貴族との剣の手合わせ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
中々広い庭だった。
屋敷の裏庭とは思えないほど広い。
整えられた芝生。
低い生け垣。
遠くには木立も見える。
でも、人はほとんどいない。
訓練場というより、散歩用の庭みたいだ。
僕は軽く肩を回した。
腕を伸ばす。
腰をひねる。
入念に身体をほぐす。
……久しぶりだな。
男爵領へ来る道中。
珍しく、兄貴との訓練がなかった。
一週間くらいかな。
こんなに身体を動かさないのは、ちょっと落ち着かない。
「さて」
僕は背負い袋から棍棒を取り出した。
木製の、少し重い棒。
剣じゃない。
でも、僕が一人で鍛えるときは、いつもこれだ。
足を開く。
息を整える。
そして。
『基本』の構えをとった。
一人のときは、これをやる。
ゆっくり。
正確に。
動きを確かめる。
切落。
腕を上げて、真っ直ぐ振り下ろす。
袈裟斬り(けさぎり)。
肩から腰へ、斜めに振る。
右薙。
横へ流すように。
右斬上。
下から上へ。
逆風。
身体をひねって、反対方向へ。
左斬上。
左薙。
逆袈裟。
八つ。
八方向からの斬り込み。
もちろん。
この棍棒じゃ、斬ることなんてできない。
ただの――真似事だ。
それでも。
身体は覚えている。
「レックス君は王国流の剣術も使えるのね」
声がした。
僕はびくっと振り向く。
「エ、エルディナ様!」
そこに立っていたのは。
いつもの姫騎士の格好。
エルディナ・ヴァルディアだった。
後ろにはミレーネさんもいる。
……いつから見てたんだろう。
ちょっと恥ずかしい。
「ま、真似事です」
僕は慌てて棍棒を下ろした。
エルディナ様は少し首を傾げる。
「誰に習ったの?」
「そ、祖父に習いました」
僕は答えた。
先生――オルグラードは、これを教えなかった。
代わりに教えてくれたのは。
祖父。
レオニスだ。
昔、よく庭で付き合ってくれた。
「そうなの」
エルディナ様は、少しだけ興味深そうに頷く。
その視線が、僕の構えをなぞった。
……見られてる。
ちょっと緊張する。
「エルディナ様こそ、どうしてここに?」
僕は慌てて話題を変えた。
「ん?」
エルディナ様は軽く笑う。
「窓から見えたのよ」
「レックス君が一人で庭にいるのが」
「それで、ちょっと来てみただけ」
そう言って肩をすくめる。
……なるほど。
僕はちらっとミレーネさんを見る。
すると。
案の定。
にまにましていた。
……またその顔だ。
何か面白がってる。
絶対、変な勘違いしてる。
その時だった。
「セルディアから来た使者殿は」
新しい声が聞こえた。
「変わった剣をお使いのようで」
僕の背後からだった。
振り向く。
その瞬間。
ミレーネさんの顔が、少し残念そうになる。
……なんで?
「レオナルト」
エルディナ様が名前を呼んだ。
そこにいたのは。
一人の少年だった。
僕と同じくらいの年齢か、少し下。
整った服。
きれいに整えられた髪。
そして。
落ち着いた目。
僕をまっすぐ見ている。
「レオナルト・ヴァルディアです」
少年は、丁寧に一礼した。
アルベリオ・ヴァルディアの息子。
つまり。
ヴァルディア家の、次の世代。
――レオナルト・ヴァルディア。
僕は、この時。
まだ知らなかった。
この出会いが。
この男爵領で起きる出来事に、少しずつ関わっていくことを。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お噂はルシアンから聞きました」
レオナルト・ヴァルディアは、丁寧な口調でそう言った。
「何でも姉上の命を救ってくださったとか」
僕は思わず背筋を伸ばす。
「い、いえ、そんな大したことじゃ……」
そう言いかけて、言葉が止まる。
レオナルトの視線が、僕をじっと見ていたからだ。
頭の先から足元まで。
まるで品定めをするみたいに。
「……しかし」
レオナルトがゆっくり言った。
「お姿を拝見したところ」
その目が、少し細くなる。
「随分と線の細い方でいらっしゃる」
疑うような視線だった。
……あ。
これ、まずい流れだ。
僕はなんとなく察した。
そして案の定。
「ちょうどいい」
レオナルトが周囲を見回す。
広い芝生。
障害物のない庭。
「ここなら場所も広い」
そして。
「一手、手合わせを所望する」
その口元に。
あまり良くない笑みが浮かんだ。
「いや、まぁ……」
僕は困った。
さて。
どうやって回避しよう。
正直、この展開は予想外だ。
しかも相手は。
エルディナ様の弟。
つまり。
アルベリオさんの息子。
……貴族中の貴族だ。
兄貴がさっき。
血の涙を流すみたいに怒りを抑えたばかりだ。
特使様だって、かなり強引に場を収めてくれた。
ここで問題を起こすわけにはいかない。
絶対に。
「セルディアのオルグラード卿は」
レオナルトが言う。
「相当な武人であると父上より聞いております」
「それは……事実です」
僕は頷いた。
そこは否定できない。
先生は本当に強い。
「その噂に聞く武人の直弟子と」
レオナルトは一歩近づく。
「一手合わせる誉れを」
「私にいただきたい」
……まだ言うの?ここまで来て、僕はやっと気づいた。
この人。
僕を挑発してる。
でも。
なんで?理由がわからない。
僕は困って、ちらっとミレーネさんを見る。
ミレーネは腕を組んで、二人を眺めていた。
――ああ、やっぱりこうなるか。
レオナルトの性格は知っている。
真面目。
努力家。
礼儀正しい。
……そして、少しだけ計算高い。
要するに。
「領内で箔をつけたい」
のだ。
レオナルトの剣は、若手の中ではかなり強い。
だからこそ。
まともに相手できる取り巻きがいない。
騎士候補クラスが相手なら、まず負けないだろう。
だけど。
それでは名声にならない。
だから。
狙いは一つ。
セルディアの英雄。
オルグラード卿。
その弟子。
それを倒したとなれば――。
宣伝としては最高だ。
ミレーネは口元を押さえた。
そして。
レックスを見る。
(やったれ、レックス君)言葉には出さない。
でも。
全力でそういう視線を送る。
僕は思わず苦笑いになる。
……なんでですか。
ミレーネさん。
完全に面白がってる。
助けてくれるどころか。
むしろ煽ってる。
なんで。
なんで味方まで敵なんですか。
僕は最後の希望に視線を向けた。
エルディナ様。
きっと。
きっと止めてくれる。
そう思った。
エルディナ様は腕を組んで。
少しだけ考える。
そして。
「わかったわ」
え。
「私が見届け人になります」
……あ。
終わった。
最後の望みが。
完全に断たれた瞬間だった。
レオナルトが満足そうに微笑む。
「ありがとうございます、姉上」
レオナルトは腰の剣を静かに抜いた。
僕は空を見た。
青空が広い。
風が気持ちいい。
……逃げたい。
でも。
もう無理だ。
「……わかりました」
僕はため息を一つつく。
そして棍棒を持ち直した。
こうして僕は。
レオナルト・ヴァルディアと。
手合わせをすることになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「勝負はどちらかが一本取るかで判定します」
エルディナ様の声が、静かな庭に響いた。
「一本の勝負判定は、私とミレーネで行います」
隣でミレーネさんが軽く手を挙げる。
「異存はありますか?」
レオナルトは何も言わず、黙って頷いた。
その顔には余裕がある。
……うん。
完全に勝つ気だね。
僕は小さく息を吐いた。
そして手を挙げる。
「すいません、エルディナ様」
「なんでしょうか?」
「ルールにいくつか追加をお願いできますか?」
その瞬間。
レオナルトが、くっと鼻で笑った。
……あ、今の絶対バカにしてる。
「構いません」
エルディナ様はすぐに頷いた。
「許可します」
「はい、では二つ」
僕は棍棒を肩に担ぎながら言う。
「まず」
「武器を手放した方を負け、というルールを追加してください」
エルディナ様がレオナルトを見る。
「レオナルト、異存は?」
「ありません」
即答だった。
余裕の声。
まあ、そこは問題ない。
「もう一つ」
僕は少しだけ真面目な顔になる。
「寸止めはなしでお願いします」
「えっ!?」
今度はエルディナ様が驚いた。
ミレーネさんも目を丸くする。
「本気で言ってるの?」
「はい」
僕は頷いた。
「先生が推奨していないので」
……まあ。
嘘だけど。
僕は心の中でつぶやく。
先生――オルグラードは、そんなこと言ってない。
でも。
兄貴との訓練。
あれは完全に実戦形式だ。
もう三年近くやっている。
その結果。
結論。
僕は――。
寸止めが苦手になった。
いや。
正確に言うと。
寸止めの技術が摩耗した。
相手は貴族。
万が一でも、やらかすわけにはいかない。
中途半端に止めて、事故る方が怖い。
だから。
最初から全力でやる。
その代わり。
当てない。
僕はレオナルトを見る。
真っ直ぐに。
強い意志で。
その瞬間だった。
レオナルトは、はっきりと感じ取った。
――挑戦。
いや。
挑発。
そうだ。
この男は、自分を挑発している。
「寸止めなし」
その言葉。
つまり。
「自分は当てる」
そう言っているのと同じだ。
そして。
それを、堂々と宣言した。
……愚弄している。
レオナルトの胸に、怒りが灯る。
気がつくと。
周囲には人が増えていた。
いつの間にか。
彼の取り巻きの若い騎士たちが集まっている。
視線が集まる。
ここで引けば。
ヴァルディア家の名が笑われる。
レオナルトは静かに口を開く。
「レックス殿」
「その言葉に、二言はありませんな」
レックスは迷いなく答えた。
「ありません」
……気に入らない。
その態度。
まるで最初から、勝つつもりみたいだ。
レオナルトの怒りに、さらに油が注がれる。
彼は姉を見る。
「姉上」
「回復刻印のアイテムはお持ちですか?」
エルディナは少し困った顔をする。
「ええ、一応は」
「聞いての通りです、レックス殿」
レオナルトは剣の柄に手をかける。
「多少の怪我なら問題ありません」
念を押す。
そして。
主導権を握るために、さらに言葉を重ねた。
「私の剣は真剣ですが」
静かな声。
「よろしいか?」
レックスは一瞬も迷わなかった。
「はい、もちろんです」
……躊躇がない。
本当に。
一切。
レオナルトの眉がわずかに動く。
だが、すぐに消える。
「よいでしょう」
彼は剣を抜いた。
澄んだ音が庭に響く。
「姉上、合図を」
エルディナ様が二人の間を見る。
僕。
そして。
レオナルト。
庭の空気が、少し変わる。
風が止まった気がした。
「では――」
エルディナ様が手を上げる。
「始め」
その言葉と同時に。
ヴァルディア男爵邸の裏庭で。
僕とレオナルトの手合わせが、始まった。
エルディナは、二人の間に流れる空気に小さく眉をひそめた。
エルディナの声が、裏庭の空気を切った。
同時に、二人が動く。
レオナルトは両手持ちの大剣。
堂々とした上段の構え。
対するレックスは、棍棒を両手で握っている。
姿勢は低い。
静かだ。
先に動いたのは、レオナルトだった。
踏み込み。
そして上段からの打ち下ろし。
体格差は明らかだ。
背も腕も、レオナルトの方が上。
その一撃には、しっかり力が乗っている。
「防がれる」
思わず、エルディナは呟いていた。
次の瞬間。
鋼の音が響く。
予想通り。
レックスの棍棒が、レオナルトの剣を受け止めていた。
ぴたりと。
まるで、重さなど存在しないかのように。
レオナルトの目が、わずかに見開かれる。
……やっぱり。
受け止められるとは思っていなかった顔だ。
周囲の取り巻きたちも、同じ反応だった。
当然だろう。
あの子は。
ルシアンの力すら受け止めた。
レオナルトの初撃を、防げないはずがない。
「ほう」
レオナルトが小さく笑う。
「受けますか」
二撃目。
横薙ぎ。
重い一閃。
だが、レックスは体をひねった。
剣が風を切る。
空を裂く音だけが残る。
そして三撃目。
再び、上段からの打ち下ろし。
レックスの体勢は、崩れているように見えた。
だが。
棍棒は正確に動く。
大剣を受け。
衝撃を逃がし。
威力を殺す。
周囲がざわめいた。
「さすがレオナルト様!」
「押してるぞ!」
「やっぱりレオナルト様だ!」
……あら。
エルディナは少しだけ苦笑する。
確かに、見た目はそうだ。
レオナルトが攻めている。
レックスは防いでいる。
けれど。
「自信を持つのもわかるけど」
エルディナは小さく呟く。
レオナルトの剣は、確かに伸びている。
私が留学前より身体は大きくなった。
筋力もついた。
努力したのだろう。
だが。
それでも。
――届いていない。
「そろそろ決めて良いですよ、レオナルト様」
取り巻きの声。
「そうです! セルディアの客人に恥をかかせてもしょうがないですよ!」
エルディナは眉をひそめる。
「弟をいじめて欲しくないんだけど」
レオナルトは、まだ気づいていない。
なぜ。
自分の剣が、すべて防がれているのか。
おそらく。
内心では、焦っているはずだ。
その証拠に。
もう、肩で息をしている。
そして。
レオナルトが、また踏み込んだ。
一直線の突き。
鋭い。
けれど。
その瞬間。
レックスの棍棒が動いた。
軽く。
ほんの少しだけ。
剣の軌道を外す。
そして。
レックスが、間合いに入った。
――速い。
気づいた時には。
レックスの棍棒が、レオナルトの剣を押さえていた。
ぐ、と。
レオナルトの腕が止まる。
その顔が歪む。
まるで。
剣が何倍も重くなったかのような感覚。
エルディナは静かに言う。
「終わりよ、レオナルト」
弟の目を見る。
「出来れば、この敗北を糧にしなさい」
次の瞬間。
レックスの腕が動いた。
弾く。
ねじる。
そして――レオナルトの手から、大剣が宙に舞った。
カラン。
剣が地面に落ちる。
レオナルトの目が、限界まで見開かれる。
レックスは、静かに言った。
「……武器」
少し困ったような声。
「落ちました」
エルディナは手を上げた。
「そこまで!」
勝負あり。
裏庭が、静まり返る。
いつの間にか。
取り巻きの声は消えていた。
隣では。
ミレーネが小さくガッツポーズをしている。
……まったく。
あの子は。
そして。
レオナルトは。
しばらく、動かなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
これで、良かったのだろうか。
僕は棍棒を肩に担ぎながら、そんなことを考えていた。
狙い通りではあった。
武器を落とさせる。
怪我はさせない。
それで一本。
兄貴との訓練で、何度もやってきた形だ。
……うん。
技術的には成功している。
でも。
目の前のレオナルト様は、かなり気の毒そうだった。
さっきまで握っていた剣が地面に落ちている。
本人は、まだ立ち尽くしたままだ。
視線は下。
動かない。
……あれ? 僕は首をかしげる。
一本取られた後のガロード兄貴なら。
「さて、次やるぞ」
と言わんばかりに、すぐ構え直す。
むしろ楽しそうに笑っているくらいだ。
だから僕は。
今回も、そういう感じになると思っていた。
でも。
違った。
周囲の人たちも、何と言えばいいのか分からない顔をしている。
取り巻きの騎士たちも。
庭の空気は、妙に重い。
……え、これ。
もしかして、やらかした?そんな不安がよぎった、その時だった。
「いやー! 久しぶりに面白い手合わせでした!」
裏庭に、やたら元気な声が響いた。
もちろん。
ミレーネさんだ。
しかも、かなりの大声。
「レオナルト様、かなり強くなってましたよ!」
取り巻きたちが、ぴくっと顔を上げる。
「でも、レオナルト様、だめですよ」
ミレーネさんは腕を組みながら言う。
「レックス君の武器は棍棒ですよ?」
「それに剣を相手にするような戦い方をやってはいけません」
……あれ?
「慣れない相手だったのでしょーがないですね」
わざとらしいくらいの声量で続ける。
「それに対して」
ミレーネさんが、今度は僕を見る。
にやりと笑う。
「レックス殿は、さすがですね」
その言葉を、ゆっくり区切る。
「あの武人オルグラード卿の弟子だけあります」
取り巻きたちがざわめく。
「色々な戦い方を知っていますね!」
沈黙していた騎士たちが、一斉に頷き始めた。
「あ、ああ! そうだ!」
「さすがでした!」
「武人の戦い方だ!」
さっきまでの空気が、嘘みたいに変わる。
……なるほど。
僕はようやく理解した。
レオナルト様は、僕に負けたわけじゃない。
棍棒という慣れない武器に負けた。
そして。
武人オルグラードの戦術と流儀に負けた。
そういう話に、すり替わったのだ。
ミレーネさん、すごいな……。
そんなことを思っていると。
エルディナ様が静かに口を開いた。
「レオナルト」
弟の方を見る。
「貴方の慢心が生んだものです」
声は厳しい。
「以後、精進なさい」
しばらく沈黙。
そして。
「……はい」
小さく答えるレオナルト様。
彼はゆっくりしゃがみ込む。
地面に落ちた大剣を拾った。
それから。
僕の方を向く。
そして。
静かに、一礼した。
僕も慌てて頭を下げる。
顔を上げると。
レオナルト様はもう背を向けていた。
そのまま、足早に裏庭を去っていく。
取り巻きの騎士たちも、慌てて後を追う。
「はい! 解散解散!」
ミレーネさんが手を叩く。
「見世物は終わりですよー!」
その声に押されるように。
残っていた人たちも、次々と散っていった。
気がつけば。
裏庭には三人だけ。
僕と。
エルディナ様。
そしてミレーネさん。
僕は恐る恐る口を開く。
「あの……」
すると。
エルディナ様が、くるりとこちらを向いた。
その目は、少しだけ楽しそうだった。
「レックス君」
にっこり笑う。
でも。
その目の奥には、別の光がある。
「お茶に付き合いなさい」
静かな声。
「色々、お話したいことがあるから」
……ああ。
これは。
たぶん、逃げられないやつだ。
僕は小さく息を吐いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




