戦場のような慌ただしさ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王宮の一室。
そこだけは、戦場のような慌ただしさに包まれていた。
勇者一行の出立が決まり、城中の役人たちが走り回っている。
武器庫、厩舎、食料庫、伝令室。
すべてが一斉に動き出していた。
その騒動の中心人物であるアウレリアはというと。
豪奢なソファーに寝転がりながら、葡萄を口に放り込んでいた。
対して、机に向かっているレオニスは、青ざめた顔で羽ペンを動かしている。
「まさか、こんなことになるなんて……」
震えるような溜息。
「レオニス、何してんの?」
呑気な声が飛ぶ。
レオニスは顔を上げずに答えた。
「弟に遺書を書いているんですよ」
「遺書?何で?」
「何でって、当然の備えです」
アウレリアは葡萄を噛みながら首を傾げる。
だが、レオニスに冗談を言っている余裕はなかった。
勇者の儀。
巡礼の地。
三人の聖者。
聞いたこともない単語ばかりだ。
それでも、閲覧を許された古文書を漁った結果だけは理解できた。
過去にも巡礼の地を目指した勇者は存在した。
そして、その多くが帰ってきていない。
記録は曖昧だ。
意図的に消されたような箇所すらある。
だが、それでも分かる。
あれは、行ったら終わりの場所だ。
「僕も強制参加ですよ、君たちの旅に」
「それ!納得してないんだけど」
アウレリアは半身を起こして抗議する。
「フィデリアと二人で旅する予定だったのに!」
「僕に言わないでくださいよ……」
レオニスは心底疲れた声を漏らした。
実際に決まった内容は、アウレリアの想像とは真逆だった。
護衛騎士。
神官。
侍女。
補給部隊。
小規模とはいえ、完全な軍事遠征である。
「思ってたのと全然違うし」
「姫巫女様は国家最大の要人そのものなんです。勝手に連れ歩けるわけないでしょう」
「でも、フィデリアは約束したわよ?」
「だから、その約束を果たすためにも、まず使命を終わらせるんです」
レオニスは机に突っ伏しそうになりながら続ける。
「巡礼の地に行って、儀式を終わらせて、無事に帰ってきてください。そしたら好きなだけ旅してください」
「なんか、うまく丸め込まれてる気がする……」
アウレリアは不服そうだった。
だが、そこへレオニスが何かを思い出したように顔を上げる。
「あ、そうだ」
「ん?」
「アウレリアも着替えてくださいね」
「はぁ?」
心底嫌そうな声。
アウレリアの格好は、相変わらず旅装束だった。
動きやすさ優先。
汚れても構わない服。
勇者というより旅人である。
「内部から苦情が来てるんですよ。“勇者がみすぼらしい”って」
「みすぼらしくないわよ。機能的なだけ」
「王国は機能性より見栄を優先する時があるんです」
「馬鹿じゃない?」
「否定はしません」
即答だった。
「とにかく、お風呂と着替えをお願いします」
「えぇー……」
露骨に嫌そうな顔をするアウレリア。
しかし。
「では、勇者様」
扉が開いた。
次の瞬間、部屋に雪崩れ込んでくる侍女たち。
十人近い。
「なっ――!?」
「湯の準備は整っております!」
「衣装係もお待ちです!」
「髪のお手入れも必要ですね!」
「ちょ、待っ――!」
アウレリアは逃げようとした。
だが、侍女たちの連携は見事だった。
両腕を確保。
背後を封鎖。
そのまま流れるように連行される。
「離しなさいって!敵襲より統率取れてるじゃない!」
「勇者様、お覚悟を!」
「いやぁぁぁぁぁっ!?」
悲鳴が廊下の奥へ消えていく。
その光景を見送りながら、レオニスは静かに目を閉じた。
「……勇者候補たちより、あの侍女たちの方が怖いかもしれない」
誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王宮の大浴場は、朝から妙な熱気に包まれていた。
湯気の向こうで、侍女たちが慌ただしく動き回る。
その中心にいるのは、当然アウレリアだった。
「丈夫な髪ですね、お手入れされてないのに、あまり傷んでない……」
長い黒髪を梳かしながら、一人の侍女が感嘆する。
「お肌もそんなに荒れてないですし」
「すごい……どうなってるんですか?」
「食事とか関係あるのかしら?」
「羨ましい……」
次々と飛び交う声。
アウレリアは浴槽の縁に頬杖をつきながら、半眼になっていた。
「ねぇ、まだー」
完全に飽きている声だった。
だが。
「いえ、まだまだ」
「ええ、まだまだ」
「まだまだです」
侍女たちは真顔で即答した。
逃がす気はない。
アウレリアは、ここでようやく悟った。
この状況では武力が意味をなさない。
危害はない。
だが、数が多い。
しかも全員が使命感に満ちている。
結果。
観念した。
されるがまま、髪を洗われ、磨かれ、香油を塗られ続ける。
「意外と削るところがないですね?」
「素材が良いんですよ、素材が」
「これも勇者効果なのでしょうか……」
「なら、私も勇者目指そうかな」
「やめときなさい、死ぬわよ」
浴場の空気は、もはや祭りだった。
一方。
王宮衣装部屋。
こちらもまた、異様な熱気に包まれている。
大量の布地。
糸。
装飾金具。
白銀の軽装甲。
そして、その中央で針を振るう一人の女性。
「あの人……マジョレーヌ伯爵夫人じゃない?」
若い侍女が小声を漏らす。
「あの有名なスーツ・騎士服を手掛けるスーツ・マイスター?」
「そう。上位貴族を年単位で待たせてる人」
「えぇっ!?」
驚きの声が広がる。
本来なら、王族ですら予約待ちになる人物だ。
そんな大物が、自ら王宮に来ていた。
「何でも、アウレリア様の試合を見て、創作意欲が爆発したとか」
「じゃ、完全オーダーメイド!?」
「しかも素材持ち込みらしいわよ」
「うそっ!?」
「なんなら“金を払うから作らせてくれ”って言ったらしいわ」
「職人怖っ……」
侍女たちがざわつく。
だが、その中心で。
マジョレーヌ伯爵夫人だけは真剣そのものだった。
布を裁つ。
測る。
縫う。
常人なら数日かかる工程を、信じられない速度で進めていく。
その目は獲物を見つけた芸術家の目だった。
「動かないでください」
「ぐぇ」
採寸されていたアウレリアから変な声が漏れる。
腰。
肩。
腕。
次々と測られ、装甲を合わせられていく。
「ここをもう少し細く……いえ、戦闘動作を考えるならこちらですわね……」
「だから、まだ終わんないの?」
「勇者様」
マジョレーヌ伯爵夫人は静かに笑った。
「美しさとは、妥協しない者だけに宿るのです」
「知らないわよ、そんなの……」
完全にぐったりしているアウレリア。
しかし侍女たちの目は輝いていた。
勇者。
選定者。
王国の象徴。
その姿が、今まさに作られている。
誰もが完成を待ち望んでいた。
そして。
白銀の勇者は、もうすぐ誕生する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王宮の一室。
壁一面を使った全身鏡の前で、アウレリアは心底うんざりした顔をしていた。
白銀の胸甲。
青白い多層のスカート装甲。
肘まで覆う滑らかなガントレット。
膝下を包む白銀のブーツ。
旅装束の面影など、もはやどこにもない。
「……なんじゃこりゃ……」
本人の気分とは裏腹に、その姿は完成されていた。
黒に近い茶髪は丁寧に整えられ、後ろで結ばれた髪がさらりと揺れる。
薄く施された化粧は、童顔気味だった顔立ちに凛とした気品を与えていた。
まるで、物語の中から抜け出してきた勇者そのもの。
「素晴らしい……!」
マジョレーヌ伯爵夫人は両手を胸の前で組み、恍惚とした表情で頬を染めていた。
その隣では、化粧を担当したシルク伯爵夫人も満足げに微笑む。
「ええ、完璧ですわ」
「素材が良すぎましたもの」
「この輝き……芸術ですわ……!」
侍女たちも、うっとりした顔で頷き合っている。
誰も彼も艶々していた。
ただ一人、当人を除いて。
「だから、なんであたしが着せ替え人形みたいになってんのよ……」
げんなりとした声が漏れる。
しかし、その抗議を聞く者はいない。
いや、聞いていても無視していた。
「アウレリア様、準備が整いましたので、式典会場へお越しください」
侍女長が恭しく頭を下げる。
アウレリアは、はぁ……と深いため息をついた。
「もう好きにして……」
完全に諦めた声音だった。
一方その頃。
式典会場近くの控室では、レオニスが珍しく落ち着きを失っていた。
「アウレリア、遅いなぁ……」
部屋の中をうろうろ歩き回る。
いつもなら冷静さを崩さない彼が、露骨に苛立っていた。
「本当に面倒くさくなって逃げたんじゃ……」
十分ありえる。
むしろ、かなり高確率でありえる。
レオニスは頭を抱えた。
「ちょっと、アウレリアを探しに行ってもらえませんか?」
侍女たちへ頼む。
だが、誰も動かなかった。
それどころか、全員が妙な顔をしている。
肩が小刻みに震えていた。
「……?」
違和感を覚えた直後。
「……いるわよ、ちゃんと」
不機嫌そのものの声が聞こえた。
「?」
レオニスは反射的に振り返る。
そこに立っていたのは、見覚えのない少女だった。
白銀の装甲を纏い。
青白い布を揺らし。
静かな気品すら漂わせる、美しい少女。
だが、そんな人物に心当たりはない。
「……まさか……」
嫌な予感がした。
「アウレリア……なのか?」
二度見した。
三度見した。
さらに目まで擦った。
「何でも出来ると思ってたけど、幻術まで使えるの?」
「いくらなんでも失礼すぎるわ」
即答だった。
アウレリアは呆れたように頭を掻く。
だが、その仕草だけは見慣れている。
「あー、もう……落ち着かない」
普段の軽装とは違う。
動きづらいわけではない。
むしろ驚くほど身体に馴染んでいる。
それでも、妙に居心地が悪かった。
「……ま、いいわ。行ってくるし」
「う、うん……」
レオニスはまだ現実感を取り戻せていなかった。
アウレリアは、そのまま扉へ向かう。
白銀装甲が灯りを反射する。
青白い布地が静かに揺れる。
そして腰には、黒銀の鞘に収まった聖剣。
扉が開く。
その瞬間。
まるで、“勇者”という存在そのものが歩き出したかのようだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




