理解不能
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
本戦用の控室は、外の熱狂とは別世界のように静かだった。
厚い石壁に囲まれた部屋。
窓の外からは歓声が響いている。
だが、その場にいる三人は誰一人として浮かれていなかった。
グラーディス・エルマナートは、静かに扉を閉める。
長い黒髪がさらりと揺れた。
すると、部屋の奥から声が飛ぶ。
「よう、王子様、来たのか」
壁際に腰掛けていた男が、赤い瞳を向けた。
ゼルハイン・ヴァスリク。
王国騎士最強。
王国が誇る槍の使い手だった。
銀に近い淡青色の髪。
猛獣のような目。
だが口元には、余裕を崩さない笑みが浮かんでいる。
「姫巫女の警護もご苦労なことだな」
「ええ、役目ですので」
グラーディスは柔らかく微笑む。
その笑みを見て、ゼルハインは鼻で笑った。
「その余裕ぶった面も、決勝で外してやるよ」
「それは楽しみです」
互いに笑っている。
だが、その空気は鋭い。
二人とも理解していた。
口先だけの相手ではない。
王国最強候補。
その名に恥じぬ実力者同士だった。
「ま、その前に例の嬢ちゃんがいるがな」
ゼルハインが顎をしゃくる。
その視線の先。
窓際の椅子に、一人の少女が座っていた。
淡紫の長髪。
ローブに包まれた身体。
分厚い本を膝に乗せ、静かにページをめくっている。
イシュリアン・メルカディア。
教会が秘蔵してきた天才魔導士だった。
グラーディスが視線を向けても、反応はない。
まるで興味がない。
完全な無視だった。
「うるさいですよ。少し静かにしてください」
ぱたり、と本が閉じる。
感情の薄い声。
だが静かな圧があった。
ゼルハインは肩を竦める。
「相変わらず愛想ねぇな」
「あなたが騒がしいだけです」
「ハッ、言うじゃねぇか」
三人。
王国が選び抜いた勇者候補。
誰が勇者になってもおかしくない。
少なくとも王国側は、そのつもりで舞台を整えていた。
グラーディスは、ふと口元に笑みを浮かべる。
その脳裏に浮かんでいたのは、予選会場で暴れていた少女。
砂色のクローク。
飄々とした態度。
そして、異常な強さ。
「何笑ってんだ、王子様」
ゼルハインが怪訝そうに聞く。
「笑っていましたか、私は」
「自覚なしかよ」
グラーディスは少しだけ考え、そして二人へ向き直った。
「一人、とんでもないのがこの茶番に混ざっています」
空気が変わる。
ゼルハインの赤い瞳が細まった。
「……何言ってんだ?」
「私と当たる前に、消えないでほしい相手です」
「ほぉ?」
ゼルハインの口元が吊り上がる。
強敵。
その言葉だけで十分だった。
「何だよ、そいつ」
「わかりません」
グラーディスは静かに答える。
それが本音だった。
理解できない。
測れない。
だからこそ、気になって仕方がない。
本来、この勇者選定は茶番だった。
民へ希望を見せるための舞台。
王国にとって都合の良い勇者を選ぶための儀式。
グラーディスも理解していた。
だからこそ、自分が勇者になるつもりだった。
理想の勇者がいないなら、自分が演じればいい。
王族として。
民を導く存在として。
そう決めていた。
だが、アウレリアは違った。
あれは作られた偶像ではない。
本物だ。
だからこそ恐ろしい。
グラーディスは、自分の胸の奥にある感情を自覚していた。
高揚。
期待。
そして歓喜。
未知の存在に出会ってしまった昂ぶりだった。
その空気は、ゼルハインにも伝染する。
「へぇ……グラーディスがそこまで言うか」
彼の目付きが変わる。
獣の目だ。
「グラーディスとの試合以外、全部前座だと思ってたが……期待していいってことだな?」
「保証はできません」
「十分だ」
ゼルハインは笑った。
獰猛に。
楽しそうに。
「強敵上等だ」
「勇者は強くなくちゃ意味がねぇ」
「なら、最強の俺がなるしかねぇだろ」
一方。
イシュリアンは再び本を開いていた。
二人の会話にも興味を示さない。
だが、紫の瞳だけは静かに揺れている。
勇者とは、崇高であるべき存在。
人々を導く光。
ならば相応しくない者に渡すわけにはいかない。
もし誰もその資格を持たないなら――。
「……私がなるまでです」
小さな呟きは、誰にも届かない。
王国最強クラスの三人。
その前に現れた異物。
アウレリア。
まだ誰も知らない。
彼女という存在が、自分たちの価値観すら変えてしまうことを。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王都の勇者選定会場、その一角に設けられた控室周辺は、予選会終了後も異様な熱気に包まれていた。
原因は一人。
突如現れた無名の少女、アウレリアである。
彼女は予選会で、三百名規模の乱戦をほぼ一方的に制圧した。
しかも、武器すら持たずに。
その衝撃は、会場中を駆け巡っていた。
だからこそ、アウレリアは今、ひどく後悔していた。
「お腹すいた……」
切実だった。
予選会を終えた途端、どっと空腹が押し寄せてきたのである。
そこで案内役の神官に食事処を尋ねた。
すると、本戦出場者には無料の食堂が用意されているという。
アウレリアは即座に機嫌を直した。
「やった、無料!」
単純だった。
鼻歌でも歌いそうな勢いで控室を出た。
だが。
廊下へ踏み出した瞬間、待ち構えていたように人影が押し寄せる。
「君! ぜひ我が騎士団へ!」
「いや、我が家に仕えろ!」
「どこでその槍術を学んだ!」
「先ほどの勝負、私は認めんぞ!」
「私の弟子になれ!」
「お前とは宿命を感じる!」
次々と飛んでくる声。
囲まれる。
押される。
肩を掴まれる。
「ちょ、近い近い近い!」
アウレリアは引きつった笑みを浮かべた。
本来、口では負けない性格である。
だが今回ばかりは相手の数が多すぎた。
しかも、誰一人として人の話を聞かない。
「いやだから、お腹――」
「君の筋力は!」
「体術主体か!?」
「王国に仕える気は!」
「うわっ、酔っ払いより面倒くさい!」
半ば本気で逃げ腰になった、その時だった。
「はい、そこまでです。本戦出場者から離れてください」
静かな声が割って入る。
同時に、人混みの間へ一人の少年が滑り込んできた。
淡い銀髪。
穏やかな顔立ち。
威圧感はまるでない。
だが不思議と、その場の空気が引いた。
「姫巫女様より、本戦出場者には休息を取らせるよう命じられています」
柔らかな口調だった。
しかし、反論を許さない響きがあった。
少年はそのままアウレリアの手を引き、人波から連れ出す。
ようやく解放されたアウレリアは、大げさに息を吐いた。
「いやぁ、助かったぁ……」
本気でぐったりしていた。
「あいつら質の悪い酔っ払いより酷いわ……」
「お疲れ様です」
少年は苦笑する。
その反応が妙に落ち着いていて、アウレリアは少し目を丸くした。
「ねぇ、あんた名前は?」
「王国文官のレオニスです」
「へぇ。あたしはアウレリア」
「そんなこと知っていますよ」
「あれ、初対面よね?」
「私はこの儀式の進行役の一人ですから」
あまりにも自然な返しだった。
アウレリアは納得したように頷く。
「あ、そっか」
そして次の瞬間には、けろりと笑った。
「じゃあ、お礼にご飯奢ってあげる!」
「無理です」
即答だった。
「勇者候補者用ラウンジは、私は入れません。それに食事代も無料です」
「あ」
図星だった。
アウレリアの表情が露骨に固まる。
レオニスは小さくため息をついた。
「君、本当に勇者候補なんですか?」
予選会の戦いは見ていた。
あれほどの実力。
常識外れだった。
だが実際に話してみると、妙に緊張感がない。
まるで旅芸人か何かと会話している気分になる。
「別に。フィデリアがやってみろって言ったから参加しただけだし」
「そんな話、誰も信じませんよ」
レオニスは即座に否定した。
「それに姫巫女様が、そんな風に誰かへ話しかけるわけないじゃないですか」
「姫巫女って誰?」
「フィデリア様です。本気で知らないんですか!?」
「え、フィデリアってそんな偉い人だったの?」
アウレリアは純粋に驚いていた。
演技には見えない。
レオニスは頭痛を覚えた。
(名誉や勇者の称号に興味がないのか?)
「……王国中の人間が知っていますよ」
「へぇ」
「それに、姫巫女様は誰かと積極的に会話する方ではありません」
「ほんとに?」
「本当です」
アウレリアは急に黙り込んだ。
どこか考え込むような顔になる。
その横顔を見ながら、レオニスもまた困惑していた。
予選会で見せた圧倒的な強さ。
だが本人は、まるでそれを特別だと思っていない。
そして、姫巫女フィデリアとも自然に接している。
「まず、ご飯食べたいから、そこまで案内してよ」
(本当に……何なんだ、この人は)
理解不能。
それが、レオニスの抱いた率直な感想だった。
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