私が失格になりますから
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
イシュリアン・メルカディアが控室へ戻ると、待ち構えていた教会関係者たちが一斉に声をかけた。
「流石です、イシュリアン様」
「まさに完勝でしたな」
「勇者に最も相応しい」
称賛。
期待。
崇拝にも似た眼差し。
だが、イシュリアンは一瞥すら返さない。
淡々と歩きながら、冷えた視線だけを前へ向ける。
内心では、別のことを考えていた。
――貴方達は、私が負ける心配をしているだけでしょう。
彼らにとって重要なのは、自分ではない。
“教会が選んだ勇者”が誕生すること。
その筋書きが守られること。
「次は、あのゼルハインを破った相手だ。大丈夫なのだろうな?」
神官の一人が不安げに口を開く。
その瞬間。
イシュリアンの空気が、わずかに冷えた。
「私は、ゼルハインにも、グラーディスにも勝つつもりで、挑んでいます」
それ以上、何を言わせるつもりですか。
そんな圧が、静かな声音の奥に滲む。
神官たちは慌てて口を閉ざした。
だが内心では笑っていた。
この少女こそが王国最強。
天才。
勇者に最も近い存在。
そう信じて疑わない。
一方その頃。
「…………すぅ」
アウレリアは寝ていた。
しかも、長椅子に横になって。
袋を枕代わりにして。
完全に熟睡していた。
レオニスは、その姿を眺めながら困惑する。
――……大丈夫か、この人。
何度も常識外れな姿を見せられてきたせいか、少し感覚が麻痺してきている。
だが、それでもこれは理解しがたい。
つい先ほど、王国最強格のゼルハインを打倒した人間が。
次の試合前に昼寝している。
「次の出番まで、ちょっと寝る」
「寝る!?」
「まだ時間あるでしょ」
そう言って本当に眠った。
そして今に至る。
レオニスは思う。
傍若無人。
自由奔放。
人の話を聞かない。
だが、寝顔だけは年相応だった。
どこにでもいる少女のように、無防備だった。
その間にも試合は進む。
第三戦。
王国が推した勇者候補が順当に勝利。
第四戦。
グラーディス・エルマナートが危なげなく勝利した。
「順当だな……」
レオニスは小さく呟く。
本来、王国の筋書きは明確だった。
ゼルハインとイシュリアン。
二人の怪物をぶつけ、消耗させる。
その後で、万全のグラーディスが勝つ。
王国が最も望む形。
勇者として最も映える王子。
誰もが納得する英雄譚。
だが。
そこへ、アウレリアが現れた。
レオニスは眠る少女を見る。
黒い髪。
無防備な寝顔。
だが、その実態は怪物じみた武人。
――もし。
もし彼女がイシュリアンにも、グラーディスにも勝ったら。
この国はどうなる。
勇者の儀はどう変わる。
そこまで考えたところで、レオニスは首を振った。
流石に無理だ。
ゼルハインを破ったとはいえ、イシュリアンは別格。
魔術師である彼女は、間違いなく対策を用意している。
イシュリアンは感情で戦う人間ではない。
勝つための準備を積み重ねる。
そういう種類の強者だ。
その時だった。
「ん……!?どのくらい時間たった?」
突然、アウレリアが飛び起きた。
寝癖混じりのまま、きょろきょろしている。
まだ完全に覚醒していないのか、呂律も怪しい。
「一時間くらいです。そろそろ起こそうと思ってました」
「そっかー、結構寝たな。回復した、ありがと」
アウレリアは立ち上がる。
肩を回し。
腰をひねり。
身体をほぐしていく。
「いやぁ、戦う準備が出来る分、試合って楽ね」
まるで野外訓練にでも向かうような気楽さだった。
そして。
ゼルハイン戦の時と同じ、大きな袋を引きずって歩き出す。
レオニスの視線が、その袋へ向いた。
――ゼルハイン戦では使わなかった。
なら、中には何が入っている?
武器か。
それとも別の何かか。
疑問を抱く中。
地下闘技場では次の試合の準備が進む。
アウレリア。
対。
イシュリアン・メルカディア。
二人の勇者候補による対決が、今始まろうとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
闘技場の中央。
石畳の上で向かい合う二人の少女は、周囲の熱狂とは裏腹に、妙に噛み合わない会話を続けていた。
片や、巨大な袋と槍を持った無名の少女。
片や、教会が誇る天才魔術師。
互いに睨み合っているはずなのに、空気だけが妙にずれている。
「ねぇ、いくつか聞いていい?」
槍を肩に担いだまま、アウレリアが気軽に尋ねる。
「降参の言葉しか聞きません」
イシュリアンは杖を抱え、淡々と返した。
「何で、あたしのこと嫌ってるの?」
「降参の言葉でないなら、聞き入れられません」
「もう、話になんないじゃない!」
観客席のあちこちで失笑が漏れる。
勇者候補同士の対決。
そのはずなのに、やっていることは子供の口喧嘩だった。
だが。
イシュリアンの瞳だけは笑っていない。
「どのみち、あなたは私に平伏すのです」
静かな声音。
しかし、その奥には確かな敵意があった。
「わかったわよ」
「わかったら、降参しなさい」
「わかったわよ、もう聞くのやめた!」
アウレリアは槍を構えた。
空気が変わる。
「無理やり、後で吐かせる!」
その瞬間。
「始め!」
審判の声が響いた。
イシュリアンは即座に杖を掲げる。
「教えてあげます。貴方を嫌う理由!」
「答えてくれんの!?」
「貴方のような、不潔で不衛生な存在が、姫巫女フィデリア様の横に立つなど耐えられない!」
「何それ!?」
アウレリアの顔が本気で引きつった。
観客席もざわつく。
もっと高尚な理由を想像していた者が多かったのだろう。
しかしイシュリアンは真剣だった。
「自在盾!」
四枚の巨大な魔力障壁が出現する。
石碑のような半透明の壁。
それが四方向からアウレリアを押し潰すように迫った。
「それは見た!」
アウレリアは地を蹴る。
普通なら回避不能。
だが彼女は、壁が閉じ切る寸前の僅かな隙間へ身体を滑り込ませた。
「上手いけど、人間技じゃない!?」
レオニスが思わず声を漏らす。
壁を避けたのではない。
動きの流れを読んで、わざと壁同士を衝突させたのだ。
鈍い衝撃音。
互いに干渉した魔力壁が、一瞬だけ動きを鈍らせる。
その隙を、アウレリアは見逃さない。
一息で間合いを詰めた。
槍の穂先が一直線にイシュリアンの喉へ走る。
だが。
ガギィンッ!
突如現れた半透明の盾が、その一撃を防いだ。
イシュリアンは一歩も動いていない。
「私の自動防御を突破することは出来ません」
アウレリアが本気で嫌そうな顔をした。
「そんなん、ズルすぎだろ!」
レオニスは額を押さえる。
つまり。
イシュリアンは魔力感知によって敵意を察知し、自動で防御魔法を発動させているのだ。
反応ではない。
迎撃そのものが無意識。
もはや常人の領域ではなかった。
一方のアウレリアは止まらない。
横。
下段。
背後へ回り込みながらの連撃。
あらゆる角度から槍を叩き込む。
だが、その全てが魔力盾に阻まれる。
「武器の攻撃など、私には届きません」
イシュリアンの周囲に、無数の光球が浮かび上がった。
空気が震える。
「これは圧縮した空気の塊です」
「安心してください、殺傷能力は低いです」
淡々と。
本当に授業でもするような口調で続ける。
「痛いですが、死にはしません。私が失格になりますから」
次の瞬間。
空気弾が豪雨のように放たれた。
逃げ場を埋め尽くす飽和攻撃。
闘技場全体に衝撃音が連続する。
観客たちは確信する。
勝負は決まった、と。
この試合は、一方的な蹂躙で終わる。
そう見えた。
ただ一人。
アウレリアだけを除いて。
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