戦うために
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
誰もが勝負は決したと思った。
王国軍も。
帝國軍も。
レオニスも。
三聖者でさえも。
ゼータの腹部は大きく抉られている。
大量の血が流れ落ちていた。
口元からも鮮血が伝う。
生きていること自体が不思議な傷だった。
だが。
ただ一人。
アウレリアだけは剣を下ろさない。
聖剣を構えたまま、静かにゼータを見上げていた。
まるで。
まだ終わっていないと知っているかのように。
「……愉しめたな」
ゼータが笑う。
先ほどまでの獣じみた笑みではない。
どこか満ち足りた表情だった。
「……これ程の高揚は、もう味わえんだろうな……」
銀色の髪が風に揺れる。
血に濡れた顔で。
それでも満足そうに。
ゼータはアウレリアを見つめていた。
戦場そのものが消えたようだった。
王国も。
帝國も。
勇者殺しも。
使命も。
ただ一人の強敵と出会えた。
その歓びだけが残っている。
しかし。
次の言葉で空気が変わる。
「……だが、勝負と勝敗は別だ」
ゼータの足が地面から離れた。
ゆっくりと。
重力を否定するように。
その身体が空へ昇っていく。
翼が広がる。
白銀の巨大な翼。
まるで夜空に浮かぶ月の化身だった。
「……私は戦闘種族」
静かな声。
「……勇者を殺すことが、俺の本能だ」
声色が変わる。
理性と本能が混じり合う。
「帝國の敵は、必ず討つ」
その宣言に、帝國兵たちは息を呑んだ。
王国兵たちは恐怖に顔を引きつらせる。
そしてゼータは空からアウレリアを見下ろした。
「……私好みの技ではないが許せ」
その瞬間だった。
ゼータの全身が発光を始める。
白銀の光。
だが美しいだけではない。
圧倒的な破壊の予兆。
「……まさか!?」
真っ先に異変を理解したのはイシュリアンだった。
魔力を扱う者だからこそ分かる。
あり得ない。
常識外れの魔力量。
周囲の大気が震える。
空間が軋む。
ゼータの体内へ膨大な魔力が収束していた。
王国軍など一瞬で消し飛ぶ。
帝國軍さえ巻き込む。
そんな威力だった。
「まずい……!」
イシュリアンの声が震える。
あまりにも巨大。
あまりにも危険。
しかもゼータは遥か上空。
剣は届かない。
槍も届かない。
今から逃げても間に合わない。
「皆、逃げて!」
叫ぶ。
だが兵士たちは動けない。
恐怖で足が竦んでいた。
「このっ!」
イシュリアンが魔力弾を放つ。
光弾が空を駆ける。
だがゼータの身体を僅かに揺らしただけだった。
止まらない。
収束は続く。
そして。
ゼータが両手を前へ突き出した。
「月皇砲」
世界が白く染まる。
極限まで圧縮された魔力の奔流。
光の柱。
否。
天から落ちる月そのものだった。
放たれた瞬間。
ゼータ自身の身体も崩壊を始める。
余波だけで装甲が砕ける。
肉が裂ける。
それほどの力。
だがゼータは構わない。
敵を討つためならば。
己が滅ぶことすら受け入れていた。
王国軍は絶望した。
誰も防げない。
そう思った。
その時だった。
アウレリアが静かに空を見上げる。
そして。
フィデリアへ視線を向けた。
言葉はない。
だが。
フィデリアは黙って頷いた。
まるで最初から分かっていたように。
その仕草を見届けたアウレリアは、ゆっくりと聖剣を天へ掲げる。
黒髪が光の中で揺れる。
「聖剣解放!」
宣言と同時。
聖剣が応えた。
光。
ただ光。
だがそれは月皇砲をも呑み込む。
天を貫く黄金の奔流。
神話の時代を思わせる輝き。
二つの光が激突した。
轟音。
衝撃。
そして。
ゼータの月皇砲は押し返される。
吹き飛ばされる。
飲み込まれる。
王国軍は言葉を失った。
帝國軍も言葉を失った。
誰も理解できない。
目の前で起きている光景が。
ただ一つだけ理解できた。
今、この戦場で最も恐るべき存在は。
勇者殺しゼータではない。
聖剣を解放したアウレリアであることだけは。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦闘種族ゼータの敗北は、帝國軍に決定的な敗走をもたらした。
指揮も。
統率も。
すべてを失った兵たちは、蜘蛛の子を散らすように戦場から逃げ去っていく。
だが、その光景を見ても王国軍に歓喜はなかった。
勝ったはずだった。
それなのに誰一人として勝利を叫べない。
理由は単純だった。
彼らは見てしまったからだ。
人が持つにはあまりにも巨大すぎる力を。
アウレリアは静かに聖剣を鞘へ納めた。
その動作は驚くほど自然だった。
つい先程まで戦場を覆っていた神威のような圧力が嘘だったかのように。
だが兵士たちは顔を上げられない。
畏怖。
恐怖。
敬意。
様々な感情が混ざり合い、ただ平伏することしかできなかった。
「……あんなの、個人が持っていい力じゃないぞ」
レオニスは額の汗を拭った。
今さら震えがやってくる。
月皇砲を消し飛ばしたあの光。
あれは軍隊がどうこうという次元ではなかった。
国すら容易に滅ぼしかねない力だった。
だからこそ思う。
あれを持っているのがアウレリアで本当に良かった、と。
アウレリアは三聖者の前で立ち止まった。
グラーディスは静かに頭を下げる。
反論はできない。
結果だけを見れば、アウレリアが来なければ王国軍は壊滅していた。
判断は間違っていなかったかもしれない。
だが結果は敗北だった。
叱責は受け入れるつもりだった。
しかし。
「グラディ!あんた、もっとちゃんと人を守りなさいよ!勇者なんでしょ!戦う前に何とかしなさいよ!」
「……グ、グラディ?」
思わず間の抜けた声が出た。
「グラーディスだからグラディよ!」
なぜか愛称が付けられていた。
「私はてっきり叱責されるものだと思っていたのだが……」
「叱責してるじゃない!」
アウレリアはびしっと指を突きつける。
「帝國への責任と、王国の戦死者への責任をちゃんと考えなさいよね!」
グラーディスは完全に面食らった。
想像していた説教と方向性が違いすぎる。
続いて標的はイシュリアンへ向かった。
「リアン!」
「……私ですか」
「そうよ!あんたも理論ばっかりじゃなくて、もっと人を救いなさい!」
「リ、リアン?」
「イシュリアンは長いし可愛くないからリアン!」
理不尽だった。
「死者を減らす方法とか、もっと考えなさいよね!」
イシュリアンは瞬きを繰り返す。
戦場でこんな説教を受けるとは思わなかった。
最後はゼルハインだった。
「ゼル!」
「おう!?」
「殺すことばっかり考えてないで、無傷で制圧するとか覚えなさい!」
「無茶言うな!」
「脳みそ筋肉なんだから努力で補いなさい!」
「誰が脳みそ筋肉だ!」
ゼルハインが抗議する。
だが周囲から見れば否定しきれていなかった。
アウレリアは大きくため息をつく。
そして少しだけ真面目な顔になった。
「よく聞きなさい」
三聖者が口を閉じる。
「フィデリアは平和主義者なの」
その言葉にフィデリアが目を丸くした。
「あんたたち、気付いてないけど」
「この子はずっと、そうしようとしてるの」
静かな沈黙が落ちる。
「だから守りなさい」
「あんたたちは三聖者なんでしょ?」
「だったら努力しなさい」
「それ、義務なんだからね!」
腰に手を当てて言い切る。
まるで英雄ではない。
王でもない。
神でもない。
無茶をする弟妹を叱る姉のようだった。
「……アウレリア、君はおかん役までできるのか」
レオニスは苦笑した。
つい先程まで神話級の戦いをしていた人物とは思えない。
だが。
だからこそ安心できた。
どれだけ強くなっても。
どれだけ世界最強に近づいても。
アウレリアはアウレリアなのだ。
こうして帝國軍との遭遇戦は幕を閉じた。
この場にいる誰も知らない。
帝國が送り込む刺客は、ゼータ一人ではないことを。
それでも。
少なくとも、この日だけは。
誰もが戦いの終わりを信じていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
帝國中央魔導研究所。
帝國の奥深く。
一般兵はもちろん、貴族ですら立ち入ることを許されない隔離施設。
そこは戦闘種族の製造、調整、管理を行う帝國最大の研究機関だった。
研究所の最上階。
所長室には重苦しい沈黙が満ちていた。
机の上には一枚の報告書。
その内容を前にして、誰も言葉を発することができない。
「……確認は終わったのか」
老所長の問いに、研究員たちは苦い顔で頷いた。
「三度確認しました」
「誤報ではありません」
「超戦闘種族第五位、ゼータ」
「戦死を確認」
室内の空気が凍りつく。
誰もが最初は誤報だと思った。
そうであってほしかった。
勇者殺し。
その称号を持つ戦闘種族は極少数しか存在しない。
彼らは超戦闘種族。
偶然生まれた異常個体。
人という器に収まりきらなかった兵器。
帝國が制御可能だった奇跡の怪物たちだった。
その中でもゼータは特別だ。
戦闘能力だけなら帝國最上位。
王国攻略の切り札。
それが敗れた。
「残るカードは四枚……か」
老所長が呟く。
だが、その声音に希望はない。
数字だけ見れば四枚残っている。
実際は違う。
「使えるのは一枚だけだな」
研究員たちは沈黙した。
誰も否定できない。
超戦闘種族序列第一位。
帝國最強。
帝國最後の守護者。
彼だけが王国の勇者を止められる。
しかし。
だからこそ問題だった。
彼は帝國にとって最重要地点を守っている。
巡礼地点。
帝國の根幹そのもの。
そこを空けることは帝國の生命線を削る行為だった。
「もし第一位が敗北すれば……」
老所長はそこで言葉を止めた。
続きを誰も聞きたくなかった。
帝國の敗北。
その未来が現実味を帯びるからだ。
老所長はゆっくりと立ち上がる。
震える指で通信装置を操作した。
「起動命令を出す」
その一言だけで研究員たちの顔色が変わった。
帝國が最後の切り札を切る。
それはつまり。
国運を賭けるという意味だった。
――――。
巡礼地点最深部。
無数の魔導管が張り巡らされた巨大な部屋。
中央には一基のカプセルが存在していた。
厚い魔導硝子。
内部を満たす淡青色の液体。
幾百本ものチューブ。
その中心で一人の男が眠っている。
静かに。
まるで死者のように。
やがてランプが点滅した。
液体が排出される。
圧力が抜ける音。
蒸気が噴き出す。
ゆっくりとカプセルが開いた。
男は目を開く。
長い眠りから覚めた老人のように。
しかし、その眼光だけは鋭かった。
「……儂は目覚めたのか」
落ち着いた声だった。
焦りもない。
驚きもない。
「……二度と起きることはないと思い、眠ったのだがな」
静かに呟く。
その瞬間。
部屋の片隅に置かれた通信機が鳴った。
まるで目覚めを待っていたかのように。
男は小さくため息をつく。
「……せっかちな連中だ」
濡れた身体のまま立ち上がる。
ゆっくりと床へ降り立つ。
重い足取りではない。
だが一歩ごとに空気が張り詰めていく。
「……身体を拭く時間もないのか」
通信機の前へ歩く。
受話器を取る。
そして短く答えた。
「……儂だ」
その瞬間。
帝國最強の戦闘種族が目覚めた。
アウレリアと戦うために。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




