決戦前に
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大型テントの中には、先ほどまで張り詰めていた空気がまだ残っていた。
王族派。
貴族派。
教会派。
それぞれの代表者たちは不満を抱えながらも退室した。
残されたのは三聖者とレオニスだけだった。
ゼルハインは腕を組み、グラーディスを見る。
「反感覚悟とは、やるじゃねぇか」
皮肉混じりの声だった。
だが本気で責めているわけではない。
むしろ称賛している感情が強い。
グラーディスもそれを理解していた。
「戦う前に、人を守らなければならないですからね」
そう言って小さく笑う。
「勇者の端くれとして」
その言葉に、ゼルハインの眉がわずかに動いた。
以前のグラーディスなら口にしなかった言葉だった。
グラーディス自身もそれを理解している。
勝つこと。
敵を倒すこと。
王国を守ること。
それだけを考えていた頃なら、今回の決断はしなかっただろう。
だが今は違う。
「結果的に、これが一番犠牲者が少ない」
静かに続ける。
「死者を減らす方法の最適解でしょう」
その言葉にイシュリアンも頷いた。
「ええ。その通りですね」
紫の瞳は冷静だった。
「戦力として考えれば人数は多い方が良いですが、守る対象が増えれば被害も増えます」
「今回は護衛任務です」
「ならば優先順位は明確です」
合理的な判断。
まさにイシュリアンらしい答えだった。
しかし、その結論へ至った理由は以前とは少し違う。
ゼルハインは二人を交互に見た。
「お前たち、すっかりアウレリアの奴に影響されたらしいな」
呆れたように笑う。
だがどこか嬉しそうでもあった。
グラーディスが肩をすくめた。
「否定はしませんよ」
イシュリアンも続く。
「ええ。そうですね」
あまりにも素直な返答だった。
ゼルハインは顔をしかめる。
「おい」
「そこで認めるなよ」
さらにグラーディスが追撃する。
「ゼルハイン、君もね」
「は?」
「君も十分影響を受けています」
「ええ」
イシュリアンまで同調した。
「最近は以前より味方への配慮があります」
「無意識かもしれませんが」
「うっせぇ!」
ゼルハインが叫ぶ。
「俺は違うぞ!」
その反応が余計に図星だった。
グラーディスとイシュリアンは珍しく同時に笑った。
レオニスはその光景を見て不思議な気持ちになる。
三人は元々、決して仲が良いわけではなかった。
王族。
貴族。
教会。
立場が違う。
考え方も違う。
まるで平行線だった。
交わることなどないと思っていた。
だが今は違う。
少なくとも同じ方向を見ている。
それを変えたのは間違いなくアウレリアだった。
「そういえば」
グラーディスが視線を向ける。
「君はなぜ残ったんだ?」
レオニスを見た。
ゼルハインも。
イシュリアンも。
三人の視線が集まる。
レオニスは小さく息を吐いた。
「僕も一緒に行くからですよ」
「私の言葉を聞いていなかったのかね?」
「もちろん聞いていました」
即答だった。
グラーディスが少しだけ眉を上げる。
レオニスは肩を落とした。
「エルマナート様ともあろうお方が」
「大事なことをお忘れです」
「何だい、それは?」
本気で分からないらしい。
レオニスは呆れた。
「貴方方は王国の資産を使って戦うんですよ」
「なら文官の私が記録を取らなければ法的根拠がなくなります」
そして真顔で続けた。
「勇者様たちといえど横領は重罪です」
一瞬。
沈黙が落ちた。
次の瞬間。
「ははははは!」
グラーディスが吹き出した。
ゼルハインも腹を抱えて笑う。
イシュリアンでさえ口元を緩めていた。
レオニス自身も馬鹿な建前だと思っている。
本当の理由は別にある。
アウレリアの行く末を見届けたい。
その一点だった。
たとえ命を懸けることになっても。
グラーディスは笑い終えると穏やかな顔になった。
「なるほど」
「筋は通っている」
そして意味ありげに続ける。
「私としても横領王子などと言われたくないからね」
許可だった。
レオニスは小さく頭を下げる。
巡礼の地。
そこで待つ帝國最強の戦闘種族。
恐怖がないわけではない。
だが逃げるつもりもなかった。
強敵を前にしても。
人の意志は折れない。
そのことを示すように、テントの中には静かな決意だけが残っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夕暮れの空の下。
荒野に立つ男は、静かに懐中時計を開いた。
規則正しく刻まれる秒針の音。
それを確認したファイは、小さく息を吐く。
「……そろそろか」
その声は独り言のようだった。
だが次の瞬間。
遥か上空に小さな黒点が現れる。
黒点は凄まじい速度で接近した。
流星のように落下してきたそれは、地面へ激突する直前で急激に減速する。
轟音。
巻き上がる土煙。
そして荒野の中央へ静かに降り立った。
巨大な金属製の箱だった。
表面には幾重もの封印術式が刻まれている。
ただの輸送箱ではない。
帝國が最高機密として扱う存在を封じた箱だった。
「……連絡通りの座標と時間だな」
ファイは時計を閉じる。
その落ち着いた眼差しに焦りはない。
「……さて、準備に入るとしよう」
ゆっくり拳を握る。
次の瞬間。
鋼鉄を殴るとは思えない乾いた衝撃音が響いた。
箱が揺れる。
だが壊れない。
ファイはもう一度殴る。
二度。
三度。
封印術式が明滅する。
四度目でようやく表面に細い亀裂が走った。
「頑丈なものだ」
感心したように呟く。
そして最後に。
腰を落とし。
全身の力を拳へ乗せた。
轟音。
箱全体が粉砕された。
無数の破片が飛び散る。
その中心から現れたのは一領の鎧だった。
飾り気はない。
華美な装飾もない。
ただ戦うためだけに存在する鋼。
数え切れない戦場を共に潜り抜けた専用装備。
ファイの姿を認識した鎧は、眠りから覚めるように低く唸った。
まるで生き物のようだった。
そして。
砕けた箱の残骸の中から呼び出し音が鳴る。
受話器だった。
ファイは当然のように拾い上げる。
「……儂だ」
受話器の向こうから聞こえてきたのは、魔導研究所所長の声だった。
緊張が滲んでいる。
それも当然だった。
今、帝國最強の戦闘種族が動き出そうとしているのだから。
『ファイ、荷物は受け取ってくれたようだな』
「……頑丈に封印してくれたものだ」
『当然だ』
所長は即答した。
『君の装備は帝國の秘匿兵器そのものだ』
『下手な場所で起動されては困る』
「そうか」
ファイは苦笑した。
否定はしなかった。
それだけの力を持っている自覚がある。
「では、儂の枷も解いてもらおう」
短い沈黙。
『わかった』
許可が下りる。
ファイは受話器を肩に挟んだまま軍服の上着を脱いだ。
鍛え抜かれた背中が露わになる。
そこには無数の金属器具が埋め込まれていた。
人を制御するためのものではない。
怪物を制御するための拘束具。
「ぐぬぅ」
低く唸る。
直後。
背中から複数の金属ボルトが排出された。
血は流れない。
肉体が常人の領域を超えている証だった。
拘束が解除される。
重石が消える。
空気が震えた。
「ふぅ」
肩を回す。
首を鳴らす。
「これで十全に戦えるな」
静かな満足。
同時に鎧が反応した。
装甲が分解される。
無数の部品が宙を舞い。
吸い寄せられるようにファイの全身を覆っていく。
胸部。
腕部。
脚部。
そして頭部。
完成した姿は、もはや一軍人ではない。
帝國の切り札だった。
「所長」
鎧越しの声が響く。
「今代の勇者に会ったよ」
『何!?』
受話器の向こうで所長が息を呑む。
「今まで戦った勇者ですら」
ファイは空を見上げた。
「天秤の対として軽すぎる手合いだ」
その評価は最大級だった。
『ファイ……』
所長の声に緊張が混じる。
だがファイは笑う。
「案ずるな」
左手には酒瓶が握られていた。
村で買った酒だ。
「これは勝利の美酒として飲むつもりだからな」
老軍人の笑み。
それは慢心ではない。
長い戦歴に裏打ちされた確信だった。
「帝國を守るために行く」
通信が切れる。
荒野に静寂が戻る。
ファイは巡礼の地がある方向へ視線を向けた。
そこには王国の勇者がいる。
帝國の宿敵。
そして、自らが討つべき相手。
ファイは一歩踏み出した。
帝國最強の戦闘種族。
勇者殺し。
その歩みは静かだった。
だが一歩ごとに、大地が小さく震えていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




