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勇者は神になれない  作者: ふたり旅団
フィデリア編
75/133

旅人の名は

過去編のはじまり

レックスたちの話に出きた謎部分の追憶編の扱いになります

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



王都は熱狂に包まれていた。


通りには色鮮やかな旗が掲げられ、露店には人が溢れている。


酒場では酔った男たちが勇者の噂を叫び、子供たちは木剣を振り回して遊んでいた。


皆、笑っていた。


皆、期待していた。


王国に姫巫女が降臨した。


間もなく勇者が選ばれる。


長きに渡り、帝國と魔王国の脅威に晒され続けた王国にとって、それは救いそのものだった。


誰もが待ち望んでいる。


戦争を終わらせる英雄を。


その中心となる場所。


王都中央大聖堂。


白亜の巨大建築の内部は、荘厳な静寂に満ちていた。


高い天井。


幾重にも連なる巨大な柱。


色硝子から差し込む夕光が、床を赤く染めている。


その最奥。


無駄なほど豪奢に装飾された中央台座。


そこに置かれた椅子へ、フィデリアは静かに腰掛けていた。


赤い外套。


黒い衣装。


腰まで流れる淡い金髪。


青緑の瞳は、澄み切った湖のように静かだった。


人々は、その姿を見た瞬間に息を呑む。


まるで神話から現れた聖女。


神秘的という言葉すら、生ぬるい。


だからこそ、人々は祈った。


手を合わせ。


涙を浮かべ。


縋るように。


―― お願いします、勇者様。私たちに平和を与えてください。


―― もう疲れた。早く戦争を終わらせてくれ。


―― お願い。この子の命を救って。


―― お父さんの敵を取って。


―― あの人の敵を取って。


その願いの奔流を、フィデリアは無表情に見下ろしていた。


感情を消したような瞳だった。


だが、その奥には微かな揺らぎがある。


(……この方たちは、何を期待しているのでしょうか)


静かに思う。


(……私が世界を平和へ導くとでも考えているのでしょうか)


隣へ視線を向ける。


そこには、“神鋼”があった。


虹色の輝きを放つ金属塊。


まるで生きているように脈動している。


王国の人々が、“聖剣の核”と呼ぶもの。


フィデリアがこの世界へ顕現させた、“選定の道具”。


(……それとも)


瞳がわずかに伏せられる。


(……これが、自分たちを救うとでも思っているのでしょうか)


指先が僅かに震える。


誰も気付かない。


気付けるはずもない。


なぜなら、この場で“選定”の本当の意味を知っているのは、彼女だけなのだから。


(……これが本当は何なのかを知れば)


そこで思考を止める。


言えない。


言葉にすることすら許されない。


彼女は裁定者。


ただ、人々が望むものを顕現する存在。


それ以上でも、それ以下でもない。


(私は、彼らの欲するものを与える力など持っていないのだから)


視線の先では、小さな子供が必死に祈っていた。


痩せ細った母親が、その肩を抱いている。


おそらく戦争で家族を失ったのだろう。


そんな人々が、ここには大勢いた。


だからこそ、フィデリアは胸が痛む。


この願いを、“それは違う”と教えられないことが。


だが。


別の熱量を向ける者たちもいる。


勇者選定会へ参加する者たちだ。


――勇者という名に憧れる若者。


――家名の箔付けにしたい貴族。


――出世へ利用しようとする者。


――聖剣を換金できるか考える者。


欲望。


虚栄。


打算。


それらが、神聖な空気の下で渦巻いている。


フィデリアは静かに目を閉じた。


(……自分が、この世界へ来た意味が分からない)


(……人は、こんなにも愚かなものなのですか)


その瞬間。


ほんの僅かに、思ってしまう。


(いっそ、これを蹴飛ばして……当たった人を選んでも変わらないでしょう)


神鋼を見る。


虹色の輝きが、無機質に揺れていた。


(……どのみち、このような者たちは“選定者”にはなれないのだから)


やがて昼の公開儀式が終わる。


だが休息はない。


今度は神官たちに連れられ、王族と貴族たちの夜会へ向かわされる。


フィデリアの意思など、誰も気にしていない。


そこでも同じだった。


賛美。


期待。


欲望。


笑顔の裏に隠された打算。


人々は、救世主を求めている。


あるいは。


救世主という“都合の良い力”を。


そして。


全てから解放された時には、すでに夜も深かった。


王都の喧騒だけが、遠くから響いていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



王都の喧騒から逃げるように、フィデリアは大聖堂の裏口を抜け出した。


神官たちは大騒ぎだった。


姫巫女が姿を消した、と。


だが、フィデリアにとっては知ったことではない。


一日中、人々の願いを向けられ続けた。


平和をください。

勇者を。

救済を。


それなのに、その願いの先にあるものを、誰も理解していない。


赤い外套を脱ぎ、活動的な衣装へと着替えたフィデリアは、人混みの中に紛れ込む。


白いヘッドバンドの下で、金髪が静かに揺れた。


王都の夜は賑やかだった。


酒場からは笑い声。


屋台からは焼いた肉の匂い。


子供たちは走り回り、恋人たちは寄り添って歩く。


地方では魔物被害で村が消え、北では帝國との戦争で兵が死んでいるというのに、この街だけを見れば平和そのものだった。


(……平和を望むなら、何故戦争をするのでしょうか)


フィデリアは小さく目を伏せる。


(……戦争なんて、やめてしまえば良いのに)


広場の屋台で買ったパンは、まだ温かかった。


人の作る食べ物には、不思議な温もりがある。


選定の儀に必要なものではない。


けれど、嫌いではなかった。


静かな場所で食べようと広場へ向かった時だった。


「……何だ、こんなもので金が払えるか!」


怒鳴り声が響く。


「まったく、ひどい商品だぜ」


男たちが屋台を囲み、乱暴に商品を蹴り飛ばしていた。


果物が転がる。


籠が割れる。


店番の少女は、今にも泣き出しそうだった。


フィデリアは立ち止まる。


(……どうして、こんな意味もない争いをするのか)


男たちは、ただ憂さ晴らしをしたいだけなのだろう。


そこに正義も理念もない。


ただ弱い者を踏みにじる快楽だけがある。


男の一人が商品棚を蹴り飛ばした瞬間だった。


「ねぇ、君。手を貸そうか?」


場違いなほど軽い声が割り込んだ。


全員の視線が向く。


そこにいたのは、小柄な旅人だった。


砂色のクローク。


頭を包むターバン。


年頃はフィデリアと変わらない少女に見える。


「ただで助けると恩着せがましいから、報酬もらうけどね」


店番の少女は怯えながら何度も頷いた。


「交渉成立」


旅人は少女を庇うように前へ出る。


男たちは顔を見合わせ、下卑た笑い声を上げた。


どう見ても強そうには見えない。


むしろ、殴れば簡単に吹き飛びそうな細身だった。


(物好きな……)


フィデリアは静かに眉を寄せる。


(何故わざわざ争いに介入するのですか)


「怪我しないうちに、逃げるのをお勧めするよ」


旅人は肩を竦めた。


「その方が、楽なんだ」


火に油を注ぐ言葉だった。


「やっちま――」


男が最後まで言い切ることはなかった。


鈍い音。


次の瞬間、男の身体が崩れ落ちる。


「……え?」


フィデリアは目を見開いた。


フィデリアの目には、何も映らなかった。


ただ次の瞬間。


男が地面に倒れていた。


何をしたのか。


残る二人も、一瞬だった。


拳。


踏み込み。


体重移動。


無駄のない動作だけで、男たちは意識を刈り取られていた。


「ミッション、コンプリート」


旅人は平然と言った。


そのまま近くにあった縄を拾い、男たちを手際よく縛り上げていく。


まるで慣れている。


「さて、約束の報酬なんだけどさぁ」


少女はびくりと肩を震わせる。


旅人は屋台の下に転がっていた割れた果物を拾った。


「これ貰ってくね」


そして、銅貨を数枚投げる。


「経費は差し引いたから、ごめんね」


少女は呆然としていた。


旅人は気にも留めず、果物を大きく齧る。


瑞々しい果汁が零れた。


「うん、美味しい」


その姿は妙に無防備だった。


つい先ほどまで暴漢を制圧していた人物とは思えないほど。


(……なに、この人は?)


フィデリアは理解できなかった。


戦う理由が。


笑う理由が。


どうして、そんな自然に人を助けられるのか。


その時だった。


旅人がふと振り返る。


二人の目が合った。


黒曜石のような瞳。


どこか楽しげで。


どこまでも自由だった。


「ん?」


旅人は首を傾げる。


「誰、君? 果物が欲しいの?」


フィデリアは答えられなかった。


ただ、不思議だった。


この少女だけが。


この世界の歪みを知らないように見えた。


あるいは――知った上で、笑っているように見えた。


旅人の名はアウレリア。


姫巫女フィデリアと、後に勇者と呼ばれる少女は、この夜、偶然のように出会った。


フィデリアはまだ知らない。


この少女が、自分の価値観を根底から壊す存在になることを。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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