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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
フィデリア編
99/131

見せてもらいます

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



イシュリアンの魔法陣が幾重にも展開された。


淡い紫色の光がゼルハインの身体を包み込む。


加速強化。


筋力強化。


感覚強化。


防御強化。


反応速度強化。


聖導師として扱える支援術式のすべてが惜しみなく注ぎ込まれる。


常人なら肉体が耐えられないほどの強化。


だがゼルハインは踏み込んだ。


地面が爆ぜる。


次の瞬間にはファイの背後へ到達していた。


聖槍が閃く。


狙うのは首。


迷いのない必殺の一撃だった。


だがファイは振り返らない。


まるで後ろにも目があるかのように身体を捻る。


聖槍が鎧を掠めた。


甲高い金属音。


無骨な装甲の一部が削れ飛ぶ。


致命の一撃には程遠い。


それでも戦闘開始以来、初めて与えた明確な損傷だった。


ゼルハインの口元が歪む。


(だが、通った)


手応えはあった。


この敵にも届く。


それだけで十分だった。


しかしファイは動じない。


老軍人の表情に揺らぎはなかった。


むしろ当然の結果を見るような静けさすらある。


次の瞬間。


右腕の装甲が開く。


鋼線が唸りを上げた。


グラーディスを沈めたワイヤー兵器。


一直線にゼルハインへ向かう。


「……風よ!」


イシュリアンの杖が振られる。


風圧が発生した。


鋼線の軌道がわずかに逸れる。


そのわずかな狂いが致命傷を回避させた。


ワイヤーはゼルハインの肩を掠めるだけで通過する。


「……即興にしちゃ上出来だ!」


ゼルハインが叫ぶ。


イシュリアンは無言だった。


だが杖を握る手には確かな力が戻っている。


攻撃魔法ではない。


それでも戦えている。


それでも仲間を支えられている。


その事実が心を立て直していた。


ゼルハインは視線をアウレリアへ向ける。


「アウレリア!」


「何よ!」


「フィデリアとレオニスを連れてグラーディスの方へ撤退しろ!」


アウレリアが顔をしかめた。


「あほ!二人も担げるか!」


緊迫した戦場に似合わない返答だった。


だがゼルハインは思わず笑いそうになる。


そのやり取りにイシュリアンが割り込む。


「フィデリア様の方をお願いします」


そう言うなり高速飛翔魔法を発動した。


身体が風に乗る。


一瞬でレオニスの傍へ到達した。


「ちょっ!?」


驚くレオニスを抱え上げる。


「非力な私では彼だけで限界なのです」


淡々とした口調だった。


だが有無を言わせない迫力があった。


「わかったわよ!」


アウレリアはフィデリアを抱き上げる。


そして全力で駆け出した。


戦場から離脱するために。


その様子をファイが見逃すはずもなかった。


重厚な鎧が向きを変える。


狙いはフィデリア。


だが。


その前へゼルハインが立った。


聖槍を握る。


傷だらけの身体。


それでも退かない。


「忘れるな」


ファイの進路を塞ぐように立ちはだかる。


「俺がいる」


聖槍が眩く輝いた。


蓄積された魔力が解放される。


ゼルハインは全身の力を込めた。


「吹き飛べ!!」


聖槍が投擲される。


空を裂く光。


一条だった光は五つへ分裂した。


流星群のようにファイへ降り注ぐ。


轟音。


爆発。


巡礼の地の大地が抉られる。


砂塵が天高く舞い上がった。


それでもゼルハインは目を逸らさない。


相手は戦争そのもの。


ならばこちらも変わるしかない。


武人としてではない。


仲間と共に戦う戦士として。


ゼルハインは初めて真正面からファイの戦争へ挑んだ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……やったか」


ゼルハインは荒く息を吐いた。


己の全力。


生まれて初めて、自分と聖槍が完全に噛み合ったような感覚があった。


武人として積み重ねてきた技術。


戦士として磨き上げてきた肉体。


その全てを込めた一撃だった。


荒野には土煙が立ち込めている。


五本に分裂した聖槍が穿った大地は巨大なクレーターと化し、その中心は未だ視認できない。


ゼルハインは槍を握り直した。


額から汗が流れる。


全身が悲鳴を上げている。


それでも目を逸らさなかった。


――これで無傷でなければ勝機はある。


そう信じたかった。


だが。


次の瞬間、その希望は無慈悲に打ち砕かれる。


渦巻いていた爆煙が、不自然なほど急速に消滅した。


まるで見えない何かに吸い込まれたように。


煙の中心に立っていたのは、変わらぬ姿の男だった。


「……事象の地平線」


低い声が響く。


ファイは片手を前に掲げていた。


掌には赤黒い光が集まっている。


先ほど発生した爆発エネルギーそのものが吸収されているようだった。


鎧には確かに傷がある。


だが、それだけだ。


倒れるどころか、気迫の一つも衰えていない。


むしろ戦意は増しているようにすら見えた。


「……君も引くなら今だ」


静かな声だった。


怒りもない。


侮蔑もない。


ただ事実を告げる軍人の声。


「後悔するぞ」


その一言に、ゼルハインは本能的な危険を感じた。


だが退かなかった。


退けるはずがなかった。


背後には仲間がいる。


勇者がいる。


だから。


「うるせぇよ」


口元を吊り上げる。


「武人が今さら逃げられるか」


次の瞬間。


轟音が響いた。


ファイが踏み込んだだけだった。


それだけで地面が爆発したように砕け散る。


「っ!」


速い。


認識した時には目の前にいた。


野太刀が振り下ろされる。


ゼルハインは反射的に槍で受けた。


凄まじい衝撃。


腕の骨が軋む。


「ぐっ……!」


イシュリアンの強化魔法は今も全身に掛かっている。


本来なら人間の限界を超えた身体能力だ。


それでも押し負ける。


圧倒的だった。


力も。


技も。


経験も。


何もかもが上をいく。


ゼルハインは歯を食いしばり反撃する。


槍を翻し、喉元を狙った。


だが。


「見えている」


躱される。


「無駄だ」


横薙ぎ。


さらに防ぐ。


「その軌道は既に読んでいる」


再び弾かれる。


まるで未来を知っているかのようだった。


攻撃が届かない。


届く気配すらない。


ゼルハインの背筋を冷たい汗が流れた。


――こいつは違う。


戦略だけではない。


戦術だけでもない。


純粋な武そのものが怪物だ。


ファイの野太刀が閃く。


鈍い音。


「がっ……!」


右脚が砕かれた。


膝から崩れ落ちる。


立てない。


それでも槍を離さない。


そんなゼルハインを見下ろしながら、ファイは静かに告げた。


「私の責務だ」


野太刀が振り上げられる。


止めの一撃。


誰も間に合わない。


そのはずだった。


「ファイ!!!!」


荒野に響く叫び。


黒い髪が風を裂く。


アウレリアだった。


聖剣を構え、一切の迷いなく突撃してくる。


仲間を守るために。


倒れた戦友を救うために。


勇者としてではなく、一人の人間として。


ファイの視線が動く。


初めてゼルハインから離れた。


「やはり、来るのか」


どこか納得したような声だった。


勇者。


そしてアウレリア。


今この場で最も危険な存在。


勇者殺しである以上、無視することはできない。


ファイは野太刀を返す。


アウレリアへ向けて。


戦場の全てが、その二人へ収束していく。


王国の勇者。


帝國最強の戦闘種族。


避けられぬ決着の時は、もう目前まで迫っていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



巡礼の地。


荒れ果てた大地の中央で、アウレリアとファイが再び向かい合う。


吹き抜ける風が砂塵を巻き上げる。


互いに一歩も動かない。


だが、その沈黙の中には剣戟よりも重い圧力があった。


アウレリアは聖剣を構える。


刀身から放たれる光が徐々に強さを増していく。


それを見たファイの瞳が細くなった。


(聖剣解放か)


既に一度破った力。


だが油断はない。


むしろ警戒は強まる。


この勇者は常に予想の外側を歩いてきた。


ファイの鎧に走る赤い光が脈打つ。


事象の地平線。


あらゆるエネルギーを捻じ曲げる帝國の秘匿兵器。


今度こそ聖剣の力を受け止め、完全に叩き潰す。


その準備は整っていた。


互いに必殺の間合い。


あと一歩で死が届く距離だった。


その様子を離れた場所から見守る者たちがいる。


「大丈夫ですか、ゼルハイン」


「王子様、復帰したのか」


グラーディスが肩を貸していた。


回復魔法を受けたとはいえ、ゼルハインの傷は重い。


まともに戦える状態ではない。


「ええ、役立たずで申し訳ありません」


苦笑するグラーディスに、ゼルハインは鼻を鳴らした。


「十分だろ」


「イシュリアンに回復してもらいました」


「そうかい」


視線は自然と前へ向く。


荒野の中心。


勇者と戦闘種族。


誰も割り込めない舞台。


「最後は勇者の出番という奴ですかね」


ゼルハインの言葉に、グラーディスは小さく首を振った。


「いや」


その声音には不思議な確信があった。


「勇者ではない」


「?」


「彼女はアウレリアだ」


隣でイシュリアンも静かに頷く。


「そうですね」


肩書きではない。


使命でもない。


今戦おうとしているのは、一人の少女だった。


彼らにできることはもうない。


ただ見届けるだけだ。


この戦いの結末を。


そして。


アウレリアが何を選ぶのかを。


「アウレリア、何故……」


フィデリアは祈るような表情で呟いた。


少し前の出来事を思い出す。


「あなたに新たな選定の力を開きます」


静かに告げた。


勝利のため。


生き残るため。


さらなる力を与える。


それが裁定者としての役目だった。


だが。


「いらない!」


返ってきた答えは即答だった。


拒絶。


迷いのない拒絶。


「力を得れば勝てる。死なない。死が怖くないのですか!」


フィデリアには理解できなかった。


力を拒否する選択肢など考えたことがなかった。


力は人を救う。


力は未来を守る。


力は勝利をもたらす。


ならば何故拒むのか。


だがアウレリアは叫ぶように答えた。


「怖い!」


聖剣の柄を強く握り締める。


「怖いし、まだ死にたくない!」


震えすら混じる声。


それは勇者の言葉ではなかった。


一人の少女の本音だった。


だからこそフィデリアは戸惑う。


イシュリアンも言葉を失った。


理解できない。


死にたくないのに。


勝ちたいのに。


何故さらなる力を拒むのか。


その答えをアウレリアは口にした。


「駄目だ」


真っ直ぐ前を見る。


ファイのいる方向を。


「私は、自分の力でファイを乗り越えたいんだ!」


それは理屈ではなかった。


信念だった。


譲れない願いだった。


その時。


レオニスだけが呆れたように笑った。


「まったく」


肩を竦める。


「本当に面倒くさい奴だな君は」


そう言いながら拳を差し出した。


「……レオニス?」


「行ってきなよ、アウレリア」


優しく背中を押す。


「自分を通してきなよ」


一瞬だけ沈黙が落ちる。


そしてアウレリアは笑った。


いつものように。


真っ直ぐに。


拳をぶつける。


小さな音が響いた。


それだけだった。


それだけで十分だった。


アウレリアは振り返らない。


走り出す。


自分の選んだ道へ。


フィデリアはその背中を見つめ続ける。


理解はできない。


けれど目を離すこともできなかった。


「見せてもらいます」


静かに呟く。


「アウレリアが何をしたいのかを」


巡礼の地。


その中央で。


アウレリアとファイは互いの刃を向けた。


決着の時が、すぐそこまで迫っていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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