表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
レックス立志編
10/52

エルディナとの茶会と誘い

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ここは貴族エリアらしい。


ヴァルディア家の直系関係者しか入れない、いわゆるプライベートスペースの中庭だ。


石畳の庭。


低い生垣。


白い花がいくつか咲いている。


さっきまでいた裏庭とは違い、空気が静かだった。


小さな丸いテーブル。


その向こうに、エルディナ様が座っている。


僕はその向かい。


周囲では侍女たちが動き回っていた。


銀のポット。


小さなカップ。


そして皿に乗ったお菓子。


見たことのない菓子まである。


「……あの」


僕は恐る恐る声を出した。


エルディナ様が顔を上げる。


「あら」


くすっと笑う。


「お菓子は苦手だった?」


「いや、そういうことではなくて」


僕は慌てて首を振った。


「何で、僕はここにいるんですか」


率直に聞く。


すると。


エルディナ様は、にっこり笑った。


「色々、お話したいことがあるから」


……さっきも聞いた気がする。


「レックス君」


エルディナ様が、じっと僕を見る。


「君は何?」


「えっ?」


意味がわからない。


「何ですかそれ」


思わず聞き返した。


エルディナ様は視線を逸らさない。


まっすぐ見てくる。


……これ、かなりきつい。


僕だって健全な男子だ。


こんな綺麗な人に真顔で見つめられると、正直困る。


「オルグラード卿は」


エルディナ様が静かに言う。


「なぜあなたたちをヴァルディアに送り込んだの?」


「何の話ですか?」


本気で意味がわからない。


エルディナ様は、僕の顔をじっと見続けている。


試されている気がした。


思わず目を逸らしたくなる。


でも。


失礼だと思って、なんとか耐える。


数秒。


沈黙。


そして。


「……本当に政治的なもので来ているんじゃないのね」


エルディナ様が、ぽつりと言った。


「ありませんよ、そんなの」


僕は即答した。


むしろ。


その方が楽だ。


先生――オルグラードが何か目的を持って送り込んだなら。


そう説明されているはずだ。


でも実際は。


特使様ですら。


「好きにしていい」


と言われている。


護衛なのに。


何の指示もない。


正直、かなり自由だ。


エルディナ様は小さく息を吐いた。


「疑ってごめんなさい」


少しだけ申し訳なさそうな顔。


「時期が時期だけに、疑いたくなるの」


「はあ……そういうものですか」


僕には、いまいち実感がない。


すると。


エルディナ様が静かに言った。


「ええ」


カップを手に取る。


「周りが全部、敵に見える時もあるわ」


……それは。


ちょっと嫌だな。


僕は思わず言っていた。


「それなら」


「ミレーネさんとか、アルベリオさんとかに相談すればいいのでは?」


家族とか。


側近とか。


そういう人がいるんじゃないのか。


そう思った。


その瞬間だった。


エルディナ様の笑みが、消えた。


「ミレーネも」


静かな声。


「父も」


僕を見る。


「油断できない相手だと言ったら、どうかしら?」


「え!?」


思わず声が出た。


ミレーネさんも? アルベリオさんも? どっちも味方じゃないの? 頭が追いつかない。


エルディナ様は、僕の反応を見ていた。


そして。


小さく笑う。


「その反応」


「本当に裏がないのね」


少し楽しそうな顔。


「演技だとしたら、相当なものよ」


僕は何も言えない。


だって。


本当に何も知らないからだ。


すると。


エルディナ様の表情が変わった。


真剣な顔。


さっきまでとは、まるで違う。


「レックス君」


静かな声。


でも。


強い。


「貴方は」


ほんの少し、間を置く。


「私の味方になって欲しいの」


僕は、固まった。


……え? 味方? 僕が? 貴族の? しかも、ヴァルディアの人の? 


頭が追いつかない。


ただ一つだけ、思った。


これ。


お茶会じゃない。


完全に、巻き込まれてる。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ヴァルディア男爵領は、王国にとって重要な場所らしい。


北には帝國。


王国と長年争っている敵国だ。


そして西。


そこには魔王国がある。


さらにその接点にあるのが、僕たちの街――セルディア。


つまり。


ヴァルディアは、王国の外敵に挟まれた土地だ。


「王国の盾、というところね」


エルディナ様がカップを手に取りながら言った。


「北は帝國」


「西は魔王国」


「どちらも王国にとっては厄介な相手よ」


……なるほど。


それで、軍が多かったのか。


僕はここへ来るまでの道を思い出していた。


街道の警備。


城壁。


武装した兵士。


確かに、普通の領地より多かった気がする。


エルディナ様は続ける。


「王国は勇者信奉の国よ」


その言葉は知っている。


勇者は魔王を倒す存在。


王国では神話の英雄みたいな扱いだ。


だから。


「当初、王国はセルディアの存在を認めなかったの」


エルディナ様は少し肩をすくめた。


「魔王国と接点を持つ街なんて、許されるものじゃないから」


まあ、そうだろう。


普通に考えたら敵国だ。


でも。


「だけど、戦乱が長引いた」


エルディナ様は言う。


「王国は疲弊したの」


帝國との戦い。


魔王国との衝突。


長い戦争。


その結果、国は消耗した。


「その時に目をつけたのがセルディアだった」


セルディア。


あの街は物資が豊富だ。


交易都市。


魔王国と人間の国の間にある、珍しい街。


「王国は、セルディアとの交渉相手を必要とした」


そこで。


ヴァルディア男爵が選ばれた。


「祖父は、王国からセルディアとの折衝役を任されたの」


なるほど。


だから先生と知り合ったのか。


「最初は、かなり揉めたらしいわ」


エルディナ様は少し笑う。


「祖父も、オルグラード卿も、どちらも譲らない人だから」


……それは想像できる。


先生は頑固だ。


かなり。


エルディナ様は続けた。


「でも、結果として」


「祖父はセルディアを認めた」


「そして、オルグラード卿とも友誼を結んだ」


友誼。


つまり、ただの取引相手じゃない。


個人的な関係。


そこまでいったらしい。


「その後、ヴァルディアは変わった」


カップを置くエルディナ様。


「オルグラード卿の支援もあって、領地は発展した」


僕は街の様子を思い出した。


活気のある市場。


人の多さ。


商人の声。


「レックス君も見たでしょう?」


エルディナ様が言う。


「ヴァルディアの街」


「結構、発展していたでしょう?」


「そういえば……」


確かに。


来るときに見た街は、かなり活気があった。


セルディアに似ている部分もあった。


人が多い。


物が多い。


つまり、豊かだ。


でも。


エルディナ様の表情が、少しだけ曇る。


「もちろん」


「良いことばかりじゃない」


僕は黙って聞く。


「ヴァルディアも、王国の貴族領よ」


つまり。


王国の考えを持つ人もいる。


「勇者信奉の人間は多い」


当然だ。


王国は勇者の国だ。


「その中には」


エルディナ様の声が、少し低くなる。


「オルグラード卿を嫌う者もいる」


先生を? 「魔王国の出身者だから」


……ああ。


そうか。


先生は元々、魔王国の人だ。


「彼らは言うの」


エルディナ様は、少し皮肉な笑みを浮かべた。


「ヴァルディアが豊かなのは、王国を裏切って魔王国と繋がっているからだと」


……それは。


かなりひどい話だ。


「さらに言う者もいるわ」


エルディナ様は続ける。


「ヴァルディア男爵はいずれ王国を裏切る」


「魔王を呼び込むつもりだ、と」


「ひどい話ですね」


思わず口に出ていた。


そんなこと、あるわけがない。


でも。


……少しだけ、わからなくもない。


セルディアの街だって。


あの秩序は。


かなりの部分。


オルグラードという柱で支えられている。


先生がいるから。


魔王国も。


人間の国も。


下手に手を出さない。


でも。


それが一人の力だ。


国になると。


どうなるんだろう。


正直。


想像がつかない。


僕は小さく息を吐いた。


「国って」


思わず口にする。


「大変なんですね」


エルディナ様は、少しだけ笑った。


でも。


その笑顔は、どこか寂しそうだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「さっき父すら信用できないと言ったでしょう」


エルディナ様は、静かに言った。


紅茶の湯気が、午後の光に溶けていく。


「その理由も教えてあげます。


レックス君にも関係することです」


「僕にですか?」


思わず聞き返してしまう。


正直、僕はただの弟子だ。


政治の話なんて、縁があるとは思えない。


エルディナ様は、カップを口元に運んだ。


一口、紅茶を飲む。


そして、少し間を置いた。


「父が欲しているもの」


その青い瞳が、まっすぐ僕を見た。


「オルグラード様の握っている秘密です」


「秘密?」


思わず首をかしげる。


先生に秘密? いや、あるのかもしれないけど。


普段の先生を知っていると、どうにも想像できない。


「いえ、父だけではありません」


エルディナ様は静かに言った。


「おそらく王国の権力者は、皆それを欲しているでしょう」


……なんだか、急に話が大きくなった。


王国の権力者? 僕はますます分からなくなる。


それが顔に出ていたのだろう。


エルディナ様が、少しだけ微笑んだ。


「オルグラード様は、王国だけではありません」


「帝國も」


「魔王国すら」


「その存在を認めています」


言われてみれば、そうだ。


セルディアには、人間も亜人もいる。


帝國の商人も来るし、魔王国の者もいる。


僕にとっては当たり前だった。


でも。


王国から見れば。


それは――おかしな街なのかもしれない。


「王国は帝國と敵対しています」


エルディナ様が続ける。


「魔王国とも、当然ながら敵対しています」


「その両方と」


「一つの街が対等に交易している」


「それは普通ではないのです」


……言われてみれば、そうだ。


一つの街だ。


国じゃない。


なのに。


三つの国と関係を持っている。


確かに普通ではない。


「それを可能にしている“何か”」


エルディナ様は言った。


「王国の権力者は、それを知りたいのです」


なるほど。


秘密、というわけか。


でも。


僕の頭に浮かぶのは


――酔っぱらって酒場で大声を出している先生だった。


そして。


酔いつぶれて、路地で寝ている姿。


……。


そんなすごい秘密を握っている人に見えない。


正直。


まったく想像できない。


たぶん。


その顔をしていたんだと思う。


エルディナ様は、少し肩をすくめた。


「ま、そういう顔になりますよね」


ばれていた。


「でも」


エルディナ様の表情が、少しだけ真剣になる。


「オルグラード様が、相当強引な手腕でセルディアを作った」


「それは事実です」


確かに。


セルディアの昔話は、少し聞いたことがある。


かなり荒れていたらしい。


それを、先生がまとめ上げた。


「その結果」


「帝國も」


「魔王国も」


「王国も」


「セルディアを無視できなくなった」


エルディナ様は静かに言う。


「つまり」


「一人の人物が」


「三国の力関係に影響を与えている」


そこまで言われると。


ようやく、少し分かる気がしてきた。


それは確かに。


普通じゃない。


「たとえ本当の秘密がなくても」


エルディナ様は言った。


「人は警戒するものです」


青い瞳が、少しだけ揺れた。


「それが権力というものです」


そして。


小さく息を吐いた。


「だから」


その視線が、もう一度僕に向く。


「オルグラード様の弟子であるレックス君も」


「無関係ではいられないのです」


その言葉に。


僕は、しばらく何も言えなかった。


……ただの弟子。


そう思っていたけれど。


どうやら。


それだけでは、済まないらしい。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「だから、発言は気をつけなさい」


エルディナ様は、少しだけ真剣な顔でそう言った。


「レックス君は、もうただの旅人ではありませんから」


……そう言われると、急に不安になる。


頭に浮かぶのは一人だ。


今ごろ、アルベリオ様に呼ばれているガロードの兄貴。


あの人は基本的に豪快だ。


そして、わりと余計なことも言う。


……大丈夫だろうか。


変なことになっていなければいいけど。


そんなことを考えていると。


「ところで」


エルディナ様が、カップを置いた。


「『私の味方になってほしい』という話なのですが」


「ああ、はい」


「そうでしたね」


すっかり忘れていた。


政治の話が大きすぎて。


「これは目先の話です」


そう前置きしてから、エルディナ様は言った。


「今日の夕方」


「王国から、アルドリック・ヴァルハイト侯爵の一行が到着します」


……侯爵。


なんだか、とても偉そうな人の名前が出た。


「その歓迎の夜会が、今夜開かれるのです」


「?」


夜会。


……それがどうしたんだろう。


そう思っていると。


エルディナ様は、さらりと言った。


「レックス君には、その時」


「わたしのエスコートをしてほしいのです」


「何でそうなるんですか!?」


思わず立ち上がりそうになった。


侯爵が出る夜会? そんな場所、僕みたいな庶民が行く場所じゃない。


というか、入れてもらえるのか? 「同行者の名簿にね」


エルディナ様は少しだけ眉をひそめた。


「ギルベルト・ヴァルハイトという人物がいるのです」


「評判の悪い方でして」


なるほど。


名前からして侯爵家の人だ。


「その虫よけに、レックス君に協力してほしいの」


「虫よけですか」


「そうです」


きっぱりと言った。


なんでも、そのギルベルトという人は。


王都でも、かなり好き勝手しているらしい。


理由は簡単。


ヴァルハイト侯爵家の一門だから。


普通なら今回の使節には入っていないはずだったらしい。


でも。


「アルヴィン・ヴァルディアが、勝手に手配したようです」


エルディナ様は、ため息をついた。


アルヴィン・ヴァルディア。


たしか、叔父様の息子だと言っていた。


つまり、いとこか。


「未婚のわたしに会わせるつもりなのでしょう」


そこまで言って。


エルディナ様は、はっきりと顔をしかめた。


その表情は、心底嫌そうだった。


……なるほど。


事情は分かった。


「まぁ、そういうことなら」


僕は頷いた。


「横に立っているくらいなら」


「お役に立てると思います」


お世話になっている人だ。


それくらいなら協力する。


すると。


エルディナ様の顔が、ぱっと明るくなった。


「本当ですか?」


「ありがとうございます、レックス君!」


その笑顔は、さっきまでの政治の顔とは違った。


思わず、少し見惚れてしまう。


……綺麗だな。


「あ、でも」


ふと現実に戻る。


「僕、そんな場所に出る服なんて――」


言い終わる前だった。


「問題ありません」


横から声がした。


いつの間にか、侍女さんが立っていた。


「レックス様、至急ご用意いたします」


……なんだろう。


すごい圧を感じる。


さらにもう一人。


「レックス様を精一杯格好よく仕上げますので、ご安心ください」


侍女さんが、にこやかに言った。


……逃げられない気がする。


「どうやら話はまとまったようですね」


その時だった。


庭の木陰から、声がした。


振り向くと。


ミレーネさんが、腕を組んで立っていた。


「ミレーネさん!?」


「安心してレックス君」


エルディナ様が言う。


「ミレーネは、わたしの味方よ」


ミレーネさんは、にやりと笑った。


「もちろんです」


「エルディナ様を守る騎士役ですからね、レックス君は」


……ん? 騎士? なんだか話が大きくなっている気がする。


気のせいだろうか。


僕はふと、周囲を見回した。


侍女さんたち。


ミレーネさん。


エルディナ様。


そして。


なぜか全員、満足そうな顔をしている。


……。


その瞬間。


僕は、妙な気配を感じた。


外堀が。


どんどん埋められている気がする。


しかも。


かなり前から計画されていたような気がするのは


――たぶん。


気のせいじゃない。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「では、レックス様」


「後ほど、お迎えにあがります」


エルディナ様の侍女さんが、丁寧に頭を下げた。


部屋の扉が静かに閉まる。


「さて……」


僕は小さく息をついた。


さっきまでの話が、まだ頭の中でぐるぐるしている。


王国。


三国の力関係。


先生の秘密。


そして――夜会。


……僕、本当に出るんだよね。


正直、まだ実感がない。


とりあえず。


先に報告しておいた方がいい人がいる。


僕は廊下に出て、隣の部屋の前に立った。


特使様の部屋だ。


扉の前には、男爵領の召使いが立っていた。


「特使様はご在室ですか?」


「はい。


ガロード様とお話中です」


やっぱり。


兄貴もそこにいるらしい。


僕は軽く頷いて、扉を叩いた。


「失礼します」


中に入ると。


やっぱり二人がいた。


特使様は椅子に座り、優雅にお茶を飲んでいる。


その向かいで、ガロード兄貴が腕を組んでいた。


僕の顔を見るなり。


特使様が、少しだけ笑った。


「君もですか」


ぽつりとつぶやく。


「も?」


思わず聞き返す。


すると、横から声が飛んできた。


「俺も夜会に出る」


ガロード兄貴だった。


「え?」


僕は思わず兄貴を見た。


ガロード兄貴が夜会? どういうことだろう。


特使様が肩をすくめる。


「ガロード君の方は、アルベリオ殿ならしても不思議はありません」


なるほど。


確かに兄貴は目立つ。


銀色の髪。


狼の耳。


琥珀色の瞳。


一目で分かる獣人だ。


セルディアの象徴としては、分かりやすい。


「隣に座らせておけば」


特使様は紅茶を一口飲む。


「セルディアとの友好関係を、誰の目にも分かる形で示せます」


……ああ。


そういうことか。


政治的なアピール。


アルベリオ様なら、やりそうだ。


でも。


僕はもう一つ気になった。


「よく受けたね、兄貴」


正直、兄貴はこういう場所が嫌いだと思っていた。


すると。


ガロード兄貴は、にやりと笑った。


犬歯が少し見える。


「あいつと戦うためだ」


「あいつ?」


僕は一瞬考えて。


すぐに分かった。


「……豹仮面」


「おう」


短く頷く。


兄貴の目が、少し鋭くなった。


「あいつは、きっと来る」


その声は、妙に確信していた。


理屈じゃない。


たぶん、獣の本能みたいなものだ。


あの豹仮面。


確かに、派手な場所が好きそうだ。


夜会なんて、絶好の舞台かもしれない。


「場内で自由に戦える権利をもらった」


ガロード兄貴は言った。


「その代わりに、夜会に出る」


……そんな条件あるんだ。


僕は少し呆れた。


でも、兄貴らしい。


「そういうお前はどうなんだ?」


ガロード兄貴が、こっちを見た。


琥珀色の目。


「え?」


一瞬、言葉に詰まる。


……どう言えばいいんだろう。


少しだけ迷ってから。


「エルディナ様に頼まれて」


僕は正直に言った。


「夜会で、その……」


「エスコート役を」


一瞬、沈黙。


それから。


「ほっほーう」


ガロード兄貴の口元が、にやっと歪んだ。


完全に、面白がっている顔だ。


「なるほどなぁ」


嫌な予感がする。


「レックスもついに――」


そこまで言いかけたところで。


コンコン。


扉が叩かれた。


「ガロード様」


外から声がする。


「アルベリオ様の使いでございます」


兄貴が舌打ちした。


「ちっ、もう来たか」


扉が開き、使いの人が入ってくる。


どうやら、夜会用の準備らしい。


「着替えにご案内いたします」


「……分かった」


ガロード兄貴は立ち上がった。


「あとでな、レックス」


意味深な笑みを残して、部屋を出ていく。


僕は、なんとなく嫌な予感を覚えた。


そして。


その予感は、すぐに現実になった。


コンコン。


また扉が叩かれる。


「レックス様」


扉の向こうから、聞き覚えのある声。


「エルディナ様の侍女でございます」


……来た。


「お迎えにあがりました」


逃げられない。


僕は、ゆっくり立ち上がった。


そして。


このあと僕は――人生で一番大変な着替えをすることになる。


まだこの時の僕は。


それを、まったく知らなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「レックス様、こちらへ」


エルディナ様の侍女さんに案内され、僕は屋敷の奥へと連れていかれた。


廊下をいくつも曲がる。


そして。


案内されたのは、かなり広い部屋だった。


大きな鏡。


整然と並べられた衣装。


見たことのない道具の数々。


……ここ、何の部屋だろう。


そう思った瞬間。


「いらっしゃい、レックス君」


声がした。


振り向くと。


そこにはミレーネさん。


そして、その横には侍女さんが二人立っていた。


一人は落ち着いた雰囲気の女性。


もう一人は、少し年下の少女だ。


そして――三人とも。


じっと僕を見ていた。


「……えっと?」


思わず固まる。


すると。


侍女の二人が、ゆっくり頷いた。


「なるほど」


「はい」


……何がなるほどなんだろう。


そのまま二人は、僕の周りをぐるりと回る。


まるで、品物を見定める商人みたいだ。


「肩の線は悪くありませんね」


「体幹もしっかりしています」


「腰も細い」


「姿勢も良いですね」


……。


僕、今。


何をされているんだろう。


「ほほう」


その様子を見ていたミレーネさんが、腕を組む。


少し感心したような顔だ。


「思った以上に良い素材じゃないですか」


「でしょう」


落ち着いた侍女さん――クラリッサさんが頷いた。


「これは、ちゃんと整えればかなり伸びしろがあります」


「エルディナ様のご命令です」


今度はもう一人の侍女、ミレイユさんが真剣な顔で言う。


「一切の隙を見せるわけにはいきません」


……。


ちょっと待ってほしい。


話の流れがおかしい。


「えっと……」


僕は恐る恐る聞く。


「僕、何をされるんですか?」


すると。


ミレーネさんが、にやりと笑った。


「決まってるでしょう」


「エルディナ様の完璧な虫よけを作るんですよ」


……虫よけ。


やっぱりそれなんだ。


「さあ、始めます」


クラリッサさんが手を叩く。


その瞬間。


「失礼します」


ミレイユさんが、僕の背後に回った。


「まずは髪から整えましょう」


「え、ちょっと――」


言い終わる前に。


櫛が入る。


さらさらと髪を整えられる。


次に、服。


「こちらを」


差し出されたのは、見たこともないような服だった。


深い紺色の上着。


金の縁取り。


白いシャツ。


「腕を通してください」


「え?」


「早く」


……逆らえない。


僕は言われるまま、着替えた。


次々と服が整えられる。


襟。


袖。


腰のライン。


「うん、やっぱりいいですね」


クラリッサさんが満足そうに頷く。


「顔立ちが整っています」


「少し整えるだけで見違えます」


ミレイユさんも、嬉しそうに言う。


その間にも。


靴。


手袋。


髪。


いろいろ調整される。


僕はもう、完全にされるがままだった。


まるで――着せ替え人形だ。


「ほほう」


ミレーネさんが、近づいてきた。


じっと僕を見る。


そして、少し笑った。


「これは……」


「いい仕事しましたね」


クラリッサさんとミレイユさんが、同時に一歩下がる。


「完成です」


二人とも満足そうだった。


僕は恐る恐る鏡を見る。


……。


誰? 鏡の中には。


見慣れているはずなのに、少し違う自分が立っていた。


髪は整えられ。


服はぴったり合っていて。


姿勢まで、なんだか違う。


「驚いていますね」


クラリッサさんが微笑む。


「素材が良いのですよ、レックス様」


「自信を持ってください」


ミレイユさんも頷いた。


……そんなこと言われても。


落ち着かない。


「では」


ミレーネさんが言った。


「レックス君は、しばらく待機ですね」


「じきにエルディナ様の準備も整います」


僕は、椅子に座らされた。


部屋の空気が、少し静かになる。


そして。


ふと気づく。


……これ。


つまり。


この格好で。


エルディナ様と夜会に行くんだ。


急に。


胸がどきどきしてきた。


かつてない緊張感の中で。


僕は、ただ静かに。


エルディナ様が来るのを待つしかなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ