勇者を決める決戦
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
闘技場に、静かな緊張が満ちていた。
先ほどまでの喧騒とは違う。
観客たちは息を潜め、これから始まる戦いを待っている。
その空気を裂くように、東側の門が開いた。
現れたのは、グラーディス・エルマナート。
左手には、獅子の紋章が刻まれた巨大な大盾。
右手には、常人なら持ち上げるだけでも苦労するような両手大剣。
長い黒髪が背中で揺れる。
その姿には、ただ立っているだけで周囲を従わせるような威圧感があった。
しかし同時に、どこか静かな憂いも漂わせている。
観客席の一角。
ゼルハインは、その姿を見て口角を吊り上げた。
(王子様、最初から本気だな)
普段のグラーディスなら、まず相手を見定める。
王者として。
迎え撃つ側として。
だが今の彼は違う。
最初から“強敵”としてアウレリアを認めている。
(初めて見たぜ。あの男が、挑戦者みてぇな空気を纏ってんのは)
ゼルハインは知っている。
グラーディスとは、他者の前に立つ者だ。
人を従え、人を導き、人の上に立つ。
そういう種類の男だった。
その男が、真正面から相手へ挑もうとしている。
それだけで、アウレリアという存在の異常さが分かる。
(あの怪物は強いぞ)
ゼルハインは、自分を打ち破った少女を思い出す。
槍の上に立たれた瞬間の感覚。
背筋を走った冷気。
思い出すだけで、血が熱くなる。
(どっちにせよ、勝った方に復讐戦するだけだ)
ゼルハインは獰猛に笑った。
一方で。
イシュリアンは不機嫌そうに眉を寄せていた。
(彼も、私が倒す予定だったのに)
彼女は誰よりもグラーディスを評価している。
王国が最優と定めた男。
騎士として完成された存在。
だからこそ、何度も対策を考えた。
魔法の組み立てを変え。
戦術を練り直し。
勝つためだけに理論を積み上げた。
(ですが、あれはグラーディスとは別種の化け物です)
イシュリアンの脳裏に、アウレリアの姿が浮かぶ。
槍を防げば弓が飛ぶ。
魔法の対抗手段で石を用いる。
常識の外側にいる存在。
(どちらにせよ、次は私が勝つだけです)
イシュリアンは静かに決意を固めた。
その時。
西側の門が開く。
アウレリアが姿を現した。
観客席がざわめく。
「……剣?」
誰かが呟く。
アウレリアが持っていたのは、片手用の長剣だった。
ゼルハイン戦の槍。
イシュリアン戦の弓。
それらとは、また違う武器。
しかも今回は、あの大袋すら持っていない。
完全に軽装だった。
グラーディスは目を細める。
(意表を突くため、という感じではありませんね)
アウレリアは自然な動作で剣を抜く。
そして、鞘を腰のベルトへ固定した。
その仕草には迷いがない。
まるで最初から、この武器を使い慣れているかのようだった。
「私と戦うために、剣を選んだのですか?」
静かな問い。
アウレリアは軽く肩をすくめる。
「そうよ」
あまりにも気軽な返答。
だが、その言葉に嘘は感じられなかった。
(何を考えているか読めませんね)
グラーディスはアウレリアを見据える。
武器を変える理由。
戦い方。
思考。
何もかも掴めない。
だが。
(そんなものは不要です)
必要なのは、ただ一つ。
(あなたが本物か、それとも鍍金か。この剣で試します)
静かに、大剣を構えるグラーディス。
対するアウレリアも、剣先をゆっくり持ち上げる。
闘技場の空気が張り詰めた。
アウレリアVSグラーディス。
勇者を決める最後の戦い。
決勝戦の幕が、ついに上がる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
闘技場の空気が張り詰める。
誰もが理解していた。
これは、ただの試合ではない。
勝者は勇者となる。
姫巫女より聖剣を授かり、王国の象徴となる存在。
名誉。
権力。
富。
すべてを手にする資格を得る戦いだった。
特別席から、その光景をフィデリアは静かに見下ろしていた。
(……アウレリア、本当にここまで来たのですね)
街角で偶然出会った旅人。
素性も分からぬ少女。
その少女は、フィデリアの挑発に真正面から乗った。
そして、本当に決勝まで辿り着いてしまった。
脳裏によみがえる言葉。
『もし、あたしが勇者になったら、フィデリアも旅に付き合いなさい』
あまりにも無茶苦茶な宣言。
だが今となっては、冗談と笑い飛ばせない。
フィデリアは唇を閉ざしたまま、闘技場を見つめる。
「……それでは、最終戦を開始します」
審判役の神官ですら、緊張を隠せていなかった。
静寂。
そして。
「はじめ!」
合図と同時に飛び出したのはアウレリアだった。
一直線。
迷いのない踏み込み。
対するグラーディスは、大盾を前面へ構える。
アウレリアの剣閃が走る。
だが、鋼鉄の盾がそれを阻む。
甲高い金属音。
わずかに、アウレリアの眉が動いた。
次の瞬間。
グラーディスの盾が振り抜かれる。
巨大な質量を伴った一撃。
アウレリアの身体が吹き飛ばされた。
観客席から悲鳴が上がる。
しかし。
アウレリアは空中で身体を捻る。
体勢を崩さない。
そのまま滑るように着地する。
さらに。
着地と同時に地面を蹴った。
爆発的な加速。
一瞬でグラーディスの懐へ潜り込む。
「……すごい」
レオニスの口から、思わず言葉が漏れた。
他に表現が見つからなかった。
眼前で繰り広げられている攻防は、彼の理解を超えていた。
闘技場に響くのは、金属同士がぶつかる轟音のみ。
何度も。
何度も。
観客たちは目で追えない。
ただ火花だけが散っていく。
「……怒涛だな」
ゼルハインだけは、その攻防を見切っていた。
アウレリアの連撃。
一撃ごとに軌道を変え、死角へ滑り込む斬撃。
呼吸する暇すら与えない。
十を超える連続攻撃。
普通なら、どこかで防御が崩れる。
だが。
グラーディスの盾は揺るがない。
「……あれが厄介なんだ」
ゼルハインは低く呟く。
グラーディスは“受け止めない”。
角度で流す。
相手の力を殺し、軌道を逸らす。
さらに武器が流れた瞬間。
視線。
重心。
呼吸。
すべてを僅かに崩す。
受ける。
崩す。
制圧する。
防御主体に見せながら、主導権を握り続ける戦い方。
「……そして、崩れたところを狩る」
ゼルハインの声には苦味が混じっていた。
かつて、自分も同じように崩された。
その瞬間。
グラーディスの大剣が閃く。
超重量の刃。
本来なら両手で扱うだけでも困難な武器。
しかしグラーディスは片手で振るう。
常人離れした筋力。
生まれ持った異常な肉体。
巨大な斬撃がアウレリアへ迫る。
だが。
アウレリアはそれすら真正面から受けなかった。
剣を滑らせるように合わせる。
軌道を逸らし、致命の一撃を流す。
重い斬撃が石床を砕いた。
観客席からどよめきが起こる。
誰も息をすることを忘れていた。
勇者を決める決勝戦。
もはや歓声すら上がらない。
誰も、瞬きを忘れていた。
その戦いは、すでに人の領域を超え始めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
闘技場を包む熱気は、もはや歓声ではなかった。
誰もが、息を呑んでいた。
王国最強と名高いグラーディス・エルマナート。
その男と、無名の旅人が互角以上に斬り結んでいる。
それだけで異常だった。
さらに異常なのは――アウレリアが、一歩も引いていないことだ。
鋼が激突するたび、火花が散る。
グラーディスの大剣は重い。
ただ重いだけではない。
圧力そのものだった。
剣を振るうたびに空気が震え、地面が軋む。
常人なら、剣圧だけで動きが鈍る。
だがアウレリアは違った。
紙一重で斬撃を避ける。
あるいは、最小限で受け流す。
そして間髪入れず踏み込む。
その戦い方に、イシュリアンは理解できないものを見るような顔をしていた。
(どうして、恐怖しないのですか)
グラーディスの戦いは、“押し潰す”戦いだ。
威圧。
圧迫。
選択肢の剥奪。
相手に、自分の敗北を理解させながら追い詰める。
だがアウレリアには、それが通じていない。
「……そして、あの圧倒的膂力から繰り出される剣」
イシュリアンが呟く。
グラーディスの筋繊維密度は常人の十倍。
その怪物じみた肉体が、超重量の剣を振るう。
にもかかわらず、速度は軽戦士級。
普通なら、防御した時点で体勢が崩壊する。
だからこそ、グラーディスは強い。
受ければ崩れる。
避ければ追い込まれる。
理不尽な二択。
それを完成させるのが、王国最強の騎士だった。
「普通なら次第に逃げ場がなくなる、だけど……」
アウレリアは違う。
自ら、剣の間合いの内側へ潜り込む。
危険地帯へ。
死地へ。
まるで、そこが安全圏だと言わんばかりに。
グラーディスの金色の瞳が細められる。
(やはり、常識が通じない)
その瞬間。
グラーディスが大きく後方へ踏み込んだ。
剣を構える。
全身の筋肉が軋みを上げる。
空気が、唸った。
「吹き飛べぇッ!!」
暴風。
まさに台風だった。
グラーディスを中心に、巨大な回転斬撃が放たれる。
観客席の髪が揺れる。
前列の者たちは思わず顔を庇った。
アウレリアの前髪が数本、宙に舞う。
「あれを見切ったというの!」
イシュリアンが立ち上がる。
だが。
「いや、まだ終わってねぇ!」
ゼルハインが叫んだ。
グラーディスの回転は止まらない。
一周目の勢いを乗せたまま、二撃目。
超重量の斬撃が襲い掛かる。
そして。
アウレリアの剣が、弾き飛ばされた。
甲高い音と共に、長剣が宙を舞う。
観客たちは確信した。
終わった、と。
しかし。
(何だ……?)
違和感を覚えたのは、グラーディス本人だった。
軽すぎた。
今の感触は、“奪った”感覚ではない。
(自分から捨てたのか!?)
直後。
アウレリアの左手から、鎖付きの重り――ペンデュラムが放たれる。
空中の剣へ巻き付く。
(武器を回収する気か、そうはさせん!)
グラーディスの意識が、一瞬だけそちらへ向いた。
その瞬間だった。
グラーディスの瞳が見開かれる。
ゴッ――!?
鈍い衝撃音が遅れて響く。
頭蓋を直接殴られたような感覚。
視界が歪む。
平衡感覚が崩れる。
(……何を、された)
膝が震える。
力が入らない。
鈍い視界に映るアウレリアの剣ではない武器。
そして追撃。
二撃目が叩き込まれ、グラーディスの意識は暗転した。
「「あんなのありかよ」」
ゼルハインとイシュリアンの声が重なる。
アウレリアが使ったのは、剣ではない。
腰に差していた“鞘”。
鞘による抜刀術。
否。
抜鞘術というべき奇襲だった。
闘技場の中央。
王国最強の騎士が、ゆっくりと崩れ落ちる。
王国関係者たちは顔を青ざめさせた。
筋書きが。
絶対だったはずの未来が。
音を立てて崩壊していく。
アウレリアは静かにフィデリアを見上げる。
そして。
一本だけ立てていた指を、ゆっくり折り曲げた。
その意味を理解した瞬間。
フィデリアの瞳が、大きく揺れる。
アウレリアVSグラーディス。
勇者を決める決戦は――ここに幕を閉じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




