大予選会
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王都中央大聖堂の前に設置された巨大な武舞台には、朝から熱気が渦巻いていた。
集まった人数は三百を超える。
若者。
傭兵。
貴族の子息。
名を売りたい者。
一攫千金を夢見る者。
そして、本気で勇者になれると信じている者。
人々の欲望が、渦のようにそこへ集まっていた。
その様子を、フィデリアは高い壇上の席から静かに見下ろしていた。
透き通る青緑の瞳が、人混みの中の一人を見つける。
砂色のクローク。
頭に巻かれたターバン。
どこか旅芸人のような軽装。
アウレリアだった。
そしてアウレリアもまた、フィデリアの視線に気づく。
次の瞬間。
まるで街角で知人を見つけたかのような気軽さで、ぶんぶんと手を振ってきた。
(……逃げずに、来ましたね)
フィデリアは小さく目を細める。
あれほど勇者に興味を示していなかった少女が、本当に参加するとは思っていなかった。
だが。
(……現実を知って、人間として改めなさい)
どこか試すような感情もあった。
この場所は遊びではない。
才能だけでどうにかなるほど甘くもない。
「姫巫女様。本日は随分とご機嫌がよろしいようですね」
穏やかな声が隣から届く。
フィデリアが振り向くと、そこには一人の青年が立っていた。
長い黒髪。
光を受けて紫がかる絹糸のような髪。
伏し目がちな金色の瞳。
そして、作り物めいたほど整った容姿。
グラーディス・エルマナート。
王国が勇者候補として推挙した男。
予選会を免除された、四人のシード選手の一人。
もっとも勇者に近い存在と噂されている人物だった。
「いえ。そのようなことはありません」
フィデリアは淡々と返す。
だが内心では別のことを考えていた。
(これが茶番であることに、違いはないのだから)
三百人を超える参加者。
しかし、本当に勇者になれる可能性がある者など、ごく僅か。
王国は最初から、選びたい者を決めている。
「予選会を突破できるのは四名。狭き門です」
グラーディスは静かに溜息を吐いた。
その表情には、どこか冷めた色がある。
彼も理解しているのだ。
(茶番だな)
本日の予選。
そこで四名を選出。
翌日に本戦。
八名によるトーナメント。
だが実際には、公平でも何でもない。
シード選手は万全の状態。
予選組は消耗した状態。
偶然勝ち上がったところで、本戦で潰される。
王国は最初から、“勇者にしたい人間”を選別しているだけだった。
(気の毒に)
グラーディスは武舞台を見下ろした。
その時。
神官が前へ出る。
手には、刻印術式が刻まれた拡声具。
まるでマイクのような形状の魔導具だった。
「これより、予選会を行う!」
重低音が広場へ響き渡る。
ざわめきが止まった。
「思ったより参加者が多いため、予選会はバトルロイヤル形式へ変更する!」
一瞬の静寂。
その後、大きなどよめきが広場を揺らした。
「ルールは単純!」
「相手を武舞台から落とすか、戦闘不能にすること!」
「四つあるブロックで、一人ずつ突破者を決定する!」
神官は続ける。
「なお、制限時間は三時間!」
「三時間で勝者が決まらなかった場合、そのブロックは全員失格とする!」
空気が一気に張り詰めた。
「自信のない冷やかし参加者は去れ!」
その言葉で、数人が顔を青くした。
だが。
誰も動かない。
勇者。
その言葉の魔力は、それほど強かった。
フィデリアは再びアウレリアを見る。
(逃げるなら、今の内です。アウレリア)
しかし。
アウレリアはまるで気にしていなかった。
肩を軽く回しながら、飄々と武舞台へ上がっていく。
周囲には殺気立った参加者たち。
だが本人だけは、旅先の余興にでも参加するような空気だった。
「さて、やってみるかな」
気楽な声。
その瞬間。
王国勇者選定予選会――バトルロイヤルが始まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王都中央闘技場を埋め尽くしていた熱狂は、開始からわずか数十分で悲鳴へと変わっていた。
武舞台の上は、まさに戦場だった。
誰もが、自分こそが勇者になると信じている。
だからこそ、強そうな相手を見れば群がる。
逆に、弱そうな者を見れば叩き潰そうとする。
剣戟。怒号。転倒する音。
舞台の外へ弾き飛ばされる者たち。
開始直後から、混戦は制御不能だった。
そんな地獄絵図の端。
アウレリアだけが、まるで散歩でもしているように立っていた。
砂色のクロークを揺らしながら、騒乱を眺めている。
戦わない。
避ける。
流す。
ただそれだけ。
それなのに、不思議なほど攻撃が当たらない。
「お、おい! あいつ何なんだ!?」
「あの女、さっきから無傷だぞ!」
誰かが叫ぶ。
すると視線が、一斉に向いた。
戦場で目立つ者は、それだけで標的になる。
アウレリアは、ようやく面倒事に気づいたように頭を掻いた。
「……気づかれたか」
残っていた参加者たちが、武器を構えて迫る。
剣。
斧。
槍。
十数人。
包囲するように距離を詰める光景に、観客席がざわめいた。
しかし当の本人は、肩を落としていた。
「もう少し楽したかったんだけどなぁ」
心底残念そうだった。
アウレリアは近くに転がっていた槍を拾い上げる。
気絶した参加者の得物だった。
くるり、と軽く回す。
その動きだけで、槍が手足のように馴染んでいることがわかった。
フィデリアの目が細まる。
呼吸が変わった。
空気が変わった。
それまでの気の抜けた旅人ではない。
獣が牙を剥く直前の静けさだった。
「戦闘不能は、殺しちゃだめって意味だよね」
次の瞬間。
アウレリアの姿が消えた。
「がっ――!?」
最前列の男が吹き飛ぶ。
槍の石突きが、喉元寸前を正確に打ち抜いていた。
続けざまに二人。
三人。
急所だけを、寸分違わず叩き込む。
だが致命傷にはならない。
殺さないための加減。
その技術が、逆に異常だった。
「なっ……!」
グラーディスの金色の瞳が見開かれる。
速い。
では済まない。
完成されている。
後ろから斬りかかった男がいた。
だがアウレリアは振り返りもしない。
槍の柄を背後へ滑らせるだけで、相手の顎を正確に打ち抜いた。
男は白目を剥き、その場に崩れ落ちる。
「ひっ……!」
怯えが広がった。
それを見逃さない。
アウレリアは一気に前へ出る。
ひるんだ瞬間を狩る動き。
獲物を追う猛獣のようだった。
――世界一とは言えないけど、世界でトップ10にランクインする自信はあるわよ。
フィデリアの脳裏に、昼間の言葉が蘇る。
冗談だと思っていた。
誇張だと思っていた。
だが違う。
この少女は、本気で言っていたのだ。
「本当に……強かったのですか……?」
思わず立ち上がっていた。
周囲の神官たちがざわつく。
しかしフィデリアは気づかない。
目の前の戦いから視線を逸らせなかった。
やがて残った参加者たちは、半ば悲鳴混じりに徒党を組む。
「囲めぇぇぇっ!」
一斉攻撃。
だが、それは最悪の判断だった。
連携の取れない集団は、互いの動きを邪魔する。
アウレリアは、その隙間へ滑り込んだ。
槍が唸る。
武器を落とす者。
人が舞う。
逃げようとして味方とぶつかる者
気絶者が増える。
「化け物だ」と呟く者
そして最後の一人。
完全に腰が引けていた。
「く、来るなぁぁっ!」
「これでぇっ!」
アウレリアが踏み込む。
その瞬間。
最後の参加者は悲鳴を上げ、自ら舞台の外へ飛び降りた。
静寂。
直後、会場が爆発したように沸き上がる。
アウレリアは、ぽかんとしていた。
「あ、降参した」
緊張感の欠片もない。
彼女は槍を元の持ち主の横へ丁寧に置く。
そして壇上を見る。
フィデリアと目が合った。
アウレリアは満面の笑みで、親指を立てる。
まるで「どう?」と言わんばかりだった。
「……何て人なの」
フィデリアは小さく呟き、静かに椅子へ座り直した。
その隣で、グラーディスもまた興味深そうに目を細めている。
ただ強いだけではない。
この少女には、常識の枠から外れた何かがある。
勇者の儀、本戦出場者。
その名簿に、“アウレリア”の名が刻まれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




