正義の味方でも、勇者でもない
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
帝國との距離が縮まるにつれ、“姫巫女の巡礼団”の空気は目に見えて張り詰めていた。
街道を進む荷馬車。
護衛兵たちの視線。
誰もが、いつ帝國軍と遭遇するかを意識している。
そんな中でも、巡礼団は活動を続けていた。
食料を配り。
病人を診て。
荒れた村に聖導師の術で井戸を作る。
表向きだけではない。
実際に、人を救っていた。
だからこそ兵士たちも、自分たちは正義の側にいるのだと信じられていた。
だが。
帝國勢力圏へ近づいたある日、その空気が一変する。
「報告します!帝國軍の巡回部隊らしい集団が接近中です!」
索敵兵の叫びが響いた瞬間。
周囲の空気が凍りついた。
兵士たちが武器を握る。
神官たちが祈りを口にする。
レオニスの喉も乾いた。
ついに来た。
帝國との接触。
だが、その緊張を真っ二つに切り裂いたのは、アウレリアの一言だった。
「それって、逃げきれるの?」
一瞬。
誰も意味を理解できなかった。
レオニスも固まる。
逃げる。
今、この勇者はそう言ったのか。
勇者。
聖剣。
帝國。
誰もが、“戦う”という前提でここまで来ていた。
なのに。
「てめぇ、戦わずして逃げるってのか!ふざけんじゃねぇぞ!」
真っ先に怒鳴ったのはゼルハインだった。
赤い瞳に露骨な怒気が宿る。
今にも槍を掴みそうな勢いだった。
イシュリアンは無言だったが、その沈黙が逆に意思を示している。
彼女もまた、逃走という選択を受け入れていなかった。
「落ち着いてください」
間に入ったのはグラーディス。
穏やかな声音。
だが、その金色の瞳は冷静だった。
「勇者殿、なぜ逃げるんですか?」
「戦う意味がないからに決まってるでしょ?」
アウレリアは本気で不思議そうだった。
理解できないのは、むしろこちらだと言わんばかりに。
「あたしたちは巡礼団でしょ?目的は巡礼の地に行くこと」
その黒い瞳が細くなる。
「あたしは、帝國と戦争をしにきたんじゃない」
空気がさらに重くなった。
ゼルハインが舌打ちする。
「帝國は敵だぞ! 敵を見逃せってのか!」
「敵だからって、全員殺さなきゃいけないの?」
「は?」
「向こうだって巡回してるだけでしょ」
その言葉に、兵士たちがざわついた。
王国の常識。
勇者への期待。
その全部を、アウレリアは当然のように踏み越えていく。
レオニスは混乱していた。
勇者とは、人々を導く存在ではなかったのか。
なら、これは何だ。
理想主義か。
それとも。
もっと別の何かか。
「勇者殿」
グラーディスが静かに口を開く。
「申し訳ないが、この巡礼団の責任者は私です」
その瞬間、空気が変わった。
優雅だった王子の声音に、命令者としての重みが宿る。
「今の我々は、帝國に対して圧倒的優位にあります」
「敵戦力を削ぐことで、以後の巡礼は安全になる」
「これは必要な戦いです」
アウレリアは何も言わない。
ただ、じっとグラーディスを見る。
グラーディスも視線を逸らさなかった。
「ゼルハイン、イシュリアン」
「二人で帝國軍を迎撃してください」
「まかせろ」
ゼルハインは獰猛に笑った。
まるで戦いそのものを歓迎しているようだった。
「承知しました」
イシュリアンも静かに頷く。
それで決定だった。
王国側の論理。
軍人の論理。
それが、勇者の意思より優先された。
アウレリアは小さく息を吐いた。
怒鳴りもしない。
止めようともしない。
ただ、どこか冷めた目で彼らを見ていた。
その視線に、レオニスは妙な寒気を覚える。
勇者と三聖者。
同じ奇跡に選ばれたはずの者たち。
だが、その考え方は決定的に違っていた。
そして。
その亀裂が、何を生むのか。
まだ誰も知らない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巡礼団の空気は、張り詰めていた。
先行した王国軍。
その中心には三聖者がいる。
聖騎士グラーディス。
聖槍士ゼルハイン。
聖導師イシュリアン。
彼らは王国軍を率い、接近する帝國軍の迎撃へ向かった。
出陣前。
グラーディスはアウレリアへ静かに頭を下げた。
「勇者殿は、姫巫女様と非戦闘員を守っていただけますよう、お願いします」
その声音は丁寧だった。
だが実質的には、戦場から外れていて欲しいという意味だった。
アウレリアは何も答えない。
ただ、黒い瞳でグラーディスを見るだけだった。
グラーディスは、それを了承と受け取った。
「では、行って参ります」
長い黒髪を揺らし、聖騎士は戦線へ向かう。
ゼルハインは露骨に不満そうな顔をしていたが、最後にはニヤリと笑った。
「勇者様さんは、お留守番かよ」
軽口。
だが、その奥には侮蔑が混じっている。
イシュリアンだけは無言だった。
やがて三聖者の姿が遠ざかる。
残されたのは、姫巫女と非戦闘員。
そして、戦わない勇者だった。
「フィデリアは何も言わないの?」
アウレリアがぽつりと呟く。
その視線の先には、小さく座るフィデリアがいた。
「それとも、これが望みなの?」
「……違います……」
静かな否定だった。
表情は乏しい。
だが、その言葉だけは迷いなく発せられていた。
アウレリアは、それを聞いて小さく息を吐く。
安心したように。
「そっか、良かった」
そして、少し笑った。
「フィデリアが戦いを望んでやってきたんじゃなかったら、それでいいよ」
その笑顔は、妙に自然だった。
勇者とは思えないほど。
レオニスは、その姿に戸惑う。
わからなかった。
どうして彼女は戦わないのか。
どうして、そこまで戦いを拒むのか。
「アウレリア、その……聞いてもいいかな?」
「何?」
「やっぱり、僕にはわからなかったんだ」
レオニスは少し迷ってから言葉を続けた。
「何で、戦ってはいけないんだ?」
アウレリアは強い。
誰が見てもわかる。
聖剣を持つ勇者。
王国最強。
もしかしたら世界最強かもしれない存在。
ならば。
なぜ戦わない。
なぜ敵を討たない。
アウレリアは少しだけ視線を空へ向けた。
「あたしは正義の味方でも、勇者でもない。それだけ」
「けど……」
「レオニス、考えてないんでしょ?」
「何を?」
「斬られた相手は、恨むのよ」
風が吹く。
アウレリアの黒髪が揺れた。
「相手を」
「……当然だろ?」
「“国”に斬られた人間は、“国”を恨むのよ」
レオニスは言葉に詰まる。
そんなことは、考えたこともなかった。
敵兵。
帝國軍。
討つべき相手。
それ以上でも、それ以下でもない。
だがアウレリアは違った。
「君は、何も知らない人たちが、国に恨みを抱えた人に殺された時、責任を背負えるの?」
「……」
「……そんなことを言われたら、何も言えないじゃないか」
レオニスは俯いた。
それは理想論なのかもしれない。
綺麗ごとなのかもしれない。
だが。
アウレリアの言葉には、妙な重みがあった。
まるで。
既に、それを知っている人間のような。
「……あたしは、もう綺麗ごとが言える立場じゃない」
アウレリアが小さく呟く。
その言葉だけは、妙に重かった。
「だから、あたしは、自分が最大限の敬意を持てた時にだけ戦う」
レオニスは長く息を吐いた。
まだ理解できない。
勇者なのに。
強いのに。
戦えるのに。
それでも彼女は、戦うことを選ばない。
「……まだ、アウレリアの言ってることは、僕にはわかりそうにない」
「うん」
「……だから、僕は戦争を止めることを考えてみるよ」
アウレリアが少しだけ目を見開く。
「そっちの方が、僕にはわかりやすい」
レオニスの言葉に、アウレリアはふっと笑った。
それは馬鹿にした笑みではない。
少しだけ嬉しそうな笑みだった。
だが。
戦わない勇者が存在しても、世界は止まらない。
帝國は既に動いている。
勇者を殺すための者たちが派遣されている。
王国と帝國。
長い歴史が積み重ねた憎悪。
人が人を殺す理由を、“国家”という名で正当化し続けた歴史。
その戦争は、もう始まっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




