見せてもらいます
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
イシュリアンの魔法陣が幾重にも展開された。
淡い紫色の光がゼルハインの身体を包み込む。
加速強化。
筋力強化。
感覚強化。
防御強化。
反応速度強化。
聖導師として扱える支援術式のすべてが惜しみなく注ぎ込まれる。
常人なら肉体が耐えられないほどの強化。
だがゼルハインは踏み込んだ。
地面が爆ぜる。
次の瞬間にはファイの背後へ到達していた。
聖槍が閃く。
狙うのは首。
迷いのない必殺の一撃だった。
だがファイは振り返らない。
まるで後ろにも目があるかのように身体を捻る。
聖槍が鎧を掠めた。
甲高い金属音。
無骨な装甲の一部が削れ飛ぶ。
致命の一撃には程遠い。
それでも戦闘開始以来、初めて与えた明確な損傷だった。
ゼルハインの口元が歪む。
(だが、通った)
手応えはあった。
この敵にも届く。
それだけで十分だった。
しかしファイは動じない。
老軍人の表情に揺らぎはなかった。
むしろ当然の結果を見るような静けさすらある。
次の瞬間。
右腕の装甲が開く。
鋼線が唸りを上げた。
グラーディスを沈めたワイヤー兵器。
一直線にゼルハインへ向かう。
「……風よ!」
イシュリアンの杖が振られる。
風圧が発生した。
鋼線の軌道がわずかに逸れる。
そのわずかな狂いが致命傷を回避させた。
ワイヤーはゼルハインの肩を掠めるだけで通過する。
「……即興にしちゃ上出来だ!」
ゼルハインが叫ぶ。
イシュリアンは無言だった。
だが杖を握る手には確かな力が戻っている。
攻撃魔法ではない。
それでも戦えている。
それでも仲間を支えられている。
その事実が心を立て直していた。
ゼルハインは視線をアウレリアへ向ける。
「アウレリア!」
「何よ!」
「フィデリアとレオニスを連れてグラーディスの方へ撤退しろ!」
アウレリアが顔をしかめた。
「あほ!二人も担げるか!」
緊迫した戦場に似合わない返答だった。
だがゼルハインは思わず笑いそうになる。
そのやり取りにイシュリアンが割り込む。
「フィデリア様の方をお願いします」
そう言うなり高速飛翔魔法を発動した。
身体が風に乗る。
一瞬でレオニスの傍へ到達した。
「ちょっ!?」
驚くレオニスを抱え上げる。
「非力な私では彼だけで限界なのです」
淡々とした口調だった。
だが有無を言わせない迫力があった。
「わかったわよ!」
アウレリアはフィデリアを抱き上げる。
そして全力で駆け出した。
戦場から離脱するために。
その様子をファイが見逃すはずもなかった。
重厚な鎧が向きを変える。
狙いはフィデリア。
だが。
その前へゼルハインが立った。
聖槍を握る。
傷だらけの身体。
それでも退かない。
「忘れるな」
ファイの進路を塞ぐように立ちはだかる。
「俺がいる」
聖槍が眩く輝いた。
蓄積された魔力が解放される。
ゼルハインは全身の力を込めた。
「吹き飛べ!!」
聖槍が投擲される。
空を裂く光。
一条だった光は五つへ分裂した。
流星群のようにファイへ降り注ぐ。
轟音。
爆発。
巡礼の地の大地が抉られる。
砂塵が天高く舞い上がった。
それでもゼルハインは目を逸らさない。
相手は戦争そのもの。
ならばこちらも変わるしかない。
武人としてではない。
仲間と共に戦う戦士として。
ゼルハインは初めて真正面からファイの戦争へ挑んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……やったか」
ゼルハインは荒く息を吐いた。
己の全力。
生まれて初めて、自分と聖槍が完全に噛み合ったような感覚があった。
武人として積み重ねてきた技術。
戦士として磨き上げてきた肉体。
その全てを込めた一撃だった。
荒野には土煙が立ち込めている。
五本に分裂した聖槍が穿った大地は巨大なクレーターと化し、その中心は未だ視認できない。
ゼルハインは槍を握り直した。
額から汗が流れる。
全身が悲鳴を上げている。
それでも目を逸らさなかった。
――これで無傷でなければ勝機はある。
そう信じたかった。
だが。
次の瞬間、その希望は無慈悲に打ち砕かれる。
渦巻いていた爆煙が、不自然なほど急速に消滅した。
まるで見えない何かに吸い込まれたように。
煙の中心に立っていたのは、変わらぬ姿の男だった。
「……事象の地平線」
低い声が響く。
ファイは片手を前に掲げていた。
掌には赤黒い光が集まっている。
先ほど発生した爆発エネルギーそのものが吸収されているようだった。
鎧には確かに傷がある。
だが、それだけだ。
倒れるどころか、気迫の一つも衰えていない。
むしろ戦意は増しているようにすら見えた。
「……君も引くなら今だ」
静かな声だった。
怒りもない。
侮蔑もない。
ただ事実を告げる軍人の声。
「後悔するぞ」
その一言に、ゼルハインは本能的な危険を感じた。
だが退かなかった。
退けるはずがなかった。
背後には仲間がいる。
勇者がいる。
だから。
「うるせぇよ」
口元を吊り上げる。
「武人が今さら逃げられるか」
次の瞬間。
轟音が響いた。
ファイが踏み込んだだけだった。
それだけで地面が爆発したように砕け散る。
「っ!」
速い。
認識した時には目の前にいた。
野太刀が振り下ろされる。
ゼルハインは反射的に槍で受けた。
凄まじい衝撃。
腕の骨が軋む。
「ぐっ……!」
イシュリアンの強化魔法は今も全身に掛かっている。
本来なら人間の限界を超えた身体能力だ。
それでも押し負ける。
圧倒的だった。
力も。
技も。
経験も。
何もかもが上をいく。
ゼルハインは歯を食いしばり反撃する。
槍を翻し、喉元を狙った。
だが。
「見えている」
躱される。
「無駄だ」
横薙ぎ。
さらに防ぐ。
「その軌道は既に読んでいる」
再び弾かれる。
まるで未来を知っているかのようだった。
攻撃が届かない。
届く気配すらない。
ゼルハインの背筋を冷たい汗が流れた。
――こいつは違う。
戦略だけではない。
戦術だけでもない。
純粋な武そのものが怪物だ。
ファイの野太刀が閃く。
鈍い音。
「がっ……!」
右脚が砕かれた。
膝から崩れ落ちる。
立てない。
それでも槍を離さない。
そんなゼルハインを見下ろしながら、ファイは静かに告げた。
「私の責務だ」
野太刀が振り上げられる。
止めの一撃。
誰も間に合わない。
そのはずだった。
「ファイ!!!!」
荒野に響く叫び。
黒い髪が風を裂く。
アウレリアだった。
聖剣を構え、一切の迷いなく突撃してくる。
仲間を守るために。
倒れた戦友を救うために。
勇者としてではなく、一人の人間として。
ファイの視線が動く。
初めてゼルハインから離れた。
「やはり、来るのか」
どこか納得したような声だった。
勇者。
そしてアウレリア。
今この場で最も危険な存在。
勇者殺しである以上、無視することはできない。
ファイは野太刀を返す。
アウレリアへ向けて。
戦場の全てが、その二人へ収束していく。
王国の勇者。
帝國最強の戦闘種族。
避けられぬ決着の時は、もう目前まで迫っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巡礼の地。
荒れ果てた大地の中央で、アウレリアとファイが再び向かい合う。
吹き抜ける風が砂塵を巻き上げる。
互いに一歩も動かない。
だが、その沈黙の中には剣戟よりも重い圧力があった。
アウレリアは聖剣を構える。
刀身から放たれる光が徐々に強さを増していく。
それを見たファイの瞳が細くなった。
(聖剣解放か)
既に一度破った力。
だが油断はない。
むしろ警戒は強まる。
この勇者は常に予想の外側を歩いてきた。
ファイの鎧に走る赤い光が脈打つ。
事象の地平線。
あらゆるエネルギーを捻じ曲げる帝國の秘匿兵器。
今度こそ聖剣の力を受け止め、完全に叩き潰す。
その準備は整っていた。
互いに必殺の間合い。
あと一歩で死が届く距離だった。
その様子を離れた場所から見守る者たちがいる。
「大丈夫ですか、ゼルハイン」
「王子様、復帰したのか」
グラーディスが肩を貸していた。
回復魔法を受けたとはいえ、ゼルハインの傷は重い。
まともに戦える状態ではない。
「ええ、役立たずで申し訳ありません」
苦笑するグラーディスに、ゼルハインは鼻を鳴らした。
「十分だろ」
「イシュリアンに回復してもらいました」
「そうかい」
視線は自然と前へ向く。
荒野の中心。
勇者と戦闘種族。
誰も割り込めない舞台。
「最後は勇者の出番という奴ですかね」
ゼルハインの言葉に、グラーディスは小さく首を振った。
「いや」
その声音には不思議な確信があった。
「勇者ではない」
「?」
「彼女はアウレリアだ」
隣でイシュリアンも静かに頷く。
「そうですね」
肩書きではない。
使命でもない。
今戦おうとしているのは、一人の少女だった。
彼らにできることはもうない。
ただ見届けるだけだ。
この戦いの結末を。
そして。
アウレリアが何を選ぶのかを。
「アウレリア、何故……」
フィデリアは祈るような表情で呟いた。
少し前の出来事を思い出す。
「あなたに新たな選定の力を開きます」
静かに告げた。
勝利のため。
生き残るため。
さらなる力を与える。
それが裁定者としての役目だった。
だが。
「いらない!」
返ってきた答えは即答だった。
拒絶。
迷いのない拒絶。
「力を得れば勝てる。死なない。死が怖くないのですか!」
フィデリアには理解できなかった。
力を拒否する選択肢など考えたことがなかった。
力は人を救う。
力は未来を守る。
力は勝利をもたらす。
ならば何故拒むのか。
だがアウレリアは叫ぶように答えた。
「怖い!」
聖剣の柄を強く握り締める。
「怖いし、まだ死にたくない!」
震えすら混じる声。
それは勇者の言葉ではなかった。
一人の少女の本音だった。
だからこそフィデリアは戸惑う。
イシュリアンも言葉を失った。
理解できない。
死にたくないのに。
勝ちたいのに。
何故さらなる力を拒むのか。
その答えをアウレリアは口にした。
「駄目だ」
真っ直ぐ前を見る。
ファイのいる方向を。
「私は、自分の力でファイを乗り越えたいんだ!」
それは理屈ではなかった。
信念だった。
譲れない願いだった。
その時。
レオニスだけが呆れたように笑った。
「まったく」
肩を竦める。
「本当に面倒くさい奴だな君は」
そう言いながら拳を差し出した。
「……レオニス?」
「行ってきなよ、アウレリア」
優しく背中を押す。
「自分を通してきなよ」
一瞬だけ沈黙が落ちる。
そしてアウレリアは笑った。
いつものように。
真っ直ぐに。
拳をぶつける。
小さな音が響いた。
それだけだった。
それだけで十分だった。
アウレリアは振り返らない。
走り出す。
自分の選んだ道へ。
フィデリアはその背中を見つめ続ける。
理解はできない。
けれど目を離すこともできなかった。
「見せてもらいます」
静かに呟く。
「アウレリアが何をしたいのかを」
巡礼の地。
その中央で。
アウレリアとファイは互いの刃を向けた。
決着の時が、すぐそこまで迫っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




