最後の一瞬
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巡礼の地。
荒野の中央で、二つの存在が向かい合う。
一人は勇者アウレリア。
一人は帝國戦闘種族ファイ。
両者の周囲だけ、空気そのものが張り詰めているようだった。
アウレリアの聖剣は眩い輝きを放っていた。
それは先ほどの聖剣解放とは違う。
外へ放出される光ではない。
刀身へと凝縮されていく光。
勇者の力が一点へ収束していた。
「勝負だ、ファイ!」
アウレリアが地面を蹴る。
爆発のような衝撃。
白銀の軌跡を描きながら、一気に間合いを詰める。
「聖剣! あんたが、あたしの相棒を自称するなら、あたしと一緒に見せてやれ!」
叫びに呼応するように。
聖剣の光がさらに強まった。
刀身を包む光は刃となる。
黄金にも白銀にも見える輝き。
それは裁定者から与えられた力ではない。
選定者自身の意志が引き出した力だった。
「――選定の力が」
フィデリアが息を呑む。
「自らの意思で、選定者に応えた……」
裁定者である自分を介していない。
それがどれほど異常なことなのか。
フィデリアには理解できた。
アウレリアは力を求めたのではない。
勝利を求めたのでもない。
自分自身で乗り越えることを選んだ。
だからこそ。
力の方が応えたのだ。
「何だ、これは」
ファイの瞳が鋭く細まる。
過去に幾人もの勇者を葬ってきた。
だが、この現象は見たことがなかった。
未知。
だからこそ。
ファイは最大限の警戒を選ぶ。
野太刀を構える。
迎撃態勢。
本能が警鐘を鳴らしていた。
次の瞬間。
閃光。
アウレリアの一撃が振り抜かれる。
ファイも反応した。
常人なら不可能な速度で身体を捻る。
しかし完全には間に合わない。
光刃が野太刀を両断した。
さらに兜を切り裂く。
甲高い破砕音。
金属片が宙へ舞った。
「やったのですか!」
イシュリアンが声を上げる。
だが。
「いや」
グラーディスが首を振った。
「浅い」
ゼルハインも続ける。
戦場を知る者には分かる。
まだ終わっていない。
砕けた兜の奥。
現れたファイの瞳は死んでいなかった。
むしろ。
これまで以上に研ぎ澄まされていた。
「見事だ」
ファイが低く告げる。
その声には本物の賞賛があった。
勇者としてではない。
戦士として。
初めてアウレリアを認めた声だった。
「しかし、これで終わった」
レオニスは拳を握る。
武器は破壊された。
兜も失った。
誰もがそう思う。
だが。
帝國戦闘種族は常識の外側にいた。
砕けた野太刀へ。
黒い歪みが集まる。
空間が軋むような異音。
事象そのものが刃へ吸い寄せられていく。
黒い光。
否。
光ですらない何か。
それが野太刀の形を再構築していく。
「まさか……」
レオニスの顔が引きつる。
ファイの握る刀は再び刃を得た。
事象の地平線。
あらゆるエネルギーを捻じ曲げる帝國の秘匿兵器。
その力を極限まで集中させた剣。
「来い」
ファイが言う。
「行くよ!」
アウレリアが応える。
両者は同時に踏み込んだ。
地面が砕ける。
音より速く。
視線より鋭く。
二つの刃が激突した。
轟音。
衝撃波が荒野を薙ぎ払う。
大地が裂ける。
空気が震える。
空の雲までもが吹き飛びそうな圧力。
光の刃と黒の刃。
互いに一歩も引かない。
獣同士の噛み合い。
頂上同士の激突。
どちらかが折れるまで終わらない戦いだった。
そして今。
二人の獅子による決着の時が、確実に近づいていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アウレリアとファイ。
二つの刃が激突していた。
金属と金属がぶつかる音ではない。
空間そのものが悲鳴を上げるような衝突。
一撃ごとに地面が削れ、荒野が変形していく。
「しかし、それでも儂が勝つ!」
ファイの声は揺るがない。
圧倒的な経験と確信。
それは揺らぐことのない“完成された戦士”の言葉だった。
「どうでもいい!」
アウレリアは叫ぶ。
「今あんたを超えたい! 今から必死で行くから待ってろ!」
剣がさらに加速する。
技ではない。
理論でもない。
ただ、意志の速度。
フィデリアはその光景を見つめていた。
祈るように、しかし止めることもできず。
イシュリアンは唇を噛む。
ゼルハインとグラーディスもまた、動けない。
二人の間に割り込める者はいなかった。
ただ理解していた。
――均衡している。
だが同時に。
――均衡していない。
「アウレリアは……まだ届かない」
ゼルハインが呟く。
「技量ではない、だが」
グラーディスが目を細める。
「何かが違う」
戦場の中心では、刃と刃が交差していた。
アウレリアの剣は鋭い。
研ぎ澄まされ、天才の領域にある。
だがファイの剣は“重い”。
圧倒的な経験。
一切の無駄を排した戦闘の完成形。
そして、その差は確かに存在していた。
アウレリアが上回れない壁。
それは才能ではない。
“積み重ねられた戦争そのもの”だった。
「自分の正しさを曲げない、あんたを嫌いになれない」
アウレリアの声が戦場に響く。
「だから、あたしは逃げない。挑む!」
ファイはその言葉を聞いていた。
ただの敵ではない。
ただの勇者でもない。
人間の原石。
未完成のまま、なお輝きを放つ存在。
(これを……歴史の中で消すのか)
ファイの中に、一瞬だけ迷いが生まれる。
だが次の瞬間、それは消える。
彼の背後には帝國がある。
守るべき秩序。
排除すべき脅威。
勇者という存在が、帝國に何をもたらすかを知っている。
だからこそ。
ここで終わらせなければならない。
異音が響いた。
空気が軋むような音。
ファイの刃――事象の地平線が揺らぐ。
限界。
初めての歪み。
「……っ」
ゼルハインが息を呑む。
「崩れる……?」
イシュリアンの声が震える。
次の瞬間だった。
均衡が崩れた。
理由は明確ではない。
技量でもない。
戦術でもない。
ただ一つ。
“天運”。
それだけがアウレリアに味方した。
ファイの刃がわずかに遅れる。
その一瞬。
アウレリアの剣が踏み込む。
そして――届いた。
光が走る。
黒を裂く。
重く、硬く、完璧だったはずの鎧を貫くように。
ファイの身体が後方へと弾かれた。
静寂。
一瞬だけ、戦場が止まる。
「……あ」
誰かの声。
アウレリアの手に伝わる感触。
確かに、届いた。
だが。
それは勝利の実感ではなかった。
ファイの身体は崩れ落ちる。
鎧ごと、切り裂かれていく。
帝國戦闘種族。
勇者殺し。
その名を持つ存在が。
アウレリアは立ったまま、息を切らす。
手は震えていない。
しかし、表情は晴れない。
「……勝ったの?」
その言葉は誰が口にしたのかもわからない。
風だけが、荒野を通り過ぎていく。
戦いは終わった。
だがそれは、望んだ形ではなかった。
誰もがそう感じていた。
アウレリア自身でさえも。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巡礼の地を吹き抜ける風が止まった。
荒野に残るのは、砕けた大地。
抉れた地面。
そして激戦の残滓だけだった。
アウレリアは両膝をつき、荒く呼吸を繰り返していた。
聖剣を支えるだけで精一杯だった。
握力も残っていない。
腕は震え。
肺は焼けるように熱い。
それでも視線だけは前を向いていた。
「……勝ったのか、本当に」
誰ともなく漏れた声。
ゼルハインだった。
「信じられませんね」
イシュリアンが呟く。
「ですが……」
グラーディスも言葉を続けようとして。
そこで三人は固まった。
声が出なくなる。
目の前の光景が理解できなかった。
アウレリアも気づく。
ゆっくりと顔を上げた。
そこにいた。
立っていた。
全身を斬り裂かれ。
鎧は砕け。
血を流しながら。
それでもファイは倒れていなかった。
太陽を背負うように立つその姿は、まるで老いた獅子だった。
ファイは静かにアウレリアを見下ろした。
「なぜ、勝者がそのような顔をする」
穏やかな声だった。
敗者の言葉とは思えないほど落ち着いていた。
アウレリアは首を振る。
「……あんたが」
言葉が詰まる。
「分からず屋の父親みたいに見えたんだ」
ファイは何も言わない。
「だから分からせてやりたかった」
「なのに」
拳が震える。
「なのに、こんなの違うだろ」
悔しかった。
勝ったはずなのに。
超えたかった相手が目の前にいる。
だがそれは、剣で切り伏せることで得た答えではない。
アウレリアが欲しかったのは勝利ではなかった。
認めさせることだった。
だから悔しい。
「こういう時、何て言うんだろうな」
しばらく考え。
アウレリアは小さく笑った。
「そうだな」
「御見それしました、だ」
ファイの口元が僅かに緩んだ。
「見事だ」
短い賞賛。
だがそこに嘘はなかった。
勇者殺しが認めた。
一人の勇者を。
そしてファイ自身も理解していた。
自らの終わりを。
「だが、天は更に高い」
声は静かだった。
「儂に勝った程度で終わりは来ん」
次の瞬間。
ファイの脚が動く。
アウレリアの身体が弾き飛ばされた。
「ファイ!」
地面を転がりながら叫ぶ。
ファイは振り返らない。
代わりにレオニスを見た。
「レオニス」
「はい!」
レオニスは即座に応じた。
「帝國と和平を結びたいとほざいたな」
「はい」
迷いはない。
だからファイは頷いた。
「そうか」
それだけだった。
否定も嘲笑もない。
ただ受け止めただけだった。
「なら離れておけ」
全員の表情が変わる。
「帝國の戦闘種族は命が尽きる時、自爆するよう作られている」
兵器の秘密。
最後の機密保持。
当然の処置。
だからこそ残酷だった。
ファイは空を見上げる。
「すまんな」
誰に向けた言葉だったのか。
「終わらせるために散っていった同胞たちよ」
懐から小さな酒瓶を取り出した。
蓋を開ける。
一口だけ飲む。
喉を鳴らす。
「勝利の美酒は味わえんかったか」
苦笑する。
「だが」
視線がアウレリアへ向く。
「最期の敵には恵まれたかもしれん」
ファイはしばらく酒瓶を見つめる。
そして静かに呟いた。
「……悪くない味だ」
酒瓶が掲げられる。
まるで乾杯だった。
誰にも届かない。
戦友への。
帝國への。
そして自分自身への。
最後の献杯。
次の瞬間。
ファイの身体に赤い光が走った。
巡礼の地が白く染まる。
轟音。
爆風。
閃光。
空そのものが裂けたような大爆発が荒野を飲み込んだ。
誰も声を出せなかった。
帝國最強の戦闘種族。
勇者殺しファイ。
その生涯は終わった。
だが残された者たちの胸には、一つの問いだけが残る。
人は。
力を持った時。
それでも人間でいられるのか。
最後の一瞬、彼は確かに尊敬に値する人間だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




