完全に喧嘩売られてる?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
槍の穂先が空気を裂く。
低く、鋭い唸り。
ゼルハインが石床を踏み込んだ瞬間、闘技場の空気そのものが沈んだ。
「今度はこっちから行くぜ、ついて来いよ!」
次の瞬間。
ゼルハインの姿が掻き消える。
観客席から悲鳴にも似たどよめきが上がった。
速すぎる。
いや、違う。
踏み込みと同時に、既に間合いへ到達しているのだ。
金属音が炸裂する。
火花が散った。
アウレリアの槍が、横合いから放たれた突きを弾き返す。
さらに背後。
死角から放たれた追撃。
だが、アウレリアは振り向きもしない。
槍の石突で受け流す。
「……まだついてきやがる!」
ゼルハインの口角が吊り上がる。
歓喜だった。
今までの相手は、自分の速度に対応すらできなかった。
だが、この少女は違う。
観客たちがざわめく。
無名の少女。
それが、王国最強格の騎士と互角以上に渡り合っている。
アウレリアの呼吸が変わる。
深く。
静かに。
その瞬間、ゼルハインの背筋を冷たいものが走った。
(何だ、こいつの目は)
獣とも違う。
殺気とも違う。
ただ、澄み切っている。
次の瞬間。
アウレリアの身体が、ゆらりと揺れた。
そして消える。
「っ!?」
背後。
ゼルハインは反射で槍を回した。
重い衝撃。
受け止める。
だが。
(完全じゃねぇが……俺と同じ動きと攻撃だと!?)
模倣。
しかも戦闘中に盗んでいる。
観客席から野次が飛んだ。
「何をしているゼルハイン!遊ぶな!次があるんだぞ!」
だが、耳に入らない。
ゼルハインは理解していた。
目の前の敵から、一瞬でも意識を外せば終わる。
(王子様……こいつぁ異物なんてもんじゃねぇ)
(人の皮を被った怪物だ)
ゼルハインが槍を突き出す。
一直線。
空気を貫通するような刺突。
石床が砕け、衝撃で砂塵が巻き上がる。
だが。
「――っ!?」
同時。
まったく同じ軌道で、アウレリアの槍が放たれていた。
穂先同士が空中で激突する。
甲高い破砕音。
次の瞬間、ゼルハインの槍先が砕け飛んだ。
カウンター。
わずかに押し負けた。
「面白れぇ……認めるよ」
ゼルハインは大きく後ろへ跳ぶ。
赤い瞳が獰猛に細まった。
「たまらねぇな」
全身から闘気が溢れる。
「見せてやるぜ!」
地を蹴る。
音より先に槍が届く。
観客には、“移動した”という過程すら見えない。
そこに現れた。
それだけだった。
だが。
槍は空を切る。
「どこだ!」
ゼルハインの視界から、アウレリアが完全に消えた。
一騎打ちで。
真正面の戦場で。
あり得ない。
左右。
後方。
上空。
どこにもいない。
その時。
槍に異常な重みがかかった。
「馬鹿な!?」
ゼルハインが目を見開く。
アウレリアがいた。
ゼルハインの槍の上に。
片足で立っている。
そこは、防御不能の間合い。
近すぎる。
槍ではもう迎撃できない。
アウレリアの槍が走る。
一撃目。
眉間。
二撃目。
喉。
寸止めに近い精密な二段突き。
しかし威力は十分だった。
ゼルハインの意識が刈り取られる。
巨体が揺れた。
それでも倒れない。
気絶したまま、なお立っている。
アウレリアは目を丸くした。
「あれで倒れないなんて、流石勇者候補ってやつだね」
感心したように笑う。
そのまま、特別席のフィデリアへ視線を向けた。
そして指を三本立てる。
一つ目を折った。
残り二人。
そういう意味だった。
フィデリアは静かに目を閉じる。
何も言わない。
だが、その沈黙こそが衝撃を物語っていた。
アウレリアVSゼルハイン。
勝者、アウレリア。
闘技場は静まり返っていた。
観客たちは、歓声すら忘れていたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地下闘技場に満ちていた熱狂は、今や静まり返っていた。
誰もが、ゼルハインの勝利を疑っていなかった。
王国騎士団最強。
未冠の武神。
その異名は伊達ではない。
だからこそ、誰も理解できなかった。
その男が、たった今、無名の少女に敗れたという事実を。
アウレリアは周囲の視線など気にも留めず、大きな袋を引きずりながら歩いていく。
来た時と同じ足取り。
勝者とは思えないほど、自然体だった。
騎士団関係者たちは顔を青ざめさせている。
神官ですら、実況を続ける言葉を失っていた。
それほどまでに、今の試合は衝撃だった。
アウレリアが入場口へ戻った時だった。
一人の少女が、静かに立っていた。
長い淡紫の髪。
黒と紫を基調とした魔術師のローブ。
感情を感じさせない紫の瞳。
イシュリアン・メルカディア。
教会が抱える、最強の魔術師。
少女はアウレリアを見るなり、淡々と言い放つ。
「思ったより腕は立つようですが、私の敵ではありません」
その声音に怒りはない。
ただ、事実を述べているだけのようだった。
そして、細い指先をアウレリアへ向ける。
「そして、イシュリアンの名を記憶に刻みなさい」
一方的な宣戦布告だった。
言うだけ言って、イシュリアンは闘技場へ向かって歩いていく。
振り返りもしない。
アウレリアは、その背中を見送りながら首を傾げた。
「うーん、可愛いのに、そっち系なのかな」
妙に残念そうな感想だった。
「……正直、勝つと思いませんでした」
横から声が飛ぶ。
レオニスだった。
彼は複雑そうな顔をしている。
当然だった。
レオニスはゼルハインの強さを知っている。
王国騎士団でも頂点クラス。
あれほどの怪物を、真正面から打ち倒すなど普通はあり得ない。
「……うん、強かったわよ」
アウレリアは珍しく真面目な顔で大きく息を吐いた。
だが次の瞬間には、もう別のことを気にしている。
「それより、彼女、何?あたし、えらい嫌われてるみたいだけど?何でかな?」
「イシュリアン・メルカディア。彼女も優勝候補の一人です」
「強いの?」
「見れば分かります。……たぶん、すぐ終わりますよ」
レオニスの視線が闘技場へ向く。
既にイシュリアンは中央に立っていた。
対戦相手は、予選を勝ち抜いた剣士。
かなり疲労は残るが、かなりの実力者であることは伺える。
だが、彼の顔には既に焦りが浮かんでいた。
「はじめ!」
開始の合図。
瞬間。
剣士の身体が吹き飛んだ。
「……は?」
アウレリアが間抜けな声を漏らす。
剣士の周囲に、半透明の魔力障壁が三方向から展開されていた。
壁が押し潰すように迫る。
剣士は必死に剣を振るう。
だが、砕けない。
逃げ場もない。
「移動阻害と圧縮拘束、もう駄目でしょうね」
レオニスが説明する。
「え、なにそれ、性格悪……」
アウレリアが素直な感想を漏らした。
だが、絶望はそれだけでは終わらなかった。
イシュリアンが静かに杖を掲げる。
次の瞬間。
無数の魔力球が、剣士の周囲を取り囲んだ。
上下左右。
完全包囲。
逃げれば撃たれる。
動かなければ押し潰される。
完璧な詰みだった。
「えぐい、嵌め技……」
アウレリアが顔を引きつらせる。
闘技場の剣士は、完全に戦意を失っていた。
その時点で審判が勝敗を宣言する。
「勝者、イシュリアン・メルカディア!」
歓声が上がる。
だがイシュリアン本人は当然と言わんばかりに無反応だった。
そして。
ゆっくりとアウレリアの方を見る。
親指を下へ向けた。
明確な敵意。
明確な挑発。
「……あ、あたし完全に喧嘩売られてる?」
「売られてますね」
レオニスが即答した。
アウレリアは困ったように頭を掻く。
そんな彼女の前に、二人目の勇者候補が立ち塞がった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




