だ。
理由は単純で、みんな、本当のことを言いたがらないからだ。「気味が悪いので手放したい」とは書けないから、「代々あった」「祖母の家の」と、少しだけ由緒のあるふりをする。だから人形の経緯書は、たいてい、どこか他人行儀に丁寧だ。
このKG-0431も、そうだった。私は綿手袋を嵌め直して、頭部の補修跡を調べた。桐塑の人形は、古くなると頭を挿げ替える。珍しくない。珍しかったのは、照合をかけたときだった。
同じ人形の記録が、もう一件あった。
・平成十八年/寄贈者・河合/「亡き娘の遺品」として受理。区分外へ収蔵。
私は写真を並べた。緋色の着物、黒髪のおかっぱ、左目がわずかに下がった顔。二体は、どこから見ても、同じ人形だった。補修跡の位置まで、同じだった。
けれど、平成十八年の河合家の人形は、いまも区分外収蔵庫の棚にある。整理番号を確かめに行った。あった。緋色の着物の市松人形が、確かに、棚に座っていた。
つまり、同じ人形が、二体、この博物館にある。片方は平成十八年から棚に。もう片方は、今日、私が受理した。
同じ人形が、二つの家に、別々に伝わっていた。そんなことが、あるだろうか。
その夜、宮下さんに話すと、老人は湯呑みを持つ手を止めた。
「二体、あるのか」
「はい。補修跡まで同じで」
「片方は、偽物だな」宮下さんは言った。「いや——どっちも本物、と言うべきか。人形ってのは、"移る"んだ。可愛がった家の記憶ごと、そっくり別の器に移る。だから、同じ顔が、二つできる」
移る。器を替えて。それは、手鏡が持ち主を替えたのと、少し似ていた。
私は棚の一体と、今日の一体を、並べて置いた。二つの左目が、同じ角度で、わずかに下を向いていた。
夜、区分外収蔵庫の温湿度ログを確認して、指が止まった。無人の部屋の記録に、一時間だけ、室温が二度下がった時間帯があった。二十二時台。ちょうど、閉館後の巡回の谷間。人のいない時間に、二体の人形は、同じ室温の中に、並んで座っていた。
こういうとき、私は怖がる代わりに、記録を読む。
平成十八年、河合家。「亡き娘の遺品」。私は、その河合家を調べた。娘さんは、七つで亡くなっていた。市松人形は、その子が生きているあいだ、いちばん可愛がっていた玩具だった。河合家は、娘の死後、人形を家に置いておけなくなった。娘がそこにいるように見えたからだ。だから、寄贈した。
今日のKG-0431の寄贈者、「祖母の家に代々あった」という申告を、私はもう一度読んだ。連絡先に電話をかけた。今度は、繋がった。年配の女性が出た。
私は率直に訊いた。この人形は、本当はどこから来たものですか、と。
女性は、長いあいだ黙ってから、小さな声で言った。「……あの子の、姉の家から」
姉。河合家の、亡くなった娘さんの、姉。姉は結婚して家を出て、妹の形見の人形を、自分の家に引き取っていた。妹が寂しくないように。けれど、その家でも、人形は"娘がそこにいるように"見え始めた。だから、姉もまた、手放した。「祖母の家に代々」と偽って。
同じ人形が、二つの家に、別々にあったのではない。一つの人形が、姉妹の家を行き来していた。片方が博物館に来ても、もう片方の家に、同じ顔が残った。可愛がられた記憶が、二つの家に、それぞれ器を得ていた。
私は、綿手袋を嵌め直して、奥の台帳を開いた。
KG-0431 および KG(平成十八年河合家収蔵分)は、同一の被愛玩体に由来する。両家はいずれも故・河合〔娘〕の遺族であり、一方は生前の玩具、他方はその記憶が移った複体である。両者は"別物"ではなく、一人の子どもを悼む、二つの家の同じ祈りである。
書き切って、私は二体の人形を、棚に並べて置いた。姉妹のように。
翌朝、温湿度ログを見た。前夜、室温の低下は、なかった。二度下がることは、もう、なかった。
正しく書いてやると、物は、覚えていなくてよくなる。覚えていなくてよくなるというのは、たぶん、成仏に近い。私は、そう思うことにしている。
第二の収蔵品は市松人形でした。今回は、怖さの底に、ちいさな弔いを置いてみました。次回は一枚の古写真です。「寄贈のたびに、写り込む人が一人ずつ増える」。そして、来歴の"嘘"が、少しずつ、同じ筆跡の匂いを帯びてきます。ブックマークで台帳に栞を。




