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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
フィデリア編
101/133

見せてもらおう

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ファイの生命反応を示していた魔導表示板から、最後の光が消えた。


無機質な文字だけが残る。


――信号なし。


沈黙が研究室を支配した。


誰も声を出せない。


帝國魔導研究所所長もまた、その一人だった。


目の前の表示を見つめたまま動かない。


信じたくなかった。


信じられるはずがなかった。


勇者殺し。


帝國最強戦力。


戦闘種族ファイ。


その敗北は、一人の兵士の死ではない。


帝國そのものを揺るがす事件だった。


数時間後。


魔導研究所所長は帝都中枢にある謁見の間へ呼び出されていた。


赤い絨毯。


巨大な玉座。


重苦しい空気。


その中央で所長は膝をついていた。


懐には毒薬が入っている。


責任を取るためだった。


もちろん、自分一人の命で償える失敗ではない。


それでも何も持たずに来ることはできなかった。


「……この度の責任を取りにまいりました」


額を床につける。


「すべては私の責任です」


「どうか所員たちには寛大な処置を」


玉座の上から返答はない。


帝國皇帝は黙ったままだった。


やがて静かな声が落ちる。


「……まだカードは残っている」


所長は顔を上げた。


「皇帝陛下……」


理解した。


まだ戦うつもりなのだ。


勇者殺しの称号を与えられた戦闘種族は他にもいる。


あと三人。


だが所長の胸中は重かった。


ファイが敗れた。


あのファイが。


帝國最高傑作。


事象の地平線。


帝國が誇る究極兵装。


その適合者。


それら全てを投入して、なお敗れた。


今代の勇者は異常だった。


だが他に道はない。


帝國は勇者を見逃せない。


「……皇帝の名において命じる」


皇帝が言葉を続ける。


「すべての戦闘種族を――」


「必要はない」


声が響いた。


静かな声だった。


だが、その場の全員が反応した。


「私に任せてもらおう」


いつ現れたのか。


誰も分からない。


黒いロングコート。


長い銀髪。


黄金の瞳。


男は玉座へ続く赤絨毯の上に立っていた。


「何者だ!」


親衛隊が剣を抜く。


一斉に男を囲もうとする。


「待て!!」


叫んだのは皇帝だった。


親衛隊が動きを止める。


皇帝は立ち上がっていた。


その顔から血の気が引いている。


男を見つめる。


確認するように。


恐れるように。


そして。


「全員下がれ」


親衛隊が困惑する。


「今すぐだ」


逆らう者はいなかった。


兵士たちは退出した。


広い謁見の間に残るのは三人だけ。


皇帝。


研究所所長。


そして銀髪の男。


次の瞬間だった。


研究所所長は自分の目を疑う。


帝國皇帝が玉座を降りる。


ゆっくり歩く。


男の前で。


膝をついた。


平伏した。


「……ヴァルド様」


所長の身体が震えた。


「……まさか」


声が出ない。


歯が鳴る。


止まらない。


知識としてだけ聞いていた。


存在すると。


帝國の最深部に。


決して逆らってはならない存在がいると。


ファイは最強だった。


少なくとも帝國が管理できる範囲では。


だが、その上がいた。


制御不能。


理解不能。


帝國という国家ですら従うしかない怪物。


戦闘種族の始祖。


世界の天井。


その存在が。


今、目の前に立っていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



帝國には建国以前から残る古い伝承があった。


国家が滅びようと。


王が代わろうと。


時代が変わろうと。


決して消えない影があるという伝承。


その名を知る者は少ない。


だが歴代皇帝だけは例外だった。


帝國の創世記録。


その最初の頁から、ひとりの男の存在が記されている。


――ヴァルド。


帝國を守る者。


帝國を監視する者。


そして帝國すら支配できない者。


魔導研究所の所長は震える手を押さえながら頭を垂れていた。


記録は読んでいた。


歴代所長から引き継がれてきた極秘文書も。


だが、それはどこか昔話のように思えていた。


信じられなかったのだ。


たった一人の人間が国家を縛り続けるなど。


そんなことがあるはずがないと。


しかし現実は違った。


目の前で皇帝が跪いている。


それが何よりの証拠だった。


歴代皇帝の中には反抗した者もいた。


当然だった。


帝國の頂点に立つ者が、自分より上位の存在を認められるはずがない。


ある皇帝は暗殺を試みた。


ある皇帝は軍を動かした。


ある皇帝は戦闘種族を差し向けた。


それも一体ではない。


当時最強と呼ばれた個体を複数投入した。


結果は簡潔だった。


失敗。


ただそれだけ。


反乱を起こした皇帝は消えた。


戦闘種族も消えた。


記録だけが残った。


まるで最初から存在しなかったかのように。


だから以降の皇帝は従った。


帝國を支配しているのは皇帝ではない。


少なくとも歴代皇帝はそう理解していた。


研究所も同じだった。


戦闘種族計画。


勇者対抗兵器。


秘匿兵器開発。


それらは表向きの目的に過ぎない。


本当の目的は別にあった。


ヴァルドに近づくこと。


ヴァルドを理解すること。


そしていつの日か超えること。


戦闘種族とは、そのために造られた人工種族だった。


勇者に勝つためではない。


あの男に届くためだ。


ファイが誕生した時。


当時の研究所は歓喜したという。


記録にも残っている。


ついに到達したと。


ついに神話へ手が届いたと。


だが結果は変わらなかった。


ファイですら届かなかった。


ならば今代の所長に何ができる。


何もない。


ただ恐れることしかできない。


戦闘種族は兵器だった。


封印できる。


管理できる。


制御できる。


だから使えた。


しかし目の前の男は違う。


鎖を掛けられない。


檻に入れられない。


封印もできない。


自由を奪うという発想そのものが成立しない。


それは兵器ではなく。


災厄でもなく。


もっと別の何かだった。


静寂の中。


銀髪の男がゆっくりと視線を上げる。


黄金の瞳。


感情の読めない眼差し。


その姿は伝説の怪物というより、一人の旅人に見えた。


ヴァルドの外見は二十代半ばから一切変わっていない。


だからこそ恐ろしい。


彼は何も威圧していない。


何も誇示していない。


それでも誰も逆らえない。


圧倒的な力とは、そういうものだった。


ヴァルドは窓の向こうへ視線を向けた。


その先にいるはずの少女を思うように。


静かな声が響く。


「見せてもらおう」


感情はない。


興味だけがあった。


「今回の選定者の実力を」


魔導研究所所長の背筋を冷たい汗が流れ落ちる。


ファイが敗れた。


だから現れた。


それだけのことだった。


男の名はヴァルド。


神話の始まりに立ち。


帝國の歴史を見続けてきた存在。


そして。


世界の天井に座する男が、ついにアウレリアへ視線を向けた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



巡礼の地には静かな風が吹いていた。


激戦の傷跡は至る所に残っている。


抉れた大地。


焼け焦げた岩肌。


砕け散った武具。


だが戦いは終わった。


終わったはずだった。


それなのに、その場にいた誰も勝利の余韻に浸れていない。


アウレリアは大きな岩の上に座り込み、膝を抱えていた。


普段なら絶対に見せないような落ち込み方だった。


レオニスはそんな姿を眺めながら溜息をつく。


まるで雨に濡れた犬だった。


いや、本人に言えば間違いなく殴られるので口には出さない。


「いつまでも落ち込んでいてもしょうがないでしょ」


「うるさい、だったら慰めろ!」


「……めんどくさい人だな」


即答だった。


アウレリアは不満そうに睨む。


しかし反論は続かない。


いつもの勢いがない。


レオニスは肩を竦めた。


たった二日にも満たない付き合いだった。


それでもファイという男は強烈だった。


敵だった。


何度も殺されかけた。


それなのに憎めない。


誇り高く。


正々堂々としていて。


最後まで自らの責務を全うした。


もし生まれた国が違っていたなら。


もし帝國で生まれていたなら。


きっと教えを請いたいと思っただろう。


男として。


人間として。


あれほど大きな背中を持つ人物には、そうそう出会えない。


レオニスだけではない。


三聖者たちも同じだった。


「強い、おっさんだったな」


ゼルハインが空を見上げる。


聖槍を地面に立て、その柄に額を預けた。


戦士なりの弔意だった。


「はい、本当に」


イシュリアンも静かに目を閉じる。


最後の瞬間を思い出していた。


ファイは自爆に巻き込めた。


アウレリアごと消し飛ばせた。


それでもしなかった。


助けた。


敵であるはずの勇者を。


それは合理性では説明できない。


人としての矜持だった。


「帝國という存在への考え方を改めても良いのかもしれません」


イシュリアンが呟く。


グラーディスも静かに頷いた。


王国人にとって帝國は悪だった。


幼い頃からそう教えられてきた。


侵略者。


虐殺者。


人類の敵。


まるで子守唄のように聞かされ続けた。


だが実際に出会った男は違った。


「彼らもまた、自らの国を守るために戦う者たちなのでしょう」


誰も否定しなかった。


ファイという存在が、その言葉を裏付けていたからだ。


一方で。


少し離れた場所にいたフィデリアは別のことを考えていた。


青い瞳が揺れている。


アウレリアを見つめながら。


あの日の言葉を思い返していた。


――いらない。


選定の力を拒絶した少女。


普通ならあり得ない。


力を欲しがらない勇者など聞いたことがなかった。


それなのにアウレリアは拒否した。


そして自分で扉を開いた。


誰にも頼らず。


誰にも縋らず。


自らの意思だけで。


「……」


フィデリアは唇を噛む。


偶然選んだ選定者。


だが今では確信している。


アウレリアは特別だ。


だからこそ怖かった。


彼女は耐えられるのだろうか。


これから待つ運命に。


そして。


すべてを知った時。


自分を憎まずにいてくれるのだろうか。


「迷っているのか、“裁定者”よ」


突然。


静かな声が耳に届いた。


フィデリアの身体が震える。


反射的に振り向いた。


「あ、あなたは!?」


そこに男が立っていた。


誰も気付かなかった。


いつからいたのか分からない。


気配も。


足音も。


何もなかった。


ただ最初からそこにいたかのように。


黒いロングコート。


風に揺れる長い銀髪。


黄金の瞳。


世界を見下ろすような静かな眼差し。


ヴァルドは当たり前のようにそこに立ち。


当たり前のようにフィデリアを見下ろしていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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