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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
フィデリア編
92/133

俺を昂らせろ

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



戦場は静まり返っていた。


王国軍と帝國軍。


両軍の間に刻まれた二本の巨大な亀裂。


その中央に立つのは、一人の少女だった。


白銀の勇者。


アウレリア。


誰もが動けない。


誰もが見ている。


その均衡を崩したのは、王国軍だった。


「勇者様! いったい何を――」


若い兵士が叫ぶ。


怒りと困惑が入り混じった声。


彼は一歩を踏み出した。


デッドラインを越えようとする。


次の瞬間。


銀光が走った。


音すら遅れて聞こえる。


兵士は何が起きたのか理解できなかった。


兜が真っ二つに割れる。


胸当てが裂ける。


金属片が地面へ落ちた。


さらに。


首筋に細い赤線が浮かぶ。


血が一筋だけ流れ落ちた。


兵士の顔から血の気が引く。


あと数ミリ深ければ。


命はなかった。


アウレリアは振り返らない。


ただ静かに言った。


「あたしの言葉、聞こえていなかった?」


冷たい声だった。


感情がないわけではない。


むしろ逆だった。


感情を押し殺した結果の声。


その場の全員が理解する。


彼女は本気だ。


王国兵たちは後ずさる。


帝國兵たちも同じだった。


戦慄が伝播していく。


警告ではない。


見せしめでもない。


実行だった。


しかも味方に対して。


誰もが息を呑む。


王国軍も。


帝國軍も。


アウレリアが本当に両方へ刃を向けていることを理解した。


そして。


両軍は退いた。


誰一人として境界線へ近づこうとしない。


だが。


たった一人だけ。


そんな空気を意に介さない存在がいた。


「あんたも聞いてなかったの?」


アウレリアが視線を向ける。


そこには銀白色の髪を持つ男。


ゼータがいた。


「ああ、聞こえていた」


返答は平然としていた。


躊躇もない。


恐怖もない。


そして。


そのまま一歩を踏み出す。


デッドラインを越える。


まるで散歩でもするかのような自然さだった。


瞬間。


金属同士が激突する轟音が響いた。


ギィン――!!


アウレリアの剣。


ゼータの剣。


二つの刃がぶつかり合う。


衝撃波が地面の砂を吹き飛ばした。


誰も近寄れない。


ただ見守るしかない。


ゼータは細い瞳を僅かに細めた。


まるで宝石でも見つけたように。


「貴様が、今回の勇者か」


「あたしはアウレリア」


アウレリアは答える。


即座に。


迷いなく。


「勇者じゃない」


ゼータは数秒黙った。


そして口元を歪める。


「私はゼータだ」


その声音が少しだけ変わる。


冷たいまま。


だが確かに熱を帯びていた。


「お前が勇者であることを認識した」


その言葉と共に。


ゼータは笑った。


戦場で初めて見せる笑みだった。


帝國軍から歓声が上がる。


勇者殺しが来た。


帝國最強の戦士がいる。


そう信じているからだ。


だが。


ゼータには聞こえていない。


味方の声など。


戦争も。


使命も。


命令も。


何も。


彼の意識には存在しない。


視界に映るのは一人だけ。


アウレリア。


その存在だけだった。


胸の奥で本能が叫んでいる。


違う。


今までの相手とは違う。


戦闘種族としての理性が告げる。


この少女は危険だ。


だが。


獣の本能は歓喜していた。


狩りたい。


試したい。


ぶつかりたい。


それは敵意ではない。


殺意だけでもない。


自らを高揚させる存在への執着。


強者への渇望。


戦うために生まれた生命の歓喜だった。


「他はどうでもいい」


ゼータの瞳が獣のように細くなる。


「貴様だけだ!」


空気が震えた。


王国軍も帝國軍も動けない。


三聖者ですら口を挟めない。


今、この場にいる誰もが理解した。


始まるのだと。


勇者と勇者殺し。


そんな単純な構図ではない。


アウレリア。


そしてゼータ。


二つの異質な存在による戦いが。


今、始まろうとしていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



戦場は静まり返っていた。


王国軍も。


帝國軍も。


誰一人として声を出せない。


目の前で起きているものが、もはや理解できなかったからだ。


ゼータは一人のはずだった。


確かにそうだった。


だが、今は違う。


二人いる。


三人いる。


四人いる。


五人いる。


否。


もっとだ。


白銀の残像が幾重にも重なり、戦場を埋め尽くしていた。


誰も本体を捉えられない。


右から現れたと思えば左へ。


正面から迫ったと思えば背後にいる。


空気そのものが引き裂かれ、無数の銀閃が世界を切り刻んでいく。


兵士たちはただ呆然と見上げていた。


まるで神話だ。


人間が戦っているようには見えない。


怪物同士の衝突。


それ以外の表現が思いつかなかった。


だが。


その暴風の中心に立つ少女は、一歩も動かない。


アウレリアは聖剣を握ったまま静止していた。


逃げない。


追わない。


焦らない。


ただ剣を振るう。


キィン!


鋭い金属音。


キィン!


さらに一撃。


キィィィン!!


連続する衝突音が空気を震わせる。


ゼータの斬撃が迫る。


そのすべてを。


アウレリアは正確に迎撃していた。


右。


左。


上。


背後。


死角から放たれる斬撃さえも。


まるで未来を知っているかのように打ち落としていく。


剣の結界。


誰かがそう錯覚した。


アウレリアを中心に、見えない壁が存在しているようだった。


そして。


ゼータの口元が歪む。


「いい……!」


初めて感情が滲んだ。


冷静だった瞳が獣の色へ変わる。


「そうでなくてはな!」


歓喜。


純粋な歓喜だった。


今までも勇者を屠ったことはあった。


だが。


ここまで自分を高揚させる相手はいなかった。


「貴様は面白い!」


銀閃がさらに加速する。


常人なら視認すらできない速度。


それでもアウレリアは崩れない。


表情も変わらない。


瞳に宿るのは氷のような静けさ。


激情はない。


怒りもない。


恐怖もない。


ただ冷静。


ただ観察。


ただ迎撃。


そして。


一瞬。


ゼータの斬撃の隙間を縫うように聖剣が走った。


シュッ――。


鋭い音。


ゼータの頬が浅く裂ける。


赤い血が飛んだ。


だが。


ゼータは笑った。


「いいぞ!」


さらに踏み込む。


また傷が増える。


肩。


腕。


胸元。


浅いが確実な傷。


それでも。


ゼータは止まらない。


むしろ歓喜は増していた。


「もっとだ」


獣の瞳が細められる。


「もっと俺を楽しませろ!」


血を流しながら笑う姿に、王国兵たちは寒気を覚えた。


恐怖ではない。


理解不能への嫌悪だった。


この男は戦っているのではない。


狩りを楽しんでいる。


強敵と出会えたことを心から喜んでいる。


それは兵士でも騎士でもない。


もっと原始的な何かだった。


だが。


アウレリアは反応しない。


深く息を吐く。


呼吸を整える。


感情を沈める。


ただ静かに。


ただ淡々と。


目の前の敵を見つめていた。


一方でゼータは学習していた。


回避の癖。


重心移動。


剣筋。


呼吸。


視線。


すべてを観察する。


すべてを記憶する。


強敵を狩るために。


戦闘種族として刻まれた本能が、歓喜とともに加速していた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



戦場を吹き荒れる衝撃波が、兵士たちの髪や旗を激しく揺らしていた。


「なんて戦いをしてやがる」


ゼルハインは奥歯を噛み締める。


目の前で繰り広げられているのは、自分が知る武の領域ではなかった。


槍を極めた。


鍛えた。


戦場を駆け抜けてきた。


だが、それでも届かない。


あの戦闘種族ゼータと互角以上に渡り合っているアウレリアの姿は、同じ人間とは思えなかった。


同じ姫巫女の加護を受けている。


同じ力を与えられている。


それなのに。


埋めようのない差が、そこにはあった。


その時だった。


ゼータが空中で身を翻す。


四方に展開していた金属翼が呼び戻される。


白銀の軌跡を描きながら、主の背へと吸い込まれていく。


それを見たグラーディスは目を細めた。


今まで三聖者を牽制していた武装を捨てた。


つまり。


全力でアウレリアだけを狩る。


そう決めたということだった。


「俺を昂らせろ!!」


ゼータの咆哮が響く。


鎧が軋む。


金属が悲鳴を上げる。


四枚の翼がさらに巨大化した。


両手の剣も伸びる。


白銀の刀身が獣の牙のように湾曲し、異様な威圧感を放った。


そして鎧の隙間から蒸気にも似た白煙が噴き出す。


低く重い駆動音。


まるで生物の唸り声だった。


「俺を昂らせるのは、お前だけだ!!」


次の瞬間。


翼が爆ぜる。


轟音すら置き去りにして。


白銀の猛禽が空間を貫いた。


誰も見えなかった。


見えた時には、既に目の前にいた。


だが。


アウレリアも動く。


黒髪が翻る。


聖剣を構えたまま、真正面から突撃した。


回避はしない。


迎撃でもない。


真正面からの衝突。


両者が雄叫びを上げる。


激突。


大気が弾けた。


衝撃波が地面を削り飛ばす。


「アウレリア!」


思わずレオニスが叫ぶ。


衝突の結果。


吹き飛ばされたのはアウレリアだった。


身体が大きく弾かれる。


地面を削りながら後方へ流されていく。


帝國軍から歓声が上がりかける。


ゼータも追撃へ移った。


獲物を仕留めるために。


一直線に。


迷いなく。


だが。


「何!」


驚愕の声が漏れた。


アウレリアが聖剣を地面へ突き立てたのだ。


剣先が大地を抉る。


土砂が噴き上がる。


無理やり速度を殺す。


強引な急制動。


常人なら腕ごと引き千切れていてもおかしくない。


だがアウレリアは止まった。


そして。


反応が遅れたのはゼータだった。


追撃の勢いが強すぎる。


わずかに前へ出る。


「ゼータの勢いを逆利用したのか!?」


レオニスが驚愕する。


その一瞬。


アウレリアの身体が空中で捻られた。


全身の筋肉が連動する。


腰。


肩。


腕。


そして剣。


極限まで溜められた力が一点へ収束する。


交錯。


金属が硬い何かを削る音が響いた。


ギャリィッ――!


真下から放たれた突き。


聖剣の切っ先がゼータの腹部を深く抉った。


白銀の装甲が裂ける。


肉が裂ける。


鮮血が宙へ舞った。


「やった!」


レオニスが拳を握る。


勝利を確信した。


人間なら即死。


立っていることすら不可能な致命傷。


誰もがそう思った。


だが。


ゼータは倒れない。


後退もしない。


その瞳は死んでいなかった。


むしろ。


獣のような輝きがさらに増していた。


そして口元がゆっくりと吊り上がる。


負けた者の顔ではない。


自分を倒した戦士を認める顔だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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