第18話:常夜灯の先
区分外収蔵庫の、いちばん奥は、常夜灯が届かない。
宮下さんの鍵束の音を頼りに、私は、棚と棚のあいだを、進んだ。手前の棚は、私が知っている。KG-0431の市松人形。0459の掛軸。0472の千人針。一点ずつ、来歴を確かめ、封じを書いた品たち。番号を取り戻した品は、もう、静かだった。
けれど、奥へ行くほど、棚の品には、番号が、なかった。
古い品ばかりだった。埃をかぶった長持。布をかけられた什器。誰の受理印もない、記録票の付いていない品。宮下さんが記録係になるより前から、ここに置かれていたものたち。台帳に載る前の、区分外の、地層のような場所。
「足元、気をつけて」宮下さんが、言った。「ここから先は、桐谷も、わしも、めったに入らん」
常夜灯の光が、背中で、細くなった。宮下さんが、懐中電灯を点けた。白い光の輪が、いちばん奥の棚を、照らした。
そこに、一つだけ、布をかけられた、背の高い什器が、あった。
ほかの品より、ずっと古い。ずっと大きい。かけられた布は、もとは白かったのだろうが、今は、灰色に近い。裾のあたりに、細い紐で、木札が、一枚、括りつけてあった。
私は、綿手袋を、嵌め直した。木札を、そっと、返した。
几帳面な、細い、右上がりの字。桐谷さんの字だった。
「区分外・整理番号 K─」
Kの次の、数字が、ない。書きかけの台帳と、同じだった。桐谷さんは、この品にも、番号を、振り切れていなかった。品名も、来歴も、封じも、空欄のまま。ただ、この什器に、木札を一枚、括りつけて、「K─」と書きかけて、そこで、ペンを、止めていた。
「これが」私は、声が、掠れた。「あと一点、ですか」
「これが」宮下さんは、頷いた。「区分外の、いちばん奥の、いちばん大きい品だ。桐谷が、記録しようとして、書ききれずに――奥へ、入って、消えた、あれだ」
私は、布の裾を、握った。手が、少し、震えていた。怖いときほど、手が、先に、手順を思い出す。私は、まず、木札の番号を、メモ帳に、写した。それから、布を、めくった。
埃が、白く、舞った。
現れたのは、一棹の、古い鏡台だった。
黒漆の、背の高い鏡台。中央に、大きな鏡が一枚。両脇に、抽斗が、いくつも並んでいる。抽斗の金具には、菊花の文様が、彫ってあった。私は、その文様に、見覚えが、あった。忘れるはずが、なかった。私が、いちばん最初に、受理した品。KG-0418。菊花文の、手鏡。あれと、同じ、意匠だった。
「宮下さん」私は、言った。「この抽斗の文様……手鏡と、同じです」
宮下さんは、答えなかった。ただ、懐中電灯の光を、鏡台の、中央の鏡に、向けた。
黒く、曇った鏡面。三十年、いや、もっと長く、誰にも磨かれなかった鏡。そこに、懐中電灯の光の輪と、私の手元が、ぼんやりと、映った。
私の、顔は、映らなかった。
鏡の高さは、ちょうど、私の顔が映る位置に、あった。光の輪は映る。私が掲げた手も、袖も、映る。なのに、その上――顔のあるべき場所だけが、暗く、空いていた。まるで、そこだけ、記録から、抜け落ちているように。
「顔が」私は、言った。「映って、いません」
「そうだ」宮下さんは、静かに言った。「この鏡は、まだ、あんたを、覚えとらん。……記録が、無いからだ。この品には、来歴が、ひとつも、無い。誰が作って、誰が持って、どこから来たのか。何ひとつ、台帳に、載っておらん。だから、この鏡は、映すべきものを、知らん。備考欄が、空白だと、こうなる」
備考欄は、空白だった。私が、いちばん最初の日に、手鏡の記録票に書いた、あの一行を、思い出した。あれは、始まりの品だと、思っていた。違った。始まりは、もっと、奥に、あった。この、鏡台だった。
「桐谷さんは」私は、鏡の、暗い空白を、見つめたまま、訊いた。「これを、記録しようと、したんですね」
「した」宮下さんは、頷いた。「区分外で、いちばん古い品を、いちばん最後に、記録しようとした。……そして、書ききれずに、消えた。あんたが、四人目だ。四人目の記録係だ。――須藤さん。この鏡を、記録するのが、どういうことか。ここから先は、順を追って、話す。あんたに、知る資格が、ある」
私は、鏡の中の、顔の無い空白から、目を、逸らせなかった。逸らしては、いけない気が、した。
これが、あと一点。桐谷さんが、書ききれなかった、最後の――そして、いちばん最初の、一点。
いちばん奥に、待っていたもの。それは、一棹の古い鏡台でした。抽斗の菊花文は、第1話の手鏡と、同じ意匠です。桐谷さんが書ききれなかった「K─」の正体が、ようやく、姿を見せました。次回、宮下さんが、区分外収蔵庫の"最初"を語ります。なぜ、この鏡には来歴が無いのか。四人の記録係は、何を、書ききれずにきたのか。第四章、いよいよ核心へ降りていきます。




