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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
フィデリア編
90/131

失望させるな

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



帝國軍との戦闘は、もはや戦いと呼べるものではなかった。


王国軍の先陣。


その最前線に躍り出たのはゼルハインだった。


「いくぜ!」


銀に近い淡青の髪が風を裂く。


聖槍が唸りを上げた。


大きく。


豪快に。


風車のように回転する槍。


空気そのものが悲鳴を上げる。


次の瞬間。


ゼルハインの身体が弾けた。


獣だった。


いや。


獣よりなお凶暴な何か。


帝國兵の列へ飛び込み、聖槍を振るう。


肉が裂ける。


骨が砕ける。


黒い軌跡が宙を走るたび、人が倒れた。


「ハッ!」


ゼルハインは笑っていた。


血飛沫の中で。


死体の上で。


戦場のど真ん中で。


心底楽しそうに。


「たまんねぇなァ!!」


帝國兵たちが怯える。


それも当然だった。


槍を受け止められる者がいない。


速度が違う。


威力が違う。


何より。


殺意の密度が違った。


王国兵たちは歓声を上げる。


だが、その歓声は途中から悲鳴にも似ていた。


強すぎる。


まるで、人間ではない。


一方。


イシュリアンは戦場の後方に立っていた。


ただ静かに。


聖杖を手にしたまま。


「終わりです」


感情の薄い声。


杖先が帝國兵へ向く。


その瞬間。


光が走った。


一直線。


無駄のない閃光。


一人。


帝國兵が倒れる。


また一人。


さらに一人。


イシュリアンは微動だにしない。


まるで作業のように、命を消していく。


逃げ出した帝國兵へ、再び杖が向けられた。


次の瞬間。


空が光った。


十。


二十。


三十。


無数の光線。


降り注ぐ閃光。


逃げ場を失った帝國兵たちが、次々と地面へ倒れていく。


焼ける臭い。


断末魔。


恐慌。


だがイシュリアンの表情は変わらない。


虫でも払うような顔だった。


「見たか!王国の勇者たちの力を!」


「すごい……帝國なんて怖れる必要ないんだ!」


「王国万歳!勇者様万歳!」


王国兵たちが熱狂する。


一方的だった。


こちら側の負傷者はゼロ。


帝國軍だけが壊滅していく。


圧倒。


蹂躙。


それ以外に表現がなかった。


グラーディスは、その光景を静かに見つめていた。


長い黒髪が風に揺れる。


黄金の瞳に映るのは、血に染まった戦場。


(ここまで強くなるのか、私たちは)


感嘆に近い感情が胸に浮かぶ。


姫巫女フィデリア。


彼女が与えた力。


それは単なる武具ではない。


身体の奥底。


魂そのものに、異物を埋め込まれたような感覚。


自分が自分ではなくなっていく感覚。


だが同時に。


万能感があった。


人を超えた何かへ変わっていく実感。


それは甘美だった。


(今なら……)


グラーディスの脳裏に、一人の少女が浮かぶ。


白銀の勇者。


アウレリア。


(今なら、あのアウレリアさえも……)


その思考に、グラーディス自身が気づく。


比較している。


測っている。


力を。


優劣を。


知らぬ間に。


三聖者は酔い始めていた。


与えられた力に。


人を超えた力に。


そして。


圧倒できるという快感に。


だが。


力は人を選ばない。


力を持つ者が正しいわけではない。


ただ、強いだけだ。


そして歴史は何度も証明している。


力のみを信じる者は。


また、力によって滅ぼされるのだと。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



勇者と三聖者による圧倒的勝利。


それは、王国軍の誰もが疑わなかった結末だった。


帝國兵は逃げ惑い、王国兵は歓声を上げる。


血と土に塗れた戦場で、誰もが自分たちの勝利を信じていた。


「……完勝だな」


グラーディスは静かに呟いた。


長い黒髪が風に揺れる。


その黄金の瞳には、確かな高揚が宿っていた。


「……勇者がいなくとも、我々は帝國を圧倒できる」


その言葉を否定する者はいない。


現実として、三聖者の力は異常だった。


百近い帝國兵。


その大半が、既に地に倒れている。


「……相手が脆すぎますね……」


イシュリアンは感情の薄い声で言った。


聖杖を軽く掲げる。


杖先には、まだ淡い光が残っていた。


放たれた光線は、鎧を貫き、人を焼き、命だけを正確に奪っていく。


まるで神が定めた裁きのようだった。


「流石は姫巫女様の力……感謝します」


恍惚にも似た声。


イシュリアンは、自分の内側に満ちる力を感じていた。


己が人を超えたという実感。


万能感。


選ばれた存在だという確信。


その一方で。


ゼルハインだけは、笑っていなかった。


聖槍を肩に担ぎ、倒れた帝國兵を見下ろす。


簡単すぎた。


槍を振るえば、人が死ぬ。


避けられない。


止められない。


紙を裂くような感触だけが、腕に残っている。


「……これで、いいのか……?」


誰にも聞こえない声だった。


ゼルハインは武人だった。


強者と戦い。


限界を越え。


命を削り合う先にこそ、自分の求めた高みがあると思っていた。


だが、今のこれは違う。


「……こんなんじゃねぇ」


槍を握る手に力が入る。


「……俺が欲しかったのは、こんな力じゃ……」


その時だった。


一陣の風が吹いた。


違和感。


戦場の空気が、急に変わる。


「……まだ走れるか」


低い声。


気づけば、一人の男が立っていた。


帝國軍の黒い軍用マント。


銀白色の髪。


静かすぎる立ち姿。


だが、その場にいるだけで空気が張り詰める。


男は、逃げ遅れた帝國兵を庇うように前へ出た。


次の瞬間。


王国兵が吹き飛ぶ。


殴られた。


それだけだった。


それだけで、鎧ごと兵士が地面を転がっていく。


「……し、失礼しました、閣下……」


帝國兵が震えながら敬礼する。


男は視線すら向けない。


「……命令する。逃げろ」


「……しかし、閣下……」


「……お前たちがいると邪魔だ」


静かな声。


怒鳴りもしない。


だが逆らえる空気ではなかった。


帝國兵たちは一斉に撤退を始める。


「援軍が来た! 全員撤退だ!」


その背を守るように、男が歩く。


ただ、歩くだけ。


それだけなのに。


男の横を通った王国兵の首が、宙を舞った。


遅れて血が噴き出す。


一人。


また一人。


誰も、男の剣筋を見えなかった。


歓声が止まる。


さっきまで勝利に酔っていた王国兵たちが、凍りついたように後退していく。


恐怖。


それも、本能に刻まれる種類の恐怖だった。


まるでそこにいるのは人ではない。


“殺す”という行為だけを極限まで磨き上げた何か。


死神。


そんな言葉が自然と浮かぶ存在。


「……てめぇ!」


ゼルハインが地を蹴った。


歓喜にも似た怒声。


聖槍が一閃する。


空気を裂き、必殺の軌道で男へ突き込まれる。


だが。


男は微動だにしなかった。


白銀の長剣が静かに動く。


甲高い衝突音。


次の瞬間、ゼルハインの槍が大きく弾かれた。


「……なッ!?」


初めてだった。


真正面から、力で押し返されたのは。


男の細い瞳が、ゆっくりとゼルハインを見る。


獣のような光。


「……ようやく、少しは楽しめそうだ」


戦場に。


帝國の勇者殺し。


戦闘種族ゼータが、舞い降りた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ゼルハインの聖槍が走る。


一直線。


ただ、それだけの一撃。


無駄な動きはない。


牽制も。


小細工も。


飾りもない。


だからこそ速い。


だからこそ、止められない。


空気を裂いた槍が、ゼータの喉を穿とうと迫る。


「……クソが!」


だが。


甲高い音が戦場に響いた。


ゼータは、細身の長剣をわずかに動かしただけだった。


剣先。


ただそれだけで。


聖槍の穂先を正面から受け止めていた。


ゼルハインの足が地面を抉る。


踏み込みの勢いだけで土が割れ、石が砕ける。


しかし。


ゼータは動かない。


まるで、大地そのもののように。


「その程度か?」


静かな声だった。


見下すような声音ですらない。


ただ事実を確認するだけの響き。


ゼルハインは即座に後退する。


残像だけが遅れて空間に残った。


王国兵たちは、既に二人の動きを目で追えなかった。


「失望させるな」


ゼータが一歩進む。


それだけで空気が軋む。


ゼルハインの口元が吊り上がった。


背筋を駆け上がる戦慄。


恐怖。


それ以上に。


歓喜。


「ああ――失望なんざ、させねぇよ!」


再び踏み込む。


突き。


払い。


返し。


聖槍が暴風のように唸りを上げた。


一撃ごとに速度が増す。


止まらない。


止められない。


連撃そのものが加速していく。


普通の兵士なら、最初の一撃すら見えない。


だが。


「……ほう」


ゼータは笑った。


次の瞬間。


姿が消える。


「――なッ!?」


ゼルハインの瞳が揺れた。


見失った。


今、この瞬間。


自分が。


敵を。


完全に。


「どこだ――!」


反応より先に、気配が背後へ回る。


いや、違う。


懐。


既に入り込まれていた。


銀光。


細い斬線が空間を走る。


衝撃。


遅れて、ゼルハインの白銀装甲が大きく裂けた。


血飛沫が舞う。


「が……ッ!」


吹き飛ばされながらも、ゼルハインは槍を手放さない。


地面を滑り、無理やり体勢を立て直す。


熱い。


脇腹が焼けるように痛む。


だが、それ以上に。


全身が震えていた。


「勇者ではない」


ゼータは静かに剣を払った。


刀身についた血が地へ落ちる。


「だが、獲物としては及第点だな」


まるで品定めだった。


戦士として。


生物として。


値踏みされている。


ゼルハインは理解する。


こいつは違う。


人間ではない。


少なくとも、自分たちの知る“人”の枠にはいない。


圧倒的な暴力。


研ぎ澄まされた殺意。


それを当然の呼吸のように扱う存在。


「……はっ」


ゼルハインは笑った。


痛みの中で。


血を流しながら。


それでも笑う。


「そういうことかよ……!」


ようやく理解した。


アウレリア。


あの勇者が放っていた異質感。


常識の外側にいる存在の圧力。


ゼータも同じだ。


いや。


方向性は違えど、本質は酷似している。


人の形をした怪物。


その領域へ踏み込んだ存在。


そして今。


ゼルハインは、生まれて初めて確信していた。


――自分は、まだ弱い。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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