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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
フィデリア編
78/130

理解不能

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



本戦用の控室は、外の熱狂とは別世界のように静かだった。


厚い石壁に囲まれた部屋。


窓の外からは歓声が響いている。


だが、その場にいる三人は誰一人として浮かれていなかった。


グラーディス・エルマナートは、静かに扉を閉める。


長い黒髪がさらりと揺れた。


すると、部屋の奥から声が飛ぶ。


「よう、王子様、来たのか」


壁際に腰掛けていた男が、赤い瞳を向けた。


ゼルハイン・ヴァスリク。


王国騎士最強。


王国が誇る槍の使い手だった。


銀に近い淡青色の髪。


猛獣のような目。


だが口元には、余裕を崩さない笑みが浮かんでいる。


「姫巫女の警護もご苦労なことだな」


「ええ、役目ですので」


グラーディスは柔らかく微笑む。


その笑みを見て、ゼルハインは鼻で笑った。


「その余裕ぶった面も、決勝で外してやるよ」


「それは楽しみです」


互いに笑っている。


だが、その空気は鋭い。


二人とも理解していた。


口先だけの相手ではない。


王国最強候補。


その名に恥じぬ実力者同士だった。


「ま、その前に例の嬢ちゃんがいるがな」


ゼルハインが顎をしゃくる。


その視線の先。


窓際の椅子に、一人の少女が座っていた。


淡紫の長髪。


ローブに包まれた身体。


分厚い本を膝に乗せ、静かにページをめくっている。


イシュリアン・メルカディア。


教会が秘蔵してきた天才魔導士だった。


グラーディスが視線を向けても、反応はない。


まるで興味がない。


完全な無視だった。


「うるさいですよ。少し静かにしてください」


ぱたり、と本が閉じる。


感情の薄い声。


だが静かな圧があった。


ゼルハインは肩を竦める。


「相変わらず愛想ねぇな」


「あなたが騒がしいだけです」


「ハッ、言うじゃねぇか」


三人。


王国が選び抜いた勇者候補。


誰が勇者になってもおかしくない。


少なくとも王国側は、そのつもりで舞台を整えていた。


グラーディスは、ふと口元に笑みを浮かべる。


その脳裏に浮かんでいたのは、予選会場で暴れていた少女。


砂色のクローク。


飄々とした態度。


そして、異常な強さ。


「何笑ってんだ、王子様」


ゼルハインが怪訝そうに聞く。


「笑っていましたか、私は」


「自覚なしかよ」


グラーディスは少しだけ考え、そして二人へ向き直った。


「一人、とんでもないのがこの茶番に混ざっています」


空気が変わる。


ゼルハインの赤い瞳が細まった。


「……何言ってんだ?」


「私と当たる前に、消えないでほしい相手です」


「ほぉ?」


ゼルハインの口元が吊り上がる。


強敵。


その言葉だけで十分だった。


「何だよ、そいつ」


「わかりません」


グラーディスは静かに答える。


それが本音だった。


理解できない。


測れない。


だからこそ、気になって仕方がない。


本来、この勇者選定は茶番だった。


民へ希望を見せるための舞台。


王国にとって都合の良い勇者を選ぶための儀式。


グラーディスも理解していた。


だからこそ、自分が勇者になるつもりだった。


理想の勇者がいないなら、自分が演じればいい。


王族として。


民を導く存在として。


そう決めていた。


だが、アウレリアは違った。


あれは作られた偶像ではない。


本物だ。


だからこそ恐ろしい。


グラーディスは、自分の胸の奥にある感情を自覚していた。


高揚。


期待。


そして歓喜。


未知の存在に出会ってしまった昂ぶりだった。


その空気は、ゼルハインにも伝染する。


「へぇ……グラーディスがそこまで言うか」


彼の目付きが変わる。


獣の目だ。


「グラーディスとの試合以外、全部前座だと思ってたが……期待していいってことだな?」


「保証はできません」


「十分だ」


ゼルハインは笑った。


獰猛に。


楽しそうに。


「強敵上等だ」


「勇者は強くなくちゃ意味がねぇ」


「なら、最強の俺がなるしかねぇだろ」


一方。


イシュリアンは再び本を開いていた。


二人の会話にも興味を示さない。


だが、紫の瞳だけは静かに揺れている。


勇者とは、崇高であるべき存在。


人々を導く光。


ならば相応しくない者に渡すわけにはいかない。


もし誰もその資格を持たないなら――。


「……私がなるまでです」


小さな呟きは、誰にも届かない。


王国最強クラスの三人。


その前に現れた異物。


アウレリア。


まだ誰も知らない。


彼女という存在が、自分たちの価値観すら変えてしまうことを。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



王都の勇者選定会場、その一角に設けられた控室周辺は、予選会終了後も異様な熱気に包まれていた。


原因は一人。


突如現れた無名の少女、アウレリアである。


彼女は予選会で、三百名規模の乱戦をほぼ一方的に制圧した。


しかも、武器すら持たずに。


その衝撃は、会場中を駆け巡っていた。


だからこそ、アウレリアは今、ひどく後悔していた。


「お腹すいた……」


切実だった。


予選会を終えた途端、どっと空腹が押し寄せてきたのである。


そこで案内役の神官に食事処を尋ねた。


すると、本戦出場者には無料の食堂が用意されているという。


アウレリアは即座に機嫌を直した。


「やった、無料!」


単純だった。


鼻歌でも歌いそうな勢いで控室を出た。


だが。


廊下へ踏み出した瞬間、待ち構えていたように人影が押し寄せる。


「君! ぜひ我が騎士団へ!」


「いや、我が家に仕えろ!」


「どこでその槍術を学んだ!」


「先ほどの勝負、私は認めんぞ!」


「私の弟子になれ!」


「お前とは宿命を感じる!」


次々と飛んでくる声。


囲まれる。


押される。


肩を掴まれる。


「ちょ、近い近い近い!」


アウレリアは引きつった笑みを浮かべた。


本来、口では負けない性格である。


だが今回ばかりは相手の数が多すぎた。


しかも、誰一人として人の話を聞かない。


「いやだから、お腹――」


「君の筋力は!」


「体術主体か!?」


「王国に仕える気は!」


「うわっ、酔っ払いより面倒くさい!」


半ば本気で逃げ腰になった、その時だった。


「はい、そこまでです。本戦出場者から離れてください」


静かな声が割って入る。


同時に、人混みの間へ一人の少年が滑り込んできた。


淡い銀髪。


穏やかな顔立ち。


威圧感はまるでない。


だが不思議と、その場の空気が引いた。


「姫巫女様より、本戦出場者には休息を取らせるよう命じられています」


柔らかな口調だった。


しかし、反論を許さない響きがあった。


少年はそのままアウレリアの手を引き、人波から連れ出す。


ようやく解放されたアウレリアは、大げさに息を吐いた。


「いやぁ、助かったぁ……」


本気でぐったりしていた。


「あいつら質の悪い酔っ払いより酷いわ……」


「お疲れ様です」


少年は苦笑する。


その反応が妙に落ち着いていて、アウレリアは少し目を丸くした。


「ねぇ、あんた名前は?」


「王国文官のレオニスです」


「へぇ。あたしはアウレリア」


「そんなこと知っていますよ」


「あれ、初対面よね?」


「私はこの儀式の進行役の一人ですから」


あまりにも自然な返しだった。


アウレリアは納得したように頷く。


「あ、そっか」


そして次の瞬間には、けろりと笑った。


「じゃあ、お礼にご飯奢ってあげる!」


「無理です」


即答だった。


「勇者候補者用ラウンジは、私は入れません。それに食事代も無料です」


「あ」


図星だった。


アウレリアの表情が露骨に固まる。


レオニスは小さくため息をついた。


「君、本当に勇者候補なんですか?」


予選会の戦いは見ていた。


あれほどの実力。


常識外れだった。


だが実際に話してみると、妙に緊張感がない。


まるで旅芸人か何かと会話している気分になる。


「別に。フィデリアがやってみろって言ったから参加しただけだし」


「そんな話、誰も信じませんよ」


レオニスは即座に否定した。


「それに姫巫女様が、そんな風に誰かへ話しかけるわけないじゃないですか」


「姫巫女って誰?」


「フィデリア様です。本気で知らないんですか!?」


「え、フィデリアってそんな偉い人だったの?」


アウレリアは純粋に驚いていた。


演技には見えない。


レオニスは頭痛を覚えた。


(名誉や勇者の称号に興味がないのか?)


「……王国中の人間が知っていますよ」


「へぇ」


「それに、姫巫女様は誰かと積極的に会話する方ではありません」


「ほんとに?」


「本当です」


アウレリアは急に黙り込んだ。


どこか考え込むような顔になる。


その横顔を見ながら、レオニスもまた困惑していた。


予選会で見せた圧倒的な強さ。


だが本人は、まるでそれを特別だと思っていない。


そして、姫巫女フィデリアとも自然に接している。


「まず、ご飯食べたいから、そこまで案内してよ」


(本当に……何なんだ、この人は)


理解不能。


それが、レオニスの抱いた率直な感想だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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