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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
フィデリア編
96/135

決戦前に

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



大型テントの中には、先ほどまで張り詰めていた空気がまだ残っていた。


王族派。


貴族派。


教会派。


それぞれの代表者たちは不満を抱えながらも退室した。


残されたのは三聖者とレオニスだけだった。


ゼルハインは腕を組み、グラーディスを見る。


「反感覚悟とは、やるじゃねぇか」


皮肉混じりの声だった。


だが本気で責めているわけではない。


むしろ称賛している感情が強い。


グラーディスもそれを理解していた。


「戦う前に、人を守らなければならないですからね」


そう言って小さく笑う。


「勇者の端くれとして」


その言葉に、ゼルハインの眉がわずかに動いた。


以前のグラーディスなら口にしなかった言葉だった。


グラーディス自身もそれを理解している。


勝つこと。


敵を倒すこと。


王国を守ること。


それだけを考えていた頃なら、今回の決断はしなかっただろう。


だが今は違う。


「結果的に、これが一番犠牲者が少ない」


静かに続ける。


「死者を減らす方法の最適解でしょう」


その言葉にイシュリアンも頷いた。


「ええ。その通りですね」


紫の瞳は冷静だった。


「戦力として考えれば人数は多い方が良いですが、守る対象が増えれば被害も増えます」


「今回は護衛任務です」


「ならば優先順位は明確です」


合理的な判断。


まさにイシュリアンらしい答えだった。


しかし、その結論へ至った理由は以前とは少し違う。


ゼルハインは二人を交互に見た。


「お前たち、すっかりアウレリアの奴に影響されたらしいな」


呆れたように笑う。


だがどこか嬉しそうでもあった。


グラーディスが肩をすくめた。


「否定はしませんよ」


イシュリアンも続く。


「ええ。そうですね」


あまりにも素直な返答だった。


ゼルハインは顔をしかめる。


「おい」


「そこで認めるなよ」


さらにグラーディスが追撃する。


「ゼルハイン、君もね」


「は?」


「君も十分影響を受けています」


「ええ」


イシュリアンまで同調した。


「最近は以前より味方への配慮があります」


「無意識かもしれませんが」


「うっせぇ!」


ゼルハインが叫ぶ。


「俺は違うぞ!」


その反応が余計に図星だった。


グラーディスとイシュリアンは珍しく同時に笑った。


レオニスはその光景を見て不思議な気持ちになる。


三人は元々、決して仲が良いわけではなかった。


王族。


貴族。


教会。


立場が違う。


考え方も違う。


まるで平行線だった。


交わることなどないと思っていた。


だが今は違う。


少なくとも同じ方向を見ている。


それを変えたのは間違いなくアウレリアだった。


「そういえば」


グラーディスが視線を向ける。


「君はなぜ残ったんだ?」


レオニスを見た。


ゼルハインも。


イシュリアンも。


三人の視線が集まる。


レオニスは小さく息を吐いた。


「僕も一緒に行くからですよ」


「私の言葉を聞いていなかったのかね?」


「もちろん聞いていました」


即答だった。


グラーディスが少しだけ眉を上げる。


レオニスは肩を落とした。


「エルマナート様ともあろうお方が」


「大事なことをお忘れです」


「何だい、それは?」


本気で分からないらしい。


レオニスは呆れた。


「貴方方は王国の資産を使って戦うんですよ」


「なら文官の私が記録を取らなければ法的根拠がなくなります」


そして真顔で続けた。


「勇者様たちといえど横領は重罪です」


一瞬。


沈黙が落ちた。


次の瞬間。


「ははははは!」


グラーディスが吹き出した。


ゼルハインも腹を抱えて笑う。


イシュリアンでさえ口元を緩めていた。


レオニス自身も馬鹿な建前だと思っている。


本当の理由は別にある。


アウレリアの行く末を見届けたい。


その一点だった。


たとえ命を懸けることになっても。


グラーディスは笑い終えると穏やかな顔になった。


「なるほど」


「筋は通っている」


そして意味ありげに続ける。


「私としても横領王子などと言われたくないからね」


許可だった。


レオニスは小さく頭を下げる。


巡礼の地。


そこで待つ帝國最強の戦闘種族。


恐怖がないわけではない。


だが逃げるつもりもなかった。


強敵を前にしても。


人の意志は折れない。


そのことを示すように、テントの中には静かな決意だけが残っていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



夕暮れの空の下。


荒野に立つ男は、静かに懐中時計を開いた。


規則正しく刻まれる秒針の音。


それを確認したファイは、小さく息を吐く。


「……そろそろか」


その声は独り言のようだった。


だが次の瞬間。


遥か上空に小さな黒点が現れる。


黒点は凄まじい速度で接近した。


流星のように落下してきたそれは、地面へ激突する直前で急激に減速する。


轟音。


巻き上がる土煙。


そして荒野の中央へ静かに降り立った。


巨大な金属製の箱だった。


表面には幾重もの封印術式が刻まれている。


ただの輸送箱ではない。


帝國が最高機密として扱う存在を封じた箱だった。


「……連絡通りの座標と時間だな」


ファイは時計を閉じる。


その落ち着いた眼差しに焦りはない。


「……さて、準備に入るとしよう」


ゆっくり拳を握る。


次の瞬間。


鋼鉄を殴るとは思えない乾いた衝撃音が響いた。


箱が揺れる。


だが壊れない。


ファイはもう一度殴る。


二度。


三度。


封印術式が明滅する。


四度目でようやく表面に細い亀裂が走った。


「頑丈なものだ」


感心したように呟く。


そして最後に。


腰を落とし。


全身の力を拳へ乗せた。


轟音。


箱全体が粉砕された。


無数の破片が飛び散る。


その中心から現れたのは一領の鎧だった。


飾り気はない。


華美な装飾もない。


ただ戦うためだけに存在する鋼。


数え切れない戦場を共に潜り抜けた専用装備。


ファイの姿を認識した鎧は、眠りから覚めるように低く唸った。


まるで生き物のようだった。


そして。


砕けた箱の残骸の中から呼び出し音が鳴る。


受話器だった。


ファイは当然のように拾い上げる。


「……儂だ」


受話器の向こうから聞こえてきたのは、魔導研究所所長の声だった。


緊張が滲んでいる。


それも当然だった。


今、帝國最強の戦闘種族が動き出そうとしているのだから。


『ファイ、荷物は受け取ってくれたようだな』


「……頑丈に封印してくれたものだ」


『当然だ』


所長は即答した。


『君の装備は帝國の秘匿兵器そのものだ』


『下手な場所で起動されては困る』


「そうか」


ファイは苦笑した。


否定はしなかった。


それだけの力を持っている自覚がある。


「では、儂の枷も解いてもらおう」


短い沈黙。


『わかった』


許可が下りる。


ファイは受話器を肩に挟んだまま軍服の上着を脱いだ。


鍛え抜かれた背中が露わになる。


そこには無数の金属器具が埋め込まれていた。


人を制御するためのものではない。


怪物を制御するための拘束具。


「ぐぬぅ」


低く唸る。


直後。


背中から複数の金属ボルトが排出された。


血は流れない。


肉体が常人の領域を超えている証だった。


拘束が解除される。


重石が消える。


空気が震えた。


「ふぅ」


肩を回す。


首を鳴らす。


「これで十全に戦えるな」


静かな満足。


同時に鎧が反応した。


装甲が分解される。


無数の部品が宙を舞い。


吸い寄せられるようにファイの全身を覆っていく。


胸部。


腕部。


脚部。


そして頭部。


完成した姿は、もはや一軍人ではない。


帝國の切り札だった。


「所長」


鎧越しの声が響く。


「今代の勇者に会ったよ」


『何!?』


受話器の向こうで所長が息を呑む。


「今まで戦った勇者ですら」


ファイは空を見上げた。


「天秤の対として軽すぎる手合いだ」


その評価は最大級だった。


『ファイ……』


所長の声に緊張が混じる。


だがファイは笑う。


「案ずるな」


左手には酒瓶が握られていた。


村で買った酒だ。


「これは勝利の美酒として飲むつもりだからな」


老軍人の笑み。


それは慢心ではない。


長い戦歴に裏打ちされた確信だった。


「帝國を守るために行く」


通信が切れる。


荒野に静寂が戻る。


ファイは巡礼の地がある方向へ視線を向けた。


そこには王国の勇者がいる。


帝國の宿敵。


そして、自らが討つべき相手。


ファイは一歩踏み出した。


帝國最強の戦闘種族。


勇者殺し。


その歩みは静かだった。


だが一歩ごとに、大地が小さく震えていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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