第13話:泣き面
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収蔵品調査記録票(区分外)/整理番号:KG-0480
・品名:能面(女面、小面か。桐材、古色)
・寄贈受理日:令和七年七月十一日
・寄贈者申告:「素人の蒐集。旧蔵者不明」
・状態:頬に、涙のような染み。朝、染みの位置が下がっている。
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能面は、角度で表情が変わる。
少し上を向ければ笑い、少し下を向ければ憂う。だから能では、演者が面の角度を操って、喜怒哀楽を見せる。「照らす」「曇らす」と言うのだそうだ。面そのものは、動かない。動くのは、光と、見る側の心だ。
このKG-0480の女面は、朝、来るたびに、少しずつ、俯いていた。
初日、面は、まっすぐ、正面を向いて棚にあった。翌朝、わずかに、下を向いていた。その翌朝、もっと。頬の、涙のような染みが、下がっていく。面は、日ごとに、曇っていく。憂いを、深めていく。誰も、触れていないのに。
「泣いとるな」宮下さんは、面を見て言った。「これは、"見てもらえんかった"面だ」
見てもらえなかった。私は、面の来歴を辿った。
旧蔵者不明、と経緯書にはあった。けれど、面の裏には、小さな焼き印があった。ある面打ちの、銘だった。私は、その面打ちを調べた。地方の、無名の職人だった。生涯、一度も、檜舞台に上がる面を打てなかった人。彼の面は、素人の稽古や、村の神事にだけ使われ、名のある演者に「照らして」もらうことは、ついに、なかった。
この女面は、打たれてから、百年、一度も、本当の舞台で、演者に表情をもらえなかった。ずっと、俯いていた。誰にも、照らしてもらえないまま。
私は、台帳に書いた。
KG-0480。女面(小面)。打ち手は〔銘〕。市井の面打ちにして、生涯、檜舞台に上がる面を残せず。本面もまた、正式の演能に用いられることなく、稽古と神事にのみ供された。本記録をもって、本面が「照らされなかった」来歴を確定する。打ち手の技は、記録に、残る。
打ち手の技は、記録に残る。私は、そう、書き加えた。無名のまま消えた面打ちの名を、台帳に、はっきりと。舞台には上がれなかった。けれど、その名は、いま、この区分外収蔵台帳に、確かに、記された。
翌朝。女面は、まっすぐ、正面を向いていた。頬の染みは、下がっていなかった。俯くのを、やめていた。見てもらえた、と思ったのかもしれない。演者にではなく、記録係に。それでも、見てもらえた。
私は、能面を棚に戻して、その日の員数点検を、始めた。
台帳の記載、四百十九点。——先週、載っていない品を一つ数えたので、私は、それを「員数外・要調査」として、台帳の隅に、鉛筆で書き加えていた。だから、記載上は、四百十九点のはずだった。
私は、棚を、数えた。
四百二十点。
また、一つ、多い。
背筋が、冷たくなった。数えるたびに、載っていない品が、一つずつ、増えている。先週は一つ。今週は、二つ。
私は、棚を、端から端まで、歩いた。番号のない品を、探した。すべての品に、札が下がっている。番号のない品は、目に見える場所には、ない。
けれど、数は、合わない。
見えないのに、そこにある。札のないその品は、いつも、私が奥へ近づくと、数に、現れた。手前の棚を数えているうちは、合う。奥へ、桐谷さんが消えた、あの暗がりへ、近づくほど、数が、増える。
載っていない品は、奥に、いる。
宮下さんが、いつのまにか、私の後ろに立っていた。鍵束の音も、しなかった。
「数え始めたか」老人の声は、低かった。「桐谷も、そこから、だった。……員数が、合わんくなってからだ。あの子が、奥へ、行っちまったのは」
能面の一件と、増えていく"載っていない品"。数えるたびに、台帳に無い品が、一つずつ増える。そして、それは奥に――桐谷さんが消えた暗がりに、いる。次回、ナナミは、載っていない品を、正面から数えます。第三章の山、「載っていない品」。棚にあって、記録にない。その正体に、近づきます。




