試してみるか?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アウレリア、聖剣解放です!」
イシュリアンの声が荒野に響いた。
冷静な彼女にしては珍しく強い口調だった。
それだけ状況が切迫している。
グラーディスは戦闘不能。
ゼルハインは吹き飛ばされた。
魔法は通じない。
この場でファイを止められる可能性があるとすれば。
勇者の切り札しかない。
「倒すには、それしかありません!」
イシュリアンは断言した。
だが、アウレリアの表情は曇る。
レオニスにもアウレリアの葛藤が理解できる。
迷いがあった。
酒場で話した男。
敵でありながら礼節を持ち、理屈を語った軍人。
そんな相手を本当に消し飛ばしていいのか。
その一瞬の躊躇い。
しかし戦場は迷いを許さない。
「……試してみるか?」
低い声が響く。
ファイだった。
そして彼は自ら後退する。
数歩。
さらに数歩。
まるで射線を確保するかのように。
アウレリアとの間合いを大きく広げた。
「……ファイさん」
「使ってこい、勇者の業を」
挑発ではない。
嘲笑でもない。
ただ事実確認をするような口調だった。
その落ち着きが逆に不気味だった。
レオニスの喉が鳴る。
聖剣解放。
それはゼータを倒した力だ。
帝國の戦闘種族すら滅ぼした奇跡。
普通なら警戒する。
普通なら避ける。
普通なら阻止する。
だがファイは違う。
受ける気でいる。
真正面から。
(……そんな馬鹿な)
レオニスは嫌な汗を流した。
ファイという男は、自暴自棄になる人間ではない。
短い会話だった。
それでも分かる。
この男は戦場でレオニスでは理解できない死線を越えてきたのだろう。
そんな軍人が根拠もなく危険へ踏み込むはずがない。
(嫌な予感がする……)
レオニスは叫びたくなった。
だがアウレリアは決断していた。
大きく息を吸う。
そして聖剣を天へ掲げた。
光が集まる。
刀身が輝く。
眩い光は膨張し。
やがて小さな太陽にも似た輝きとなった。
巡礼の地そのものが震える。
膨大な熱量。
膨大な魔力。
誰もが勇者の奇跡を見上げた。
一方。
ファイは動かない。
逃げない。
構えもしない。
ただ立つ。
その全身鎧に刻まれた赤い線だけが妖しく発光していた。
まるで血管のように。
生き物のように。
脈動している。
「駄目だ、アウレリア!使ってはいけない!」
レオニスが叫ぶ。
だが遅い。
勇者は剣を振り下ろした。
「聖剣解放!」
轟光。
世界そのものを焼き尽くすかのような光の奔流。
それが一直線にファイへ襲い掛かる。
誰も疑わなかった。
直撃する、と。
だが。
ファイの口が静かに動く。
「……事象の地平線」
次の瞬間。
全員の思考が停止した。
聖剣解放が。
曲がった。
ファイへ届く寸前で。
まるで巨大な手に掴まれたかのように。
光の奔流は進路を捻じ曲げられ。
天へと逸らされた。
空が裂ける。
雲が消し飛ぶ。
しかし。
ファイは無傷だった。
「聖剣解放といえ、膨大な熱エネルギーに過ぎん」
「勇者の奇跡も現象である以上、観測できる」
「観測できるものなら、対処は可能だ」
静かな声。
事実を述べるだけの声。
帝國の秘匿兵器。
あらゆるエネルギーの流れを歪める戦闘種族の力。
――事象の地平線。
勇者最大の切り札。
その奇跡は。
今この瞬間。
正面から打ち破られた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……そんな、馬鹿な」
イシュリアンの声は震えていた。
膝が力なく地面へ落ちる。
彼女が見てきた世界では、聖剣解放は絶対だった。
神が勇者へ与えた奇跡。
人の理を超えた力。
だからこそ勇者は勇者なのだ。
その神話が、今。
目の前で砕かれた。
否定された。
聖導師として積み上げてきた常識ごと。
「……見事だな」
そんな中。
ファイは静かにアウレリアを見ていた。
勝者の驕りはない。
侮蔑もない。
ただ純粋な評価だった。
「本来ならば、空ではなかった」
低い声が荒野へ響く。
「君たちの方へ返すつもりであった」
レオニスの背筋が凍った。
その言葉の意味を理解したからだ。
歴代の勇者。
ファイが葬ってきた勇者たち。
彼らは自ら放った力によって死んだ。
しかし今回は違った。
アウレリアが放った聖剣解放は、完全には操れなかった。
だから空へ逸れた。
つまり。
アウレリアは知らぬ間に生き残っていた。
「では、行くぞ」
それだけ言う。
そしてファイは再び動いた。
向かう先は勇者ではない。
ゼルハインでもない。
イシュリアンでもない。
フィデリアだった。
徹底している。
戦場における最重要目標。
それ以外を切り捨てる判断。
軍人として完成されすぎていた。
「させない!」
アウレリアが飛び出す。
聖剣を構える。
だが主導権は完全に相手に握られていた。
防ぐ。
受ける。
追う。
それだけだ。
気付けば戦場の全てがファイの思惑通りに動いている。
グラーディスは倒れたまま。
イシュリアンは膝をついている。
非戦闘員のレオニスはフィデリアを守ることで精一杯。
アウレリアは防戦一方。
誰も攻勢に出られない。
「……おかしい」
その中で。
ゼルハインだけが別のことを考えていた。
槍を構える。
呼吸を整える。
目だけはファイを追い続ける。
「強い」
それは認める。
これほどの敵は見たことがない。
自分たちを苦しめたゼータ以上。
だが。
強いだけなら理解できる。
問題はそこではない。
「強すぎる」
まるで未来を知っているようだった。
まるで次の行動を読んでいるようだった。
まるで全員の思考が見えているようだった。
(何だ……)
ゼルハインは観察する。
戦うのではなく。
見る。
ただ見る。
野太刀の軌道。
足運び。
視線。
肩の動き。
呼吸。
重心移動。
全てを頭へ叩き込む。
(戦闘種族だから強い?)
違う。
そんな曖昧な答えではない。
(俺たちと何が違う)
そこだ。
そこに答えがある。
ゼルハインは何度も打ち合った。
武人として理解できる。
この男の強さは単純な腕力ではない。
技術だけでもない。
経験だけでもない。
もっと根本的な何か。
その正体を探る。
そして。
ついに一つの可能性へ辿り着いた。
「……そういうことか」
小さく呟く。
誰にも聞こえない声。
だが目は死んでいなかった。
むしろ逆だ。
今まで以上に鋭くなっていた。
聖槍を振るう。
先ほどまでとは違う。
確かな意志がそこにある。
絶望は消えていない。
勝率も低い。
それでも。
武人の勘が告げていた。
まだ終わっていない。
ファイという怪物を倒す道は。
確かに存在するのだと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ゼルハインは駆けた。
ファイへではない。
イシュリアンへ向かって。
巡礼の地には金属音が響き続けていた。
アウレリアが野太刀を受ける。
弾く。
避ける。
しかし押される。
まるで見えない糸で動きを制限されているようだった。
ファイは一歩も無駄にしない。
フィデリアとの距離。
アウレリアとの位置関係。
地形。
味方の状態。
すべてを利用していた。
ゼルハインは歯を食いしばる。
今まで気づかなかった事実が目の前にあった。
自分は勘違いしていたのだ。
武とは強さだと思っていた。
槍を振るい。
敵を倒し。
誰よりも高みに立つこと。
それが武人だと信じていた。
だが違う。
ファイは違う。
あの男は武人ではない。
軍人だ。
勝つための専門家。
戦争を終わらせるための生き物。
敵の弱点を突く。
仲間を利用する。
有利な状況を作る。
勝つためなら何でも使う。
そこに迷いはない。
だからフィデリアを狙う。
だからアウレリアを縛る。
だから自分たちは追い詰められている。
アウレリアは弱くない。
むしろ圧倒的に強い。
それでも勝てない。
力の問題ではないからだ。
ファイは戦場そのものを支配していた。
点ではない。
面だ。
戦士ではない。
戦争そのものだ。
ゼルハインは確信した。
自分たちは全員、ファイの掌の上で踊らされている。
だからこのままでは勝てない。
戦い方を変えなければならない。
そのために必要なのは。
勇者を勝たせることだった。
ゼルハインはイシュリアンの前で足を止める。
イシュリアンはまだ膝をついていた。
聖剣解放が破られた衝撃は大きい。
信仰すら揺るがす光景だった。
それでも瞳は死んでいない。
ゼルハインは短く言った。
「リアン、支援魔法は使えるか」
イシュリアンは顔を上げる。
「……それは、当然できますが」
声には迷いがあった。
攻撃魔法こそが自分の力。
そう信じてきたからだ。
だが今は違う。
ファイには通じない。
現実がそれを証明していた。
ゼルハインは聖槍を肩に担ぐ。
「どうせ攻撃魔法は通らねぇ」
「なら全部捨てろ」
「俺を可能な限り強化しろ」
イシュリアンの目が揺れる。
ゼルハインがこんな言葉を口にするとは思わなかった。
誰よりも個の武を信じていた男だからだ。
ゼルハインは頭を掻いた。
照れ臭そうに。
だが真剣に。
「俺一人じゃ勝てねぇ」
「アウレリア一人でも勝てねぇ」
「だから全員で勝つ」
そして視線を向ける。
戦い続ける勇者へ。
「俺たちの勇者を勝たせるぞ」
その言葉には迷いがなかった。
イシュリアンは静かに立ち上がる。
聖杖を握る手に力が戻る。
そうだ。
三聖者とは勇者を補佐する者。
自分が主役ではない。
勇者を導くために存在する。
いつの間にか忘れていた当たり前を思い出した。
「……わかりました」
「ゼルを信じます」
紫の瞳に決意が宿る。
魔力が静かに高まり始めた。
ゼルハインは口元を吊り上げる。
「それでいい」
「気を付けてください、ゼル」
「リアンも手筈通りに頼む」
二人は短く頷き合った。
余計な言葉はいらない。
やるべきことは決まった。
遠くでは再び激しい衝突音が響く。
アウレリアがまだ立っている。
まだ戦っている。
ならば諦める理由はない。
絶望は終わった。
ここから始まるのは反撃だ。
巡礼の地にて。
王国側はようやく一つになろうとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




