81 焦燥
突如彼らの前に現れた闇は、シオンとクリスを包み二人とともに消え去った。
一瞬の出来事とはいえその一部始終をしっかりと目にした生徒たちからは動揺の声が上がる。しかしまだ数か月間とはいえ騎士としての教育を受けてきた生徒たちは教官に一喝されるとすぐにその動揺を押しとどめた。そしてそこへ駆けつけたハワードに一旦校舎の中へと移動させられ、この場に残っているのは関係者であるユージンたちとハワードと共に駆けつけたロナルド、そして保険医のヨルだけだ。
目を閉じ、じっとあたりの魔力をさぐっていたロナルドは、ふぅ、と息をつくとゆっくりとユージンたちを見渡した。
「残念ですが私では手が出せません。ですが、こちらに何かしらの影響を与えることもないでしょう」
「何故影響がないと?」
「オレがそう教えたからですよ、フィッツジェラルドの若君」
「アルヴォ……」
ユージンの言葉に答えたのはこの場にいなかったはずのアルヴォの声。その声に振り返ったユージンたちは、アルヴォの腕に抱きかかえられた女性に気づき眉を寄せた。
「えっと、そちらの方は?」
「オレの嫁です」
戸惑い気味に尋ねたランスにアルヴォはきりりと表情を引き締め即答する。だが次の瞬間には軽快な音をさせ、女性がアルヴォの腕から抜け出した。
肩口で切りそろえられた黒髪がさらりと揺れ、意志の強そうな紫の瞳がユージンたちを捉えると一瞬楽しげに輝いたがすぐにその眼差しは真剣なものへと変わる。
この場の人間にとっては見慣てはいるが本来特異なものである黒という色に驚きと戸惑いとともに視線が集中するが、女性は特に気にした様子もなくにっこりとほほ笑んだ。
「ごめんなさいね。この馬鹿の言ったことはただの寝言だから聞き流してちょうだい」
「わかりました。失礼ですがあなたは?」
「私はミーリーン。国境付近の山で暮らしていたのだけど、そのバカにいきなり拉致されてここに連れてこられたのよ」
ミーリーンと名乗った女性の言葉にユージンとランスやハロルドだけでなく、エミリオや普段おっとりとしているロナルドやヨルまでもがじとりとアルヴォをねめつける。
確かに彼女の服装は街で見かける一般的な女性の普段着とは違い、機能性を重視したもので山で暮らしているという彼女の言葉を裏付けるものだった。
「それって犯罪……」
「犯罪ですね」
「ちゃんと同意は取るから大丈夫ですって!」
「やはり現時点で同意は取ってないんですね」
アルヴォはそんな視線に怯むこともなく、ぼそりと呟かれたランスとエミリオの言葉に敏感に反応してぐっと親指を立てて大丈夫だと言い張るが、その言葉に何故かヨルが呆れを隠すことなく大きくため息をついた。
じっと自分を見つめる色々なものを含んだ視線に気づいたヨルはさらに大きなため息をつく。
「学生時代の知り合い。決して友達ではないよ。お互いに存在を認識しているというだけの赤の他人」
「ヨル、照れてるの?」
「照れる要素がどこにあるというのかな」
「相変わらずの照れ屋だねー。それじゃ、そろそろ彼女と一緒に二人を迎えに行こうかな」
「言い方軽すぎだよ。君のことだし、そんなこと言っても意味なさそうだけど」
「さすがヨル。オレのことわかってくれてるね。でもオレにはミーリーンという愛を捧げた相手が――」
緊迫した状況であるはずなのにいつまでもおどけるアルヴォの後頭部から鈍い音が響き、物理的な力により言葉をさえぎったのはミーリーンだ。
ロナルドだけが驚き固まる彼らの中で唯一顔色を変えることなく、パチパチと称賛の拍手を送っていた。
「馬鹿なこと言ってないで早く二人のところに行くわよ。簡単な説明を受けただけだけど、時間がないのでしょう?」
「そうそう。オレたちの大切な人たちを早く連れ戻しにいかないと」
「行きましょうか」
ピシリと背筋を伸ばしたミーリーンがアルヴォを促す。
緊張感のない緩んだ笑みを浮かべて答えるアルヴォに眉を寄せたが、微かに視線をユージンに移すとふっとその表情を緩めくるりと背を向る。彼らからすこし距離をとったところで足を止めるとミーリーンはふわりと軽やかな魔力を纏う。
日頃からシオンの魔力に触れていたユージンとランスはその力がシオンの纏う魔力とよく似てはいるが何かが違う、けれど同じ闇の魔力なのだろうと感じていた。ロナルドとヨルの表情に変化が見られないが何かは感じ取っているようだ。
「あの」
自分たちを呼び止める声に振り向いたミーリーンは、声の主であるユージンを見る。内面を見透かすような視線を真っ直ぐに受けとめて口を開きかけたユージンを制したのはやはりミーリーンだ。
「いいわ。ただし危険よ」
「承知の上です」
「そう。そっちの貴方たちは?」
ミーリーンは小さく口角を持ち上げ満足そうに頷くと視線をランスとエミリオへと移した。その視線の意味を伺うようにランスはミーリーンを真っ直ぐに見据え、はっきりと答える。
「もちろん俺も行きます。シオンもクリスも俺の大切な友人ですから」
「僕もご一緒させてください。僕も関係者ですから」
「もちろんよ。それよりごめんなさいね。一応確認しておきたかったの」
「いえ」
二人の答えを聞きミーリーンは柔らかくほほ笑む。ランスは困ったように頬を掻き、エミリオはほっとしたように小さく息をついた。
そうして再び背を向けたミーリーンが腕を振ると、何もない空間に亀裂が入る。その奥にはぽっかりと黒い空間が広がっていた。
「さあ、行きましょう」
そう言うとミーリーンは亀裂に手をかけ中に足を踏み入れる。ユージンとランスもそのあとに続き、三人の姿が見えなくなるとアルヴォが「そうそう」とわざとらしい声をあげて残されたハロルドとヨルを振り返った。
「生徒の皆さんにこれは秘匿事項だと伝えてくださいねー。この学園に通う生徒なら言わなくてもわかってるだろうとは思うんですけど」
「……当然。君が手を出す必要はないから」
「うん、ヨルがそう言うのなら本当に必要ないんだろうね。君がオレを欺くとは思えないし」
「それはありえない。俺が君と友人とかいうこと以上にありえない。だからそんな心配してないで早く行きなよ」
「それはよかった」
声色こそ同じだが、表情を消して言うアルヴォにヨルはため息をつきながら片手を振ってしっしと追い払う動作でアルヴォを促す。
再び緩い笑みを浮かべたアルヴォが亀裂の中に入ると、淡い光を帯びながら亀裂はその姿を消した。
「アヴァロンの光。アヴァロンの闇。どちらが彼の真実に近いんでしょうね」
「さぁね。けれどその姿を知る者は少ない国王の犬というのは真実だと思うよ。まぁ今の肩書はクリストフ殿下の護衛だけど」
「あなたも似たようなものでしょう。――そうそう、母上があなたが無茶をしてるのではないかと心配していましたよ」
「危ないことはしていないから心配は無用だと兄さんから伝えておいてよ」
「あなたが家に顔を出せばそれで済む話なんですけどね」
「仕事があるから無理。ほら、ここにいても仕方がないし俺たちも戻ろう」
仕事仕事と言いながら戻っていくヨルの背中を眺めながら、ロナルドは小さくため息をつく。
「まったく、しかたのない人ですね。……ただの保険医なら家に帰る暇がないほど忙しいわけがないのですけど」
そのことよりもあなたが昔から抱えているものを話してもらえる日は来るのでしょうか、と小さく呟かれた言葉は誰にも届くことなく溶けて消えた。




