表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
フィデリア編
102/131

神話の始まり

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



フィデリアは目の前の男から視線を離せなかった。


銀色の髪。


黄金の瞳。


穏やかですらある佇まい。


にもかかわらず、胸の奥がざわつく。


理由は分からない。


いや、正確には分かることを禁じられていた。


ふと、男の言葉が脳裏によみがえる。


――迷っているのか、“裁定者”よ。


その呼び方を知る者は限られている。


少なくとも、この世界において気軽に口にできる言葉ではない。


「誰ですか、貴方は!」


フィデリアは思わず声を上げた。


男はわずかに視線を向ける。


その動作は自然だった。


まるで風が流れるように。


「……私はヴァルド」


静かな返答だった。


聞き返したくなるほど短い。


「……ヴァルド……?」


その名前を聞いた瞬間だった。


何かが引っかかった。


記憶の奥底。


知っている。


間違いなく知っている。


だが思い出せない。


いや、思い出せないのではない。


思い出してはいけないのだ。


禁則事項。


裁定者に課された制約が反応している。


頭痛にも似た違和感が走る。


「……」


フィデリアは眉をひそめた。


知識がある。


だが届かない。


霧の向こうに隠されているようだった。


そんなフィデリアを見て、ヴァルドは変わらぬ表情で言う。


「私は名乗ったのだ。名乗りたまえ。それが人間の礼儀だ」


責める声ではない。


怒りもない。


ただ事実を述べているだけだった。


「……フィデリア」


「そうか」


短い応答。


だが、その瞬間。


ヴァルドの視線はフィデリアから離れていた。


巡礼の地にいる者たちを見る。


アウレリア。


レオニス。


三聖者。


戦いを潜り抜けた者たち。


「“選定者”と“同意者”をすべて揃えたか。“裁定者”フィデリア」


フィデリアの身体が硬直する。


その言葉は知り過ぎていた。


知られているはずがないほどに。


「……なぜ、そこまで」


思わず漏れた声は震えていた。


ヴァルドは答えない。


ただ見ている。


その黄金の瞳で。


そしてフィデリアは気付く。


その視線の中に敵意がないことを。


侮蔑もない。


怒りもない。


あるのは奇妙な感情だった。


哀れみ。


あるいは憂い。


まるで先に待つ道を知っている者が、後から歩く者を見るような眼差し。


その時だった。


「フィデリア!」


聞き慣れた声が響く。


アウレリアたちが駆け寄ってくる。


フィデリアは思わず振り返った。


そして次の瞬間。


全員の動きが止まる。


ヴァルドと目が合ったからだ。


特に反応が大きかったのはアウレリアだった。


「!?」


ほとんど反射だった。


後方へ大きく跳ぶ。


地面を蹴る音が響く。


同時に聖剣が抜き放たれる。


白銀の刃が陽光を反射した。


「アウレリア?」


レオニスが目を見開く。


理解できなかった。


アウレリアは滅多なことでは武器を抜かない。


まして相手が何もしていない状況なら尚更だ。


しかし今の彼女は違った。


表情が険しい。


額に汗が滲んでいる。


強いて言うなら。


それは恐怖だった。


本能が警鐘を鳴らしている。


理屈より先に身体が動いた。


距離を取れと。


剣を構えろと。


生き延びろと。


「私の間合いが分かるのか」


ヴァルドの声は静かだった。


感心したようにも聞こえる。


「では、試してやろう」


その声は不思議なほど穏やかだった。


怯える子供を安心させるような響きすらある。


だからこそ恐ろしい。


その場にいた者たちは理解する。


ファイが最期に残した言葉。


――だが、天は更に高みがある。


その意味を。


ファイが見上げていた場所。


世界の果て。


その頂に立つ男が、今、目の前にいるのだと。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ヴァルドはアウレリアたちを一瞥すると、まるで当然のことを告げるように言った。


「フィデリア、彼女らを回復させたまえ」


「な!?」


アウレリアだけではない。


その場にいた全員が目を見開いた。


敵地のど真ん中。


正体不明の男。


しかもファイを知る帝國側の人物。


そんな相手から出る言葉ではなかった。


「ファイが戦い、認め、生き残られた。その彼女らを見てみたい」


静かな声だった。


命令とも違う。


願望とも違う。


ただ事実を述べているだけのような響き。


ヴァルドはゆっくりとフィデリアへ視線を向けた。


「わ、私にはそんな力は……」


「巡礼の地の力を使えばいい」


あまりにも自然に告げられた言葉。


フィデリアは息を呑んだ。


巡礼の地。


その本質を知る者など限られている。


ましてや今の自分たち以外に。


だがヴァルドは説明を求めることもなく、その背中を軽く押した。


「な!?」


温かい手だった。


乱暴さはない。


強制する気配もない。


ただ前へ進ませるだけの力。


フィデリアは思わず振り返る。


しかしヴァルドは既に興味を失ったように歩き出していた。


距離を取る。


まるで自分が邪魔になるとでも言うように。


(……この人は、いったい)


理解できない。


敵意がない。


だが安心もできない。


その存在そのものが理解の外側にあった。


フィデリアが戻ると、アウレリアたちは未だ武器を構えたままだった。


「フィ、フィデリア!あいつ知り合いなのか!?」


普段ならまず飛び出していくアウレリアが、珍しく警戒を隠せていない。


それほどまでにヴァルドという男は異様だった。


「ファイさんを知っている様子でしたから、帝國の軍人でしょうか?」


イシュリアンが不安そうに言う。


「軍服を着てないけどね」


レオニスだけは比較的冷静だった。


しかしその視線もヴァルドから離れない。


(軍属じゃない)


(だけど普通でもない)


(何だろうな、この感じ)


どこか既視感があった。


まだ勇者になる前。


好き勝手に動き回っていた頃のアウレリアに似ている。


常識の外側にいるのに、自分の中では筋が通っている。


そんな印象だった。


「わかりません。私にもわからないのです」


フィデリアは正直に答える。


そして意識を巡礼の地へ向けた。


恐る恐る力を流す。


すると。


「「「「これは!?」」」」


全員の声が重なった。


四つの聖遺物が淡く輝く。


聖剣。


聖盾。


聖槍。


聖杖。


そこから流れ出した光が持ち主たちを包み込んだ。


裂けた傷が閉じていく。


重かった身体が軽くなる。


枯渇しかけた魔力が満たされる。


蓄積した疲労までもが洗い流されていく。


まるで大地そのものが祝福を与えているようだった。


誰も言葉を失った。


こんな力があることを、誰も知らなかったからだ。


その時だった。


「そこの君」


不意に呼ばれたレオニスが飛び上がる。


「は、はい!」


情けないほど上ずった声。


視線の先にはヴァルド。


先ほどまで離れていたはずなのに、いつの間にか近くに立っていた。


誰も接近に気付けなかった。


「まだ時間はあるからな」


ヴァルドは穏やかに続けた。


「ファイが亡くなった場所に案内してくれないか」


敵意はない。


威圧もない。


ただ静かな願い。


それなのに断れる気がしない。


レオニスは無意識に頷いていた。


この日。


レオニスは理解する。


ファイという英雄を忘れられないように。


目の前の男との出会いもまた、生涯忘れることはないのだと。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ファイが散った場所には、既に爆発の痕跡しか残っていなかった。


大地は抉れ。


草木は焼け焦げ。


戦いの激しさだけが静かに残されている。


ヴァルドはその場所の前で立ち止まった。


何も言わない。


ただ静かに目を閉じる。


長い銀髪が風に揺れた。


祈りなのか。


弔意なのか。


それとも別の何かなのか。


レオニスには分からなかった。


ただ、その沈黙だけは軽いものではなかった。


しばらくしてヴァルドが目を開く。


「そう言えば、君の名前を聞いていなかったな」


「ぼ、僕はレオニスです」


「そうか。私はヴァルドだ」


改めて名乗られる。


その名前に重みは感じない。


だが、妙な圧迫感があった。


ファイと同じ帝國側の人間。


それなのに全く違う。


ファイは巨大な山だった。


見上げれば圧倒される。


だが登ろうと思える。


いつか頂へ辿り着きたいと思わせる高さだった。


しかし。


(この人は違う)


レオニスは無意識に空を見上げた。


雲ひとつない青空。


どこまで続いているのか分からない。


どれほど高いのかも分からない。


手を伸ばすことすら馬鹿らしく思える。


ヴァルドから感じるものは、それに近かった。


「レオニス」


「は、はい」


「君はファイの最期を見たのかね」


「はい」


ヴァルドの金色の瞳が向けられる。


鋭いはずなのに威圧感はない。


ただ真っ直ぐだった。


「よければ、君から見たファイの感想を聞きたい」


「な、何故ですか?」


思わず聞き返してしまう。


ヴァルドは少しだけ首を傾げた。


「死者を知るためだ。それでは不足かね?」


「あ……はい。そうですね」


レオニスは苦笑した。


確かにおかしな質問だった。


聞きたいから聞く。


それだけなのだろう。


だから語った。


最初は帝國軍人として出会ったこと。


圧倒的な強さを見せつけられたこと。


何度倒されそうになっても責務を捨てなかったこと。


そして最後まで誇り高い軍人だったこと。


話しているうちに、自分でも驚くほど言葉が溢れてきた。


ヴァルドは一度も口を挟まない。


黙って聞いていた。


ただ静かに。


まるで故人の記録を刻み込むように。


やがて話が終わる。


少しの沈黙。


そしてレオニスは勇気を振り絞った。


「僕からも聞いていいですか!」


「何かね」


「あなたは、王国の敵なんですか!」


問いは真っ直ぐだった。


ヴァルドは迷わない。


「違うな」


即答だった。


そこに偽りは感じられない。


少なくともレオニスにはそう思えた。


だが次の言葉が続く。


「だが、敵と味方だけで君が質問したのなら」


ヴァルドは遠くを見る。


その先にはアウレリアたちの姿があった。


「彼女らは私を敵とみるだろうな」


否定しない。


言い訳もしない。


ただ事実として受け入れている。


その姿にレオニスは戸惑った。


敵ではない。


だが敵になる。


矛盾しているようで、どこか納得できてしまう。


ヴァルドという男はそういう存在だった。


雲ひとつない空のような男。


遠すぎて。


高すぎて。


何を考えているのか分からない。


「戦うのを止めるとかは出来ないんですか!」


気付けば声が出ていた。


ファイは死んだ。


もう誰も死んでほしくなかった。


ヴァルドは少しだけ目を伏せる。


「それが出来れば、苦労はないのだがな」


初めてだった。


感情らしきものが見えたのは。


ほんの一瞬。


それだけだった。


レオニスには事情は分からない。


背負っているものも分からない。


だが理解できたことが一つだけある。


ファイが責務を背負っていたように。


この男もまた何かを背負っている。


そしてその重さは、おそらく誰にも代われない。


そんな予感だけが胸に残った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ