失望させるな
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
帝國軍との戦闘は、もはや戦いと呼べるものではなかった。
王国軍の先陣。
その最前線に躍り出たのはゼルハインだった。
「いくぜ!」
銀に近い淡青の髪が風を裂く。
聖槍が唸りを上げた。
大きく。
豪快に。
風車のように回転する槍。
空気そのものが悲鳴を上げる。
次の瞬間。
ゼルハインの身体が弾けた。
獣だった。
いや。
獣よりなお凶暴な何か。
帝國兵の列へ飛び込み、聖槍を振るう。
肉が裂ける。
骨が砕ける。
黒い軌跡が宙を走るたび、人が倒れた。
「ハッ!」
ゼルハインは笑っていた。
血飛沫の中で。
死体の上で。
戦場のど真ん中で。
心底楽しそうに。
「たまんねぇなァ!!」
帝國兵たちが怯える。
それも当然だった。
槍を受け止められる者がいない。
速度が違う。
威力が違う。
何より。
殺意の密度が違った。
王国兵たちは歓声を上げる。
だが、その歓声は途中から悲鳴にも似ていた。
強すぎる。
まるで、人間ではない。
一方。
イシュリアンは戦場の後方に立っていた。
ただ静かに。
聖杖を手にしたまま。
「終わりです」
感情の薄い声。
杖先が帝國兵へ向く。
その瞬間。
光が走った。
一直線。
無駄のない閃光。
一人。
帝國兵が倒れる。
また一人。
さらに一人。
イシュリアンは微動だにしない。
まるで作業のように、命を消していく。
逃げ出した帝國兵へ、再び杖が向けられた。
次の瞬間。
空が光った。
十。
二十。
三十。
無数の光線。
降り注ぐ閃光。
逃げ場を失った帝國兵たちが、次々と地面へ倒れていく。
焼ける臭い。
断末魔。
恐慌。
だがイシュリアンの表情は変わらない。
虫でも払うような顔だった。
「見たか!王国の勇者たちの力を!」
「すごい……帝國なんて怖れる必要ないんだ!」
「王国万歳!勇者様万歳!」
王国兵たちが熱狂する。
一方的だった。
こちら側の負傷者はゼロ。
帝國軍だけが壊滅していく。
圧倒。
蹂躙。
それ以外に表現がなかった。
グラーディスは、その光景を静かに見つめていた。
長い黒髪が風に揺れる。
黄金の瞳に映るのは、血に染まった戦場。
(ここまで強くなるのか、私たちは)
感嘆に近い感情が胸に浮かぶ。
姫巫女フィデリア。
彼女が与えた力。
それは単なる武具ではない。
身体の奥底。
魂そのものに、異物を埋め込まれたような感覚。
自分が自分ではなくなっていく感覚。
だが同時に。
万能感があった。
人を超えた何かへ変わっていく実感。
それは甘美だった。
(今なら……)
グラーディスの脳裏に、一人の少女が浮かぶ。
白銀の勇者。
アウレリア。
(今なら、あのアウレリアさえも……)
その思考に、グラーディス自身が気づく。
比較している。
測っている。
力を。
優劣を。
知らぬ間に。
三聖者は酔い始めていた。
与えられた力に。
人を超えた力に。
そして。
圧倒できるという快感に。
だが。
力は人を選ばない。
力を持つ者が正しいわけではない。
ただ、強いだけだ。
そして歴史は何度も証明している。
力のみを信じる者は。
また、力によって滅ぼされるのだと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
勇者と三聖者による圧倒的勝利。
それは、王国軍の誰もが疑わなかった結末だった。
帝國兵は逃げ惑い、王国兵は歓声を上げる。
血と土に塗れた戦場で、誰もが自分たちの勝利を信じていた。
「……完勝だな」
グラーディスは静かに呟いた。
長い黒髪が風に揺れる。
その黄金の瞳には、確かな高揚が宿っていた。
「……勇者がいなくとも、我々は帝國を圧倒できる」
その言葉を否定する者はいない。
現実として、三聖者の力は異常だった。
百近い帝國兵。
その大半が、既に地に倒れている。
「……相手が脆すぎますね……」
イシュリアンは感情の薄い声で言った。
聖杖を軽く掲げる。
杖先には、まだ淡い光が残っていた。
放たれた光線は、鎧を貫き、人を焼き、命だけを正確に奪っていく。
まるで神が定めた裁きのようだった。
「流石は姫巫女様の力……感謝します」
恍惚にも似た声。
イシュリアンは、自分の内側に満ちる力を感じていた。
己が人を超えたという実感。
万能感。
選ばれた存在だという確信。
その一方で。
ゼルハインだけは、笑っていなかった。
聖槍を肩に担ぎ、倒れた帝國兵を見下ろす。
簡単すぎた。
槍を振るえば、人が死ぬ。
避けられない。
止められない。
紙を裂くような感触だけが、腕に残っている。
「……これで、いいのか……?」
誰にも聞こえない声だった。
ゼルハインは武人だった。
強者と戦い。
限界を越え。
命を削り合う先にこそ、自分の求めた高みがあると思っていた。
だが、今のこれは違う。
「……こんなんじゃねぇ」
槍を握る手に力が入る。
「……俺が欲しかったのは、こんな力じゃ……」
その時だった。
一陣の風が吹いた。
違和感。
戦場の空気が、急に変わる。
「……まだ走れるか」
低い声。
気づけば、一人の男が立っていた。
帝國軍の黒い軍用マント。
銀白色の髪。
静かすぎる立ち姿。
だが、その場にいるだけで空気が張り詰める。
男は、逃げ遅れた帝國兵を庇うように前へ出た。
次の瞬間。
王国兵が吹き飛ぶ。
殴られた。
それだけだった。
それだけで、鎧ごと兵士が地面を転がっていく。
「……し、失礼しました、閣下……」
帝國兵が震えながら敬礼する。
男は視線すら向けない。
「……命令する。逃げろ」
「……しかし、閣下……」
「……お前たちがいると邪魔だ」
静かな声。
怒鳴りもしない。
だが逆らえる空気ではなかった。
帝國兵たちは一斉に撤退を始める。
「援軍が来た! 全員撤退だ!」
その背を守るように、男が歩く。
ただ、歩くだけ。
それだけなのに。
男の横を通った王国兵の首が、宙を舞った。
遅れて血が噴き出す。
一人。
また一人。
誰も、男の剣筋を見えなかった。
歓声が止まる。
さっきまで勝利に酔っていた王国兵たちが、凍りついたように後退していく。
恐怖。
それも、本能に刻まれる種類の恐怖だった。
まるでそこにいるのは人ではない。
“殺す”という行為だけを極限まで磨き上げた何か。
死神。
そんな言葉が自然と浮かぶ存在。
「……てめぇ!」
ゼルハインが地を蹴った。
歓喜にも似た怒声。
聖槍が一閃する。
空気を裂き、必殺の軌道で男へ突き込まれる。
だが。
男は微動だにしなかった。
白銀の長剣が静かに動く。
甲高い衝突音。
次の瞬間、ゼルハインの槍が大きく弾かれた。
「……なッ!?」
初めてだった。
真正面から、力で押し返されたのは。
男の細い瞳が、ゆっくりとゼルハインを見る。
獣のような光。
「……ようやく、少しは楽しめそうだ」
戦場に。
帝國の勇者殺し。
戦闘種族ゼータが、舞い降りた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ゼルハインの聖槍が走る。
一直線。
ただ、それだけの一撃。
無駄な動きはない。
牽制も。
小細工も。
飾りもない。
だからこそ速い。
だからこそ、止められない。
空気を裂いた槍が、ゼータの喉を穿とうと迫る。
「……クソが!」
だが。
甲高い音が戦場に響いた。
ゼータは、細身の長剣をわずかに動かしただけだった。
剣先。
ただそれだけで。
聖槍の穂先を正面から受け止めていた。
ゼルハインの足が地面を抉る。
踏み込みの勢いだけで土が割れ、石が砕ける。
しかし。
ゼータは動かない。
まるで、大地そのもののように。
「その程度か?」
静かな声だった。
見下すような声音ですらない。
ただ事実を確認するだけの響き。
ゼルハインは即座に後退する。
残像だけが遅れて空間に残った。
王国兵たちは、既に二人の動きを目で追えなかった。
「失望させるな」
ゼータが一歩進む。
それだけで空気が軋む。
ゼルハインの口元が吊り上がった。
背筋を駆け上がる戦慄。
恐怖。
それ以上に。
歓喜。
「ああ――失望なんざ、させねぇよ!」
再び踏み込む。
突き。
払い。
返し。
聖槍が暴風のように唸りを上げた。
一撃ごとに速度が増す。
止まらない。
止められない。
連撃そのものが加速していく。
普通の兵士なら、最初の一撃すら見えない。
だが。
「……ほう」
ゼータは笑った。
次の瞬間。
姿が消える。
「――なッ!?」
ゼルハインの瞳が揺れた。
見失った。
今、この瞬間。
自分が。
敵を。
完全に。
「どこだ――!」
反応より先に、気配が背後へ回る。
いや、違う。
懐。
既に入り込まれていた。
銀光。
細い斬線が空間を走る。
衝撃。
遅れて、ゼルハインの白銀装甲が大きく裂けた。
血飛沫が舞う。
「が……ッ!」
吹き飛ばされながらも、ゼルハインは槍を手放さない。
地面を滑り、無理やり体勢を立て直す。
熱い。
脇腹が焼けるように痛む。
だが、それ以上に。
全身が震えていた。
「勇者ではない」
ゼータは静かに剣を払った。
刀身についた血が地へ落ちる。
「だが、獲物としては及第点だな」
まるで品定めだった。
戦士として。
生物として。
値踏みされている。
ゼルハインは理解する。
こいつは違う。
人間ではない。
少なくとも、自分たちの知る“人”の枠にはいない。
圧倒的な暴力。
研ぎ澄まされた殺意。
それを当然の呼吸のように扱う存在。
「……はっ」
ゼルハインは笑った。
痛みの中で。
血を流しながら。
それでも笑う。
「そういうことかよ……!」
ようやく理解した。
アウレリア。
あの勇者が放っていた異質感。
常識の外側にいる存在の圧力。
ゼータも同じだ。
いや。
方向性は違えど、本質は酷似している。
人の形をした怪物。
その領域へ踏み込んだ存在。
そして今。
ゼルハインは、生まれて初めて確信していた。
――自分は、まだ弱い。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




