これはデッドライン
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
帝国軍の残兵が逃走する戦場。
その中心で、ゼルハインとゼータが激突していた。
しかし、その戦いへ新たな光が割り込む。
「――穿て」
イシュリアンの聖杖から放たれた光球群。
一つではない。
二つでもない。
十を超える魔法弾が空を埋め尽くし、ゼータへ殺到した。
普通の兵士なら。
いや、熟練の騎士であろうと回避不能。
避ける余地など存在しない。
だが。
ゼータは静かに腰へ手を伸ばした。
もう一本の剣。
白銀の長剣が抜き放たれる。
さらに二本の剣を連結させた。
双剣は輪となる。
回転する。
まるで獣が牙を剥くように。
「なっ!」
思わずイシュリアンの口から声が漏れた。
魔法が砕けた。
爆ぜたのではない。
相殺でもない。
まるで構成そのものを壊されたように。
光球が崩壊して消える。
「その程度か」
感情のない声。
次の瞬間。
ゼータが地面を蹴った。
消えた。
そう見えた。
ゼルハインの視界から完全に姿が消失する。
「何だと!?」
油断はしていなかった。
視線も外していない。
それでも追えない。
しかも。
ゼータはゼルハインを相手にしていない。
存在そのものを無視した。
王国最速。
未冠の武神。
若狼。
そう呼ばれてきた男を置き去りにして。
ただ前へ。
「追いつけねぇ!?」
ゼルハインの背筋を冷たい汗が流れる。
その頃には、すでに無数の矢が降り注いでいた。
王国兵の援護射撃。
だが意味がない。
双剣が円環となって回転する。
矢が弾かれる。
折れる。
砕ける。
地面へ落ちる。
足止めにすらならない。
そして。
ゼータの進路上にいたのは。
イシュリアンだった。
「自在盾!」
四枚の魔法盾が展開される。
半透明の光壁。
幾度もの戦場で彼女を守ってきた絶対防御。
「邪魔だ」
ゼータが剣を振るう。
それだけだった。
四枚の盾が同時に砕け散る。
硝子細工のように。
音を立てて崩壊する。
「――っ!」
イシュリアンの瞳が揺れた。
理解したからだ。
魔法防御が破られたのではない。
魔法そのものを壊された。
(魔法を解体する能力……!?)
最悪だった。
魔法使いにとって。
これ以上ないほど相性が悪い。
銀光が迫る。
ゼータ自身が凶器だった。
速い。
あまりにも速い。
避けられない。
その瞬間。
ガァン!!
轟音が響いた。
「ほう」
初めて。
ゼータが興味を示したような声を漏らす。
イシュリアンの前。
巨大な影が割り込んでいた。
グラーディス。
聖盾を構えた聖騎士。
王国最高峰の防御。
それが強引にゼータの一撃を受け止めていた。
しかし。
止めただけだ。
受け切れてはいない。
靴底が地面を削る。
土が抉れる。
グラーディスの身体が後方へ押し込まれる。
一歩。
二歩。
三歩。
およそ一メートル。
強制的に後退させられた。
(何という力だ……)
グラーディスの金色の瞳が細まる。
聖盾越しに伝わる衝撃。
重さではない。
圧力でもない。
純粋な暴力。
人を殺すためだけに最適化された力。
目の前の男は。
戦士ではない。
騎士でもない。
英雄でもない。
狩人だ。
強者を狩るために存在する捕食者。
帝国の勇者殺し。
戦闘種族ゼータ。
その実力の底は。
まだ誰にも見えていなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦場に、甲高い金属音が連続して響いた。
ゼータの漆黒の鎧が軋む。
生き物のように。
あるいは殻を破る獣のように。
背中の装甲が左右へ展開した。
その隙間から現れたのは、四枚の金属翼。
鳥の翼ではない。
刃だ。
鋼で作られた殺意そのものだった。
「――狩る」
静かな宣告。
次の瞬間。
翼が分離した。
白銀の鏃となって空へ舞う。
一本。
二本。
三本。
四本。
音より速く。
閃光より鋭く。
白銀の軌跡が戦場を切り裂いた。
「っ!」
グラーディスの聖盾が唸る。
一閃。
二閃。
三閃。
迫る鏃を叩き伏せる。
火花が散った。
だが油断はできない。
一撃ごとの重さが異常だった。
単なる投擲武器ではない。
防ぎ損ねれば鎧ごと貫かれる。
そんな確信があった。
(ちぃ……!)
さらに鏃は不規則に軌道を変える。
左右。
上下。
背後。
まるで獲物を弄ぶ猛禽類のように、自律追尾する。
予測が成立しない。
そして。
「――!」
一筋の銀光がイシュリアンへ向かった。
「自在盾!」
反射的に魔法障壁が展開される。
光の盾が鏃を受け止める。
衝撃。
障壁が軋む。
砕けはしない。
だが余裕もない。
次の鏃。
さらに次。
防御。
回避。
迎撃。
その繰り返し。
イシュリアンは攻撃に転じる余地を完全に奪われていた。
「この……!」
冷静な彼女の声に、僅かな焦りが混じる。
戦場全体を支配しているのはゼータだった。
三聖者を相手にしながら。
まるで遊ぶように。
その時。
ゼータが不意に背を向けた。
まるで別の獲物を見つけたように。
その先にいたのは。
一直線に迫るゼルハイン。
赤い瞳が獰猛に輝く。
聖槍を握る腕には青筋が浮いていた。
ゼータは振り返らない。
剣も構えない。
ただ一言だけ告げた。
「来い」
挑発ではない。
侮辱でもない。
呼びかけですらない。
許可。
まるで処刑人が囚人へ階段を示すような。
圧倒的な上位者の言葉。
「舐めるな!」
ゼルハインが吼えた。
聖槍が回転する。
風切り音が遅れて追いつく。
構えは低い。
獣そのもの。
地を蹴る。
爆発的な加速。
そして突撃。
だが。
ゼータの双剣が回る。
円を描く。
刃の壁。
いや。
刃の嵐。
槍先が弾かれた。
重い。
速い。
突破できない。
「チッ!」
ゼルハインは即座に飛び退く。
間合いを切る。
距離を作る。
体勢を立て直す。
判断は正しかった。
戦士として。
武人として。
だが。
「――な」
ゼルハインの背筋が凍った。
気配。
背後。
振り向く。
そこにいた。
ゼータが。
すでに。
「逃げるのは構わん」
静かな声。
感情の起伏はない。
だからこそ恐ろしい。
「だが逃げ切れると思うな」
獲物を追い詰める狩人。
そのものだった。
戦うのではない。
狩っている。
三聖者ですら。
ただの獲物として。
王国兵たちは声を失った。
先ほどまで歓声を上げていた者たちが。
誰一人として叫ばない。
三聖者は王国最強。
その認識は共通だった。
その三人が。
押されている。
圧倒されている。
追い詰められている。
戦場を覆うのは歓喜ではない。
恐怖。
絶望。
そして理解だった。
この男は。
自分たちが今まで戦ってきた相手とは根本的に違う。
帝国の勇者殺し。
戦闘種族ゼータ。
その存在が、王国軍の心に深く刻まれ始めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦場は崩れ始めていた。
三聖者が押されている。
その事実は王国軍から余裕を奪い去った。
兵たちは動揺し、隊列は乱れる。
怒号が飛び交い、指揮系統は混乱していく。
反対に、帝國軍は息を吹き返した。
撤退していた兵たちが呼び戻される。
散り散りになっていた部隊が再編される。
敗走から反撃へ。
絶望から希望へ。
戦況が反転しようとしていた。
だが。
その試みは実行されなかった。
轟音。
次の瞬間だった。
ゴウッ――!!
大地が震えた。
暴風を遥かに超える衝撃波が戦場を薙ぎ払う。
帝國兵たちは思わず足を止めた。
何が起きたのか理解できない。
視線の先。
地面が抉れていた。
巨大な獣が爪で引き裂いたような傷跡。
一直線。
何十メートルも先まで続いている。
兵たちは息を呑んだ。
土煙の向こう。
一人の少女が歩いてくる。
白銀の鎧。
青白いドレス。
風に揺れる黒髪。
腰には黒銀の鞘。
手には聖剣。
王国の勇者。
アウレリアだった。
彼女は抉れた大地の中央へ進む。
そして。
聖剣を杖のように地面へ突き立てた。
静寂。
誰も動けない。
その姿は、まるで巨大な城壁だった。
一人で軍勢の前に立つ。
それだけで戦場が止まっていた。
アウレリアは帝國軍を見据える。
黒い瞳が冷たい。
怒りとも違う。
殺気とも違う。
ただ決定だけがあった。
「これはデッドライン」
静かな声だった。
だが、誰の耳にも届いた。
「超えれば容赦は出来ない」
風が吹く。
白銀の髪飾りが揺れた。
「それでも良いなら、超えなさい」
帝國軍は動けない。
「動くな……」
「あれは人間じゃない……」
まるで巨大な魔物を前にしたような圧迫感。
人間が放つものではない。
そう思わせる何かがあった。
「ゆ、勇者様だ!」
王国兵の誰かが叫ぶ。
その声を皮切りに歓声が上がった。
「勇者様だ!」
「助かった!」
「勇者様が来てくださった!」
士気が戻る。
誰もがそう思った。
だが。
アウレリアの次の言葉は予想の遥か外だった。
「王国軍も退きなさい!」
歓声が止まる。
誰も理解できなかった。
王国軍。
帝國軍。
両方が固まる。
アウレリアは振り返らない。
ただ聖剣を引き抜いた。
一閃。
轟音。
再び大地が裂ける。
今度は王国軍の目前だった。
帝國側と同じ。
巨大な亀裂。
決して越えてはならない境界線。
アウレリアは静かに告げた。
「これはデッドライン」
その声に迷いはない。
「超えれば容赦は出来ない」
帝國軍へ向けたものと同じ言葉。
まったく同じ声音。
そして。
同じ覚悟。
「それでも良いなら、超えなさい」
戦場の誰もが言葉を失った。
「勇者様、何を……」
「なぜ我々まで……」
勇者は味方ではなかった。
敵でもなかった。
ただ。
戦争そのものを止めようとしていた。
その事実だけが残った。
「めちゃくちゃだ……」
レオニスは頭を抱えた。
少し前。
伝令兵が壊滅寸前の報告を持ち込んだ。
その瞬間、アウレリアは飛び出した。
止める暇もなかった。
フィデリアを連れて。
そして今である。
「アウレリアは自然災害と変わらないんじゃないのか?」
胃の辺りを押さえる。
後始末を考えるだけで頭が痛い。
間違いなく大問題だ。
団長であるグラーディスが何と言うか。
想像したくもない。
そんな中。
ふと違和感を覚えた。
隣を見る。
フィデリアだった。
「……?」
レオニスは目を瞬かせる。
フィデリアの口元が僅かに緩んでいた。
笑っている。
感情をほとんど見せない少女が。
確かに。
笑っていた。
その意味を知る者は。
まだ誰もいなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




