第11話:いちばん奥
各務は、その週のうちに、もう一度だけ、来た。
今度は、品を持っていなかった。ただ、寄贈受付の窓口に立って、にこやかに、私を見た。
「台帳に、私の名を、お載せになったそうで」
耳が早い、と思った。あるいは、憑いた品を通して、各務には、区分外のことが、どこか伝わるのかもしれない。
「載せました」私は言った。「正しい来歴の、一部として」
各務の笑みが、ほんの少し、硬くなった。ほんの少しだけ。
「困りましたね。これでは、私は、もう、こちらに品を置いていけない」男は、軽く息を吐いた。「載せられてしまうと――手放したはずのものが、私の名と一緒に、記録に残ってしまう。それでは、切り離した意味が、ない」
「ええ」私は言った。「もう、うちには、捨てに来られません」
それが、この台帳の、力だった。武力ではない。除霊でもない。ただ、正確に記録するというだけのこと。けれど、正確に記録された品は、寄贈者を、その品の来歴に、縫い止める。手放したのに、名前が残る。各務にとって、それは、いちばん、都合が悪かった。
「……いい記録係だ」各務は、去り際に、また、同じことを言った。「桐谷さんも、そうやって、私を、台帳から締め出した。私が、こちらに品を置けなくなったのは、あの人の代からです。だから――」
男は、言葉を切って、窓口の奥、区分外へ続く廊下のほうを、ちらりと見た。
「だから彼女は、私が置いていけなくなった"最後の一つ"を、自分で、奥へ運んだ。記録し切るために。……そして、戻ってこなかった」
各務は、それだけ言って、帰っていった。もう、二度と、品を持っては来ないだろう。第二章は、私の、辛勝だった。
その夜、私は、区分外収蔵庫の、いちばん奥へ、足を向けた。
普段、私が使うのは、手前の棚だ。奥は、暗い。常夜灯も届かない。桐谷さんが最後に触れた品が、そこにある。各務が、置いていけなくなった、最後の一つ。桐谷さんが、記録し切ろうとして、書ききれなかった、あれ。
一歩、踏み込もうとしたとき。
鍵束の音が、背後で鳴った。
「よさんか」
宮下さんだった。いつもの、静かな声。けれど、いつもより、少しだけ、強かった。
「その奥は、まだ、あんたには早い」老人は言った。「桐谷が、あそこで消えた。同じことを、あんたにさせるわけには、いかん」
「でも、宮下さん」私は言った。「桐谷さんは、記録し切ろうとして、消えたんですよね。だったら――誰かが、続けないと。書ききれなかった記録を、続けないと。あの人が、そう言ったんです。私のペンを借りて。『記録を、続けてください』って」
宮下さんは、長いあいだ、黙っていた。制帽のつばの下の、皺の深い目が、暗い奥の棚を見ていた。
「……あんたが、この仕事の重さを、本当に分かったら」老人は、ようやく言った。「そのときは、俺が、あんたを、あそこへ連れていく。桐谷が、何を書ききれなかったのか。あの奥に、何があるのか。全部、話す。――だが、今日じゃない」
私は、頷いた。奥の暗がりから、目を離した。
まだ、早い。分かっていた。手鏡から始まって、人形、写真、糸車、掛軸、小箱。私は、ようやく、この仕事の入口に立ったばかりだ。区分外の、いちばん奥に眠るものを記録し切るには、私は、まだ、あまりにも、記録係として、若い。
けれど、いつか。
私は、机に戻って、その日の台帳を閉じた。桐谷さんの、途切れた台帳が、隣に置いてある。「区分外・整理番号 K─」。その先を、いつか、私が書く。
窓のない部屋で、空調が、低く、うなっていた。奥の暗がりで、何かが、静かに、私を、待っていた。
第二章「寄贈経緯書の偽造」、これで締めです。各務を台帳で締め出し、辛くも勝ち――そして、桐谷さんが消えた"区分外のいちばん奥"の存在が、はっきりと立ち上がりました。ここから物語は、前任者の失踪の核心へ向かって、少しずつ降りていきます。次章は「載っていない品」。棚にあるのに、台帳にない品の恐怖です。ここまでの11話、お付き合いくださって、本当にありがとうございます。




