その先には避けられない決戦が待っていた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
食事を終えたファイは、手元の布で口元を軽く拭った。
そして静かに店主へ声をかける。
「主、ここに個室はあるか?」
「は、ございますが」
「そうか。使わせてもらおう」
そう言うと、ファイは金貨を一枚差し出した。
店主は目を見開く。
村人にとっては大金だった。
「案内を頼めるか」
「は、はい」
店主は慌てて頭を下げる。
そのまま二階へ案内していった。
ファイは階段を上る途中、一度だけ振り返る。
何も言わない。
だが、その視線は明確だった。
ついて来い。
レオニスは息を飲む。
そして立ち上がった。
隣ではアウレリアも当然のようについてくる。
「なんで付いてくるの?」
「だって、あたしの話でもあるでしょ」
「それはそうだけど……」
三人は二階の個室へ入った。
室内は広くない。
木製の簡素な机。
椅子が数脚。
窓が一つ。
旅人や村人が酒を飲みながら談笑するための部屋だろう。
ファイは椅子へ腰を下ろした。
「座りたまえ、レオニス、アウレリア」
その声は先ほどまでとは違っていた。
酒場で見せていた穏やかな老人の顔ではない。
軍人だった。
長い年月を戦場で生き抜いた者だけが持つ重みがそこにあった。
レオニスは覚悟を決めて腰を下ろす。
アウレリアも隣へ座った。
しばし沈黙。
やがてファイが口を開く。
「レオニスが知りたかったのは、帝國が王国と戦争をする理由だったな」
「はい」
即答だった。
迷いはない。
ファイは頷く。
「帝國側に戦争をする理由はない」
レオニスの思考が停止した。
言葉の意味が理解できない。
「……え?」
間抜けな声が漏れる。
ファイは続けた。
「強いて言うなら、王国が勇者を生み出すため戦っている」
「それほど勇者とは帝國にとって業が深い存在だ」
室内が静まり返る。
以前のレオニスなら笑い飛ばしただろう。
馬鹿な話だと。
そんな理由で戦争など起きるはずがないと。
だが。
聖剣解放を見た。
あの光を見た。
あれは人間が持つにはあまりにも巨大な力だった。
だから否定しきれない。
もし本当に帝國が勇者を恐れているのなら。
もし勇者そのものが戦争の原因なのだとしたら。
王国の悲願は永遠に争いを生み続ける。
「しかし!」
レオニスは思わず立ち上がった。
「今の勇者なら、そんなことにはならない!」
その視線の先にはアウレリアがいる。
人を守ろうとする勇者。
力を誇らない勇者。
あのアウレリアなら。
だがファイは静かだった。
「一匹の毒蛇が噛まないと主張しても、他がそうとは限らん」
重い言葉だった。
「それは、レオニスよ。君が個人で思っているだけにすぎん」
反論できなかった。
アウレリアはアウレリアだ。
だが未来の勇者は違うかもしれない。
次も、その次も。
誰にも保証できない。
レオニスは拳を握る。
言葉が出てこない。
ファイは今度はアウレリアへ視線を向けた。
「そういうことだ、“勇者”よ」
アウレリアは黙って見返す。
「今の儂に戦う以外の選択肢はない」
レオニスは目を見開いた。
驚いたのは内容ではない。
ファイが最初から気付いていたことだ。
目の前の少女が勇者であることを。
それでも食事を共にした。
それでも普通に話した。
その上で戦うと言っている。
理解した上で。
認めた上で。
それでも。
「巡礼の地」
ファイが立ち上がる。
「そこで雌雄を決しよう」
その声に敵意はなかった。
覚悟だけがあった。
ファイは二人の返答を待たない。
静かに扉を開き、そのまま部屋を後にする。
残されたのは沈黙だった。
王国の勇者。
帝國最強の戦闘種族。
互いを理解した者同士の戦い。
文字通りの死闘は、すぐそこまで迫っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王国軍の野営地には、重苦しい空気が漂っていた。
村の外れに築かれた陣地。
その中心にある大型テントの中で、レオニスはグラーディスへ報告を行っていた。
「君は帝国軍と接触したと言うのか?」
「はい。ファイと名乗った帝国の軍人でした」
「そうか」
グラーディスは腕を組み、静かに目を閉じた。
驚いていないわけではない。
だが、それ以上に考えるべきことが多かった。
「勇者を巡礼の地で待つと?」
「そう言っていました」
レオニスの返答に、テント内の空気がさらに重くなる。
巡礼の地。
王国にとって最重要拠点の一つ。
そこに帝國軍が待ち構えている。
偶然では済まされない。
グラーディスはゆっくり息を吐いた。
「勇者を迎え撃つということは、その軍人はおそらく……」
言葉は最後まで続かなかった。
だが、その場にいた全員が理解していた。
勇者殺し。
戦闘種族。
しかも巡礼の地を守る守護者。
ゼータと同格。
あるいは、それ以上。
誰も口にしないが、その予感は皆の胸にあった。
「……わからないな」
「何がでしょうか?」
レオニスは首を傾げた。
グラーディスは地図の上へ視線を落とす。
「帝国が、我々の目的地を知っている理由だよ」
低い声だった。
そこには純粋な疑問が滲んでいる。
巡礼の地への進軍は王国内部でも極秘事項だった。
一般兵はもちろん、多くの貴族ですら知らない。
それなのに。
ファイは当然のように待ち受けると言った。
まるで最初から知っていたかのように。
グラーディスの眉間に皺が寄る。
(帝國側の間者が王国にいる)
最も自然な答えだ。
だが、そう断定できる材料もない。
考え始めればきりがなかった。
そして今は、その答えを探している時間もない。
グラーディスは思考を切り替えた。
「ともかく、我々は行かなければならない」
巡礼の地は目前。
そこへ向かわないという選択肢は存在しない。
勇者の使命。
王国の悲願。
すべてがそこへ繋がっている。
帝國軍が待ち構えていようと変わらない。
「……エルマナート様」
レオニスが静かに声を上げた。
「なんだ?」
「こちらから和平はできないのでしょうか」
その言葉に周囲の兵たちが息を呑んだ。
あまりにも率直な問いだった。
だがレオニスの表情は真剣そのものだった。
ファイと話した。
同じ食卓を囲んだ。
笑った。
冗談も言った。
そして何より。
帝國軍人でありながら、あの男は村人を守ろうとしていた。
人間だった。
敵ではあった。
だが怪物ではなかった。
だからこそ聞かずにはいられなかった。
グラーディスはしばらく沈黙した。
やがて小さく首を横に振る。
「理想的ではある」
その言葉にレオニスの顔が少しだけ明るくなる。
しかし。
「だが……無理だな」
その希望は続かなかった。
静かな断言だった。
政治的な打算でもない。
感情論でもない。
現実としての答えだった。
レオニスは俯く。
予想していた。
だから驚きはない。
だが、胸の奥が重くなる。
ファイも戦いたくて戦うわけではない。
グラーディスも同じだ。
それなのに戦争は続く。
個人の意思とは無関係に。
(今のままでは駄目なんだ)
レオニスは拳を握った。
誰か一人が善人なら解決する問題ではない。
誰か一人が強ければ終わる問題でもない。
仕組みそのものが戦争を生み出している。
その現実だけが、ひどく重かった。
テントの外では夜風が吹いている。
巡礼の地は近い。
そして、その先には避けられない戦いが待っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝。
王国軍の陣営には、いつもとは違う緊張感が漂っていた。
巡礼の地への進軍。
本来ならば士気を高めるべき朝だった。
しかし、集められた各派閥の代表者たちの前で、グラーディスが告げた言葉は、その空気を一変させる。
「巡礼の地へは、勇者と三聖者、姫巫女様のみで向かう」
有無を言わせぬ口調だった。
命令。
それ以外の何物でもない。
当然、会議用テントの中は騒然となる。
「理由をお聞かせください!」
真っ先に声を上げたのは貴族派だった。
それを皮切りに王族派、教会派も反発する。
「横暴ではありませんか!」
「我々にも役割がある!」
「姫巫女様を護衛する権利がある!」
レオニスはその様子を見て意外に思った。
王族派まで反発していたからだ。
グラーディスは王族。
本来なら最も支持される立場である。
だがゼルハインは貴族派。
イシュリアンは教会派。
そして姫巫女フィデリアは三派共同管理。
そこには複雑な思惑が絡んでいた。
グラーディスは騒ぎが収まるのを待たず口を開く。
「これから先に帝國の戦闘種族が待ち構えている」
その一言で空気が変わった。
ざわめきが広がる。
先日の戦い。
戦闘種族ゼータ。
あの白銀の怪物を忘れた者はいない。
「先の戦闘種族ゼータ以上の敵が待っている情報を掴んでいます」
静かな声だった。
だからこそ重い。
「貴公らを守りながら戦えるほどの余裕はありません」
現実だった。
感情ではない。
事実だった。
だが彼らは納得しない。
「勇者がいるではないか!」
「そうだ!」
「我らには勇者がいる!」
口々に反論が飛ぶ。
グラーディスは内心で溜息をついた。
予想通りだった。
彼らは見てしまったのだ。
アウレリアがゼータを倒した光景を。
聖剣解放の輝きを。
だから錯覚している。
勇者がいれば勝てると。
勇者がいれば守られると。
グラーディスは冷ややかな視線を向けた。
「忘れたのですか」
場が静まる。
「アウレリアは、自分の言うことを聞かない王国兵を斬れるんですよ」
誰も反論できなかった。
事実だからだ。
デッドラインを越えた兵士は警告なく斬られた。
死ななかったのは偶然に近い。
「それを御するのが責任者の役目だろう」
誰かがそう言った。
グラーディスは薄く笑った。
その笑みには温度がなかった。
「そうですか」
静かな声。
だが全員が息を呑む。
「それでは勇者に頼む前に、私が貴公らを排除してもよいのですよ」
空気が凍り付いた。
王子の顔ではない。
指揮官の顔だった。
「私の使命は姫巫女様を巡礼の地へ送り届けることです」
そして言葉を続ける。
「優先順位で言えば、貴公らは全滅しても姫巫女様が生き残ればいい」
誰も口を開けない。
「それでも良ければ同行していただいて構いません」
あまりにも冷酷な言葉。
だが誰も反論できなかった。
それが現実だからだ。
やがて会議は終わる。
派閥の代表者たちは不満を抱えながらも退席していった。
残されたのは三聖者とレオニスだけだった。
「えらく強行策に出たじゃねえか、王子様」
ゼルハインが苦笑する。
「ええ、まったくです」
グラーディスも疲れたように答えた。
「ですが正解ですね」
イシュリアンが眼鏡を押し上げる。
三人は理解していた。
ゼータと戦ったからこそ。
あれが正真正銘怪物だったという現実を。
そして次に待つ相手が巡礼の地の守護者であることを。
勝てる保証などどこにもない。
だからこそ余計な犠牲は増やせない。
テントの外では進軍準備が進んでいる。
巡礼の地は目前だった。
そして、その先には避けられない決戦が待っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




