よし、受けた!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
突然距離を詰められたフィデリアは、わずかに身体を引いた。
青緑の瞳に警戒が浮かぶ。
「……いえ、別に果物が欲しいわけではありません」
「そう?」
旅人――アウレリアは、気にも留めない様子だった。
「地面に落ちて割れたけど、そのくらいで味は変わらないよ」
そう言うと、大きく口を開けて果物にかぶりつく。
果汁が口元に垂れた。
まるで野生動物だ、とフィデリアは思った。
王都の人間とは違う。
礼儀も。
空気も。
価値観すら。
「いったい、何なんですか、あなたは」
フィデリアが呆れ半分に問いかける。
するとアウレリアは不思議そうに首を傾げた。
「ん? あたしはアウレリア」
「名前を聞いたわけではありません」
「じゃあ、あんたは?」
「話を聞いているんですか?」
「うん、話を聞くために名前はあった方が良いでしょ」
悪びれた様子がまるでない。
自由奔放。
傍若無人。
たぶん、この少女は普段からこうなのだろう。
フィデリアは小さく息を吐いた。
(傍若無人というのは、こういう人なのでしょうか)
半ば諦めるように名乗る。
「……フィデリアです」
「あたしは、アウレリア」
「知っています」
「あ、そっか」
まるで気にしていない。
アウレリアは当然のように、フィデリアの隣へ腰を下ろした。
石畳に並んで座る形になる。
「どうして、横に座るんですか」
「人と話したい時は、同じ目線にしたいと思ってるの」
「私には話すことなどありません」
即答だった。
だがアウレリアは、むしろ待ってましたと言わんばかりに身を乗り出す。
「あたしには、ある!」
その勢いに、フィデリアの肩がぴくりと揺れた。
(まさか、この人は私のことに気づいている……!?)
姫巫女。
今、王都中が探している存在。
正体を見抜かれたのか。
一瞬で警戒が跳ね上がる。
だが、次の瞬間。
アウレリアの言葉は予想の遥か上を飛び越えていった。
「あんた、めっちゃ可愛いね」
「…………は?」
「すっごい、可愛さの化身でよくない!?」
フィデリアの思考が止まる。
アウレリアは目を輝かせていた。
本気だった。
「ああ、癒される……」
「旅先でこんな良いものが見れるなんて、ここまで来たかいがあったわ! 報われる!」
両手を握り締め、感動したように頷いている。
フィデリアは数秒ほど沈黙した。
(何なの、この人!?)
理解不能だった。
今まで会ってきた人間たちは皆、”姫巫女”という配役として自分を見た。
祈り。
畏怖。
期待。
欲望。
そんな視線ばかりだった。
なのに、この少女は。
ただ「可愛い」と言った。
まるで、道端で珍しい花でも見つけたかのように。
「貴方は、勇者の儀に参加しに来たのではないのですか?」
フィデリアが問い返す。
するとアウレリアは、きょとんとした。
「ん? 何それ?」
演技ではない。
本当に知らない顔だった。
フィデリアは目を瞬かせる。
(……知らない人がいるんだ)
王都では、今その話題でもちきりだ。
知らぬ者などいないと思っていた。
フィデリアは改めてアウレリアを見る。
砂色の旅装束。
擦れた手袋。
旅慣れた足取り。
この少女は、本当に外から来た人間なのだ。
「私からも聞いてよいですか?」
「いいよ」
アウレリアは果物を齧りながら答える。
「なぜ、彼女から報酬を望んだのですか?」
その問いに、アウレリアはぽかんとした。
「え? 無料で助けたら、皆助けないといけないじゃない」
あまりにも自然な返答だった。
「国に税金納めてるから、国は助ける義務があるのと同じだと思うけど」
「…………」
「それに、恩着せがましくやるのは嫌なのよ」
アウレリアは肩を竦める。
「報酬を払って、助けを呼んで、助けられた。それで終わりくらいがちょうどいいじゃない」
風のような考え方だった。
縛られていない。
善人になろうとしているわけでもない。
だが、だからこそ自然だった。
フィデリアは静かに目を伏せる。
半分は同意。
もう半分は、呆れ。
そんな生き方は無責任だと思う。
なのに。
少しだけ羨ましかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王都の広場には、夕暮れの鐘の音が静かに響いていた。
昼間の喧騒が少しだけ落ち着き、人々はそれぞれの帰路につき始めている。
その中で、フィデリアは隣に座る旅人の少女を見ていた。
正直、この世界に来てから、人間個人に興味を抱いたのは初めてかもしれない。
皆、勇者を欲していた。
力を欲していた。
誰かに救われることを願っていた。
けれど、この少女だけは違う。
「そういや、さっき勇者の儀とか言ってたけど、何なの?」
アウレリアは、まるで今日の天気でも聞くような気軽さで尋ねた。
「姫巫女という人から、選定の力を与える儀式です」
「そしたら、どーなるの?」
「“勇者”になれるそうですよ」
フィデリアは、わずかに視線を細める。
試すような口調だった。
人は皆、“勇者”という言葉に目を輝かせる。
それが当然だと思っていた。
だが。
アウレリアは腕を組み、「うーん」と唸った。
そして、しばらく考え込んでから口を開く。
「“勇者”って、何するものなの?」
「えっ?」
フィデリアは思わず聞き返した。
「だって、この世界には悪の大魔王も、悪の皇帝もいないのに、物語みたいな勇者って不要なんじゃない?」
「……それは……わかりません」
答えられなかった。
フィデリア自身、考えたこともなかったからだ。
勇者を求めているのは王国。
フィデリアではない。
だから興味を持たなかった。
だが今、初めてそこを問われた。
「たとえば、世界で一番強くなれるかもしれないんですよ」
少し意地になって、そう返す。
するとアウレリアは、困ったように頬を掻いた。
「うーん。そんなこと言われても、あたし天才で強いから、あんまり興味ないのよねー」
「ずいぶんな自信ですね」
「まぁ、世界一とは言わないけど、世界トップ10くらいには入ると思う」
にやり、と笑う。
根拠の欠片もない。
なのに、不思議と冗談には聞こえなかった。
フィデリアは呆れ半分に息を吐く。
(何を考えているのでしょう、この人は……)
「そんなに簡単なら、勇者になってみればよいではないですか」
少し皮肉を込めて言った。
だが。
「えー、何でよ?」
アウレリアは本気で嫌そうな顔をした。
フィデリアは目を瞬かせる。
勇者になりたくない者。
そんな存在がいるなど、考えたこともなかった。
「世界トップ10なのでしょう? 嘘なのですか?」
「嘘じゃないけどさぁ」
アウレリアは空を見上げた。
赤く染まり始めた夕空。
そこを見ながら、何かを考える。
そして。
「……よし!」
突然、勢いよく立ち上がった。
「もし、あたしが勇者とやらになったら、フィデリアも、あたしの旅に付き合いなさい」
「……何でそうなるんですか?」
「だって、目的ないとやる気出ないし」
あまりにも自由だった。
あまりにも身勝手だった。
なのに。
その言葉には、妙な熱があった。
フィデリアは少しだけ考える。
どうせ無理だ。
この少女が普通とは違うことはわかる。
だが、選ばれるような人間には見えない。
だから。
「……いいでしょう」
小さく頷いた。
(どうせ、出来るわけがない)
少しくらい夢を見させて、その後で現実を知ればいい。
そう思った。
けれど。
フィデリアはまだ知らない。
自分が今、さして考えもなく誘った相手が。
この世界の運命そのものを変えてしまう存在だということを。
「よし、受けた!」
アウレリアは満面の笑みを浮かべた。
夕焼けの光が、その黒髪を赤く染める。
フィデリアは、その姿を静かに見つめていた。
まだ。
お互いに、自分たちの選択の意味を知らないまま。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




